日本は没落する
+++今回のあらすじは長いです+++
「ミスター円」と呼ばれた元大蔵省財務官で、現早稲田大学大学院教授、インド経済研究所所長の榊原英資氏の戦略なき日本への警鐘。
民主党政権となり、榊原さんも鳩山政権に加わる可能性が高いと思う。
榊原さんはインドのIT企業ウィプロの社外取締役なので「フラット化する世界」で取り上げられたインドの躍進の現状をファーストハンドベースでレポートしており参考になる。
実は筆者はピッツバーグ駐在の時に、榊原さんをお招きする機会があったが、直前に日本に帰国してしまい、お会いできず残念だった。
榊原さんはミシガン大学で博士号を取得する前に、ピッツバーグ大学で学んでいたので、恩師にお願いしてピッツバーグ日米協会の年次バンケットでスピーチしてもらう事になっていたのだ。
榊原さんは大変多忙だと思うが、「恩師の頼みとあれば喜んで」ということで、ピッツバーグでのスピーチを二つ返事で快諾してくれたのだった。
榊原さんは、現在は数百年に一度の大転換期で、20世紀の終わりから「ポスト産業資本主義」の時代となり、今や世界中で余っているお金が有利な運用先を求めて追いかける時代であると語る。
この時代に重要なものは、技術、知識、情報の3つであり、それらすべてを下支えするのが教育であると。まさに「フラット化する世界」でトム・フリードマンがアメリカに対して訴えていたことと同じだ。
明治時代の日本は富国強兵という国家戦略を掲げ、工業化と教育に注力した。しかし現在の日本はこれからの時代をどう生き抜くかの国家としての戦略性もなければ教育の水準も落ち、国民一人一人の意欲も大きく低下していると指摘する。
このブログでもしばしば引用しているゴールドマン・サックスの2050年までの予測チャートは、インド人女性社員のルーパ・プルショサーマンが書いたBRICSレポートに紹介されているもので、榊原さんも彼女の予測が実現するだろうと語る。
日本の累積債務は800兆円以上にもなり、毎年20兆円ずつ増えている。危機的な状況なのに、政治家も国民も事実を直視しようとしない。
早急に新しい時代に即した戦略を打ち出し、新しいパラダイムを確立しなければならない。そして、そのキーワードは「新しい学問のすすめ」となると榊原さんは語る。「学問のすすめ」は、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」の提言を思い起こさせる。
この本は次の様な構成となっている。
序章 ポスト産業資本主義の時代
第1章 ニホン株式会社が没落する日
第2章 激変する世界市場、取り残された日本
第3章 大衆迎合主義がこの国を滅ぼす
第4章 「公」(パブリック)の崩壊
第5章 「教育改革」亡国論
第6章 金融・年金問題の深層
第7章 日本の進むべき道 真の抜本改革を!
それぞれの章について印象に残った点を紹介する。
第1章 ニホン株式会社が没落する日
榊原さんは大蔵省という金融の世界に身を置いた人間ながら、「金融立国」という考え方は間違いであり、やはり国として力をいれるべきは技術開発であると語る。明治維新後の日本の発展を支えたのも工業化であり、アメリカが復活したのもIT技術で世界をリードしたことが理由だ。
金融ではアメリカの強さが際だっている。投資の世界では情報が重要で、たとえばゴールドマン・サックスはボードメンバーに各国の経済界の名士を加えている。日本なら元ソニーの出井さんや、京セラの稲盛さんがゴールドマンのアドバイザリーメンバーだという。
技術、知識、情報にお金がついてくるという認識を持たない限り、日本がアメリカに伍していくのは難しいと語る。
明治以降欧米の技術を導入して日本を発展させてきた原動力は技術者だが、技術者の地位が下がってきていると榊原さんは指摘する。
大阪大学の調査では某国立大学の文系と理系の卒業者の生涯賃金は、理系が5,000万円少ないという結果が出ていると言う。工学部志望者は90年代から減り始め、92年の60万人から2005年には半分の30万人、さらに2007年では27万人となっている。
出典:豊田政男大阪大学工学部長の論文
このままだと製造業に於ける高度な技術教育を受けた人材で韓国、中国、インドに遅れをとることは避けられない。OECDの最近の調査によると、研究開発費でも米国の3,300億ドルに対し、日本は1,300億ドルで、中国の1,360億ドルに初めて抜かれている。
これからは一人の天才が10万人を養う時代だとサムスンの李健煕会長は言っているそうだ。(ちょうど4月22日に李会長は不正資金疑惑で退任を発表したところだ)
サムスン電子の役員の平均年俸はなんと5億円だが、優秀な技術者には社長をも上回る年俸を出せと言っているそうで、日本企業から東芝のフラッシュメモリー技術者など、優秀な技術者を多く引き抜いていることでも有名だ。
技術系に限ったことではなく、金融分野でも外資系金融機関の一流アナリストであれば、1億円の年収がある例が少なくない。日本の銀行では頭取でもせいぜい4−5千万円止まりだ。
中国では産官学一体が顕著だ。
たとえば中国のIT企業のトップ10に入るソフト会社の北大方正集団は北京大学が100%出資する大学所有企業で、胡錦涛や朱鎔基を輩出した清華大学でも持株会社をつくっている。
IBMのPC部門を買収したレノボは、持株会社を通じて中国科学院の傘下にある。国の戦略として技術開発を柱としているのだ。
第2章 激変する世界市場、取り残された日本
例として世界市場に進出できない日本の携帯電話メーカーを取り上げている。
日本国内市場がそこそこ大きいので、海外で大きなシェアを取るという差し迫った必要がないことが、日本のケータイ電話メーカーが海外でシェアをとれない要因の一つだ。おサイフケータイあり、インターネット接続ありの日本の高機能ケータイは世界の大多数の国では無用の長物なのである。
榊原さんとインドのつながり
タイトルで日本版「フラット化する世界」と紹介したが、榊原さんは1999年に大蔵省を退任してすぐにインドに講演旅行に行き、インドのIT企業の雄ウィプロの創設者アジム・プリムジ氏と知り合って、2002年からウィプロのボードメンバーとなっている。
ボードメンバーになったことにより、インドの実業界の名士の知遇も得たという。プリムジ氏はウィプロ株の8割を持っており、インドでも10指に入る資産家だが、公私ともに質素な生活をしており、日本に来ても社員が空港に迎えに来ると怒り、自ら電車や地下鉄で移動するという。
榊原さんが所長となっている早稲田大学のインド経済研究所は、インド最大のICICIのガングリー会長から、日本の経済界にインドを紹介する仕事をしてみないかと勧められて設立したものだ。
ICICIより一人とインド準備銀行から一人出向で来ており、日本企業から2名、それと榊原さんとスタッフの7−8名で運営している。
主な業務は日本の金融機関にインドの金融マーケット分析を提供することと、インドに進出を考えている企業へのコンサルティングだという。
インドへの投資拡大の受け皿は、インド投資委員会で、これはタタ財閥のラタン・タタ、ICICIのガングリー会長、HDFC(住宅開発銀行)のパレックCEOの3人委員会だ。
もともとインドと日本は、戦時中に日本がインドの独立を支持したこともあり、政治的には大変な友好国で、日本はインドに対して最大の援助国でもある。
1998年のインドの核実験以降、日本からの投資は低迷していたが、小泉首相の2005年の訪印以来流れが変わり、2006年の投資額は2004年に比べて5倍になっている。それでもイギリス、米国などより下の9位で、全直接投資額の3%にすぎない。
投資のネックはインドのインフラが整備されていないことだが、現政府はインフラ整備を政策の中心に置き、道路、港湾、空港、電力、通信などの整備を積極的にすすめている。
全国7カ所で発電所を建設する「ウルトラ・メガ・パワープロジェクト」や、高速貨物鉄道や新幹線建設、空港整備もすすめられている。首都デリーの地下鉄は日本の円借款で過半が賄われ、日本の商社・ゼネコンなどが参加している。
まさに日本の高度成長時代を彷彿とさせるインドの経済発展だ。
榊原さんによると、インドは民主主義国だったから経済発展が中国に比べて10年ほど遅れたが、インドは最も人口が増加する国の一つで、2050年頃にはGDPで中国を抜くと予想されている。
経済成長率では中国の10%以上に対し、インドは8−9%だが、2020年までには経済成長率でも中国を抜くと榊原さんは予測する。
インドで有名なのはIT産業で、TCS(タタ・コンサルタンシー・サービス)、インフォシス、ウィプロが3大IT企業だ。インドのIT企業は2000年問題のプログラム修正のアウトソーシングを受けて世界的に事業が拡大し、現在では様々な形でアウトソーシングを受けている。
また医薬品開発、民間宇宙開発でも強い競争力を誇っている。
中国とインドは関係を強化しており、胡錦涛主席は2010年までに両国の貿易額を400億ドルにすると宣言している。今後インドと中国で巨大アジアマーケットを構成することになろう。
インドは伝統的に全方位外交なので、中国とも日本とも友好を保っている。
インドではまだ規制もあり、日本の個人投資家はインド企業の株を買えないが、投資信託なら可能なので、いくつもの投資信託が設定されている。インド株は一時的に暴落しても、長期的には回復すると榊原さんは予測する。
第3章 大衆迎合主義がこの国を滅ぼす
榊原さんは小泉政権・安倍前首相の偏狭なナショナリズム、イデオロギー外交のために日本は10年先の国家戦略さえ描けなくなっていると語る。
中国は長期アフリカ戦略を展開してエネルギー資源確保をねらい、インドは原子力を戦略の中心に置いているのに対し、日本は石油公団を解体し、中東の日の丸油田の採掘権も失っている。
農業国であるアルゼンチンでさえトウモロコシ、小麦、牛肉の輸出を制限している様な世界的な食料不足が起こっているのに、日本の食料自給率は低下する一方である。
場当たり的政治家に国家のあるべき姿は語れない。日本のマスコミは小泉政権の郵政民営化選挙のごとく黒か白かに単純化するポピュリスト人気をあおり、長期的な戦略性が低下し、政治のリーダーシップが失われている。
ポピュリストとナショナリズムは相性が良く、良い例が第1次世界大戦後のドイツでのナチスの躍進であると榊原さんは警鐘を鳴らす。
ポピュリスト政治のおかしな点として、原発の安全性を科学的に議論できない雰囲気、拉致問題しか語れないムチしか使えない外交は、外交ではないという例を挙げている。
第4章 「公」(パブリック)の崩壊
日本は明治以来「官」が強い国であり、榊原さんが大蔵省に居たときにも、日本の国家戦略を常に優先して行動していたという。
金融ビッグバンも、規制緩和により大蔵省の権限を手放すことになるが、制度疲労してきた行政制度の中にあって、自ら変身していこうという試みだった。
宮澤喜一首相は日本の金融システムが危機に瀕している時に、税金を注入して金融機関を救った。最初は税金の注入にマスコミはじめみんな反対だったのを、信念をもって推進し、首相を退任した後も小渕内閣の大蔵大臣として復帰し、やり遂げた。
アジア危機で通貨安定のための基金として4兆円を拠出した「新宮澤構想」も打ち出した。
この様に国家戦略に基づいた大局を捉えた政治が必要なのである。
天下り規制批判
メディアが支持している天下り規制も、退職後2年間は関係企業への就職を禁じると、民間企業から人材を得ることを難しくさせ、民間プロフェッショナルの力を借りられなくなると指摘する。
郵政公社の生田元総裁でも民間企業の顧問になることが難しかったという。
欧米の金融当局では民間金融機関との人事交流は当然であり、「リボルビングドア=回転ドア」とさえ言われている必要不可欠なことなのに、天下り規制は愚策であると。
今や日本の問題は官の弱体化にあり、小泉政権の負の遺産は「官は悪、民は善」という原理主義的な民営化路線だと榊原さんは切り捨てる。
アメリカが「小さな政府」というのは、大いなる誤解であると。アメリカは軍事・宇宙・医学など国の競争力にかかわる問題についてはストロングガバメントだと指摘する。
中央官庁は再編で予算は減らされ、人員を減らされて、官僚の忙しさは大変なものになっており、「とても日本の将来のビジョンを考えているゆとりなどない」のが現状だ。日本の国際競争力を高めるなら、政府を極端に弱体化してはならないと語る。
教育再生審議会など日本では審議会政治が全盛だが、いくら政策を討議しても、それを実行していく仕組みが欠けていると榊原さんは指摘する。
第5章 「教育改革」亡国論
榊原さんは「ゆとり教育」は世界の潮流に逆行していたと語る。暗記は教育の基本であり、より多くの知識こそ、考える力の源泉であると。
世界的に優秀とされている民族は、幼い頃に暗記を強要している。たとえばユダヤ人はユダヤ教の聖典を暗誦させられる。インドでも上位カーストの人は教典である「ヴェーダ」を暗記させられる。
これらの暗記は脳の発達にも有効である。
競争の否定が社会階層の固定化をもたらした。学校群制度の前の日比谷高校の話を榊原さんは語る。
当時は東大に年間150ー200人進学するが、生徒会活動も活発で、運動でもラグビー部が全国2位になったことがある。クラス編成はなんと生徒が担任を選ぶ形で、浪人生には1年間の補習もあったという。
筆者は神奈川県立湘南高校出身だが、榊原さんの日比谷高校と同じような状態だ。今や親子2代続けて湘南高校出身という家族は少なくなり、同窓会の会長選びも大変だという。
筆者自身も、長男は私立中高一貫校に行ったので、湘南高校とは縁が切れてしまった。
学校群制度で名門公立校から私立校へ優秀な生徒はシフトし、裕福な家庭の子女が集まる私立校が優秀な大学に合格者を出すことになり、小学校4年から私立校めざして受験勉強を強いられるなど社会階層の固定化が始まった。
小学生が「偉くなってもしかたがない。のんびりやりたい」などと言うのは異常なことではないかと。
清華大学
中国のトップの常務委員9人中8人がエンジニアだ。清華大学は中国のハーバードと言われ、全国950万人が受験する「高考」(=大学入試センター試験の中国版)のトップクラスのみが入学できる。
清華大学は義和団事件で中国が米国に支払った賠償金を米国が返還し、それを元にしてつくられた大学だ。だからアメリカとのつながりが強く、設立当時は「留美予備学校」と呼ばれ、アメリカ留学の予備校だった。現在でも1学年の内3割はアメリカに留学するという。
アメリカのハーバード、エール、プリンストンなどの一流大学の学長が清華大学を訪れ、優秀な学生を滞在費等一切大学持ちで、ヘッドハンティングしているという。
榊原さんは2006年にNHKの取材で清華大学を訪問した。東大本郷の10倍のキャンパスには53の学部と5つの大学院、41の研究所があり、クリーンルームを備えた半導体生産工場や、原子力発電所まであるという。
清華大学は中国の大学向け研究開発予算の半分を占めているといわれ、通信衛星を使って大学の講義を中国各地に放送しているという。
「アメリカに留学して、帰国して学者になるか転職したい」という学生が多く、中国から毎年11万人が海外留学しているが、トップレベルの大学の学生は日本に来ても「日本の大学で学んでいても時間の無駄」と言ってさっさと帰国してしまう人がしばしばいるという。
インドも技術教育に大変熱心で、頂点は7校あるIIT(インド工科大学)だ。インド工科大学シリコンバレー校友会にはビル・ゲイツが出席するという。
日本企業ではトヨタが2007年にインドにトヨタ工業技術学校を開設した。倍率は800倍だったという。
英語で自己主張できないのが日本人の弱点とならないように語学教育も重要である。
第6章 金融・年金問題の深層
日本の年金制度は創設された1950−60年当時の経済の高度成長と持続的なインフレ、人口増加が前提の制度だ。次の人口動態調査のグラフが日本の現状を物語っている。
今のような人口減少フェーズに入ると、年金の破綻は確実だ。
日本でも政府系ファンド設立検討が議員レベルで始まっているが、シンガポールのGIC,中国の中国投資有限公司などの政府系ファンドが存在感を拡大している。
中東オイルマネーはドルからユーロに移っているが、日本政府や中国は1兆ドル近い外貨準備のほとんどをドルで持っているために、ドルが下落すると痛手を被るという事情がある。
第7章 日本の進むべき道 真の抜本改革を!
榊原さんの提案をタイトルだけピックアップすると次の通りだ。
*女性と老人の復権がキーワード
*いまこそ定年退職の撤廃が必要だ
*専業主婦は時代遅れ
*人事制度を大幅に見直しプロを厚遇する
*技術立国が国策、全寮制エリート教育で実現
*人事と予算の権限を教授会から学長へ委譲せよ
学校基本法は「大学には、重要な事項の審議を行うため、教授会を置かなければならない」と定めているが、これは労働組合が会社の予算や人事を決めるようなものであると。
*「教育基本法」を変えても意味がない
行政のテクニックで「何も変えずにお茶を濁したい時は、基本法だけ変える」というものがあると。学校教育法、私立学校法、教育職員免許法などの個別法を変えなければならないと。
*教育職員免許法を撤廃し、社会人を教員に
*(学校)設置法見直しこそ改革断行の切り札
*天下り規制撤廃、行為規制で官民交流を活発に
*証券会社のトップが財務大臣になっていい
*(年金)保険料から目的税へ ー いまこそ大転換すべし
社会保険庁を廃止し、国税庁が一括して徴収
*高度医療は民間保険で ー 混合診療の解禁
*アジア通貨基金を設立せよ
*移民受け入れが21世紀日本の正念場
*知識人よ、世界へ「日本の特殊性」を発信せよ
「茶の本」を英語で出版した岡倉天心、「武士道」の新渡戸稲造などの先人にならえと。
*一神教的「覇権争い」から多神教的「共存共栄」の世界へ
*大改革のために不可欠な「没落」という危機感
改革のためには何よりも強い危機感が必要で、すべての日本人が「10年後には日本は没落しているかもしれない」という危機感、「まさに我々は存亡の危機にあるのだ」という共通意識を持つことが求められていると結んでいる。
まとめると日本は移民を受け入れ、開かれた国にする。年金保険料は廃止し目的税として、教育に力を入れ技術立国を図れということになる。
現在の日本の現状は「戦略なき国家」と言わざるを得ない。誰もが問題意識を持っていると思うが、榊原さんの提言は、問題解決の方向性を示唆しており参考になる。
日本版「フラット化する世界」として、おすすめの本である。
参考になれば次クリックお願いします。
+++今回のあらすじは長いです+++
「ミスター円」と呼ばれた元大蔵省財務官で、現早稲田大学大学院教授、インド経済研究所所長の榊原英資氏の戦略なき日本への警鐘。
民主党政権となり、榊原さんも鳩山政権に加わる可能性が高いと思う。
榊原さんはインドのIT企業ウィプロの社外取締役なので「フラット化する世界」で取り上げられたインドの躍進の現状をファーストハンドベースでレポートしており参考になる。
実は筆者はピッツバーグ駐在の時に、榊原さんをお招きする機会があったが、直前に日本に帰国してしまい、お会いできず残念だった。
榊原さんはミシガン大学で博士号を取得する前に、ピッツバーグ大学で学んでいたので、恩師にお願いしてピッツバーグ日米協会の年次バンケットでスピーチしてもらう事になっていたのだ。
榊原さんは大変多忙だと思うが、「恩師の頼みとあれば喜んで」ということで、ピッツバーグでのスピーチを二つ返事で快諾してくれたのだった。
榊原さんは、現在は数百年に一度の大転換期で、20世紀の終わりから「ポスト産業資本主義」の時代となり、今や世界中で余っているお金が有利な運用先を求めて追いかける時代であると語る。
この時代に重要なものは、技術、知識、情報の3つであり、それらすべてを下支えするのが教育であると。まさに「フラット化する世界」でトム・フリードマンがアメリカに対して訴えていたことと同じだ。
明治時代の日本は富国強兵という国家戦略を掲げ、工業化と教育に注力した。しかし現在の日本はこれからの時代をどう生き抜くかの国家としての戦略性もなければ教育の水準も落ち、国民一人一人の意欲も大きく低下していると指摘する。
このブログでもしばしば引用しているゴールドマン・サックスの2050年までの予測チャートは、インド人女性社員のルーパ・プルショサーマンが書いたBRICSレポートに紹介されているもので、榊原さんも彼女の予測が実現するだろうと語る。
日本の累積債務は800兆円以上にもなり、毎年20兆円ずつ増えている。危機的な状況なのに、政治家も国民も事実を直視しようとしない。
早急に新しい時代に即した戦略を打ち出し、新しいパラダイムを確立しなければならない。そして、そのキーワードは「新しい学問のすすめ」となると榊原さんは語る。「学問のすすめ」は、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」の提言を思い起こさせる。
この本は次の様な構成となっている。
序章 ポスト産業資本主義の時代
第1章 ニホン株式会社が没落する日
第2章 激変する世界市場、取り残された日本
第3章 大衆迎合主義がこの国を滅ぼす
第4章 「公」(パブリック)の崩壊
第5章 「教育改革」亡国論
第6章 金融・年金問題の深層
第7章 日本の進むべき道 真の抜本改革を!
それぞれの章について印象に残った点を紹介する。
第1章 ニホン株式会社が没落する日
榊原さんは大蔵省という金融の世界に身を置いた人間ながら、「金融立国」という考え方は間違いであり、やはり国として力をいれるべきは技術開発であると語る。明治維新後の日本の発展を支えたのも工業化であり、アメリカが復活したのもIT技術で世界をリードしたことが理由だ。
金融ではアメリカの強さが際だっている。投資の世界では情報が重要で、たとえばゴールドマン・サックスはボードメンバーに各国の経済界の名士を加えている。日本なら元ソニーの出井さんや、京セラの稲盛さんがゴールドマンのアドバイザリーメンバーだという。
技術、知識、情報にお金がついてくるという認識を持たない限り、日本がアメリカに伍していくのは難しいと語る。
明治以降欧米の技術を導入して日本を発展させてきた原動力は技術者だが、技術者の地位が下がってきていると榊原さんは指摘する。
大阪大学の調査では某国立大学の文系と理系の卒業者の生涯賃金は、理系が5,000万円少ないという結果が出ていると言う。工学部志望者は90年代から減り始め、92年の60万人から2005年には半分の30万人、さらに2007年では27万人となっている。
出典:豊田政男大阪大学工学部長の論文
このままだと製造業に於ける高度な技術教育を受けた人材で韓国、中国、インドに遅れをとることは避けられない。OECDの最近の調査によると、研究開発費でも米国の3,300億ドルに対し、日本は1,300億ドルで、中国の1,360億ドルに初めて抜かれている。
これからは一人の天才が10万人を養う時代だとサムスンの李健煕会長は言っているそうだ。(ちょうど4月22日に李会長は不正資金疑惑で退任を発表したところだ)
サムスン電子の役員の平均年俸はなんと5億円だが、優秀な技術者には社長をも上回る年俸を出せと言っているそうで、日本企業から東芝のフラッシュメモリー技術者など、優秀な技術者を多く引き抜いていることでも有名だ。
技術系に限ったことではなく、金融分野でも外資系金融機関の一流アナリストであれば、1億円の年収がある例が少なくない。日本の銀行では頭取でもせいぜい4−5千万円止まりだ。
中国では産官学一体が顕著だ。
たとえば中国のIT企業のトップ10に入るソフト会社の北大方正集団は北京大学が100%出資する大学所有企業で、胡錦涛や朱鎔基を輩出した清華大学でも持株会社をつくっている。
IBMのPC部門を買収したレノボは、持株会社を通じて中国科学院の傘下にある。国の戦略として技術開発を柱としているのだ。
第2章 激変する世界市場、取り残された日本
例として世界市場に進出できない日本の携帯電話メーカーを取り上げている。
日本国内市場がそこそこ大きいので、海外で大きなシェアを取るという差し迫った必要がないことが、日本のケータイ電話メーカーが海外でシェアをとれない要因の一つだ。おサイフケータイあり、インターネット接続ありの日本の高機能ケータイは世界の大多数の国では無用の長物なのである。
榊原さんとインドのつながり
タイトルで日本版「フラット化する世界」と紹介したが、榊原さんは1999年に大蔵省を退任してすぐにインドに講演旅行に行き、インドのIT企業の雄ウィプロの創設者アジム・プリムジ氏と知り合って、2002年からウィプロのボードメンバーとなっている。
ボードメンバーになったことにより、インドの実業界の名士の知遇も得たという。プリムジ氏はウィプロ株の8割を持っており、インドでも10指に入る資産家だが、公私ともに質素な生活をしており、日本に来ても社員が空港に迎えに来ると怒り、自ら電車や地下鉄で移動するという。
榊原さんが所長となっている早稲田大学のインド経済研究所は、インド最大のICICIのガングリー会長から、日本の経済界にインドを紹介する仕事をしてみないかと勧められて設立したものだ。
ICICIより一人とインド準備銀行から一人出向で来ており、日本企業から2名、それと榊原さんとスタッフの7−8名で運営している。
主な業務は日本の金融機関にインドの金融マーケット分析を提供することと、インドに進出を考えている企業へのコンサルティングだという。
インドへの投資拡大の受け皿は、インド投資委員会で、これはタタ財閥のラタン・タタ、ICICIのガングリー会長、HDFC(住宅開発銀行)のパレックCEOの3人委員会だ。
もともとインドと日本は、戦時中に日本がインドの独立を支持したこともあり、政治的には大変な友好国で、日本はインドに対して最大の援助国でもある。
1998年のインドの核実験以降、日本からの投資は低迷していたが、小泉首相の2005年の訪印以来流れが変わり、2006年の投資額は2004年に比べて5倍になっている。それでもイギリス、米国などより下の9位で、全直接投資額の3%にすぎない。
投資のネックはインドのインフラが整備されていないことだが、現政府はインフラ整備を政策の中心に置き、道路、港湾、空港、電力、通信などの整備を積極的にすすめている。
全国7カ所で発電所を建設する「ウルトラ・メガ・パワープロジェクト」や、高速貨物鉄道や新幹線建設、空港整備もすすめられている。首都デリーの地下鉄は日本の円借款で過半が賄われ、日本の商社・ゼネコンなどが参加している。
まさに日本の高度成長時代を彷彿とさせるインドの経済発展だ。
榊原さんによると、インドは民主主義国だったから経済発展が中国に比べて10年ほど遅れたが、インドは最も人口が増加する国の一つで、2050年頃にはGDPで中国を抜くと予想されている。
経済成長率では中国の10%以上に対し、インドは8−9%だが、2020年までには経済成長率でも中国を抜くと榊原さんは予測する。
インドで有名なのはIT産業で、TCS(タタ・コンサルタンシー・サービス)、インフォシス、ウィプロが3大IT企業だ。インドのIT企業は2000年問題のプログラム修正のアウトソーシングを受けて世界的に事業が拡大し、現在では様々な形でアウトソーシングを受けている。
また医薬品開発、民間宇宙開発でも強い競争力を誇っている。
中国とインドは関係を強化しており、胡錦涛主席は2010年までに両国の貿易額を400億ドルにすると宣言している。今後インドと中国で巨大アジアマーケットを構成することになろう。
インドは伝統的に全方位外交なので、中国とも日本とも友好を保っている。
インドではまだ規制もあり、日本の個人投資家はインド企業の株を買えないが、投資信託なら可能なので、いくつもの投資信託が設定されている。インド株は一時的に暴落しても、長期的には回復すると榊原さんは予測する。
第3章 大衆迎合主義がこの国を滅ぼす
榊原さんは小泉政権・安倍前首相の偏狭なナショナリズム、イデオロギー外交のために日本は10年先の国家戦略さえ描けなくなっていると語る。
中国は長期アフリカ戦略を展開してエネルギー資源確保をねらい、インドは原子力を戦略の中心に置いているのに対し、日本は石油公団を解体し、中東の日の丸油田の採掘権も失っている。
農業国であるアルゼンチンでさえトウモロコシ、小麦、牛肉の輸出を制限している様な世界的な食料不足が起こっているのに、日本の食料自給率は低下する一方である。
場当たり的政治家に国家のあるべき姿は語れない。日本のマスコミは小泉政権の郵政民営化選挙のごとく黒か白かに単純化するポピュリスト人気をあおり、長期的な戦略性が低下し、政治のリーダーシップが失われている。
ポピュリストとナショナリズムは相性が良く、良い例が第1次世界大戦後のドイツでのナチスの躍進であると榊原さんは警鐘を鳴らす。
ポピュリスト政治のおかしな点として、原発の安全性を科学的に議論できない雰囲気、拉致問題しか語れないムチしか使えない外交は、外交ではないという例を挙げている。
第4章 「公」(パブリック)の崩壊
日本は明治以来「官」が強い国であり、榊原さんが大蔵省に居たときにも、日本の国家戦略を常に優先して行動していたという。
金融ビッグバンも、規制緩和により大蔵省の権限を手放すことになるが、制度疲労してきた行政制度の中にあって、自ら変身していこうという試みだった。
宮澤喜一首相は日本の金融システムが危機に瀕している時に、税金を注入して金融機関を救った。最初は税金の注入にマスコミはじめみんな反対だったのを、信念をもって推進し、首相を退任した後も小渕内閣の大蔵大臣として復帰し、やり遂げた。
アジア危機で通貨安定のための基金として4兆円を拠出した「新宮澤構想」も打ち出した。
この様に国家戦略に基づいた大局を捉えた政治が必要なのである。
天下り規制批判
メディアが支持している天下り規制も、退職後2年間は関係企業への就職を禁じると、民間企業から人材を得ることを難しくさせ、民間プロフェッショナルの力を借りられなくなると指摘する。
郵政公社の生田元総裁でも民間企業の顧問になることが難しかったという。
欧米の金融当局では民間金融機関との人事交流は当然であり、「リボルビングドア=回転ドア」とさえ言われている必要不可欠なことなのに、天下り規制は愚策であると。
今や日本の問題は官の弱体化にあり、小泉政権の負の遺産は「官は悪、民は善」という原理主義的な民営化路線だと榊原さんは切り捨てる。
アメリカが「小さな政府」というのは、大いなる誤解であると。アメリカは軍事・宇宙・医学など国の競争力にかかわる問題についてはストロングガバメントだと指摘する。
中央官庁は再編で予算は減らされ、人員を減らされて、官僚の忙しさは大変なものになっており、「とても日本の将来のビジョンを考えているゆとりなどない」のが現状だ。日本の国際競争力を高めるなら、政府を極端に弱体化してはならないと語る。
教育再生審議会など日本では審議会政治が全盛だが、いくら政策を討議しても、それを実行していく仕組みが欠けていると榊原さんは指摘する。
第5章 「教育改革」亡国論
榊原さんは「ゆとり教育」は世界の潮流に逆行していたと語る。暗記は教育の基本であり、より多くの知識こそ、考える力の源泉であると。
世界的に優秀とされている民族は、幼い頃に暗記を強要している。たとえばユダヤ人はユダヤ教の聖典を暗誦させられる。インドでも上位カーストの人は教典である「ヴェーダ」を暗記させられる。
これらの暗記は脳の発達にも有効である。
競争の否定が社会階層の固定化をもたらした。学校群制度の前の日比谷高校の話を榊原さんは語る。
当時は東大に年間150ー200人進学するが、生徒会活動も活発で、運動でもラグビー部が全国2位になったことがある。クラス編成はなんと生徒が担任を選ぶ形で、浪人生には1年間の補習もあったという。
筆者は神奈川県立湘南高校出身だが、榊原さんの日比谷高校と同じような状態だ。今や親子2代続けて湘南高校出身という家族は少なくなり、同窓会の会長選びも大変だという。
筆者自身も、長男は私立中高一貫校に行ったので、湘南高校とは縁が切れてしまった。
学校群制度で名門公立校から私立校へ優秀な生徒はシフトし、裕福な家庭の子女が集まる私立校が優秀な大学に合格者を出すことになり、小学校4年から私立校めざして受験勉強を強いられるなど社会階層の固定化が始まった。
小学生が「偉くなってもしかたがない。のんびりやりたい」などと言うのは異常なことではないかと。
清華大学
中国のトップの常務委員9人中8人がエンジニアだ。清華大学は中国のハーバードと言われ、全国950万人が受験する「高考」(=大学入試センター試験の中国版)のトップクラスのみが入学できる。
清華大学は義和団事件で中国が米国に支払った賠償金を米国が返還し、それを元にしてつくられた大学だ。だからアメリカとのつながりが強く、設立当時は「留美予備学校」と呼ばれ、アメリカ留学の予備校だった。現在でも1学年の内3割はアメリカに留学するという。
アメリカのハーバード、エール、プリンストンなどの一流大学の学長が清華大学を訪れ、優秀な学生を滞在費等一切大学持ちで、ヘッドハンティングしているという。
榊原さんは2006年にNHKの取材で清華大学を訪問した。東大本郷の10倍のキャンパスには53の学部と5つの大学院、41の研究所があり、クリーンルームを備えた半導体生産工場や、原子力発電所まであるという。
清華大学は中国の大学向け研究開発予算の半分を占めているといわれ、通信衛星を使って大学の講義を中国各地に放送しているという。
「アメリカに留学して、帰国して学者になるか転職したい」という学生が多く、中国から毎年11万人が海外留学しているが、トップレベルの大学の学生は日本に来ても「日本の大学で学んでいても時間の無駄」と言ってさっさと帰国してしまう人がしばしばいるという。
インドも技術教育に大変熱心で、頂点は7校あるIIT(インド工科大学)だ。インド工科大学シリコンバレー校友会にはビル・ゲイツが出席するという。
日本企業ではトヨタが2007年にインドにトヨタ工業技術学校を開設した。倍率は800倍だったという。
英語で自己主張できないのが日本人の弱点とならないように語学教育も重要である。
第6章 金融・年金問題の深層
日本の年金制度は創設された1950−60年当時の経済の高度成長と持続的なインフレ、人口増加が前提の制度だ。次の人口動態調査のグラフが日本の現状を物語っている。
今のような人口減少フェーズに入ると、年金の破綻は確実だ。
日本でも政府系ファンド設立検討が議員レベルで始まっているが、シンガポールのGIC,中国の中国投資有限公司などの政府系ファンドが存在感を拡大している。
中東オイルマネーはドルからユーロに移っているが、日本政府や中国は1兆ドル近い外貨準備のほとんどをドルで持っているために、ドルが下落すると痛手を被るという事情がある。
第7章 日本の進むべき道 真の抜本改革を!
榊原さんの提案をタイトルだけピックアップすると次の通りだ。
*女性と老人の復権がキーワード
*いまこそ定年退職の撤廃が必要だ
*専業主婦は時代遅れ
*人事制度を大幅に見直しプロを厚遇する
*技術立国が国策、全寮制エリート教育で実現
*人事と予算の権限を教授会から学長へ委譲せよ
学校基本法は「大学には、重要な事項の審議を行うため、教授会を置かなければならない」と定めているが、これは労働組合が会社の予算や人事を決めるようなものであると。
*「教育基本法」を変えても意味がない
行政のテクニックで「何も変えずにお茶を濁したい時は、基本法だけ変える」というものがあると。学校教育法、私立学校法、教育職員免許法などの個別法を変えなければならないと。
*教育職員免許法を撤廃し、社会人を教員に
*(学校)設置法見直しこそ改革断行の切り札
*天下り規制撤廃、行為規制で官民交流を活発に
*証券会社のトップが財務大臣になっていい
*(年金)保険料から目的税へ ー いまこそ大転換すべし
社会保険庁を廃止し、国税庁が一括して徴収
*高度医療は民間保険で ー 混合診療の解禁
*アジア通貨基金を設立せよ
*移民受け入れが21世紀日本の正念場
*知識人よ、世界へ「日本の特殊性」を発信せよ
「茶の本」を英語で出版した岡倉天心、「武士道」の新渡戸稲造などの先人にならえと。
*一神教的「覇権争い」から多神教的「共存共栄」の世界へ
*大改革のために不可欠な「没落」という危機感
改革のためには何よりも強い危機感が必要で、すべての日本人が「10年後には日本は没落しているかもしれない」という危機感、「まさに我々は存亡の危機にあるのだ」という共通意識を持つことが求められていると結んでいる。
まとめると日本は移民を受け入れ、開かれた国にする。年金保険料は廃止し目的税として、教育に力を入れ技術立国を図れということになる。
現在の日本の現状は「戦略なき国家」と言わざるを得ない。誰もが問題意識を持っていると思うが、榊原さんの提言は、問題解決の方向性を示唆しており参考になる。
日本版「フラット化する世界」として、おすすめの本である。
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