時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

歴史

真珠湾の真実 ルーズベルトの対独参戦シナリオに組み込まれた日本

戦史の第3弾は、真珠湾攻撃についてのルーズベルト陰謀説を裏付ける本を紹介する。

真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々
著者:ロバート・B・スティネット
販売元:文藝春秋
発売日:2001-06-26
おすすめ度:3.0
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ルーズベルト大統領は、事前に真珠湾攻撃を知っていたにもかかわらず、あえて日本に奇襲攻撃を仕掛けさせたというルーズベルト陰謀説の根拠を、1995年に発見された内部メモや暗合解読文などを丹念に調べ検証した本。

最近デイヴィッド ハルバースタムのベトナム戦争へ介入したケネディージョンソン政権前後の話を取り上げた「ベストアンドブライテスト」を読んだが、ジョンソンのベトナム介入強化は大統領側近がトンキン湾事件をでっち上げ(?)、世論操作した結果だし、ニクソンのウォーターゲート事件は大統領が直接手を下した犯罪だ。

大統領やその側近だけで陰謀を企てるというのは、アメリカ政府の常套手段だったとも言えるのではないかと思う。

たとえばジョージ・W・ブッシュ大統領のイラク侵攻もテキサスを中心とする石油利権とのつながりが噂されており、この大統領陰謀説は単に映画やフィクションの世界ではなく、本当の話が多い。

だからこの本で取り上げられている真珠湾陰謀説も、ルーズベルトは予期していたという点は、真実であった可能性は高いのではないかと感じている。

もともと別ブログで紹介した田母神さんの本に引用されていたので読んでみたのがきっかけだ。

この本は渡部昇一さんや、中西輝政さん、櫻井よし子さんなどの多くの本に引用されているが、真珠湾攻撃をアメリカが予期していたことを、「情報の自由法」により明らかにされた多くの暗号電報解読文で立証しているのみならず、なぜルーズベルトが日本の奇襲攻撃を現場の指揮官に知らせなかったのかという疑問まで解明している点で画期的な作品だ。

英語版は次の通りだ。英語版Wikipediaにも要約が載っている。

Day Of Deceit: The Truth About FDR and Pearl HarborDay Of Deceit: The Truth About FDR and Pearl Harbor
著者:Robert Stinnett
販売元:Free Press
発売日:2001-05-08
おすすめ度:3.0
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日本の一部で受け入れられたような「決定版」的な扱いを米国で受けているのかどうかわからないが、米国でもそこそこ売れているようだ。


10年間の調査の成果

著者のロバート・スティネット氏は、第2次世界大戦中はブッシュ・シニア元大統領と一緒に海軍に従軍した元軍人(従軍カメラマン?)だ。戦後はオークランド・トリビューンの記者(カメラマン)として働き、退社後10年以上掛けて資料を調べ上げこの本を1999年に出版した。

田母神さんの本のあらすじで根拠不足と書いたが、歴史上の史実を立証しようとするのであれば、これくらい資料を揃えなければならないという見本の様な本だ。

脚注の多さは半端ではない。600近い原注に加えて訳注も数十あり、日独伊三国同盟を奇貨として「裏口からの参戦」を説いた1940年10月の米国海軍情報部極東課長のA.マッカラム少佐の「戦争挑発行動8項目覚書」の原文表紙と和訳、数々の日本側暗号電報の英訳が紹介されている。


日本の暗号はすべて打ち破られていた

この本ではPHPT(Pearl Harbor Part、1941年から1946年までの間にアメリカが行った公式調査)、PHLO(上下院合同真珠湾攻撃調査委員会、1945年から1946年までに実施された調査)、無線監視局USの文書、カーター大統領が1979年に公開した太平洋戦争中の日本海軍電報の解読文書約30万点を調査し、当時無線傍受局に勤務していた人へのインタビューなども実施して、膨大な資料を元に書かれている。

アメリカが日本の暗号解読に成功していたことは、東京裁判の証拠としても採用され今や公知の事実だ。その暗合解読作業を実際に行っていたのが、米軍が太平洋のあちこちに配置していた”見事な配置”と呼ばれる無線傍受網だ。

見事な配置

見事な配置






出典:本文134−135ページ

米国は1940年10月前後に日本の外交暗号のパープル(97式印字機)と、日本海軍の5桁数字暗号を特別の解読機を導入して打ち破っていた。

日本領事館を盗聴したり、商船に乗っていた海軍通信士官から暗号書を買い取ったり、あらゆる手段を使って米国は日本の暗号解読に成功したのだ。

パープル暗号が解読されているという情報がドイツから寄せられ、1941年5月に当時の松岡外相が、駐独大使の大島少将に詳細をドイツから聞き出すように頼んでいる暗号電報も、米国に解読されているのはジョークを越えて、お寒い限りだ。

実際ルーズベルトはヒトラーのロシア侵攻計画を、駐独大島大使の日本へのパープル電報の暗号解読で侵攻1週間前の1941年6月14日に知ったという。ドイツが気にする訳だ。

日本海軍の5桁数字暗号の解読情報は、今でも秘密扱いで公開されていないという。

ちなみに「日本軍のインテリジェンス」という防衛省防衛研究所戦史部教官小谷賢さんの書いた本のあらすじに、日本軍の諜報能力についてまとめてあるので、参照して欲しい。

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)
著者:小谷 賢
販売元:講談社
発売日:2007-04-11
おすすめ度:4.5
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この本の3つの論点

なにせ脚注と解説まで入れると500ページを越えるボリュームの本なので、整理すると次の3つが論点だ。

1.ルーズベルトは米国民が反対していた欧州での戦争に”裏口から”参戦するために、日本に戦争を仕掛けさせた。つまり日本はルーズベルトにはめられたのか?

この本の主題の一つは、1940年10月7日に上奏された海軍情報部極東課長のアーサー・マッカラム少佐の作成した覚書だ。著者のスティネット氏は、1995年に無線監視局USのアーサー・マッカラム少佐の個人名義ファイルの中から、この覚書を見つけたという。

マッカラムメモ

McCollum_memo_Page1













出典: Wikipedia

マッカラム少佐は、宣教師の両親のもとに1898年に長崎で生まれ、少年時代を日本のいくつかの町で過ごした。日本語が喋れたので米国の海軍兵学校を卒業すると駐日アメリカ大使館付海軍武官として来日した。昭和天皇の皇太子時代に米国大使館のパーティでチャールストンを教えたこともあるという逸話のある知日派だ。

このメモが書かれた当時のことを補足しておくと、ドイツは1939年9月にポーランドを電撃占領し、第2次世界大戦が始まった。その後"Twilight war"と呼ばれる小康状態の後、ドイツは1940年5月にフランスに侵攻・占領し、英国はダンケルクから撤退して戦力を温存した。

その直後からバトルオブブリテンでドイツが英国侵略の前段階として航空戦を挑み、英国が新兵器レーダーと英国空軍の大車輪の活躍で、1940年10月頃にはドイツ空軍の英国侵攻をほぼ撃退したところだった。

ソ連とドイツは独ソ不可侵条約を結んでいたので、ヨーロッパでは英国のみがドイツと戦っているような状態で、チャーチルの名著「The Second World War」第2巻は、"Alone"というタイトルが付けられているほどだ。

第二次世界大戦〈2〉 (河出文庫)第二次世界大戦〈2〉 (河出文庫)
著者:ウィンストン・S. チャーチル
販売元:河出書房新社
発売日:2001-07
おすすめ度:4.5
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ドイツの戦勝を見た松岡洋右などの日本の親ドイツ派は、「バスに乗り遅れるな」のかけ声の下、それまで欧州戦争には中立の立場を取っていたにもかかわらず、日独伊三国同盟を結び、海軍などが反対したにもかかわらず急速に枢軸陣営に加わっていった。

一方ルーズベルトは英国を助けるために、「隣の家が火事になったら、無償で消防用ホースを貸すでしょう?」という国民に対する説明のもとに、英国への武器無償貸与を1939年開始しており、マッカラムメモの後の1941年3月には「レンドリース法」を制定し、英国に武器を無償で大量供与した。

ルーズベルトは既にユダヤ人の殺害を始めていたナチスドイツがヨーロッパを支配することは重大な脅威と感じ、今や英国だけとなった反ドイツ勢力を支援していたが、米国内の共和党を中心とする戦争反対勢力は強かった。

第2次世界大戦が始まる1年前の1938年11月に「水晶の夜」事件が起こり、ナチスがドイツ国内のユダヤ人商店・工場やシナゴーグを襲うという事件が起きており、この事件はスピルバーグの「シンドラーのリスト」にも描かれている。



当時の米国民の8割以上は、欧州の戦争に参戦することに反対しており、ルーズベルトも「息子さんを欧州の戦争には生かせない」と公約して1939年の大統領選挙に勝利したことから、たとえヨーロッパをドイツが占領し、英国が風前の灯火となっていた状況でも米国の参戦を、表だって国民に受け入れさせることはできなかった。

マッカラムメモでは、日本との戦争は不可避であり、米国にとって都合の良い時に、日本から戦争を仕掛けてくるように挑発すべきだと考え、蒋介石政権への援助や、ABCD包囲網での石油禁輸、全面的貿易禁止など8項目の行動計画を提案している。

ルーズベルトがマッカラムメモを読んだことは確実で、もっけの幸いにマッカラムメモにある8項目を順次実施し、日本を挑発し、日本に最初に攻撃させることで、厭戦気分がある米国民を日本とドイツに対する戦争に巻き込む”裏口から参戦する”計画を練って、実行に移したというのがスティネット氏の見解だ。

これで日米交渉では米国側は妥協を一切示さず、結果的に日本を開戦に追い込んだ理由がわかる。


余談となるが、以前紹介した多賀敏行さんの「エコノミック・アニマルは褒め言葉だった」で紹介されていた話を思い出した。

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
著者:多賀 敏行
販売元:新潮社
発売日:2004-09
おすすめ度:4.5
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開戦当時の外務次官だった西春彦さんの「回想の日本外交」に、1941年後半の日米交渉で日本は大幅な譲歩案である甲案を出したのに、アメリカが全く乗ってこなかったのは、暗号解読電文の誤・曲訳が原因の一つだったことが、東京裁判の証拠調べの時にわかり、その晩は眠れなかったと書いている。

ちなみに東京裁判の時にはブレークニー弁護人がこの誤訳を題材にして大弁論を展開したが、結局判決では誤って英訳していある電文をそのまま判決理由に載せた。唯一パール判事は、少数意見でこのことを詳細に取り上げて鋭く論評したという。

回想の日本外交 (1965年) (岩波新書)回想の日本外交 (1965年) (岩波新書)
著者:西 春彦
販売元:岩波書店
発売日:1965
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しかし実際にはルーズベルトは日本を挑発して裏口からの参戦を決めていたことが真相かもしれない。

元皇族竹田恒泰さんの「語られなかった皇族たちの真実」に、東久邇稔彦親王の自伝「やんちゃ孤独」で東久邇宮が元フランス首相クレマンソーから聞いた話が紹介されている。

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
著者:竹田 恒泰
販売元:小学館
発売日:2005-12
おすすめ度:4.0
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「アメリカが太平洋へ発展するためには、日本はじゃまなんだ。(中略)アメリカはまず外交で、日本を苦しめてゆくだろう。日本は外交がへただから、アメリカにギュウギュウいわされるのにちがいない。その上、日本人は短気だから、きっとけんかを買うだろう。

つまり、日本の方から戦争をしかけるように外交を持ってゆく。そこで日本が短気を起こして戦争に訴えたら、日本は必ず負ける。アメリカの兵隊は強い。軍需品の生産は日本と比較にならないほど大きいのだから、戦争をしたら日本が負けるのは当たり前だ。それだからどんなことがあっても、日本はがまんをして戦争してはならない」


アメリカの戦略はその意味ではクレマンソーの予言通りだったと言えると思う。

閑話休題。


2.真珠湾攻撃は事前に察知されていたのではないか?

日本が対米開戦を決意し、択捉島の単冠湾(ヒトカップ湾)に機動部隊を集結させ、それからハワイに向かって移動していたことは、暗号が解読され米国側に事前に察知されていた。

この本の解説で中西輝政さんも驚いたと書いているが、ヒトカップベイという暗合解読文が原文で紹介されている。

暗号電報解読文の一例

hitokappu bay






出典:本文96−97ページ

さらに開戦を命じた1941年12月2日のニイタカヤマノボレの日本語電報原文と暗号解読された英文も掲載されている。

ニイタカヤマノボレ電文と暗合解読文

Niitakayama cable






出典:本文380−381ページ

"Top Secret-Ultra"に格付けされたこの電報は、打電されたのと同じ日の12月2日に解読されており、"Climb Niitakayama"とは"Attack on Dec. 8"のことだと断言しているのが印象的である。

この暗号解読情報は、1979年にカーター大統領の情報公開に基づいて公開された1941年7月から1945年秋までの30万通にものぼる日本の電報の解読情報の一つだ。

日本側は厳しい無線管制を敷いていて、アメリカ側は事前に察知できなかったとされているが、実際には艦隊への通信が行われており、それが傍受されて機動部隊の動きは米国に捉えられていた。

この本では日本艦隊が実際には頻繁に電報を打っていたことが数々の暗号解読電報から明らかにされており、少なくとも129通の電報が証拠としてあげられている。もっとも”おしゃべり”だったのが、南雲司令官からの電報60通で、司令官みずから無線管制を破っていたことがわかる。

またハワイの日本領事館で森村正こと、吉川猛夫海軍少尉は、日本のスパイとして真珠湾の艦船の停泊情報を調べ日本に送っていた。森村の行動を米海軍は監視はしたが、泳がせていた。これも真珠湾が攻撃される可能性が高いことを事前に知っていたという証拠の一つだ。


3.暗合解読により日本の攻撃は察知されていたのに、なぜ現地の司令官には何も知らされていなかったのか?

これがルーズベルト陰謀説の最大の謎だ。

上記のように”ニイカタヤマノボレ”の電報は、すでに12月2日に解読されており、これが現地の司令官に伝わらなかったのは、意図があってのことだと思わざるをえない。

スティネット氏は、マッカラムメモの筋書き通りに日本を挑発して先制攻撃を仕掛けさせるために、現地のハズバンド・キンメル海軍大将とウォルター・ショート陸軍中将には1941年11月27日に「合衆国は、日本が先に明らかな戦争行為に訴えることを望んでいる」という事前の大統領命令が出されていたことを指摘する。

両将軍は真珠湾攻撃を事前に察知できなかった責任を問われて、降格されているが、実は両将軍とも事前の大統領指令を忠実に履行し、日本側の出方を待っていたのだ。1995年と2000年には両将軍の遺族から名誉回復の訴えが出されている。

スティネット氏が直接インタビューした当時HYPO(真珠湾無線監視局)に勤めていたホーマー・キスナー元通信上等兵の証言によると、彼が毎日HYPOに届けていた書類の中には、無線方位測定による発信源データ(RDF)報告書が含まれており、10月まではキンメル将軍とホワイトハウス向けの両方に入っていたのに、1941年11月からキンメル将軍宛には入っていない。

このことを知らされたキスナー氏は、”誰が抜き取ったんだ?”と仰天した。

キスナー氏が完全な報告をHYPOに届けてから、しばらくたって誰かがRDF記録を抜き取った。1993年に国立公文書館真珠湾課長の専門官は、HYPOからキンメル大将宛の通信概要日報のうち、1941年11月と12月分65通以上に手が加えられているのを確認した。

1945年の議会公聴会前に提出された時には、既にページの下半分が切り取られていたという。

日本機動部隊の無線封止神話はここから始まったとスティネット氏は語る。

誰かが操作したことは間違いないようだ。

チャーチルもコベントリー市へのドイツ軍の空襲計画を事前に知りながら、予防措置を出動させれば、英国がドイツの暗号を解読していることがドイツに知れることを恐れ、コベントリー市民にはなんの警告も出さずに、多くの生命を犠牲にしたという。

ヒトラーというより大きな悪に立ち向かうためには、必要な犠牲だったとスティネット氏は語る。苦痛に満ちていたがルーズベルトの決定は、枢軸国に対して連合国を最終勝利に導くために戦略的に計算しつくされたものだったのだと。


蛇足ながら、スティネット氏は、日本軍の戦略性の無さも指摘している。

真珠湾に停泊していた旧式戦艦や艦船などを攻撃せずに、真珠湾に大量に備蓄されていた500万バレルの船舶用石油タンクとか修理ドック、高圧送電線網などの米海軍のロジスティックス設備を徹底的に攻撃していたら、米軍の反撃は数ヶ月は遅れたのではないかと。

チャーチルの「第2次世界大戦」でも書かれていたが、英国の船舶損失の90%は大西洋で、太平洋での損失はわずか5%程度だ。日本の潜水艦はドイツのUボートのような商船の攻撃はほとんど行っていないので、撃沈トン数も低い。

Wikipediaによると、Uボートは1,131隻が建造され、敗戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈したという。ほとんど戦闘艦船は撃沈していないのだ。Uボート自身の損失は743隻だという。

武士道精神なのかもしれないが、日本の潜水艦は武装艦船ばかりねらって非武装の商船はほとんど攻撃していないのだ。

相手の息の根を止めるにはなにをすべきか、相手が困るのはなにかという発想が欠けている。兵站思考のなさ。それが日本軍の最大の欠点であり、すでに真珠湾攻撃の時から、その弱点は露呈していたのだ。


後日談

1999年の執筆や2000年の追補時点でも米国海軍の暗号解読情報は未だ公開されていない。この異常とも思える秘密主義は、ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたという疑惑を遠ざけるためだと著者のスティネット氏は語る。

いまだに開戦時の情報は公開されていないものがあり、すべては状況証拠ではあるが、この本を読むとルーズベルトが日本に先制攻撃を仕掛けさせることによって、米国民の8割が戦争に反対していたアメリカ世論を一挙に変える賭けに出たと思わざるを得ない。

メキシコとの戦いの時、「アラモを忘れるなーRemember Alamo"」のスローガンが米国民を一つにした故事にならい、"Remember Pearl Harbor"のスローガンのもとに、米国民が一致団結したのはまさにルーズベルトが望んだ通りの結果だったろう。

また米国の日独伊との戦争への参戦は、同盟国のイギリスのチャーチルも中国の蒋介石も望んだ結果なので、その意味でもルーズベルトはマッカラム計画に従って進めやすかったのだろうと思う。


本件に関する筆者の個人的見解

以下は筆者の個人的見解だが、ルーズベルトが日本をけしかけて、裏口からでも対独参戦したかった理由の一つは、ドイツの核開発疑惑ではないかと思う。

アインシュタインがルーズベルトにレターを送って、ドイツの原爆開発の可能性について警告したのは、1939年8月のことだ。

ルーズベルト宛のアインシュタインのレター

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出典:Leo Szilard Online

その後1941年には英国からMAUDレポートと呼ばれる原子爆弾の製造は可能という報告もあり、ルーズベルトはウラン資源を持ち、核分裂研究で世界のトップだったナチスドイツが原爆を持てばアメリカのみならず人類の重大な脅威になると感じていたのは間違いない。

MAUDレポート

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出典:Wikipedia

だからルーズベルトが米国民の8割を越える反対にもかかわらず、欧州の戦争に参戦したがっていた背景には、ドイツが原爆を世界に先駆けて開発して、世界を支配するのではないかという恐れがあったように筆者には思える。

この裏付けにも思えるが、ルーズベルトはアメリカの原爆開発計画を勧める科学者ヴァネヴァー・ブッシュの1941年11月のレターを、日本が真珠湾攻撃を仕掛けてくるまで手元にそのままキープしていた。

そして日本の真珠湾攻撃を受けて、アメリカが第2次世界大戦に参戦した直後の1942年1月に、自筆メモで原爆開発計画にOKを与えているのだ。

「このメモを金庫にしまっておけ」と原爆開発計画を承認するルーズベルトの手書きメモ

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出典:The Manhattan Project

これが1942年にスタートしたマンハッタン計画のさきがけだ。

マンハッタン計画の中心人物Groves将軍と科学者オッペンハイマー博士

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出典: Wikipedia


掲載されている数百の暗号解読文だけでも著者のスティネット氏が導き出したルーズベルトは真珠湾攻撃を知っていたという仮説は正しいと思う。

まだ公開されていない暗合解読文などの資料が将来公開されれば、現在は状況証拠の寄せ集めに過ぎないスティネット仮説も実証される時が来るのではないかと思う。

もっともルーズベルト陰謀説が正しいからといって、それで歴史が変わる訳ではないし、スティネット氏が語るようにルーズベルトの評価が落ちる訳でもない。開戦を決断したのは、昭和天皇と東條英機他の当時の日本の指導者だという事実に変わりはないのだ。

田母神さんのように、日本はルーズベルトにはめられて戦争に引き込まれた被害者だと胸をはって主張するのは無理があると思う。マッカーサーの言うように日本は自己防衛の為に戦争をしたにせよ、戦争を始めたのは日本なのだ。

資料からの引用が多く読みにくいが、日本人として一度は目を通しておくべき資料だと思う。一読に値する本だ。


参考になれば次クリックお願いします。


暗闘 スターリンとトルーマンの日本を降伏に追い込むための競争 

旧ソ連の秘密資料も最近になって公開されるようになり、米国の秘密資料と日本の資料の3つの視点から歴史が書ける時代となってきた。

とはいっても、ロシア語(ロシア語は大変難しいらしい)と英語そして日本語が出来る人はごく限られており、第一級の歴史書はまだ少ないが、その中でもこの本は米国在住の日本人ロシア史専門家による本ということで優れた資料である。

大前研一氏も絶賛しているので、あらすじを紹介する。

暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏
著者:長谷川 毅
販売元:中央公論新社
発売日:2006-02
おすすめ度:5.0
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在米のロシア史研究家、長谷川毅カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の終戦史再考。

大前研一の「ロシア・ショック」で取り上げられていたので読んでみた。

ロシア・ショックロシア・ショック
著者:大前 研一
販売元:講談社
発売日:2008-11-11
おすすめ度:4.5
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この本を読んで筆者の日本史の知識の欠如を実感させられた。

終戦秘話といえば、大宅壮一(実際のライターは当時文芸春秋社社員だった半藤一利氏)の「日本のいちばん長い日」や、終戦当時の内大臣の「木戸幸一日記」、終戦当時の内閣書記官長の迫水(さこみず)久常の「機関銃下の首相官邸」などが有名だが、いずれも読んだことがない。

「日本のいちばん長い日」は映画にもなっているので、さまざまな本や映画などで漠然と知っていたが、この本を読んで知識をリフレッシュできた。

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)
著者:半藤 一利
販売元:文藝春秋
発売日:2006-07
おすすめ度:5.0
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木戸幸一日記 上巻 (1)木戸幸一日記 上巻 (1)
著者:木戸 幸一
販売元:東京大学出版会
発売日:1966-01
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新版 機関銃下の首相官邸―2・26事件から終戦まで
著者:迫水 久常
販売元:恒文社
発売日:1986-02
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今まで終戦史は、日本の資料かアメリカの資料をベースに何冊もの本が書かれてきたが、この本は米国在住の日本人ロシア史専門家が、友人のロシア人歴史学者の協力も得て完成させており、日本、米国、ロシアの歴史的資料をすべて網羅しているという意味で画期的な歴史書だ。

この本の原著は"Racing the enemy"という題で、2005年に出版されている。日本版は著者自身の和訳で、著者の私見や、新しい資料、新しい解釈も加えてほとんど書き下ろしになっているという。

Racing the Enemy: Stalin, Truman, And the Surrender of JapanRacing the Enemy: Stalin, Truman, And the Surrender of Japan
著者:Tsuyoshi Hasegawa
販売元:Belknap Pr
発売日:2006-09-15
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約50ページの注を入れると全部で600ページもの大作だが、日本の無条件降伏に至る太平洋戦争末期の世界の政治情勢がわかって面白い。

この本では、3つの切り口から日本がポツダム宣言を受諾した事情を描いている。


1.トルーマンとスターリンの競争

一つは日本を敗戦に追い込むための、トルーマンスターリンの競争である。

1945年2月のヤルタ密約で、ソ連が対日戦に参戦することは決まっていたが、戦後の権益確保もあり、トルーマンとスターリンはどちらが早く日本を敗北に追い込む決定打を打つかで競争していた。

ヤルタ密約は、ドイツ降伏後2−3ヶ月の内に、ソ連が対日戦争に参戦する。その条件は、1.外蒙古の現状維持、2.日露戦争で失った南樺太、大連の優先権と旅順の租借権の回復、南満州鉄道のソ連の権益の回復、3.千島列島はソ連に引き渡されるというものだ。

元々ルーズベルトとスターリンの間の密約で、それにチャーチルが割って入ったが、他のイギリス政府の閣僚には秘密にされていたという。

ルーズベルトが1945年4月に死んで、副大統領のトルーマンが大統領となった。トルーマンといえば、"The buck stops here"(自分が最終責任を持つ)のモットーで有名だ。

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出典:Wikipedia

トルーマンは真珠湾の報復と、沖縄戦で1万人あまりの米兵が戦死したことを重く見て、これ以上米兵の損失を拡大しないために、原爆を使用することに全く躊躇せず、むしろ原爆の完成を心待ちにしていた。

1発では日本を降伏させるには不十分と考え、7月16日に完成したばかりの2発の原爆を広島と長崎に落とした。

原爆の当初のターゲットは、京都、新潟、広島、小倉、長崎の5ヶ所だった。

原爆を開発したマンハッタン計画の責任者のグローヴス少将は最後まで京都をターゲットに入れていたが、グローヴスの上司であるスティムソン陸軍長官は京都を破滅させたら日本人を未来永劫敵に回すことになると力説して、ターゲットからはずさせた。

2.日ソ関係

2つめは、日ソ関係だ。

日ソ中立条約を頼りにソ連に終戦の仲介をさせようとする日本の必死のアプローチをスターリンは手玉にとって、密かに対日参戦の準備をすすめていた。

1941年4月にモスクワを訪問していた松岡外務大臣を「あなたはアジア人である。私もアジア人である」とキスまでして持ち上げたスターリンは本当の役者である。

ポツダム宣言

ポツダム会議は1945年の7月にベルリン郊外のポツダムに英米ソの3首脳が集まり、第2次世界大戦後の処理と対日戦争の終結について話し合われた。

会議は7月17日から8月2日まで開催されたが、途中で英国の総選挙が行われ、選挙に敗北したチャーチルに代わり、アトリーが参加した。

ポツダム会議はスターリンが主催したが、ポツダム宣言にはスターリンは署名しなかった。

トルーマンとチャーチルは、スターリンの裏をかいて、スターリンがホストであるポツダムの名前を宣言につけているにもかかわらずスターリンの署名なしにポツダム宣言として発表するという侮辱的な行動を取ったのである。

トルーマンは原爆についてポツダムでスターリンに初めて明かしたので、スターリンにはポツダム宣言にサインできなかったこととダブルのショックだった。

これによりスターリンはソ連の参戦の前にアメリカが戦争を終わらせようとしている意図がはっきりしたと悟り、対日参戦の時期を繰り上げて、8月8日に日ソ中立条約の破棄を日本に宣言する。

ソ連の斡旋を頼みの綱にしてた日本は簡単に裏切られた。もっともソ連は1945年4月に日ソ中立条約は更新しないと通告してきていた。

7月26日の段階で、ソ連軍は150万の兵隊、5,400機の飛行機、3,400台の戦車を国境に配備しており、ソ連の参戦は予想されたことだった。

ソ連は終戦直前に参戦することで日本を降伏に追い込み、戦争を終結させた功労者として戦後の大きな分け前にありつこうとしたのだ。

日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受諾したが、スターリンは樺太、満州への侵攻をゆるめず、ポツダム宣言受諾後に千島、北海道侵攻を命令した。

スターリンの望みは、千島列島の領有とソ連も加わっての日本分割統治だったが、これはアメリカが阻止した。


3.日本政府内の和平派と継戦派の争い

第3のストーリーは日本政府内での和平派と継戦派の争いだ。

この本では、和平派と継戦派の争点は「国体の護持」だったという見解を出しているが、連合国側から国体護持の確約がなかったことが降伏を遅らせた。

アメリカ政府では元駐日大使のグルーなどの知日派が中心となって、立憲君主制を維持するという条件を認めて、早く戦争を終わらせようという動きがあったが、ルーズベルトに代わりトルーマンが大統領となってからは、グルーはトルーマンの信頼を勝ちとれなかった。

開戦直後から日本の暗号はアメリカ軍の海軍諜報局が開発したパープル暗号解読器によって解読されていた。この解読情報は「マジック」と呼ばれ、限定された関係者のみに配布されていた。

ところでパープル解読器のWikipediaの記事は、すごい詳細な内容で、暗号に関するプロが書いた記事だと思われる。是非見ていただきたい。

日本の外務省と在外公館との通信はすべて傍受されて、日本の動きは一挙手一投足までアメリカにつつ抜けだった。

広島に8月6日、長崎に8月9日に原爆が投下された。ソ連は8月8日に日ソ中立条約の破棄を通告し、8月9日には大軍が満州に攻め込んだ。関東軍はもはや抵抗する能力を失っていた。

こうして8月14日御前会議で、ポツダム宣言受諾の聖断が下りた。

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出典:Wikipedia

最後まで戦うべきだと主張する阿南惟幾(これちか)陸軍大臣を中心とする陸軍の抵抗を、原爆やソ連参戦という事態が起きたこともあり高木惣吉ら海軍中心の和平派が押し切った。

天皇の玉音放送が流れた8月15日に阿南陸相は自刃し、象徴的な幕切れとなった。

ちなみにWikipediaの玉音放送の記事の中で、玉音放送自体の音声も公開されているので、興味がある人は聞いてほしい。

8月15日には天皇の声を録音した玉音盤を奪おうと陸軍のクーデターが起こるが、玉音盤は確保され、放送は予定通り流された。

しかし千島列島では戦争は続いた。最も有名なのは、カムチャッカ半島に一番近い占守島の激戦で、8月21日になって休戦が成立した。

スターリンはマッカーサーと並ぶ連合国最高司令官にソ連人を送り込もうとしたが、これはアメリカに拒否され、結局北海道の領有はできなかった。


歴史にIFはないというが…

長谷川さんはいくつかのIFを仮説として検証している。

1.もしトルーマンが日本に立憲君主制を認める条項を承認したならば?

2.もしトルーマンが、立憲君主制を約束しないポツダム宣言に、スターリンの署名を求めたならば?

3.もしトルーマンがスターリンの署名を求め、ポツダム宣言に立憲君主制を約束していたならば?

4.もしバーンズ回答が日本の立憲君主制を認めるとする明確な項目を含んでいたら?

5.原爆が投下されず、またソ連が参戦しなかったならば、日本はオリンピック作戦が開始される予定になっていた11月1日までに降伏したであろうか?

6.日本は原爆の投下がなく、ソ連の参戦のみで、11月1日までに降伏したであろうか?

7.原爆の投下のみで、ソ連の参戦がなくても、日本は11月1日までに降伏したであろうか?


歴史にIFはないというが、それぞれの仮説が長谷川さんにより検証されていて面白い。


日、米、ソの3カ国の一級の資料を集めて書き上げた力作だ。500ページ余りと長いがダイナミックにストーリーが展開するので楽しめるおすすめの終戦史である。



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