時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

ノンフィクション

社員監視時代 名簿屋ビジネスまで紹介されている

9月9日にこのブログの訪問者が一挙に600人を超えた。

「無税入門」のあらすじをアップしたところだったので、刺激的なタイトルに惹かれた人が多いのかと思ったら、まぐまぐの円高に関するニュースで、榊原英資さんの「強い円は日本の国益」がリンクとして紹介されていたからだった。

本日民主党政権の閣僚名簿が発表される。はたして榊原英資さんが何らかの形で内閣入りするのか注目されるところだ。

ところで自宅に昨晩夜遅く電話が掛かってきた。こちらの名前も知っているし不動産の売り込みだという。

どうやってこちらの名前と電話番号を知ったのかと聞くと、「いやぁー、エリートビジネスマン名簿というのがあるんですよ。」ということだ。

”エリートビジネスマン 名簿”で検索すると、この本で紹介されているイアラという会社が表示された。

今回自動車保険の見積もり依頼をしたので、どこかに出した個人情報がこの会社のデータベースに登録されたようだ。この会社は名簿屋としては最大手で、なんと自社のホームページに「個人情報保護法はやわかり」というパンフレットまで掲載しており、消費者から問い合わせあれば削除などに必ず応じると明言している。

一度電話してまずは開示請求。次に削除、利用停止を申し入れてみる。

ちなみに近々改訂される見込みの経産省の個人情報保護法ガイドラインでは、消費者から開示請求があった場合、”個人情報の取得元又は取得方法(取得源の種類等)を、可能な限り具体的に明記し、本人からの求めに一層対応していくことが望ましい”と規定されている。

ただ現実問題、名簿屋が情報ソースを明かすかどうかは疑問ではあるが、具体的な会社名ではなくとも取得ソースの業種等がわかれば、推測がつく場合もあるので、政権交代早々に経産省ガイドラインを改訂して欲しいところだ。

社員監視時代 (ペーパーバックス)社員監視時代 (ペーパーバックス)
著者:小林 雅一
販売元:光文社
発売日:2005-06-24
おすすめ度:3.5
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社員監視時代というタイトルだったので、学生時代に読んだジョージ・オーウェル1984年を思い出したが、実は情報セキュリティの本だった。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)
著者:ジョージ・オーウェル
販売元:早川書房
発売日:1972-02
おすすめ度:4.5
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いきなり個人情報漏洩事件の話から始まり、ソフトバンクBBが導入した監視ソフトSeer Innerが紹介される。

このSeer Innerとは、筆者も導入したことがあるSeer Insight社の、コンピューター端末のリアルタイム監視ソフトだ。

こんな具合に利用者の端末の操作画面が表示され、誰がどういう作業をしているのか画面がリアルタイムで監視できる。

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その社員のパソコン画面だけ大きく表示する機能もあるので、社員がパソコンでトランプゲームなどをしていると、管理者にすぐわかってしまう。

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写真出典:Seer Innerサイト


ソフトバンクBBは、このSeer Innerを導入するとともに、オペレーションルームの厳しい入退室管理に加え、ビデオカメラでの監視も実施している。

同社のSOC(Security Operation Center)では、常時十数名の社員が24時間・365日監視にあたっており、社員・アルバイトも含めた15,000台のパソコンを監視している。

リアルタイム監視といっても、網の目をくぐり抜けて不正を行う社員もいるかもしれないが、常時監視していると社員に告げることによって、過去起こったような個人情報漏洩持ち出し事件は防げると関係者は断言している。

Seer Innerの他にもAll WatcherLanScopeCatというログを、システマティックにすべて収集するソフトも紹介されている。

フォレンジック(Forensic)という聞き慣れない言葉があるが、犯罪科学という意味で、これらソフトはForensicソリューションと呼ばれている。


オフィスの生産性向上にも役立つ

社員の監視というとネガティブなイメージがあるが、マイクロソフトが提供しているIPA(Individual Productivity Assessment)と呼ばれるサービスは、ホワイトカラーの生産性改善を目指したものだ。

それ自体はあまり儲からないということなので、現在もマイクロソフトがIPAサービスを提供しているかどうかわからないが、この本でも紹介されている東洋タイヤのケースがマイクロソフトジャパンのホームページに紹介されている。

エンジニアの仕事ぶりを2週間程度カメラで記録し、それを分析して生産性改善点をレポートするというサービスだ。たとえばエクセルのコピーアンドペーストの使い方や、ショートカットの活用等で、生産性がアップする。


最大の抵抗勢力はシステム管理者!?

この本では情報セキュリティ導入の裏話も紹介していて参考になる。監視ソフト導入の最大の抵抗勢力はシステム管理者だという。

アクセスログは証拠として調査される可能性があるが、従来はシステム管理者は都合の悪いログは削除していたのだと。

にわかには信じがたい話だが、ありうる話なのかもしれない。


社員監視システムは「砂上の楼閣」

この本で参考になったのが、リアルタイム社員監視システムとかは、見た目には派手で、社員に与える不正抑止効果もあるが、LANの内部を暗号化しないと、監視している画面から情報が漏れ、セキュリティホールとなって、情報漏洩のリスクが増えるという指摘だ。

だからセキュリティは順番が大事で、まずLANに流れるデータを暗号化するのが大前提だと。

LANの中身を暗号化するソフトはフリーソフトもあるが、製品として提供しているメーカーは少ない。セキュリティ業界にとっては、LANの内部を暗号化するというのは商売にならない。

だからクライアント企業に教えず、内部情報の暗号化なしに監視ソフトを入れる「砂上の楼閣」が増えているのだと。

なるほどと思う。

情報がすべて暗号化されていれば、万が一漏洩しても本人への連絡も、監督官庁への報告も不要だ。非常に役立つ指摘である。


個人情報名簿業者の実態

もう一つ参考になったのが、個人情報を売買する名簿業者への取材だ。

この本では名簿業者大手のイアラ・コーポレーション社長にインタビューしている。

いままで名簿業者とはどういう会社か実態がわからなかったが、この本で紹介されているイアラ・コーポレーションはホームページもあり、2005年の個人情報保護法施行以降も事業を続けている。

まさに個人情報保護法に従った適法な名簿販売業をやっており、いわゆるオプトアウト方式で、削除しろと言われたら削除するというやり方で、個人情報を販売している。

同窓会や各種団体の会員名簿などリストとして販売しているものの紹介と、5,000万件のデータから希望のターゲットを絞ってリストアップするサービスがある。

イアラは元々はブレーンという会社で、ダイレクトメールなどのダイレクトマーケティングの会社だったが、ダイレクトマーケティング部門は日立グループに販売して、日立ブレーンという会社になり、リスト部門だけが残っているものだ。

イアラ社長の話で印象に残ったのが、名簿業者が販売しているデータはどれも「名前、住所、電話番号」だけだという。

つまり元データは電話帳等なので、それだけではどんな意味のある個人情報かわからないが、イアラの保有する大量のデータから名寄せして、条件にあった人をリストアップしてデータベースとして販売しているので、たとえば高額納税者リストとか、意味のあるデータとして売れるのだという。

この本は2005年発刊だが、2007年3月の経産省の最新のガイドラインでも、名前、住所、電話番号のみの名簿は電話帳と同じ扱いとなる。名簿業者のビジネスは、依然として適法なのである。

個人情報漏洩の唯一完全な対策は、個人情報を持たないことだと言われているが、特に利用価値のない住所と電話番号は、保有せずに削除して、必要な時に都度個人から取得するというのが、有効な個人情報セキュリティ対策となってくるだろう。


「1984年」現代版

最後にジョージ・オーウェルの「1984年」の現代版ショートストーリーもある。

著者の小林雅一さんは、大学を卒業して某大手電機メーカーに入社したそうだが、昼の12時ちょっと前に同期みんなで、社員食堂に行ったら、だれも皿を取ろうとしない。

みんな白線の向こうで待機しているのだ。12時のブザーが鳴って初めて、みんな動き始めたと。

これを聞いて、筆者は思い当たる会社がある。筆者もたぶんその会社と思われる会社の社員食堂に行って、全く同じ体験をしたからだ。

最後に本当の監視も出てきて、なかなか面白く読める本だった。

情報セキュリティに興味のある人に役に立つ、おすすめできる本である。



参考になれば次クリックお願いします。



再掲:夜と霧 ヴィクトール・フランクルの不朽の名作 

2009年6月4日再掲:


別ブログでは”夜と霧 あらすじ”で検索して訪問する人が、ほぼ毎日一定数いる。Googleで検索すると別ブログがトップで表示されるからだろう。

アマゾンのベストセラーランキングでも600位前後で、この本の人気は衰えを知らないようだ。

驚きを込めてあらすじを再掲する。

「夜と霧」とは1941年末に、ヒットラーが出したユダヤ人強制収容計画の通称だ。




2008年1月28日追記:

ヴィクトール・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を読んだ。

それでも人生にイエスと言うそれでも人生にイエスと言う
著者:V.E. フランクル
販売元:春秋社
発売日:1993-12
おすすめ度:4.5
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たしか本田直之さんのレバレッジリーディングに、推薦されて居たのではないかと思うが、別の本かもしれない。記憶が不確かだ。

この本は、以下にあらすじを紹介する名作「夜と霧」の著者、心理学者のヴィクトール・フランクルが、強制収容所から解放された翌年の1946年にウィーンの市民大学で行った講演を集めたものだ。

内容は「夜と霧」と重複する部分が多いので、詳しいあらすじは記さないが、フランクルが強制収容所生活を生き延びることができた理由として、「人生の問いのコペルニクス的転換」を挙げているので、これを紹介しておこう。

生きることに疲れた人に対して、フランクルは、ものごとの考え方を180度、コペルニクス的転換をして、「私は人生にまだなにを期待できるか」を問うのではなく、「人生は私になにを期待しているのか」を問うべきだという。

「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから間違っているという。

私たちは人生に問われている存在なのであると。

日本では自殺者が年間3万人以上いる。警察庁の統計を見て頂きたいが、2万強で推移していた自殺者数が、平成10年から一挙に1万人増え、3万強となっている。

首都圏では、人身事故で電車が遅れない日は、ほとんどないという現状だ。

このあらすじを読む人は、自殺など考えたこともない人が、ほとんどだろう。

しかし、万が一魔が差して、自殺を考えるような時が来たら、是非このフランクルの「夜と霧」を読んで、24歳の美しい妻をはじめ、家族すべてをナチスに殺され、自らも強制収容所に収容されてもなんとか生き抜いた心理学者の話を読んで欲しい。

そして「生きる意味があるか」を問うのではなく、「人生は私になにを期待しているのか」を考えて欲しいと思う。


2006年11月27日初掲:

夜と霧 新版夜と霧 新版
著者:ヴィクトール・E・フランクル
販売元:みすず書房
発売日:2002-11-06
おすすめ度:5.0
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ナチスにより強制収容所に入れられ、九死に一生を得て生還した心理学者ヴィクトール・フランクルの不朽の名作。

原題は「心理学者収容所を体験する」という簡単なもの。副題が「夜と霧」だった。

夜と霧とは夜と霧に紛れて、人々が連れ去られた歴史的事実を表現するものだ。

筆者は1978年から1980年まで軍事政権下のアルゼンチンに2年間駐在した経験があるが、当時の軍事政権は反政府的な行動・言動をした人を、まさに夜と霧に紛れて連れ去り、密殺していた。

この蒸発者は2万人ともいわれ、『汚い戦争』と呼ばれていたものだ。

フォークランド紛争の敗戦で、軍事政権が倒れ民主政権となってからは、大々的に『五月広場(大統領府の前にある広場)の母たち』として、蒸発者の親たちが集団で抗議行動をしていた。

軍事政権下で多くの人を殺した実行犯が告白を始め、次第に事実が明らかになってきたが、戦争中のナチス政権下でなくても、普通の国のアルゼンチンでさえ、『夜と霧』があったのだ。

スティーブン・コビーの大ベストセラー『7つの習慣』にも、強制収容所という極限的な環境の中でも、いかにふるまうかという人間としての最後の自由を奪うことはできないとヴィクトール・フランクルの言葉が紹介されている。

7つの習慣―個人、家庭、社会、人生のすべて 成功には原則があった!7つの習慣―個人、家庭、社会、人生のすべて 成功には原則があった!
著者:スティーブン・R. コヴィー
販売元:キングベアー出版
発売日:2008-08
おすすめ度:4.5
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フランクルはドストエフスキーの言葉を紹介している。「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」。

最期の瞬間までだれも奪うことができない人間の精神的自由。

それは、どのような覚悟で生きるかだ。生きることが意味があるなら、苦しむことにも意味があるはずだという考えだ。

こう書くときれい事のように聞こえるが、この本を読んでみると強制収容所という環境での様々な人間模様と、生き方が実体験として冷静に描写されており、深い感動を覚える。

フランクルの家族は全員収容所で亡くなったそうだが、家族がどうなったかなど、個人的なことは一言も書いていない。

ただ単に当時24歳だった奥さんへの愛が、フランクルが生き続けることができた理由だと書いてあるだけで、感情を押し殺した冷静な描写には驚くばかりである。

ヴィクトール・フランクルは家族と一緒に、アウシュヴィッツにまず送られた。

到着してすぐにカポーという収容所への協力者に気づく。魂を売り渡した被収容者だ。最初に選別され、左と言われた人(ほぼ90%)は、到着してすぐガス室直行だ。

フランクルはシャワーノズルから(殺人ガスでなく)水が出たので、みんな冗談を言い合ったことを最初の反応と言っている。

死と隣り合わせの生活で、感情はなくなり、常に飢えている、そんな状態でも(生きているのか死んでいるのかわからないが)、奥さんの姿を心の中で見ることで、至福の境地になれるのだと語る。

収容所の様々な風景、人間模様が描かれているが、時として衝撃の話が出てくる。

フランクルはアウシュヴィッツからガス室のないドイツのダッハウ収容所に移送され、そこで解放された。

アウシュヴィッツに残った仲間の一人と再会したが、アウシュヴィッツは最後は人肉食が始まり、地獄となっていたのだと。

収容所の1日は1週間より長いと言うと、収容所仲間は一様にうなずいたという話も驚くべき話だ。

全編を通じて、精神力/気力がゆえに、人は極限状態でも生存できるということを強く感じる。

たとえば1944年のクリスマスと1945年の新年の間にかつてないほどの死亡者がでたのも、クリスマスまでには解放されるという素朴な希望にすがって生きていた人たちが、落胆と失望にうちひしがれたからだ。

生きていることに何も期待が持てない人たちはあっという間に崩れていったと。

収容所の監視側でも人間らしい人はいた。

ダッハウ収容所の所長は親衛隊員だったが、被収容者のために自費で薬を買ってこさせていた。解放後はユダヤ人被収容者がアメリカ軍から所長をかばい、アメリカ軍占領後もアメリカ軍からあらためて収容所長として任命されたのだ。

旧版訳者の霜山徳爾さんの言葉や、訳者の池田香代子さんのあとがきも良い。霜山さんはフランクルと個人的にも親しく、自らも戦争に行った経験を持ち、特攻を黙認した天皇に対して、血が逆流する想いが断ち切れないと。フランクルの書は大いなる慰めであると。

訳者の池田さんは、この本の旧版と新版で違う点を指摘している。旧版ではユダヤという言葉が一言も出てこないのだと。

新版でもユダヤ人が出てくるのは上に紹介したダッハウ収容所長の話のところだけだ。

改訂版が出た1977年はイスラエルが第4次中東戦争で勝利して、ユダヤ人移住を奨励し始めた年だ。

被迫害者が迫害者となって、パレスチナ人民を追い出している。そんな情勢を憂えて、立場が異なる人たちが尊厳を認め合うストーリーとしてこの話を入れたのではないかと語っている。

原題の「心理学者収容所を体験する」が示すとおり、冷静すぎるほど冷静な収容所体験談である。

冷静な描写ゆえに深い感動を呼ぶ。

是非おすすめできる一冊である。



参考になれば次クリックお願いします。




暗闘 スターリンとトルーマンの日本を降伏に追い込むための競争 

旧ソ連の秘密資料も最近になって公開されるようになり、米国の秘密資料と日本の資料の3つの視点から歴史が書ける時代となってきた。

とはいっても、ロシア語(ロシア語は大変難しいらしい)と英語そして日本語が出来る人はごく限られており、第一級の歴史書はまだ少ないが、その中でもこの本は米国在住の日本人ロシア史専門家による本ということで優れた資料である。

大前研一氏も絶賛しているので、あらすじを紹介する。

暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏
著者:長谷川 毅
販売元:中央公論新社
発売日:2006-02
おすすめ度:5.0
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在米のロシア史研究家、長谷川毅カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の終戦史再考。

大前研一の「ロシア・ショック」で取り上げられていたので読んでみた。

ロシア・ショックロシア・ショック
著者:大前 研一
販売元:講談社
発売日:2008-11-11
おすすめ度:4.5
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この本を読んで筆者の日本史の知識の欠如を実感させられた。

終戦秘話といえば、大宅壮一(実際のライターは当時文芸春秋社社員だった半藤一利氏)の「日本のいちばん長い日」や、終戦当時の内大臣の「木戸幸一日記」、終戦当時の内閣書記官長の迫水(さこみず)久常の「機関銃下の首相官邸」などが有名だが、いずれも読んだことがない。

「日本のいちばん長い日」は映画にもなっているので、さまざまな本や映画などで漠然と知っていたが、この本を読んで知識をリフレッシュできた。

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)
著者:半藤 一利
販売元:文藝春秋
発売日:2006-07
おすすめ度:5.0
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木戸幸一日記 上巻 (1)木戸幸一日記 上巻 (1)
著者:木戸 幸一
販売元:東京大学出版会
発売日:1966-01
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新版 機関銃下の首相官邸―2・26事件から終戦まで
著者:迫水 久常
販売元:恒文社
発売日:1986-02
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今まで終戦史は、日本の資料かアメリカの資料をベースに何冊もの本が書かれてきたが、この本は米国在住の日本人ロシア史専門家が、友人のロシア人歴史学者の協力も得て完成させており、日本、米国、ロシアの歴史的資料をすべて網羅しているという意味で画期的な歴史書だ。

この本の原著は"Racing the enemy"という題で、2005年に出版されている。日本版は著者自身の和訳で、著者の私見や、新しい資料、新しい解釈も加えてほとんど書き下ろしになっているという。

Racing the Enemy: Stalin, Truman, And the Surrender of JapanRacing the Enemy: Stalin, Truman, And the Surrender of Japan
著者:Tsuyoshi Hasegawa
販売元:Belknap Pr
発売日:2006-09-15
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約50ページの注を入れると全部で600ページもの大作だが、日本の無条件降伏に至る太平洋戦争末期の世界の政治情勢がわかって面白い。

この本では、3つの切り口から日本がポツダム宣言を受諾した事情を描いている。


1.トルーマンとスターリンの競争

一つは日本を敗戦に追い込むための、トルーマンスターリンの競争である。

1945年2月のヤルタ密約で、ソ連が対日戦に参戦することは決まっていたが、戦後の権益確保もあり、トルーマンとスターリンはどちらが早く日本を敗北に追い込む決定打を打つかで競争していた。

ヤルタ密約は、ドイツ降伏後2−3ヶ月の内に、ソ連が対日戦争に参戦する。その条件は、1.外蒙古の現状維持、2.日露戦争で失った南樺太、大連の優先権と旅順の租借権の回復、南満州鉄道のソ連の権益の回復、3.千島列島はソ連に引き渡されるというものだ。

元々ルーズベルトとスターリンの間の密約で、それにチャーチルが割って入ったが、他のイギリス政府の閣僚には秘密にされていたという。

ルーズベルトが1945年4月に死んで、副大統領のトルーマンが大統領となった。トルーマンといえば、"The buck stops here"(自分が最終責任を持つ)のモットーで有名だ。

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出典:Wikipedia

トルーマンは真珠湾の報復と、沖縄戦で1万人あまりの米兵が戦死したことを重く見て、これ以上米兵の損失を拡大しないために、原爆を使用することに全く躊躇せず、むしろ原爆の完成を心待ちにしていた。

1発では日本を降伏させるには不十分と考え、7月16日に完成したばかりの2発の原爆を広島と長崎に落とした。

原爆の当初のターゲットは、京都、新潟、広島、小倉、長崎の5ヶ所だった。

原爆を開発したマンハッタン計画の責任者のグローヴス少将は最後まで京都をターゲットに入れていたが、グローヴスの上司であるスティムソン陸軍長官は京都を破滅させたら日本人を未来永劫敵に回すことになると力説して、ターゲットからはずさせた。

2.日ソ関係

2つめは、日ソ関係だ。

日ソ中立条約を頼りにソ連に終戦の仲介をさせようとする日本の必死のアプローチをスターリンは手玉にとって、密かに対日参戦の準備をすすめていた。

1941年4月にモスクワを訪問していた松岡外務大臣を「あなたはアジア人である。私もアジア人である」とキスまでして持ち上げたスターリンは本当の役者である。

ポツダム宣言

ポツダム会議は1945年の7月にベルリン郊外のポツダムに英米ソの3首脳が集まり、第2次世界大戦後の処理と対日戦争の終結について話し合われた。

会議は7月17日から8月2日まで開催されたが、途中で英国の総選挙が行われ、選挙に敗北したチャーチルに代わり、アトリーが参加した。

ポツダム会議はスターリンが主催したが、ポツダム宣言にはスターリンは署名しなかった。

トルーマンとチャーチルは、スターリンの裏をかいて、スターリンがホストであるポツダムの名前を宣言につけているにもかかわらずスターリンの署名なしにポツダム宣言として発表するという侮辱的な行動を取ったのである。

トルーマンは原爆についてポツダムでスターリンに初めて明かしたので、スターリンにはポツダム宣言にサインできなかったこととダブルのショックだった。

これによりスターリンはソ連の参戦の前にアメリカが戦争を終わらせようとしている意図がはっきりしたと悟り、対日参戦の時期を繰り上げて、8月8日に日ソ中立条約の破棄を日本に宣言する。

ソ連の斡旋を頼みの綱にしてた日本は簡単に裏切られた。もっともソ連は1945年4月に日ソ中立条約は更新しないと通告してきていた。

7月26日の段階で、ソ連軍は150万の兵隊、5,400機の飛行機、3,400台の戦車を国境に配備しており、ソ連の参戦は予想されたことだった。

ソ連は終戦直前に参戦することで日本を降伏に追い込み、戦争を終結させた功労者として戦後の大きな分け前にありつこうとしたのだ。

日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受諾したが、スターリンは樺太、満州への侵攻をゆるめず、ポツダム宣言受諾後に千島、北海道侵攻を命令した。

スターリンの望みは、千島列島の領有とソ連も加わっての日本分割統治だったが、これはアメリカが阻止した。


3.日本政府内の和平派と継戦派の争い

第3のストーリーは日本政府内での和平派と継戦派の争いだ。

この本では、和平派と継戦派の争点は「国体の護持」だったという見解を出しているが、連合国側から国体護持の確約がなかったことが降伏を遅らせた。

アメリカ政府では元駐日大使のグルーなどの知日派が中心となって、立憲君主制を維持するという条件を認めて、早く戦争を終わらせようという動きがあったが、ルーズベルトに代わりトルーマンが大統領となってからは、グルーはトルーマンの信頼を勝ちとれなかった。

開戦直後から日本の暗号はアメリカ軍の海軍諜報局が開発したパープル暗号解読器によって解読されていた。この解読情報は「マジック」と呼ばれ、限定された関係者のみに配布されていた。

ところでパープル解読器のWikipediaの記事は、すごい詳細な内容で、暗号に関するプロが書いた記事だと思われる。是非見ていただきたい。

日本の外務省と在外公館との通信はすべて傍受されて、日本の動きは一挙手一投足までアメリカにつつ抜けだった。

広島に8月6日、長崎に8月9日に原爆が投下された。ソ連は8月8日に日ソ中立条約の破棄を通告し、8月9日には大軍が満州に攻め込んだ。関東軍はもはや抵抗する能力を失っていた。

こうして8月14日御前会議で、ポツダム宣言受諾の聖断が下りた。

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出典:Wikipedia

最後まで戦うべきだと主張する阿南惟幾(これちか)陸軍大臣を中心とする陸軍の抵抗を、原爆やソ連参戦という事態が起きたこともあり高木惣吉ら海軍中心の和平派が押し切った。

天皇の玉音放送が流れた8月15日に阿南陸相は自刃し、象徴的な幕切れとなった。

ちなみにWikipediaの玉音放送の記事の中で、玉音放送自体の音声も公開されているので、興味がある人は聞いてほしい。

8月15日には天皇の声を録音した玉音盤を奪おうと陸軍のクーデターが起こるが、玉音盤は確保され、放送は予定通り流された。

しかし千島列島では戦争は続いた。最も有名なのは、カムチャッカ半島に一番近い占守島の激戦で、8月21日になって休戦が成立した。

スターリンはマッカーサーと並ぶ連合国最高司令官にソ連人を送り込もうとしたが、これはアメリカに拒否され、結局北海道の領有はできなかった。


歴史にIFはないというが…

長谷川さんはいくつかのIFを仮説として検証している。

1.もしトルーマンが日本に立憲君主制を認める条項を承認したならば?

2.もしトルーマンが、立憲君主制を約束しないポツダム宣言に、スターリンの署名を求めたならば?

3.もしトルーマンがスターリンの署名を求め、ポツダム宣言に立憲君主制を約束していたならば?

4.もしバーンズ回答が日本の立憲君主制を認めるとする明確な項目を含んでいたら?

5.原爆が投下されず、またソ連が参戦しなかったならば、日本はオリンピック作戦が開始される予定になっていた11月1日までに降伏したであろうか?

6.日本は原爆の投下がなく、ソ連の参戦のみで、11月1日までに降伏したであろうか?

7.原爆の投下のみで、ソ連の参戦がなくても、日本は11月1日までに降伏したであろうか?


歴史にIFはないというが、それぞれの仮説が長谷川さんにより検証されていて面白い。


日、米、ソの3カ国の一級の資料を集めて書き上げた力作だ。500ページ余りと長いがダイナミックにストーリーが展開するので楽しめるおすすめの終戦史である。



参考になれば次クリックお願いします。


Mrs Ferguson's Tea-Set 関榮次さんの英語作品 ストーリー構成が秀逸

今回は関榮次さんの英語の本のあらすじだ。

2007年5月に関さんにご招待頂き、外国人記者クラブでのこの本についての夕食会Book Breakに参加した。

最初に20分ほど関さんが、流ちょうでわかりやすい英語で、8年間にわたる取材の裏話を披露された。"Automedon"から政府の秘密文書がドイツ側に漏洩したことは、英国政府としてもふせておきたい事実だったので、当時の資料はほとんどなかったこと。

種々資料を探していて、英国の国立公文書館(National Archives)でやっと2つのファイルを探し当て、そのうちの一つはMrs. Fergusonが捕虜送還で英国に戻ったときの諸費用のファイルだったこと。捕虜釈放で帰国できた英国人はその送還費用を国に支払うのだ。

やっとMrs. Fergusonの旧住所がわかり、ロンドンから100キロほど離れたSt. Albansを訪問したが、その家には赤の他人が住んでおり、困り果てたこと。St. Albans Advertiserという地方紙に手紙を書いたら、その手紙を新聞に載せてくれて、Mrs. Fergusonの末妹のMrs. Madge Christmasから連絡を貰えたこと。

3人の"Automedon"の生存者から話を聞け、攻撃や沈没のありさまがよくわかったこと。ドイツでも資料収集したが、あまり協力は得られず、攻撃側の"Atlantis"Rogge船長の情報は、ほとんど入手できなかったこと。

英国では政府の要職についていた人などが亡くなると、公文書館が資料を貰い受けるというシステムがあるそうで、これが歴史的に重要な資料の散逸を防ぐ優れたもので、日本でも考えるべきだと語っていた。その通りだと思う。

また英国の船員、漁民、灯台守の戦死者は、すべて巨大な記念碑に刻銘され、その貢献がいつまでも覚えられているのに対し、日本の船員などの戦死者には横浜に小さな慰霊の石があるのみで、船員戦死者に対する畏敬の念の表し方は日英で大きな差があると。

次に会場からの質問のセッションになり、いくつかの質問が寄せられた。

そのうちの一つはトリビア的な質問だが、Mrs. Ferguson's Tea-setはどこのメーカーのものかというものだった。これは本にも載っていたが、Taylor & Kentが正解。

筆者も質問を考えていたが、質問のタイミングを失してしまって、場を盛り上げることができず、お役に立てず申し訳なかった。

筆者が用意していた質問は、この本のタイトルは非常にintriguing(興味をそそる)なもので、読者がその意味を知ると、本の大筋がわかるというeleborated(緻密に考えられた)なものだが、どうやってこのタイトルを決めたのかというものだ。

またの機会にこれは取っておこう。ちなみに今のところ日本語訳は、出版予定がないと。

大変良くできた作品なので、是非日本語訳を出版してほしいものである。

Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940
著者:Eiji Seki
販売元:Global Oriental
発売日:2007-02-28
クチコミを見る


以前ご紹介した「日英同盟」の著者、関榮次さんから最近作を頂いたので、早速読んでみた。

新著は英文で出版された。格調高い英文で、文脈に非常に適切な単語が使われているというのがよくわかる。いずれ日本語版も出版されるだろう。

筆者は最近は主にオーディオブックで英語の本を読んでいる(聞いている)ので、ひさしぶりに英語の本を読んだが、あらためてWikipediaの威力を思い知った。

たとえば本文の中で出てくる"salvo"という言葉だ。普通の英語辞書では、一斉射撃と書いてあるが、wikipedia英語版では軍艦の片側一斉射撃、艦砲射撃を表現する際に、一般的に使われると説明してある

さすがにネット版百科事典だ。コピーペーストで簡単に意味を調べられるし、使われている単語の意味を正確に理解するためには、いまや普通の辞書や電子辞書より、Wikipediaの方が役立つかもしれない。


本書の時代的背景


関さんの前作:「日英同盟」
では第一次世界大戦中に、日英同盟に基づいて日本が地中海に派遣した艦隊の活躍という、知られざる戦時秘話が中心ストーリーとなっていた。

「日英同盟」で取り上げられた日本と英国の絆が、本書の伏線となっている。

第1次世界大戦の時に海軍相/軍需相だったチャーチルは、日本の艦隊の貢献を深く感謝し、日本に親密感を抱いていたので、第2次世界大戦直前の1941年4月に日本との戦争を回避すべく、当時の重光葵駐英大使に託して訪欧中の松岡外相宛に親書を送った。

しかし松岡は帰国後欧州での歓待の報告に終始し、天皇の不興を買った他は、チャーチルの親書を、近衛首相や天皇に報告したという事実はなく、チャーチルの親書は松岡によって握りつぶされてしまった。

ちなみに立花隆の「滅びゆく国家」の「平成18年は明治139年」という部分で紹介したが、戦前の大日本帝国の領土はWikipediaの次の地図の通りだ。


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この広大な支配地域を持つ世界の一等国の日本が、当時の無能な政府とそれを容認した国民のために、勝てる見込みのない戦争に向かってしまった訳だ。

1940年8月から11月のバトルオブブリテンで、ヒットラーが英国侵攻をあきらめ、ドイツの破竹の勢いは失われていた。

翌1941年6月にドイツは、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するが、米英ソを敵に回してのドイツの両面戦争は明らかにドイツに不利との情報が在外公館から寄せられていたのに、それでも第2次世界大戦に参戦していった日本の政府の動きが、冷静に分析されている。

「Mrs Ferguson's Tea-Set」は、日本が第二次世界大戦に参戦する前に、イギリスの商船を襲ったドイツの偽装軍艦が、英国内閣の秘密情報を入手し、それがドイツから日本にもたらされ、日本の参戦を後押ししたという史実をセンターピースにしている。

全体として一つの大きなストーリーが流れているが、登場人物の話題や時代背景、日本や英国の当時の政府の動きなどが、順を追って、史実に基づいて展開されている。

関さんは英国にも住居を持っておられ、取材のために年に数ヶ月欧州に滞在されていると、お聞きしている。

15ページにわたって紹介されている"Automedon"、"Atlantis"の平時の写真と沈没の断末魔の写真、様々な登場人物の当時の写真と近影、外交文書、捕虜収容所での写真等、読みながら参照でき、非常に興味深い写真ばかりである。

ちなみに、表紙の写真は"Automedon"の沈没時の連続写真である。

また脚注(Notes)、参考文献(Bibliography)、付録(Appendices)だけでも30ページもあり、膨大な資料と調査により生み出された作品であることが良くわかる。

関さんのストーリー構成力には、いつもながら感心しているが、それに加えて元外交官の多彩なコネクションと地道な努力の積み重ねによる膨大な情報に裏打ちされた、秀逸なノンフィクションである。


偽装軍艦"Atlantis"

第二次世界大戦は1939年9月にドイツのポーランド侵略から始まり、翌1940年5月にドイツが英仏と戦争に入って本格化した。

ドイツは英国の補給路を断ち、連合国向けの物資を接収して自分で使うために1940年に大西洋やインド洋に偽装軍艦を派遣していた。

ドイツのU−ボートが連合国の商船や軍艦に大きな脅威となっていたことはよく知られているが、U−ボートは沈めるだけで、偽装軍艦は商船やタンカーを襲って、乗っ取るというのが大きな違いだ。

筆者もこのような偽装軍艦が活躍していたとは全く知らなかった。元外交官の関さんらしい、知る人ぞ知る歴史秘話だと思う。

襲われた商船が救難信号を発すると、近くの連合国側の艦船が救助にくるので、潜水して姿をくらませられる潜水艦に比べて、偽装軍艦は敵の攻撃にさらされる危険性は高い。

それでもこの本で取り上げられている偽装軍艦の一隻の"Atlantis"は、1940年はじめから1941年11月に英国巡洋艦に沈められるまで、22隻の商船やタンカーを拿捕または沈めるという大きな戦果を上げていた。

Wikipedia英語版でも"Atlantis"は詳しく取り上げられており、その意味では偽装軍艦の中でも、優れた戦果を挙げているのだと思う。

関さんの著書もWikipedia英語版に参考文献として挙げられている。


運命の商船"Automedon"

時は1940年11月。ヒットラーが電撃戦でフランスを占領し、英国侵攻をめざして8月からバトルオブブリテンと呼ばれる航空戦が戦われていたが、英国空軍の迎撃で、結局ヒットラーが英国侵攻をあきらめた頃だ。

英国の商船"Automedon"は1940年9月末に英国リバプールから上海向けに出航した。積み荷は、航空機、自動車、機械部品、鉄や銅製品、ウィスキー、食料など一般荷物と郵便で、旅客も乗せていた。

"Automedon"はマレーシアのペナンに到着する1日半前に、偽装軍艦"Atlantis"に襲われた。

事前に"Atlantis"から警告信号が出ていたが、これを無視して"Automedon"が救難信号を発信したので、"Atlantis"は一斉射撃を行い、"Automedon"の船橋にいた館長以下の主要オフィサーは全員戦死した。

旅客の中にシンガポールに駐在する英国船会社の社員Ferguson夫妻が乗っていたが、旅客は無事だった。

ドイツの偽装軍艦"Atlantis"は"Automedon"を沈める前にボートを出し、食料や使える積み荷を移送し、負傷者・乗員・旅客を捕虜として自船に移送したが、最初の探索では"Automedon"の外交文書が保存してある金庫室は見逃していた。

ところがFerguson夫人が、自分のトランクがまだ船に残っているので、取ってきてくれと"Atlantis"のBernhard Rogge船長に頼んだことから、トランクが置かれている金庫室から125袋の秘密文書が見つかり、ドイツ側を喜ばせる結果となった。


奪取された秘密文書

この中に日本の行動を多角的に分析し、日本が軍事行動に出る可能性があるが、攻撃に準備ができていない英連邦の現状に関する8月8日付けの英国首相の報告もあった。

当時日本は1940年9月の三国同盟でドイツと同盟国となっていたものの、中立国として、ドイツにも英国にも等距離を保っていた。ドイツはそんな日本を、ドイツ側に引き寄せるために、この秘密情報をフルに利用した。

"Automedon"が攻撃されたのが1940年11月22日、そして秘密文書は12月12日に駐日ドイツ大使館の駐在海軍武官Wenneker少将より近藤海軍軍令部次長に手渡された。

秘密文書に驚いた近藤信竹次長は、その晩駐在武官を夕食に招待し、情報に感謝するとともに、大英帝国がここまで弱体化していることは、外からはわからないものだと語ったという。

ドイツ側が秘密文書の入手経路を明らかにしなかったことから、帝国海軍は当初秘密文書の真偽を疑っていたが、文書の内容がアジア各地で収集している軍事情報と驚くほど一致することから、情報の真実性を確信するに至った。

これによりそれまで三国同盟はあっても、中立にこだわりドイツ船舶の補給にも、中立国としての対応を守っていた日本が、急速にドイツ寄りに傾き、翌年にはドイツから兵器や技術を購入するためのミッションも派遣している。

結局翌年1941年12月に日本はアメリカに宣戦布告し、これがアメリカの第2次世界大戦への参戦のトリガーとなった。

この本では"Automedon"の乗組員のフランスでの捕虜生活と、脱走してスペイン経由英国に帰還した秘話や、Ferguson夫妻がドイツで過ごした捕虜生活も紹介しており、非常に興味深い。

本のタイトルとなったMrs Ferguson's Tea-setの写真も掲載されている。Mrs Fergusonは亡くなったが、妹の家を訪問した関さんが2003年にそのティーセットを見せられて、数奇な歴史のきっかけとなった遺品を見て複雑な気持ちを抱いたストーリーも紹介されており、感慨深いものがある。

格調高い英文で、綿密な資料と対面調査に基づく様々な逸話も含めてストーリー構成にはさすがと思わせるものがある。

日本語版が待たれる一冊である。

追記:

いままで気になっていたのだが、この本の中で強く記憶に残る統計を追記する。

それは戦時中の商船の被害と、商船員の死亡率についてである。

第2次世界大戦中の連合国と中立国の商船の損失は4,800隻(総トン数21百万トン)で、死亡や行方不明となった船員は37,000人である。

船員の損失率は25%で、これは英国陸軍、海軍、空軍の戦死率より遙かに高い。

日本の場合は、もっと悲惨で、2,500隻(総トン数8百万トン)の商船が沈没し、30,000人の船員が命を失った。

致死率は実に43%であり、日本帝国陸軍の20%、海軍の16%をはるかに超えている。

戦時中の船員は、大変危険な仕事だったのだ。


2007年2月10日追記:

著者の関栄次さんから、英国の元船員から紹介されたという商船中心の船の情報サイトShipsNostalgiaを紹介頂いた。

11,000人程度のメンバーがフォーラムとか掲示板を利用して、船の写真とかコメントを書いている。会員登録もしてみた。

昔乗った船の話や、船愛好家、船員仲間との交流を楽しむサイトだ。

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ここに関さんの本の書評が載っている。


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このサイトは商船に興味のある人しか使わない、非常に限られたメンバーの集まりだが、世界中の船の愛好家が集まっており、ここに情報が掲載されれば、芋づる式に密度の濃い情報が集まる可能性がある。

英語で本を出版することの影響力がよくわかる事例だ。

日本語の本だと影響力はほぼ日本のみだが、英語はインターネットを通して今や世界語と言えるので、英語の情報は世界中に広がり、いろいろな人に読まる。

本当に世界が広がる感じだ。


参考になれば次クリックお願いします。



日英同盟 日本外交の栄光と凋落 日米安保条約を考える上での歴史の教訓

今後数回は外交官出身のノンフィクション作家関榮次さんの作品を紹介する。

筆者が最初に読んだのは「日英同盟」だったが、関さんのストーリー構成力にはうなった。

関さんとは昼食をご一緒したこともあり、著書にサインも頂いた。


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このあらすじブログが縁で、ご紹介した本の著者の方とのおつきあいが出来るようになり、筆者も大変刺激を受けた。

日英同盟―日本外交の栄光と凋落日英同盟―日本外交の栄光と凋落
著者:関 栄次
販売元:学習研究社
発売日:2003-03
おすすめ度:4.0
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筆者は年間200冊以上の本を読んでいるが、たとえプロの作家でも本当に文才がある人は案外少ないと感じている。

今まで頭をガーンとやられる様なカリスマ性があると感じたのは安部譲二と角川春樹であることは以前書いたが、この本の著者の関榮次さんの文才というか、ストーリー構成力には感心した。

日英同盟に基づき日本が第1次世界大戦中に地中海に艦隊を派遣したという、知る人ぞ知る部類の歴史的史実をセンターピースにしていながら、徳川家康に仕えた三浦按針に始まる日本と英国の歴史からはじまり、現在の日米安保体制に対する提言まで、一連の流れでスッとあたまに入る様に構成されている。

また史実についても、この本の帯に「元外交官による10年にも及ぶ資料発掘の成果!」と書いてあるが、それぞれの事件の描写が関係者の回想録や外交文書などの綿密な調査に基づいていることがはっきりわかる深みがあり、興味深く読めた。


著者の関栄次さんは元外交官

以前紹介した日米永久同盟で日英同盟のことが言及されていたので、この本を読んでみたのがきっかけだが、『日米永久同盟』と提言も異なり、出来も全く異なる。

著者の関栄次さんは駐英公使、ハンガリー大使等を歴任した元外交官でノンフィクション作家だ。

日本のシンドラー6,000人のユダヤ難民を救った杉原千畝を取り上げたNHKのその時歴史が動いたでも、ゲスト出演した。

一般的に日英同盟は『日本外交の精髄』と呼ばれて、特に日露戦争の時の英国の協力(戦費調達、ロシアバルチック艦隊補給への嫌がらせや、アルゼンチンがイタリアに注文していた戦艦の日本への転売斡旋等)が、日本の勝因の一つになったとして、高く評価されている。

しかし、それは来るべき日露対決の事を考えて1902年に締結された日英同盟が、2年後の1904年に実際に日露戦争が起こったときに機能したもので、いわば当初の目的通りである。

日英同盟のおかげで日本はロシアに勝利して列強と肩を並べる『一等国』になったとの満足感に浸ったが、それは1923年に米国の圧力で終了するまでの日英同盟の21年の歴史のほんの一部でしかない。

関さんは日英同盟を礼賛する様な動きを諫め、余り知られていない地中海遠征という史実を通して、当時の日英両国の関係を描き、末期の日英同盟を救おうとする一連の動きを取り上げる。


第1次世界大戦まで

1914年に第1次世界大戦が勃発し、日本も参戦しドイツが領有していた青島を攻略、1915年には中国に対して21箇条の要求を出すに至って、日本は日英同盟を悪用しているとの批判が英国内に高まる。

しかし国運を賭してドイツと戦っている英国は、背に腹は替えられず、手を焼いていたドイツ・オーストリア連合軍のUボートの輸送船攻撃に対抗するため、日本に地中海への艦隊派遣を要請。

この時の英国首相はロイド・ジョージ、軍縮相はウィンストン・チャーチルだ。

日本海軍ではちょうど欧州視察から帰国したばかりの秋山真之(さねゆき)少将(司馬遼太郎の『坂の上の雲』の登場人物)が、地中海派遣という機会を生かせば、戦後の我が国の地歩が有利になるとともに、実戦経験は技術向上や兵器の改良にも役立つとして、優秀な若手士官を派遣することを熱心に進言していた。


地中海への艦隊派遣

英国の要請を受け1917年に旗艦を巡洋艦『明石』とする最新鋭の樺型駆逐艦8隻の第2特務艦隊が地中海遠征に派遣され、以後1919年の凱旋帰国まで2年間地中海で連合国の輸送船防衛の任務につくことになった。

日本の特務艦隊はマルタ島に本拠を構え、連合国のなかでも抜群の稼働率で出動し、各国からの信頼を得て、地中海の連合国輸送船護衛に大きな成果を上げた。

唯一の損害らしい損害は、駆逐艦榊がオーストリア・ハンガリー帝国の小型潜水艦の雷撃で、船首に大きな損害を受け、59名が殉職した事件である。

本書はこの事件を中心に、最後はマルタ島にある榊殉職者の慰霊碑を著者が訪れた時の記録で終わっている。

この事件に関しては非常に詳しいウェブサイトを見つけたので、ご興味のある方は参照頂きたい。

オーストリアもハンガリーも現在はいずれも内陸国なので、潜水艦と言われてもピンとこないが、旧ユーゴスラビア、現在のクロアチアは当時オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったので、アドリア海を母港として地中海に出没していた。

日本から派遣された特務艦隊には後に巡洋艦出雲と駆逐艦4隻が増派され、終戦とともに戦利品のUボート数隻を伴って、凱旋帰国した。

戦後ロンドンで大戦勝パレードがあり、各国の軍隊が参加したが、日本は艦隊は既に帰国の途についており、わずかに4名の駐在武官がパレードに参加したにとどまった。

本書の裏表紙にあるこのときの貧相なパレードの写真は、日本の外交センスのなさを示す写真として紹介されている。


近代海戦では対潜水艦対策がカギ

筆者は駆逐艦が英語でDestroyerと呼ばれるのを長らく不思議に思っていたが、今回第1次世界大戦で既にドイツのUボートが活躍していた事を知り、なぜ駆逐艦をDestroyerと呼ぶのか、はじめてわかった。

駆逐艦よりずっと大きい巡洋艦はヨットの様なCruiser、戦艦はもっと簡単にBattle Shipと、どうということがない呼び名がついているが、駆逐艦だけがデストロイヤーというおどろおどろしい名前がついている。

第1次世界大戦の時から潜水艦が海上輸送の大きな脅威で、潜水艦に対抗して商船隊を護衛するには高速でかつ小回りの利く小型艦船が必要だったのだ。

そのため排水量1,000トン前後で最高速度30ノット前後の小型の駆逐艦が大量に建造され、対潜作戦に当たったのだ。

日本から派遣された樺級の駆逐艦も排水量665トンの小型船舶だ。

地中海遠征を通して、日本は神出鬼没の潜水艦に対抗するには多数の駆逐艦など小型船舶と、航空機による護送船団方式しかないことを経験したわけだが、この教訓は生かされず、相変わらず大艦巨砲主義に固執し、それが結局第2次世界大戦の敗北につながった。

現代では駆逐艦の代わりに、航空機と哨戒艇が対潜水艦戦略の中心であることは『そのとき自衛隊は戦えるか』で紹介したが、日本は第2次世界大戦の反省もあってか、哨戒機99機、哨戒ヘリ97機と突出した対潜水艦戦闘能力を持っている。


日英同盟の末路

第1次世界大戦後のパリ講和条約交渉では、エール大学卒の俊英を代表にたてる中国に対し、日本は21箇条の要求の理不尽さを突かれ守勢にまわる。

同盟を結んでいた英国も日本を援護すべく努力はするが、日本を支援することが英国内の世論の賛成を受けられず、限界があった。

日本は地中海派兵を行い、榊の乗組員の犠牲を払ったが、自らの行動に世界から支持を得られず、もはや日英同盟を継続することは不可能であった。

英国は日英同盟を終結する時に、ロイド・ジョージ首相、バルフォア枢密院議長などが、英国の名誉のためにも第1次世界大戦で貢献した日本に対する信義を守らなければならないと呼びかけ、アメリカを説得し、さらにフランスも入れて、1923年の4カ国条約締結に至る。

1923年のワシントン条約で軍備制限が合意され、大正デモクラシーのもと、束の間の平和が訪れるが、日本は軍制度改革や軍備縮小に失敗し、5.15事件、2.26事件等を経て軍部の介入がひどくなり、太平洋戦争に向かっていく経路をたどる。


日米安保体制への教訓

著者の関栄次さんは日英同盟の教訓をもとに日米安保体制について考察している。たぶんこれが最も関さんが伝えたかった点であろう。

日英同盟が双務的な盟約であったのに対して、日米安保条約は対日講和後も米軍基地を維持しようという米国の意図から生まれた片務・従属的な条約である。

たしかに日本の復興・発展に日米安保条約が果たした役割は大きく、それがため日米関係は『最も重要な二国関係』と言われる様になってはいるが、安保条約のために日本の国民の防衛意識が希薄になってしまったと関さんは指摘する。

筆者が昔読んだ小沢一郎の『日本改造計画』(絶版となっていたが復刻される)で、小沢氏は『普通の国』という表現を使っていたが、戦後60年が過ぎ、共産圏対自由主義圏という冷戦構造もなくなり、アジアでは中国、インドのBRICS諸国の台頭が著しい現状では、日米安保条約が現在のままで良いのかどうかを日本国民の間で真剣に議論する時ではないかと筆者も思う。

日本改造計画日本改造計画
著者:小沢 一郎
販売元:講談社
発売日:1993-06
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


関さんは現在の日米安保体制が国家の自主性を損ない、国民の外交感覚を鈍らせる結果となっていることが気がかりだと指摘している。

また沖縄に集中する米軍基地の縮小についても、真剣な対策をおろそかにしてきた歴代政権の責任は重大であると指摘する。

さらに現状のままでは、80年前に日英同盟がワシントンに葬られたように、いつの日か日米安保体制が北京に、あるいはモスクワなどに葬られないという保障はないと警告する。

同盟は、盟邦以外の諸国を疎外し、外交上の選択の幅を狭めることになるので、いわば劇薬のようなものであり、国益を守るため他に十分な手段がない場合の補足的措置であるべきであり、慢性的に常用してよいものでもないと。

共産主義に代わり、国際テロが国際社会への脅威となり、世界情勢が変わり、ピンポイントで攻撃できる巡航ミサイルなど軍事技術も進歩した。

米国自身も国内外の基地展開を縮小している現状で、日米安保がそのまま継続されるべきなのかどうか。

そもそも日本国憲法を改正し、自衛権を明文化すべきではないか。様々な観点での議論が必要だ。

関さんは日本国民が必ずしも納得しない米国の世界戦略に奉仕することを求められることもある現在の安保条約を、国民的論議も十分に尽くさないまま惰性的に継続することは、日米の真の友好を増進し、世界の平和と繁栄に資する道ではないと語る。

米軍基地をグアムに移転するから移転費用の1兆円を日本国民が負担しろというアメリカ政府の提案が明らかになり、日本政府がそれを受け入れようとしている現在、国民の税金を使う前に、普通の国となる議論が再度なされるべきではないかと筆者も感じる。


元外交官のからを破った関さんの提言は斬新で拝聴すべき意見だと思う。読後感さわやかなノンフィクション作品である。


参考になれば次クリックお願いします。




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