時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

小林よしのり

新天皇論 小林よしのりの近著 天皇論三部作の完結編

ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論
著者:小林よしのり
小学館(2010-12-15)
販売元:Amazon.co.jp
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小林よしのりの近著は、このブログでも紹介している「天皇論」、「昭和天皇論」に次ぐ天皇論三部作の完結編だ。

ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論
著者:小林 よしのり
小学館(2009-06-04)
販売元:Amazon.co.jp
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ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論
著者:小林 よしのり
幻冬舎(2010-03)
販売元:Amazon.co.jp
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皇室の起源や天皇の祭祀について知らないことが多かったので、「天皇論」、「昭和天皇論」は大変参考になった。

この本も高森明勅(あきのり)日本文化総合研究所代表や、田中卓皇學院大学元学長などの神道学、皇室古代史研究の専門家のアドバイスやチェックを得ているので、前2作と同様、非常に内容が濃いものになっている。

ちなみに高森さんと田中さんは次のような本を書いている。

歴代天皇事典 (PHP文庫)歴代天皇事典 (PHP文庫)
PHP研究所(2006-10-03)
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田中さんは大正12年生まれで今年88歳になる。「田中卓著作集」が出版されている古代史・皇室史研究の大家だ。

日本国家成立の研究 (1974年)
著者:田中 卓
皇学館大学出版部(1974)
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田中卓著作集〈5〉壬申の乱とその前後 (1985年)
著者:田中 卓
国書刊行会(1985-09)
販売元:Amazon.co.jp
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ちなみに田中さんは「万世一系」は一つの糸のように感じるが、これは明治になってから頻繁に使われた言葉だという。昔使われていた「万葉一統」という、帯のように直系も傍系も一族郎党がつながっているというイメージが正しいという。

天皇論三部作でも高森さんがすべて内容をチェックしてくれているとのことである。議論の内容は専門家の高森さんの受け売りなのかもしれないが、それにしてもマンガというよりは、挿絵が充実した本と言った方が良いくらいコンテンツは充実している。


男系絶対主義の主張を逐一論破

小林よしのりは、男系絶対主義者の論拠を逐一論破している。

★過去10代、8人の女性天皇がいて、決して名前だけの中継ぎではなく、それぞれ「天皇」という称号を始めたり、「日本」という国名を決めたり、伊勢神宮の式年遷宮を始めたり、歴史上重要な決断をしている。皇統は決して男系だけではなかった。

★昭和天皇が「人倫に反する」として廃止した側室制度がない現代の皇室では、男系継承はいずれ不可能となる。このままでは皇位継承者に過大な負担を強いる結果となり、雅子皇太子妃バッシングなどの例もあり、皇位継承者と結婚しようとする女性を思いとどまらせる強力な圧力となる。

★日本はもともと男系・女系の区別のない国で、男系絶対主義は男尊女卑の「シナの伝統」であり、日本古来の伝統・風習ではない。そもそも皇祖神は女性の天照大神(あまてらすおおみかみ)である。明治時代の「皇室典範」制定時に男尊女卑思想があったので、男系継承という原則が打ち出された。しかしそれは側室制度があってはじめて成り立つ原則だ。

★八木秀次氏が喧伝していた「Y染色体論」は今やSRY染色体(sex-determining region Y)が男性を決定するという説に変わり、XX男性、XY女性も存在することが立証され、男系絶対主義者の科学的論拠は崩れた。

「女性天皇容認論」を排す―論集・現代日本についての省察「女性天皇容認論」を排す―論集・現代日本についての省察
著者:八木 秀次
清流出版(2004-11)
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2006年に生物学ライターの竹内久美子さんの「万世一系のひみつ」という本のあらすじを紹介しているが、竹内さんはY染色体を根拠に男系絶対主義の根拠を説明していた。

今回小林よしのりがさかんに強調する「SRY染色体」というのは、初めて聞く言葉なので、竹内久美子さんの「万世一系のひみつ」を読み返してみると次のようになっている。

「性染色体の交差はまったくないのではなく、Yの両端にはほんの少しXとペアとなす部分があり、そこで交差することがある。だから父から息子へYが受け継がれるときにはこういう交差と、稀に突然変異が起きることによってごくわずか変化します。

しかしともあれ、男はYを父親から受け継ぐ。それは、父親のものとほぼ同じであることは言える。男系の男子でつなぐとはそういうことなのです。」

出典:「万世一系のひみつ」

Y染色体説は例外もあるという注意深い書き方になっている。

遺伝子が解く!万世一系のひみつ (文春文庫)遺伝子が解く!万世一系のひみつ (文春文庫)
著者:竹内 久美子
文藝春秋(2009-05-08)
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竹内さんは最終的には女帝でも男系継承でもどちらでもよいという立場だが、女帝の場合には旧宮家などの皇室タイプのY染色体を持った男性との結婚が望ましいとしている。

これは筆者の意見だが、小林よしのりがこの本で主張するように、「Y染色体原理主義」のような議論はすべきでないと思う。かつて女帝がいたという皇室の歴史と、現代の結婚感覚に明らかに反するからだ。


★血のスペアとして旧宮家出身者を皇族とすべきだという議論がある。しかし、その候補といわれている4人は、男系絶対を叫ぶ竹田恒泰氏を除いて、いまだ不明のままである。よしんば4人が身分を明かしても、旧宮家と今上天皇との系統は600年前の崇光天皇の子栄仁親王までさかのぼらないとつながらないような人を、皇族、ひいては天皇として国民は認めないだろう。

そもそも昭和22年には竹田さんのお父さんも生まれていないので、「旧皇族」というのは「消防署の方から来ました」といって消火器を売り込むやりくちと同様の、不適切な用語であると批判している。

竹田さんはいくつも本を書いているので、別ブログでは「語られなかった皇族の真実」のあらすじを紹介している。

語られなかった皇族たちの真実 若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」 (小学館文庫 た 15-1)語られなかった皇族たちの真実 若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」 (小学館文庫 た 15-1)
著者:竹田 恒泰
小学館(2011-02-04)
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そのものズバリの「皇統保守」という本や、前回紹介した「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」という本も書いている。特に「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」は30万部を超えるベストセラーとなっている。

皇統保守皇統保守
著者:竹田 恒泰
PHP研究所(2008-08-01)
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日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
著者:竹田 恒泰
PHP研究所(2010-12)
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★そもそも11旧宮家は、昭和22年に皇籍離脱させられたが、これはGHQでなく昭和天皇の意志だという。皇族は多すぎ、勝手な行動が度を超している人もいたからだ。

一例として挙げられているのが、昭和天皇の皇后、香淳皇后の父、久邇宮邦彦王だ。
宮中某重大事件は昭和天皇の久邇宮良子女王(香淳皇后)との婚約を取り消そうと山形有朋が画策したものだが、このとき良子女王の父、久邇宮邦彦王が大正天皇の皇后、貞明皇后に直接手紙を書いたので、臣の身分を超えた行為に皇后は激怒したという。

それ以来、貞明皇后(昭和天皇の皇太后)は皇族は多すぎると語っていたという。

竹田恒泰氏は対談を申し込んできたという。

竹田さんは一般的には「法隆寺を鉄筋で建て替えたら法隆寺ではなくなる」と主張しているが、男系で皇統が途絶えたら、その時は自分はいないので、その時の国民が決めればよいとメールで回答してきたので小林よしのりは対談を断ったという。


★渡部昇一との公開質問状
この本では渡部昇一と小林よしのりの往復公開質問状を掲載している。男系継承を主張する渡部昇一を「皇統の弥栄(いやさか)よりも、自分の面子を重んじ、過去の栄光にしがみつくだけの人間を相手にしている暇はありません。形骸は、断ずるのみです」と片づけている。


皇室典範改正は急務

現行の「皇室典範」は「法律」とされたので、国会に議決権があり、天皇陛下には議決権はない。しかし明治時代までは「皇室典範」は天皇家の家法とされ、天皇陛下が決めていた。

たとえ悠仁(ひさひと)さまが将来皇位を継承することになっても、今上天皇陛下の他の孫はすべて女性なので、男系皇族しか認めない現在の皇室典範では、女性の皇族は黒田清子様のように結婚すると皇籍離脱する他なく、いずれ皇族は悠仁さまだけという事態が来る。

天皇陛下は祭祀王であり、数々の祭祀を皇居で国民のために営んでおられることは、、「天皇論」の”皇室祭祀”で紹介しているので、参照して欲しい。皇太子殿下も多くの祭祀を天皇とともに営んでおられる。それゆえ皇太子殿下には、はやくからの帝王教育が必要である。

あってはならないことだが、もし今上天皇陛下に万が一のことがあり、皇太子殿下が天皇に即位されると、秋篠宮殿下や悠仁さまは皇太子にはなれず、女性天皇を認めないと愛子さまも皇太子になれないので、皇太子不在という事態となり、次の天皇の負担は重くなる。

それゆえ「皇室典範」を改正し、女性宮家を創設して、女性天皇、女性皇太子を認めることが、皇統継承の道であり、たぶん今上天皇、皇太子殿下、秋篠宮殿下もそれを望んでおられるのではないかと小林よしのりは主張する。

平成17年に小泉政権下の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書も女系容認、長子優先と結論づけている。これを早く法律案にすべきだと。また宮内庁はだいぶ以前から皇室典範改正に向けての準備を始めているのではないかと。


男系継承反対派も沈黙?

小林よしのりが、高森さん、田中さんなどの専門家のアドバイスを得て、このような論陣を張ったので、一時は男系継承に傾いていた桜井よし子氏や大原康男氏、八木秀次氏もこの問題については沈黙を守るようになったという。

「女系天皇論」の大罪「女系天皇論」の大罪
著者:小堀 桂一郎
PHP研究所(2006-01)
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結論として小林よしのりは、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下で話し合い、最終的には今上天皇が決断され、周りは天皇の意志を忖度すべきだと主張する。

天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下も法律が決めることとしながらも、話し合う方向でも発言されている。

たぶん国民にとっては、天皇家で話し合った結果がもっとも説得力があるのではないかと筆者は思う。


小林よしのりの限界

この本の小林よしのりの議論は、納得できる点が多いが、そこまで言うなら、小林よしのりが、今上天皇陛下のご即位20年記念の茶会に招かれて、侍従から天皇陛下と直接言葉を交わすように勧められたのに、なぜそれを断ったのか理解に苦しむ。

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出典:本書34-37ページ

天皇陛下のお近くに行って、畏れおののいて何も言えなくなったのだろうが、小林よしのりが茶会に招待されたのは、もとはといえば何十万人もの読者が天皇制に興味を持ち、「天皇論」を読んだからである。

上記の議論のように、皇位継承問題については天皇家のご意見を忖度することが非常に重要である。ひょっとすると天皇陛下から何らかのヒントや言葉を引き出せた千載一遇のチャンスなのに、なぜここは読者の代表として、あたかも役者のように役目を果たすという発想にならなかったのだろう?

筆者は、たぶんこの原因は小林よしのりの「マンガ家コンプレックス」にあると思う。

小林よしのりは「マンガの殿堂」を作りたがっていた麻生太郎元総理と親しいようだが、麻生さんの主張を待つまでもなく、マンガは"cool Japan"の代表例として日本の誇る世界的なコンテンツである。

これは筆者の意見だが、小林よしのりの作品は、もはやマンガの範疇を超えた「挿絵の多い本」であり、そのコンテンツの重要性はマンガだからといって卑下する必要はなく、もっと自信を持つべきである。

上記のページの続きの38ページには次のような絵がある。

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出典:本書38ページ

小林よしのりも、本心は悔やんでも悔やみきれないという気持ちなのかもしれないが、同じく招かれたビートたけしのようにきちんと天皇陛下と言葉を交わし、「この人のためなら死んでもいい」という気持ちを、われわれ読者にも伝えてほしいものである。



あとがきに「本書がいつか必ず、国体を救うために描かれた邪念なき作品だったと、評価される時が来るだろう」などと書く前に、国民に伝える語り部という自覚を持って行動して欲しいものである。

参考になる良い本なのにもかかわらず、この一点のために残念ながら筆者の読後感は悪い。

ともあれコンテンツは充実している。400ページの大作で文字が多く、筆者も読むのに4日かかった。読みづらいマンガだが、一読の価値はあると思う。


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靖国論 小林よしのりの常識として知っておくべき靖国

小林よりのりの靖国神社論。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論


現在中国との間で、尖閣列島問題がフォーカスされているが、同じように中国がしばしば指摘するのが首相の靖国神社参拝問題だ。

たとえば安部晋三は靖国参拝を明言しているが、谷垣禎一は靖国参拝は控えると明言している。まるで中国による「踏み絵」のようだ。

中国・韓国との外交問題となってしまった靖国問題だが、小林よしのりは【検証】朝日は靖国をこうして「外交カード」に仕立てたという一章をもうけて、朝日新聞を「アジアの放火魔」と呼んでいる。

まさにゴーマニズムの呼び名の通りの発言だ。

筆者は朝日新聞を購読しているが、小林よしのりの本を読むことで別の面からの議論の論点がわかって参考になった。

そもそも靖国神社参拝は公的行事として、歴代の首相が行い、天皇が行っていたのだが、昭和50年の三木首相の靖国「私的参拝」発言が「公式参拝」是非論議をつくりあげてしまった。

これが天皇が靖国神社を参拝できなくなった理由だと指摘している。しかし靖国神社の成り立ちからして、公式参拝が当然であると小林よしのりは語る。


靖国神社のなりたち

戦争で亡くなった戦死者を祀る神社という意味では、靖国神社は唯一無二の存在である。

靖国神社は明治二年(1869年)明治天皇の「わが国のために尽くした人々のみたまは国自ら永久にお祀りすべきである」との聖旨により『東京招魂社』として建立された。

祀られているのは幕末の1953年、黒船来航の年からの死亡者であり、日本の近代化の過程でたおれた吉田松陰や、坂本龍馬も祀られているのだ。

靖国神社には現在250万柱の御祭神が祀られている。古来からの死者・先祖を崇拝する信仰に基き、公に殉じた人を英霊と呼び、国が永久にお祀りする施設だ。

神社のなりたちとスピリチュアルな面を忘れ、国立追悼施設の建立とはナンセンスなのだと。


死者のみたま

この本では多くの戦死者の遺書や、終戦自決者の遺書が載せられているが、彼らの国を守るという意志は純粋で、読んでいて涙がにじんでくる。

何百万もの戦死者が靖国あるいは九段で会おうと誓いあって死んでいった以上、みたまを靖国から動かすことなどありえないと。

筆者の母の弟、筆者の叔父が太平洋戦争で戦死している。

土浦航空隊で訓練中に敵機の爆弾が防空壕を直撃し、他の仲間と一緒に亡くなったものだ。たしか享年18歳だったと思う。

生き埋めによる窒息死なので遺書はない。現場に駆けつけた母は、叔父の顔がまだ生きている様に生気を帯びていて、死んだとは認めたくなかったと言っていたものだ。

戦友や遺族たちが毎年土浦で慰霊祭をやっていたので、筆者も昔何回か参加したことがある。

航空自衛隊に行った叔父の戦友が、慰霊祭にあわせて上空を飛行機で記念飛行していたのを思い出す。

筆者は戦後生まれなので、戦死した叔父には当然会ったこともなく、写真だけだが、叔父が戦後叙勲されたのを祖父は大変喜び、叙勲の詔勅を居間に飾っていたことを思い出す。

お墓も代々の墓とは別に叔父の海軍二等兵曹の墓を別につくってある。いかに祖父母が叔父の死を悲しんでいたかがわかる。

叔父の場合は、毎年合同の慰霊祭があったので、靖国神社にはお参りしなかったが、こういった特別の事情がなければ、たぶん祖父母や母も靖国神社にお参りしたことだろう。

このブログを読んで頂いているあなたにも、たぶん親類で戦争でなくなった人が必ずおられると思う。

戦後60年以上が経ち、戦争の記憶がどんどん風化する一方だ。

そもそも靖国神社とはどんな存在なのか、神道に基づく神社への参拝が、なぜ外国との政治問題化するのか、日本の内なるスピリチュアルな問題をあえて外交問題と仕立てようとする国内勢力があるのではないか…。

そんな考える機会をあたえてくれる本である。

朝日新聞を「アジアの放火魔」と呼ぶような過激な点は注意する必要があるが、論点を考える上では参考になる本だと思う。


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いわゆるA級戦犯 考えさせられる東京裁判論

A級戦犯についての小林よしのりのマンガを一つの見方として紹介する。

いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIALいわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL
著者:小林 よしのり
販売元:幻冬舎
発売日:2006-06
おすすめ度:4.5
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2006年6月の日経新聞が昭和天皇はA級戦犯合祀に憤り、靖国神社参拝をやめたという側近のメモを明らかにした。

天皇がA級戦犯合祀を機会に靖国参拝をやめたことは、大前研一などは著書で以前からふれており、知られざる真実というわけではない。

(もっとも小林よしのりは別の本で、天皇が靖国参拝をやめた理由は、三木首相の『私的参拝』発言により、公式参拝ができなくなったことが理由であるとしているが)

その問題のA級戦犯とはいったいどういう人たちなのか、どのように選ばれたのか、またなぜA級戦犯となったのか、そもそも東京裁判とはどういった法的根拠で行われたのか、といった余り知られていない事実をこの本では明らかにする。

小林よしのりは、この本の帯で「日本に、A級戦犯などいない」と断言する。

東条英機ほか27名はえん罪であると。A級戦犯のリストは次の通りだ。

A級戦犯全員のリスト:

処刑された人:

東条英機首相
広田弘毅首相
板垣征四郎陸軍大将
土肥原賢二陸軍大将
木村兵太郎陸軍大将
武藤章陸軍中将
松井石根陸軍大将

獄死した人:

松岡洋右外相
永野修身軍令部部長
東郷茂徳外相
白鳥敏夫駐イタリア大使
梅津美治郎陸軍大将
小磯国昭首相
平沼騏一朗首相

名誉を回復した人:

重光葵外相
大川周明
木戸幸一内大臣
荒木貞夫陸軍大将
南次郎陸軍大将
畑俊六陸軍元帥
橋本欣五郎陸軍大佐
佐藤賢了陸軍中将
大島浩駐ドイツ大使
嶋田繁太郎海軍大将
岡敬純海軍中将
鈴木貞一陸軍中将
星野直樹満州国総務長官
賀屋興宣蔵相

「連合国から与えられた『戦犯』の観念を頭から一掃せよ」とのインドのパール判事の言葉を引用し、小林よしのりは戦犯の観念を払拭しない限り、日本民族の独立はないと訴える。


東京裁判が不当だとする根拠

理由は戦争を犯罪とする法律はいまだにないことだ。

戦争自体は犯罪ではないが、戦争中に何をやっても良いという訳ではなく、戦時国際法で交戦法規を定めた。これは次の4点からなる:

1.一般住民、非戦闘員に危害を加えてはならない。
2.軍事目標以外を攻撃してはならない。
3.不必要な苦痛を与える残虐な兵器を使ってはならない。
4.捕虜を虐待してはならない。

この基準からすると、アメリカの原爆投下が1.2.3.に違反していることは明らかである。

しかし捕まりさえしなければ、戦争犯罪を犯しても一切裁かれることはなく、戦勝国の戦争犯罪人は一人として裁かれなかった。

東京裁判は、敗戦国だけを、『事後法』で当時はまだ犯罪とされていなかったことも、さかのぼって裁き、一方戦勝国については、明白に国際法に違反した戦争犯罪も全て不問にしたものであると。

判事はすべて戦勝国あるいはその植民地の人間で、敗戦国はおろか中立国からも一人の判事も出ていない。

しかも日本とは中立条約を結び、敗戦が決定的となった段階で参戦してきたソ連までもが戦勝国として東京裁判に判事を派遣している。

東京裁判の根拠は、極東国際軍事裁判所条例(チャーター)というマッカーサーの発した命令であり、国際法上の根拠があるものではない。


東京裁判の判事は?

11名の判事の中で、法律家はオランダのレーリンクとインドのパール判事だけで、他の9名の判事はマッカーサーの傀儡だった。

特にインドのパール判事は、このようなチャーターに拘束されるならば、東京裁判は司法裁判でなく、たんなる権力の表示のための道具であり、復讐の欲望を満たすために法的手続きをふんでいるようなふりをするものに他ならないと痛烈に批判した。

パール判事の判決は全員無罪であったことが知られているが、それは裁判自体が無効ならば日本に有罪を下す必要も無いという理由からである。

「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう。」というパール発言もよく知られている。

一面の真実ではある。

当時軍国主義一色に染まっていた日本が、違う道を通れたのかは疑問が残るが、天皇は東条英機に戦争回避を指令し、最後まで交渉を続けていたところ、ハルノートを突きつけられ、日本は開戦を決意したことは間違いない。


A級戦犯はどうやって決定されたのか

開戦を決定した時の首相がA級戦犯の代表格である東条英機だ。

その東条が、開戦前夜に天皇の意志に答えられなかったことを悔い、これから起こる惨劇を思って皇居に向かって号泣していたという。

A級戦犯のリストも、マッカーサーの指令に基づき、あわただしくリストアップされたものだ。

当初は大東亜会議に参加したフィリピンのラウレル大統領や、ベニグノ・アキノ国民議会議長(暗殺されたアキノ氏の父)、ビルマ独立義勇軍のオン・サン将軍(アウン・サン・スーチーさんの父)なども含まれており、植民地を独立させる運動に加わった中心人物もリストアップされていた。

日本が焚き付けたアジアの独立運動を、やっきになって押さえつけようとする植民地支配国の論理=太平洋戦争の性格がはっきり出ている戦犯リストである。

100名ものリストとなったものを、マッカーサーが任命したキーナン主席検事が日本人に絞ってA級戦犯とし、さらに復讐に燃えるソ連により元ソ連大使の重光葵と関東軍司令官の梅津美治郎が入れられ28名となった。

東京裁判とはそんな戦勝国の報復行為であり、1061人が処刑されたBC級戦犯に至っては、まさに報復行為の性格が強い。


共同謀議による平和に対する犯罪?

マッカーサーが出した東京裁判の条例では、ドイツのニュルンベルグ裁判所条例をそのまま適用していた。ニュルンベルグ裁判の戦争犯罪の分類は次の通りだ:

1.平和に対する犯罪
2.通常の戦争犯罪
3.人道に対する犯罪

しかしドイツでは1933年以来ヒットラーが首相となり、敗戦まで一貫して独裁体制を維持していたので、ナチスの共同謀議が成立したが、日本の場合には歴代の内閣が違い、方針も違うので、共同謀議は成立しないと思われた。

それゆえ検察団は「1928年から1945年までA級戦犯が共同謀議して、一貫して満州、中国、東南アジア、太平洋、インド洋地域を侵略、支配すべく陰謀を企て、実行した」というストーリーをつくりだし、平和に対する犯罪を追求することにした。

また天皇の戦争責任を追求しないというのも、マッカーサーの指示した方針で、これに従ってキーナン主席検事は、天皇の意志に反して軍部が戦争を遂行したというストーリーをつくりだした。


朝日新聞などのマスコミを痛烈に批判する小林よしのり

この本のなかで、小林よしのりは朝日新聞や読売新聞などの大新聞を左翼マスコミとして痛烈に批判している。

特に東京裁判の有効性の根拠として挙げられる昭和27年のサンフランシスコ平和条約11条は、東京裁判の判決を受諾するという意味であり、裁判自体は不当だが判決には従うということだと。

さらに昭和28年には国会議員が全員一致で遺族援護法を改正し、「もはや日本にはA級戦犯などいないのであって、彼らは国内法においては犯罪者ではない」という認識が成立していた。

だからいまさらA級戦犯などと呼ぶこと自体が不当であり、それゆえこの本のタイトルも『いわゆる』とつけたのだと。

筆者は朝日新聞を読んでいるが、小林よしのりがこの本で指摘している様な事実も頭に入れた上で、首相の靖国参拝や中国・韓国の靖国参拝批判、A級戦犯合祀等の問題を考えて、自分なりの意見を持つ必要性を強く感じた。

変に感化されないように注意して読むべき刺激的な本ではあるが、マスコミが取り上げない事実を取り上げて、考えさせられる題材を提供している一読に値する本だと思う。


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昭和天皇論と天皇論 小林よしのりの天皇論2部作

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論
著者:小林 よしのり
販売元:幻冬舎
発売日:2010-03
おすすめ度:5.0
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小林よりのりによる「昭和天皇論」と「天皇論」を続けて紹介する。

まずは「昭和天皇論」だ。次に紹介する「天皇論」は、天皇家についての知識が深まり大変参考になったが、「昭和天皇論」は、歴史というよりは昭和天皇の誠実な人柄を描いている。

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出典:Wikipedia(以下別注ない限りすべて)

本の帯に「これほどの覚悟、これほどの孤独、これほどの無私を貫いた日本人がいただろうか?」と書いてあるが、まさにその通りだと思う。

この本では太平洋戦争終戦前後の話を中心に、終戦を決めた昭和天皇の「聖断」に至るまでの天皇を取り巻く人々の動きと、天皇の「聖断」が明治憲法上も適法であったことをマンガで説明している。

御前会議

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マッカーサーとの会見

天皇とマッカーサーとの最初の会見では、命乞いをしにきたと思いこんだマッカーサーに対して、自分が全責任を負う、自分の身は連合国の裁決にゆだねるために来たと天皇は言い放った。マッカーサーは感動して、予定を変更して陛下を見送ったという。

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もっともこれはマッカーサーの自伝や、GHQ勤務者などの話を総合して、できたストーリーで、昭和天皇ご自身はマッカーサーとの約束で「男子の一言」のようなもので、明かせないと終生語らなかった。


8年半の全国巡幸

戦後は敗戦から立ち直ろうとする日本国民をはげますために昭和21年から8年半全国を巡幸し、165日、合計3万3千キロも全国をまわった。

農村、山村、漁村、常磐炭坑、三池炭坑では地下数百メートルの採炭場所まで降りて、炭坑夫を励ました。

この本では各地での住民との交流でのハプニングなども取り上げ、天皇の人柄を描いている。本当に無私の人である。


敗戦時は天智天皇をしのぶ

敗戦時の天皇の心境は、百済を支援した日本水軍が、663年白村江(はくすきのえ)で唐・新羅連合軍と戦い惨敗し、本土決戦に備えた天智天皇(中大兄皇子)の心境と同じものがあるという。

昭和21年の終戦記念日に際しては、次のように語っている。

「わが舟師が唐軍と白村江で戦い惨敗した当時の天智天皇がおとりになった国内整備、いわゆる文化国家建設の経綸をしのびたい」


環境劣悪な御文庫

昭和天皇は皇居が空襲にあって消失してからは、防空建設の地上1階、地下2階の御文庫に住まわれていた。御文庫は御前会議も開かれた500キロ爆弾にも耐える防空建造物だったが、住環境劣悪で、猛烈な湿気で、光もささず、健康に悪い。

しかし昭和天皇は「世の中には住む家のない人もある」として転居を拒否し、昭和36年新たに建設した吹上御所に移られた。「こんないい家に住めるようになったのも、みんな国民のおかげだ」と語られたという。

天皇の背広や帽子にはつくろいの跡があったことは、有名な話だ。国民の生活が楽にならないうちは、洋服はつくる気にならないとして10年以上も新調しなかったという。


昭和天皇の墓 武蔵野陵

八王子市の武蔵野陵(むさしののみささぎ)が昭和天皇のお墓だ。高尾山駅からタクシーで行くところだそうだが、小林よしのりは、武蔵野陵を訪問して、その様子も書いている。

Musashino-no-misasagi







全編を通して、使命感の権化ともいえる、昭和天皇のお人柄がしのばれる。


昭和天皇の御製で昭和天皇の人柄をしのぶ

最後に小林よしのりが好きな天皇の御製をいくつか紹介している。お人柄がよくあらわれている御製である。


昭和20年終戦

身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて


昭和21年 歌会始

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ


昭和62年 

思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを


昭和63年 全国戦没者追悼式

やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど


昭和63年 最後の御製

あかげらの 叩く音する あさまだき 音たえてさびし うつりしならむ


次は「天皇論」だ。歴史知識の部分が多いので、参考になる。

ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論
著者:小林 よしのり
販売元:小学館
発売日:2009-06-04
おすすめ度:4.5
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別ブログでも紹介した「靖国論」、「いわゆるA級戦犯」など、役に立つマンガ作品を多く書いている小林よしのりの作品。筋の通った主張とマンガとは思えない綿密な下調べには脱帽する。

アマゾンのランキングでも上位となっており、よく売れているようだ。

400ページ弱の作品だが、マンガとは思えないほど字が多く、ところどころ手書き風の感想をページの上に載せたりして大量の情報を凝縮しているので、読むのに3日ほどかかった。

たとえば99ページの上の感想は:

「4月10日、天皇皇后両陛下の御大婚50年をお祝いする集いに参加した。宇崎竜童のスピーチは素晴らしかった。あの緊張感ある中、巧みなユーモアを織り込みながら会場を和ませ、しかも品を落とさず、あんな見事な話が出来るとは!」

といった感じだ。


日本人は天皇についてもっと知るべき

日本人がもっと天皇について知るべきだという主張をこめて、小林よしのりはこの本を書いたのだと思うが、筆者自身もあまりに天皇について知らないことを思い知らされた。

その意味では大変勉強になった。

たとえば「三種の神器」。まずは読み方だ。

恥ずかしいことながら、いままでずっと「さんしゅのじんき」だと思っていた。

「さんしゅのじんき」で転換すると、「三種の人気」になってしまう。つまり間違いなのだ。

正しくは「さんしゅのじんぎ」である。これを転換すると「三種の神器」と正しく表示される。


三種の神器

三種の神器とは八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ、天叢雲剣=あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)のことだ。

てっきりすべて皇居にあるものと思っていたが、実は皇居にある鏡と剣は分身で、八咫鏡の本体は伊勢神宮に、草薙剣の本体は熱田神宮にある。

三種の神器は天照大神(あまてらすおおみかみ)から高天原(たかまがはら=神々の国)から豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに=地上)に降臨したニニギノミコトに授けられたものだ。ニニギノミコトのひ孫が神武天皇で、代々の天皇が受け継いできた。

天皇家の宝物であり、天皇の皇位継承権を裏付けるものだ。

これで終戦の直前に、天皇が米軍が伊勢湾あたりに上陸してくれば、伊勢神宮も熱田神宮も米軍の手に落ちるので、国体も護持できなくなると言われていたことが納得できた。

その部分を「昭和天皇独白録」から引用すると。

「当時私の決心は第一に、このままでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子を保護することが出来ない。

第二には国体護持の事で木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直に敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない。これでは国体護持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。」

昭和天皇独白録 (文春文庫)昭和天皇独白録 (文春文庫)
著者:寺崎 英成
販売元:文芸春秋
発売日:1995-07
おすすめ度:4.0
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祭日の本来の由来

祭日(祭祀を行う日)の本来の由来も知らなかった。

勤労感謝の日の11月23日は新嘗祭(にいなめさい)、春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋期皇霊祭、つまり皇室の先祖を祀る祭日だった。

GHQの指令で祭日の呼び名が変わったのだ。

ちなみに天皇が即位して最初の新嘗祭が大嘗祭(おおにえのまつり、だいじょうさい)だ。


天皇は祭司王

この本では小林よしのりは、天皇は「祭司王」であり、祭祀(さいし)を行うことこそが天皇の本質であると力説する。天皇は国民の為に祭祀を行い、祈っているのだ。

天皇の祭祀と儀礼はこの本に簡単に紹介されているので、参考になる。

皇室祭祀

皇室祭祀












出典:本書151ページ


あらためて天皇皇后両陛下への尊敬の念を抱く

この本を読むと天皇皇后両陛下への尊敬の気持ちがあらためてわいてくる。

多くの感動を与える話が紹介されているので、小林よしのり自身も「泣いているのではない」と強がりをいいながらも、こんな絵をところどころに載せている。

小林よしのりの「涙管が塞がっている」図

小林よしのり感動






出典:本書150ページ


詳しくは是非この本を読んで欲しいが、いくつか紹介しておく。


皇后さまの失語症からの回復

1993年皇后陛下がマスコミのバッシングの心労から倒れられ、失語症になられたときがあった。

「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」とのコメントを翌年出されている。

そして皇后様が声を取り戻したときの第一声は、「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」だったという。

小林よしのりも語っているが、理不尽なバッシングから回復したことを、「清められた」と表現することが常人にできるだろうか?


社会的弱者支援への熱意

小林よしのりは平成20年12月19日の天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典に参加したという。国会議員連盟と民間の委員会の共催で、149名の国会議員、99カ国の駐日大使、出席者4,000人が出席した。

そのときに小川榮一日本身体障害者団体連合会会長は、障害者支援の天皇陛下や皇室の熱意を、感謝を込めて語っている。

パラリンピックがオリンピックの翌年同じ都市で開催されるようになったのは、東京が最初で、その実現には当時の皇太子殿下、今上天皇陛下はじめ皇室の絶大なる支援があった。

「ハンディがあっても、国民の一人として尊重してくださり、障害者とその家族、関係者に勇気と自信を与えてくださっている皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っております」


沖縄県民への思い

今上天皇陛下は皇太子時代、本土復帰前から沖縄に心を寄せ続けておられた。そして沖縄の文化を学び、3,000首もの歴代琉球王が詠んだ琉歌をノートに書き写し、自分でも琉歌を作れるようになられたのだ。

琉歌はサンパチロクと言われる8+8+8+6語の琉球語の古歌だが、今や沖縄生まれの人でも作れる人は少ないという。

沖縄を訪問されて、自作の琉球歌を詠まれた。摩文仁(まぶに)と呼ばれるこの御製の琉歌は、毎年沖縄の慰霊祭の前夜祭で演奏されているという。摩文仁村は村民の半分が戦死した沖縄戦の最大の激戦地だ。

「フサケイユルキクサ ミグルイクサアトゥ クリカイシガイシ ウムイカキティ」
(ふさかいゆる水草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて)

訳:かつての戦場跡には草木が茂っている。その草木の間を巡りながら繰り返し繰り返し戦争の当時のことを思う

今上天皇は独学で琉歌を覚え、この歌をつくった。

沖縄の遺族はこう語る:

「天皇陛下から直接お言葉を賜ったあの日の感激は、今なお私たち遺族の心の支えになっております。」

小林よしのりは語っている:

「これほど深く敬意を示した慰霊の姿勢が、他にあるだろうか!」

たしかにそう思う。

1975年の最初の沖縄訪問では真夏にもかかわらず、当時皇太子・妃殿下両だった陛下は正装のままで、流れる汗もぬぐおうとせずハンカチを一度も使わなかったという。

サイパンでもバンザイクリフスーサイドクリフに向かって深々と黙祷を捧げられた。日本の慰霊碑のみならず、米軍の慰霊碑、韓国人慰霊碑に黙祷を捧げられた。


天皇陛下の行幸

天皇の国内訪問は行幸(ぎょうこう)と言われているが、最大の目的は人に会うことだ。

基本的には各都道府県が提案する場所に行くが、まず福祉施設(障害者施設、老人ホーム、保育園など)、地方の文化施設で皆の誇りになっているところ、そして農業・漁業など地域の産業に関係するところを選んで欲しいと地元に伝えているそうだ。


天皇陛下が人に会うときには事前にその人のことを色々調べて、当人も驚くほどにその人のことを知っていると言われている。

超多忙な天皇陛下がそれだけまめに、会う人のことを調べているのは、感動を通り越して、驚異といった方が良いと思う。

あらためて感動を覚えるとともに、今上天皇皇后両陛下を国の元首として戴いていることに国民の一人として喜びを感じる。


文字情報が多いのでマンガだからといって、決して読みやすいわけではないが、天皇の歴史と実際の姿がわかる。

国民必読の天皇論だと思う。是非書店で手にとって見ることをおすすめする。


参考になれば次クリック願う。






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