時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

スポーツ

創部50周年記念式典を開催しました

私の出身部の創部50周年記念式典を10月10日(土)に東京神田の学士会館で開催しました。

当日はOB・現役・招待者で170名を超える参加者があり、大変盛り上がりました。ちょっとピンボケですが、会場の雰囲気がわかると思います。

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式次第はこのようになっています。

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我が部出身でスロトレで有名な石井教授も挨拶されました。

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当日の様子はTBSの「あさチャン」という番組で10月12日(月)に放送されました。映っているのは、2年連続学生ボディビルチャンピオンで、一時はクイズ番組にも「TAK」という名前で出演していた佐々木卓君です。

TBSあさチャン画面















招待者の皆さんも含めて、出席者全員が楽しめる会になりました。みんなの協力ありがとう!


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不動の魂 ラグビー日本代表五郎丸歩選手の本



ラグビー日本代表フルバックで、2015年ラグビーワールドカップで大活躍した日本代表テストマッチ歴代最多得点記録を持つ五郎丸歩選手の本。

五郎丸選手のキックは日本代表の重要な得点源となっている。五郎丸選手のキックは、ルーティンに特徴がある。



ボールを回してセットし、3歩まっすぐ下がって、2歩左に寄るまではいいとして、手をすり合わせて、右手でボールに当たる感じを出してから、また下がって助走に入るという、見ていて面白いルーティンだ。

五郎丸選手は、福岡県出身、両親がラグビー好きだったので、3人兄弟は全員ラグビースクールに入校。末っ子の五郎丸選手は3歳からラグビーを始めた。お父さんは消防士だった。1歳上の兄の五郎丸亮選手は佐賀工業、関東学院大学を経て、現在はコカコーラウェストでプレーしている。ポジションはフッカーだ。

五郎丸選手は小学校4年から6年までラグビーをやめて、小学校のサッカー部に入った。その後中学でラグビースクールに入る。そして次兄が佐賀工業に入学すると、翌年五郎丸選手も佐賀工業に入り、二人でアパート暮らしをしていた。

五郎丸選手は佐賀工業では高校1年からフルバックとなり、高校2年の時にレギュラーとなった。佐賀工業は九州大会で優勝、国体でも優勝と順調にチーム力をつけていたが、花園では準々決勝で東福岡に12対58と大敗した。

佐賀工業は監督の小城先生の方針もあり、ラグビーの基礎をつくることを目標にしたチームで、それが後々役立ったという。

五郎丸選手は高校2年生の時に、将来の日本代表を育成すると発足したエリートアカデミーの1期生となり、高校3年生の時には、高校日本代表に選ばれてオーストラリアに遠征した。

この本にエリートアカデミー時代に北の海部屋に1日稽古に行った時の写真が載っている。同行したラグビー協会役員の早稲田出身の宿澤さんは平成18年に心筋梗塞で亡くなり慶應出身の上田さんは平成27年7月に難病のアミロイドーシスで亡くなった。その二人が北の海親方と写っている貴重な写真だ。

エリートアカデミー1期生

















出典:本書65ページ

大学進学の時には、兄の五郎丸亮選手が進学した関東学院からも引きがあったが、結局早稲田大学のスポーツ科学部に進学した。早稲田の新人練習はこんなキツい練習があるのか!と思ったそうだ。

五郎丸選手は1年生の春の対抗戦からレギュラーとして出場し、フルバックとしてキッカーを任され、早稲田の得点源となった。

この年の7月に2003年のラグビーワールドカップでイングランドを優勝に導いた世界一のゴールキッカーのジョニー・ウィルキンソンのキック指導を受けた。ウィルキンソンは地味な練習をひたむきにやり続けていた。ゴールネットの同じ柱の同じ高さのところに向けて何本も蹴り続けていたという。



ラグビーの清宮克幸監督の息子さんが高校1年生で、早実の野球部で大活躍していることが話題になっているが、そのお父さんの清宮監督が監督として五郎丸選手のいる早稲田大学のラグビー部を率いていた。

清宮監督は、シークエンス・ラグビーという、チームとしての動きをあらかじめ決め、その順番に従って選手が動き、ボールも予定していたところに運ぶというラグビーをしていた。

タックルした後のボール争奪戦のブレイクダウンで1秒早く起き上がっていれば、次のブレイクダウンにも早く到着できて、ボールを奪われることがなかったのではないかという清宮監督のミーティングには衝撃を受けたという。

五郎丸選手は19歳で日本代表としてデビューした。大学2年生のシーズンでは大学選手権で関東学院を破って優勝、日本選手権ではトヨタを破って、18年ぶりに学生チームが社会人チームに勝利したが、次の東芝府中には0対43の完敗だった。

この試合を最後に清宮監督は退任し、次は中竹竜二監督が引き継いだ。大学3年の時は大学日本一の座を関東学院に奪われた。

早稲田のラグビー部は大学日本一になれないと、「荒ぶる」(あらぶる)という部歌を歌って、卒業する4年生を送り出せないという。



4年生の時は、バイスキャプテンとなり、大学選手権で優勝したが、このときは関東学院大学は部員の不祥事で出場を辞退し、決勝は慶應大学に26対6で完勝した。しかし関東と対戦することを目標にしてきた部員のモチベーションは上がらず、東芝府中に24対47で敗れた。

五郎丸選手は2008年に早稲田大学を卒業し、ヤマハ発動機ジュビロにプロ選手として入団した。しかし、モチベーションは上がらず、ラフプレーで6週間の出場停止処分を受ける。典型的な「ワセダ病」、つまり燃え尽き症候群に罹っていたという。

その後、JKことジョン・カーワン率いる日本代表に招集されるが、合宿最初のメニューで手抜きプレーをジョン・カーワンに見とがめられ、いきなり「帰れ!」と激怒された。

JK時代の日本代表ではあまり活躍できなかったが、JKとの1:1のミーティングで、JKから「過去」、「現在」、「未来」のボードを見せられ、「未来」を変えるには、「現在」のことを100%やることだと教えられたという。

2009年にはトップリーグでヤマハ発動機は前半戦5位まで順位を上げていたが、リーマンショックの影響で経営が悪化していた会社がラグビー部の活動を縮小し、プロ契約をやめ、社員契約の選手のみとすると発表した。

しかし、結果的にはプロ契約選手は社員契約選手として残り、社員契約選手はごっそり退社するという予想外の結果となった。

2010年のシーズンは、ヤマハは当初は連勝したが、部員数が36名と、他のチームの45名前後に比べて、層の薄さが目立ち、だんだんに自力の差が出てきて、トップリーグ11位となり入れ替え戦に回った。

五郎丸選手は広報宣伝部に配属され、社員として働くようになった。

ドン底だった2010年のシーズンが終わり、2011年のシーズンにはそれまでサントリーを率いてきた清宮監督がヤマハの監督として就任した。ヤマハの柳社長は、プロの監督を迎えてチーム再生を託したいと語り、清宮監督はいきなり「日本一を目指します」と目標を語った。

清宮監督は、毎朝一時間のレスリングトレーニングを取り入れ、妻帯者も寮で朝食と夕食を食べられるようにして、食事環境を改善した。これで選手の体格も格段に変化したという。

2011年12月には、このブログでも紹介しているエディー・ジョーンズが日本代表監督に就任し、五郎丸選手も代表に復帰した。エディー・ジャパンの最初の目標は「世界のトップテンに入ること」だったという。



「世界一フィットネスの高いチームになる。これまでのワールドカップで、日本は過去20年間勝てていないが、60分間は勝っていたゲームがある。残り20分間、ジャパンが運動量とペースを上げていれば勝てたのだ。だからフィットネスを上げる。練習の強度を上げる。そのために日本で最高のストレングス&コンディショニングコーチ2名を招いた。この2人のアドバイスのもとでハードワークすることで、今までとは違う次元のフィジカルストレングスを身につけられるはずだ。」と。

世界で一番フィットネスが高く、世界で一番優れたアタックをするチームになるのだと。

これを聞いて五郎丸選手は、「行ける」と思ったという。

エディー・ジャパンはカザフスタン、UAEのアジアチームのみならず、ヨーロッパのグルジア、ルーマニアにも勝利し、五郎丸選手はバイスキャプテンとしてチームに貢献した。

藤田慶和選手が史上最年少キャップ記録で代表デビューしてトライを重ねた。



2013年には筑波大学2年の福岡堅樹選手が代表入りしてトライを重ねた。頼もしいバックスがでてきたものだ。



世界一のフィットネスを目指すエディー・ジャパンで、五郎丸選手は体重が93キロから100キロ超に増えた。

エディー・ジャパンは2013年6月には来日していたウェールズを23対8で破り、IRB創設8カ国相手のテストマッチで、実に40年ぶり、最初の勝利だった。



本当に日本代表は強くなったと思う。今年9月から英国で開催されるラグビーワールドカップが楽しみだ。



ちなみに、この解説に出ている濱田岳は、AUのコマーシャルに金太郎役で出演している。



この本の最後に、NHKの番組でも紹介されていた五郎丸選手のキックのルーティンが紹介されている。

現在、五郎丸選手は29歳、バックスとしては、そろそろピークを過ぎてくる年代だと思うが、フィジカルの強さと正確なキックは日本代表の強力な武器となっている。

あの特徴あるキックのルーティンは見ていて楽しい。これからも引き続きトッププレーヤーとして活躍してもらいたいものである。


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ライザップでなくても8キロ減量! バナナダイエット成功!

一生太らない体のつくり方
石井 直方
エクスナレッジ
2008-01-17


パワーリフティングやラグビーをやっていた昔ならともかく、60歳を超えて88キロもあるのは重すぎということで、今年4月から本気で減量に取り組んだ結果、とりあえず8キロ減に成功!久しぶりに体重が80キロを下回った。

これがダイエット食だ。

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昼は会社の食堂で、ざるそばや、時間がなければコンビニで買ったサンドイッチ。

家で食べるときは毎食バナナ+豆乳+プロテインのバナナシェイク1杯と、スモークチキン(朝1本、夜2本、ファミマで売っている)とバナナ1本。つまり毎食バナナ2本食べていた。




このマイボトルブレンダーがスグレモノだ。簡単にシェイクができ、ボトルからそのまま飲めて、洗うのもカンタン。プロテインも完璧に溶ける。




甘熟王のシェイクはうまい!シェイクにすると甘熟王の甘さがわかる。

フィリピン産 甘熟王バナナ(かんじゅくおうばなな) 6.5kg 9パック入り(4〜5房/1パック)ワンランク上 甘い バナナを毎日食べて毎日元気モリモリ♪【高地栽培バナナ】05P01Mar15
フィリピン産 甘熟王バナナ(かんじゅくおうばなな) 6.5kg 9パック入り(4〜5房/1パック)ワンランク上 甘い バナナを毎日食べて毎日元気モリモリ♪【高地栽培バナナ】05P01Mar15

バナナの甘味で、豆乳のちょっと青臭いような味も消え、調整豆乳(やはり紀文のものが一番いい)との相性も抜群。







ビタミン+ミネラルはサプリ。飲み物はBCAA 4000MGのアミノバリュー。




バナナのカロリーは低いが、栄養バランスはよく、食物繊維も含んでいる。ノンあるいはローカーボダイエットではないので、体調も良好。プロテインも十分摂っているので、トレーニングしてパワーもそこそこ維持できる(バナナ・シェイク1杯で、プロテインが30グラム摂れる)。

ライザップに行かなくても減量はできる!妻の協力も大きかった。



是非、甘熟王バナナのプロテイン・シェイク・ダイエットを試してほしい。


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深読みサッカー論 ブラジルワールドカップ前の対談

深読みサッカー論 (日経プレミアシリーズ)
山本 昌邦
日本経済新聞出版社
2014-04-09


ブラジルワールドカップ直前に出された元オリンピック代表監督の山本昌邦さんと日経新聞編集委員の武智幸徳さんの対談。

実は日経新聞の企画で、この二人がブラジルワールドカップ直後に町田で対談したので、その対談を聞いてから、この本を読んでみた。

筆者は湘南高校でサッカーをやっていたので、興味深く読めた(ボールセンスがないので、サッカーは2年であきらめ、3年生からは受験勉強に専念したが)。

日本人初のブンデスリーガーとして活躍した奥寺康彦さんは、筆者が湘南高校1年の時の相模工業大学付属高校(今の湘南工科大学付属高校)3年生で、湘南高校サッカー部は関東大会県予選決勝まで行って、奥寺さんを擁する相工大付属に3:1で負けた。

奥寺さんはその後、古河電工を経て、ドイツのIFCケルン、ヘルタベルリン、ヴェルダー・ブレーメンと合計10年間ドイツで活躍した。

山本昌邦さんは、年次で言うと筆者の4年後輩だが、同じ年代なので、対談もこの本も楽しめた。

ブラジルワールドカップではドイツが優勝した。



2014年4月に出たこの本では、決勝戦ではブラジルとアルゼンチンの南米対決を、その可能性は高いとして予想していながらも、ドイツをヨーロッパ勢の中では最も期待できると評価している。

一人一人がメンタル的にも強く、タフな環境にも強い。流れを変えられる選手が何人もいるし、何よりもチームが成熟しているから隙がないし、交代のカードがことごとくいい仕事をしていると山本さんは評している。

「ここというときの75分から90分が非常に強い。おそらく決勝トーナメントに進んで延長戦になったら、ますます力を発揮すると思います。

勝負所で強いというのは、交代のカードで入ってきた選手が、みんなものすごく仕事をするからなんですね。疲れた相手の弱いところをどんどん突くし、自分たちがちょっと苦しくなったときに、疲れた仲間をしっかりカバーできる。そういう力があります。」

まさに山本さんの予言的中だ。

参考になったのは、チェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督の話だ。

もともとボビー・ロブソン監督の通訳としてポルトガルのスポルティング・リスボン、ポルトで働いていたが、監督として大成し、いまはチェルシーの監督だ。

モウリーニョは試合の展開を読み切って作戦を立てるという。

ある想定練習をしていると、それに異論を唱えたプレーヤーに「いや、俺たちがリードしていると、あの選手はこの時間帯に必ずピッチに送り込まれてくる。これは、俺たちが勝っている状況での、残りの15分のシナリオなんだ」と説明するのだと。

それで翌日の試合ではモウリーニョが言った通りに、その選手が想定したとおりのポジションで出てくる。

それでモウリーニョの選手たちは、「おおっー」、「うちのボスは何でもお見通しだ!」となる。

中田英寿も、個別の局面についての視点が優れているという。

山本さんは、海外のメディアの試合前の監督インタビューでの、援護射撃について語っている。

海外メディアは、自国の選手を持ち上げて、強い印象を相手チームに植付けようと、「あの選手はヘディングが強いが、どう守るつもりだ」みたいに、監督に単刀直入に聞いて、自国チームの援護射撃をするのだと。

日本のメディアにも、チームと一緒に戦って欲しいと注文を付けている。

日本には高校サッカー、大学サッカーという学生を育てるという意味では、世界でもダントツのクオリティの育成の仕組みと組織があると、山本さんは語る。

トルシエもジーコもオシムも全国高校サッカー選手権を見て、驚いていたという。

あとがきで、武智さんは山本さんの懸念を紹介している。

「強気な山本氏が不安視する数少ない要素に「監督力」がある。山本氏の目には、日本代表を率いるアルベルト・ザッケローニ監督のチーム運営はどちらかというと「信頼」をベースにしたクラブの監督っぽく映るようだ。

プロ野球の日本シリーズで勝てる監督は、1、2戦までに使える選手と使えない選手の峻別をやってのけるというが、短期決戦のワールドカップも時に監督には果断が求められる。

サッケローニ監督は「勝負師」になれるかどうか。そこは私も注目したいところである。」

まさにこの不安が的中した。試合中のメンバー交代やポジションチェンジのちぐはぐな指令。だから負けたというわけではないが、結局交代のカードを切って試合の流れを変えるとか、最後の15分に集中するとかいった戦いかたができなかったことは事実だ。

予定通り後半30分だけにドログバを投入して、日本を逆転したコートジボアールの戦いかたは見事だった。(YouTubeには日本語解説のものは見つからないので、解説はロシア語か東欧系の言葉ではないかと思う。たぶん著作権の関係だろう)



ギリシャ戦では一人少ない相手に対して、攻めあぐねた。



コロンビア戦では、守りの弱さを修正できなかった。



町田での講演では、山本さんはブラジルの試合会場のコンディション(たとえばレシフェは気温30度以上で、雨が多く、湿度80%!)にもふれており、スペインなども含め、涼しいところでキャンプしていた国は大体敗退したと言っていた。

またサブ組は、ワールドカップ期間中、トレーニングマッチの準備がなく、準備不十分だったと。

コートジボアールとの試合でも、日本選手で試合中に10キロ以上走った選手は5人しかいなかった。タックル成功率も60:40で負けていた。メンタル面も含め、コンディショニングに失敗したのだ。

Jリーグで優勝したサンフレッチェ広島のように、球際に強く、シュートブロックやタックル成功率が高いチームが勝ち残った。特にアルゼンチンのマスチェラーノのタックル成功率は驚異的だったと語っていた。


悪い予感が当たったという結果となった日本のワールドカップでの戦いだった。

ワールドカップが終わったあとで、いまさら読もうという気にならないかもしれないが、読んでみれば楽しく読めて参考になる本である。


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Jリーグ再建計画 新旧チェアマンによる継続的改善



2014年1月末にJリーグチェアマンを退任した大東さんと、後任チェアマンの村井さんの本。サッカーライターの秋元大輔さんが構成(ライティング)している。

大東さんがJリーグチェアマンを務めた3年間で、クラブライセンス制の構築、J1昇格プレーオフ導入、ポストシーズン制、J3創設など、様々な改革が推進され、大東さんは2014年シーズンが始まる前にリクルート出身の村井満氏にチェアマンを引き継いだ。まさに継続的改善だ。

大東さんは筆者の会社のラグビー部のチームメートで、一緒にスクラムを組んだ。今でも年に1〜2回は当時のメンバーで集まっている。

4月の大東さんのチェアマン退任慰労会で、大東さんがJリーグの広告代理店を変えたという話をされていたので、筆者は単純に電通の方がスポーツには強いのだなと勘違いしていた(筆者は博報堂との合弁会社に4年半出向していたので、広告業界はある程度知見がある)。

しかし、この本を読むと、電通が博報堂より強いとかいったレベルの問題ではなく、電通と博報堂の力をもってしても、スポンサーが集まらない今のJリーグの窮状がよくわかる。

Jリーグの現状

そもそもJリーグが赤字になりそうなことは、この本を読んで初めて知った。

Jリーグは2015年からのポストシーズン制導入を決定した。2014年のJリーグ収入が最大13億円減収になるという予想が出たことがきっかけとなった。

13億円減収となると、クラブへの分配金を減らさなければならないが、経営体質の弱いクラブにダメージを与える恐れがある。

年間1ステージのホーム&アウェイ方式が理想だが、ポストシーズン制を導入すれば増収につながるという見込みが立ったので、やむなくポストシーズン制を導入したというのが今回の制度改定の背景だ。

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出典:Jリーグプレスリリース


Jリーグの収益構造

Jリーグの収入は、大体年間120億円で、放映権料(毎年50億円程度)、協賛金(トップパートナー全12枠、約40億円)、入場料30億円という構成だ。

Jリーグのテレビ視聴率と一試合平均の入場者数の推移は次の通りだ。

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出典:本書16ページ

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出典:本書22ページ

視聴率が上がらないとNHK、TBS、スカパーの3社との放映権料交渉も難航する。

協賛金に至っては、Jリーグ発足以来の広告代理店で、ファミリーともいえる博報堂が買い取っていたが、12社のパートナー=広告主を確保できないので、穴埋めのため毎年赤字取引になっていたという。

博報堂が2005年に東証一部に上場されたことから、赤字取引にメスが入り、2011年から電通も加わった。しかし博報堂と電通の力をもってしても、新しいパートナーは日本マクドナルド1社のみに留まっている。

Jリーグチームも赤字のチームがあり、責任企業から補てんを受けられないチームは、時々経営危機が表面化する。

岡田武史元日本代表監督は、今年で22年目を迎えるJリーグについて「最初の10年で選手がプロになり、次の10年で監督がプロになった。最後に残ったのは、経営者のプロ化だ」と語っているそうだ。しかし、言葉では「プロ化」とか言えても、会社経営と同じで、クラブ経営は簡単なものではない。


Jリーグが4大リーグのファーム化?

次の表はJリーグから海外移籍した選手のリストだ。

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出典:本書29ページ

世界のサッカーマーケットは欧州を中心に動いている。実力のある選手はJリーグから4大リーグ(スペイン、イタリア、イギリス、ドイツ)などへ移籍する。4大リーグの放映権料が高騰し、ローカルリーグが4大リーグのファーム化するのは世界で見られる傾向だ。


アジア戦略

アジアでもJリーグチームが勝てなくなっている。

ACL優勝は2007年の浦和レッズ、2008年のガンバ大阪の後は出ていない。最近ではACLで早期敗退するチームが続出している。中国の富裕クラブ(たとえば2013年に柏レイソルに合計8:1で勝った広州恒大は年間予算100億円と言われている)やオイルマネーがバックにあるクラブチームに勝てないのだ。

東南アジア初のJリーガー、ベトナムの英雄レ・コンビンのJ2コンサドーレ札幌加入は、Jリーグの新たな可能性を示した。ベトナムのテレビ局がコンサドーレ札幌の試合を生中継したり、パブリックビューイングも開催された。

レ・コンビンの移籍交渉がまとまらず、在籍はわずか6か月間だったが、アジアにおけるJリーグの認知度を上げ、Jリーグのアジア戦略の重要性を示した効果は大きい。

Jリーグでは、外国人枠3人のほかに、アジア枠が1名あった。2014年からは提携国枠として1名設けて、東南アジア選手の獲得がしやすいように制度変更をしている。


Jリーグチームの活性化策

この本ではJ1チームの活性化策の例として、横浜Fマリノスを紹介している。マリノスは日産を責任企業として持つが、2012年末で16億円の累積赤字を抱えていた。

マリノスの観客数はマリノスのリーグ順位上昇とともに増加し、2012年(4位)から最終節で優勝を逃した2013年には約25%増え、単一試合の62,632人はJリーグ記録を塗り替えた。

マリノスは日産で成功したクロスファンクショナルチームの考え方を導入した。

ホームタウンの横浜市港北地区担当の港北プロジェクトチーム、試合に行ったことのない人をスタジアムに行ってみようという気にさせるプロモーションチーム、試合結果にかかわらず試合に行った人がいい印象を持って帰るようホスピタリティ向上をめざすホスピタリティチームの3つが共同で作業している。

たとえば港北区の25の小学校に毎年トップチームの選手を2名ずつ派遣する活動や、児童全員のマリノスの選手名鑑と試合予定をプリントした下敷きとクリアファイルを配る活動、同じ横浜をベースとする横浜ベイスターズとのタイアップなどの活動を行っている。


J3創設

2014年よりJFLからJリーグ昇格をめざす12チーム(1チームはJ1とJ2のU22選抜)でJ3が誕生した。これでJ1、J2、J3あわせて51チームとなり、36都道府県をカバーすることになった。

J3は小さい予算規模でもまわるように配慮されている。プロ契約選手は3名以上(J2は5名以上)、予算規模は1〜3億円を想定している。

選手としての年俸は無給〜月20万円程度でも、それ以外の仕事をもつことで生計を立てているケースが一般的で、Jリーグ事務局では選手の食と住確保を各J3チームに要望している。

たとえば筆者が住んでいる町田市のチームの町田ゼルビアでは、クラブ社長イーグル建創社長)が建設関係の仕事をしているので、選手を手ごろな物件に安く住まわせ、地元の食堂と提携して1食あたり500円の食費援助を行っているという。

Jリーグでは選手育成のために、全クラブにアカデミー組織の保有を義務付けている。アカデミーからトップチームに昇格できなかった選手の大半は大学に進学し、大学サッカーのレベルアップに貢献している。


2050年までに自国W杯開催・優勝

日本サッカー協会では2050年までに自国でワールドカップを開催し、優勝することを目標に掲げている。Jリーグでは、ACLのタイトルを奪還することが、目標の一つだ。

2013年からJリーグではACLクラブサポートプロジェクトをスタートさせ、日本サッカー協会とともに遠征費や強化費といった費用援助や、日程調整についても協力することを表明している。

過密スケジュールとともに、足枷となっていた「ベストメンバー規定(先発メンバーは直近のリーグ戦5試合の内1試合以上先発出場した選手を6名以上含まなければならない)」も、プロA契約6名以上と緩和された。

選手の平均年俸は現在J1で2,000万円、J2で700万円だ。J2選手の中には年俸300万円程度の選手も多いという。もっと選手の年俸を上げていかないと、将来的にJリーガーを目指す子供が少なくなってしまうかもしれないと両チェアマンは危惧する。


W杯自国開催・優勝というのは、遠い目標だが、それに向けて一歩一歩近づけることはできるはずだ。

筆者は高校2年生まで湘南高校サッカー部に属し(下手なので3年になって辞めた。OB会には属していない)、最初の駐在地アルゼンチンではリーベル・プレートのソシオ(公式サポーター)だった。

プレーヤー歴としては会社に入って始めたラグビーの方が長いが、サッカーに対する愛情も強い。

Jリーグの関心度低下やJリーガーの年棒アップなど、簡単に解決できる問題ではないが、Jリーグの窮状を知り、ファンとして応援することで、Jリーグを盛りたてようという気持ちになった。


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祝!アジアカップ優勝!なでしこ力 佐々木則夫さん監督の本 再掲

2014年5月25日再掲:


なでしこジャパンがベトナムで開催されたアジアカップを制した。

今大会好調な岩清水選手の得点も良かったし、川村選手の守備もよかった。





決勝トーナメントではフォワードの中核の大儀見選手を欠き、決定力不足が心配されたが、1点を守り抜き、チーム力の勝利だった。

筆者もテレビ観戦した。後半は攻め込まれる場面が多かったが、なんとか守り抜いた。新しい選手も出てきており、徐々にではあるが新旧交代も進んでいるという印象を受けた。

佐々木監督の手腕はたいしたものだと思う。なでしこジャパンのアジアカップ優勝を祝して、佐々木則夫監督の「なでしこ力」を再掲する。


2014年3月24日初掲:






会社で佐々木則夫さんの講演を聞いたので、読んでみた。

ちょうどソチ冬季オリンピック開幕前だったので、「今の時期は、なでしこは"ソチのけ"で…」とかいったおやじギャグを飛ばすノリの人だった。

レジリエンス・ジャパン(国土強靭化計画)のポスターでは精悍なイメージがあるが、めちゃくちゃ面白い人だ。

佐々木監督





























出典:国土強靭化HP

講演を聞いただけだったら、「人を楽しますことを常に心がけている気配りの人」という印象で終わっただろうが、本を読んで驚いた。

帝京高校のサッカー部が全国優勝した時のキャプテンなので、都会出身の順調な人生を送ってきた人かとおもったら、大変な苦労人だった。


「観葉植物」

この本で「観葉植物」という一節がある。ここで佐々木さんの生い立ちを書いている。

佐々木さんは山形県尾花沢市出身。関東地方に出稼ぎに出ていた両親と別れて、山形の祖母の家に預けられていた。一人っ子だったので、おばあさんと二人で暮らし、佐々木さんが小学校2年の時におばあさんを看取った。

だんだん衰弱していくおばあさんに気づいて、常におばあさんのことを気遣っていたから、相手を気遣う性格が養われたのだろうと。

おばあさんが亡くなると、両親と一緒にお父さんの土木工事会社の従業員との共同生活を始めた。

土木工事会社なので、作業現場に近いところに住み、現場が変わると、また次の現場の近いところに住むということで、毎年のように転校していたという。転校ばかりしていたので、悪い仲間に誘われ万引きの見張りをやらされそうになったこともあった。

6年生のころは、サッカー仲間が出来た学校から転校するのが嫌になり、2時間かけて通って、友達の家に居候させてもらった時期もあったという。

埼玉県の芝中学時代は足が速く、運動神経抜群だったので、1年生でレギュラーになったが、スキーに行って足を怪我してしまい、その後怪我の連続で、結局公式戦は出場ゼロだった。

中学のサッカー部の先生の口利きで、帝京高校に入り、持ち前の走力を生かして1年生からレギュラーになり、帝京高校サッカー部のキャプテンで高校日本一となり、高校全日本代表チームのキャプテンを歴任した。

明治大学を経て、ノンプロのNTT東日本(現在の大宮アルディージャ)に就職してからも貧乏くらしだった。

今の奥さんと付き合っていて、実家に招いた時に、畳の隙間から雑草が生え出ていたのを、「観葉植物」だと冗談で言った。これで嫌気がさすようであれば、付き合うのをやめようと思っていたという。幸い奥さんは気にせず、結婚して今はお嬢さん一人と犬がいる。

これが「観葉植物」の由来だ。


男子選手と女子選手の違い

佐々木さんはNTT東日本で現役サッカー選手を引退後は、サッカー部の監督もやったが、24年間ずっと平社員だった。NTT東日本時代は、滞納者からの未払い料金回収や、利用者の苦情に対応する電話料金担当や、広報担当などをやっていた。

料金担当は、ユーザーから様々な要望が寄せられるので、臨機応変な対応が求められ、やりがいのある仕事だったという。その経験がコーチ業にも活かされている。

その後、日本女子サッカー代表チームのコーチに就任した時、すぐに足を怪我して、選手の練習に付き添えない状態だった。

この時、冗談まじりで「コーチになったけど、怪我したので、すぐにクビかも」と一人の女子選手に言ったら、チーム全員が佐々木さんを気遣っていたという。

女子選手はみんな相手を気遣う気持ちが強いので、たとえコーチであっても、誰かの不安が伝播して、共有してしまい、チーム全体の士気に影響することを初めて知ったという。

佐々木さんは講演の中で、「必ずやろうと思うこと」の一つに、「トイレ使用後、トイレットペーパーを三角に折ること」を挙げていた。

筆者はトイレットペーパーを三角に折るのは、掃除の人が掃除が終わった印だと思っていた。まさか、男性で三角に折る人がいるとは!初めて知った。佐々木さんの人柄を表しているエピソードだと思う。

この辺が気配りの人・佐々木さんが女子サッカー指導者としてまさにハマるところだろう。


指導者の11の心得

佐々木さんの指導者の11(イレブン)の心得は次の通りだ。

1.責任
2.情熱
3.誠実さ
4.忍耐
5.論理的分析思考
6.適応能力
7.勇気
8.知識
9.謙虚さ
10.パーソナリティ

講演では、ここまでをスライドで示し、そして次のスライドで、11.コミュニケーションと追加した。

まさにコミュニケーションの達人、佐々木さんが最も言いたいところだろう。

しかも、これらの11項目は、足し算ではなく、掛け算で、一つでもゼロがあるとすべてがゼロで、その人に指導者の資格はないと語る。

サッカーはチームとしての「集団的知性」(”多くの個人が協力したり切磋琢磨しあうことにより、その集団自体に知能や精神が存在するかのように見える知性”)が大事で、めざすはソーシャル・フットボールだと講演でも語っていた。

しっかりとした考え方のもとで、チームを育成する様々な気配りの一端が紹介されている。

なでしこらしい選手のイメージは、ひたむき、芯が強い、明るい、礼儀正しい、の4つだ。他国のチームの選手が、試合前に上着を投げ捨ててスタッフに拾わせているのに対し、なでしこジャパンの選手は自分できちんと折りたたんで、並べて置いて、他チームの監督にも感心されたことがあったという.

ちょうどアルガルベカップが開幕したところで、なでしこジャパンは世界最強の米国と引き分けた。 ぜひ優勝めざして頑張ってほしい。



なでしこジャパンを率いるのに最適の人。それが佐々木監督だと思う。これからも、なでしこジャパンを応援したくなる本である。


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世界一受けたい授業の常連 東大石井教授のミスター日本優勝ビデオ

日本テレビの「世界一受けたい授業」の常連でこのブログで大ベストセラーとなった「スロトレ」や「筋肉まるわかり大辞典」などの著作を紹介している東大の石井教授は、1981年と1983年の2回ミスター日本になっている。

スロトレ
石井 直方
高橋書店
2004-06-18


石井直方の筋肉まるわかり大事典
石井 直方
ベースボール・マガジン社
2008-11-22



最初にミスター日本になった時のコンテストの模様がYouTubeに公開されているので紹介しておく。



そうそうたるボディビルダーに続き、17:40頃から20:30頃まで石井教授が登場する。石井教授の後は、ゲストポーザーの杉田さんと須藤さんで、最後に表彰式の場面が収録されている。

石井教授の前が白田さんといって、石井教授より1年年上、学生ボディビル出身のライバルだ。

ボディビルは、バルク(筋肉の量)と、ディフィニション(キレ)の両方で審査する。

いずれのボディビルダーも鍛え抜いているが、そのなかで優勝するほどのボディビルダー現役時代の石井教授のすごさがわかると思う。


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世界で勝たなければ意味がない 36歳の日本ラグビー代表GMの決意

世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)
著者:岩渕 健輔
NHK出版(2012-11-07)
販売元:Amazon.co.jp

最近出版されたラグビー日本代表GMの岩渕さんの本を読んでみた。岩渕さんは現役時代「天才スタンドオフ」と呼ばれたスター選手で、青山学院2年生の時に全日本入りし、ケンブリッジ大学に留学して卒業後、イギリスとフランスのプロチームでもプレイした経験がある。

アマゾンの表紙写真だと味気ないが、書店で売っている本には次のような帯がついている。

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筆者も昔会社のチームでラグビーをやっていた。昨年のワールドカップを除いて、最近はラグビーの試合を見ることも少なくなっていたので、この本は現在のラグビー日本代表がどういう立場にいるかわかって参考になった。

最近のラグビー界の世界ランキングは次の通りで、日本は16位にいる。地図は世界の主なプロリーグだ。

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出典:本書 25ページ

トップは「ハカ」と呼ばれるアボリジニのWar cryで有名なニュージーランドのオールブラックスだ。



日本代表の過去7回のワールドカップでの戦績は次の通りだ。

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出典:本書 28ページ

つまり日本代表は1991年の第2回大会でジンバブエに勝って以来、一度も勝ったことがない。2011年の第7回大会では、カナダに勝っていたが、終了直前に追いつかれてドローに終わったことは以前このブログで書いた通りだ


岩渕さんの経歴

岩渕さんは1975年生まれ。ラグビーをやっていたお父さんの影響で、ラグビーに親しみを感じていた。通っていた青山学院初等部にはラグビー部しかなかったので、生徒たちはみんなラグビーをする環境にあったという。

小学校4年生のころ、お父さんに連れられて香港で7人制ラグビーの香港セブンスの大会を見て、自分も将来世界で戦ってみたいと思ったことが、ラグビーを本格的に始めるきっかけとなった。

中学・高校と青山学院大学の付属校でラグビーをして、都大会では國學院久我山とぶつかって2年、3年と連続して優勝はできなかった。

青山学院大学に進学してもラグビーを続けたが、授業の関係で土日しかグラウンドにいけないこともあり、それを補う意味でジムでトレーニングをしたという。大学2年で日本代表に呼ばれ、控えのスタンドオフとしていくつかの試合に出場した。

7人制ラグビーの日本代表にも呼ばれ、1995年の香港セブンスにも出場した。大学卒業時には英国ケンブリッジ大学への留学が決まっていたが、神戸製鋼に短期間入社してから、ケンブリッジに留学した。

ケンブリッジでもラグビー部に所属し、卒業後2000年にサラセンズというプロチームに入団した。ケガの関係で、実質2年半くらいしかプレイできなかったが、Aチームで2試合程度、他はBチームで20試合くらい年間でプレイしていた。Aチームに出られない理由として、実力もさることながら、外国人枠がリザーブを含めて2名のみということで、枠が限られていたこともあるという。

入団当時のサラセンズの監督は、南アフリカ人のフランソワ・ピナールだった。1995年のワールドカップ南アフリカ大会で、南アフリカが優勝した時のキャプテンで、映画「インビクタス」でマット・デイモンが演じている。



フィジカル面での強化のために、ウェイトリフティングのスナッチやクリーン&ジャークをトレーニングに取り入れ、全身のバネを鍛え、瞬発力をつけていたという。

2005年にサラセンズを退団し、フランスのプロチームで1年過ごし、2006年に帰国してトップリーグに次ぐリーグに属するセコムラガッツにコーチ兼選手として加わった。

2007年から7人制日本代表チームのコーチとなり、2008年には香港セブンスに臨んだ。2009年にはセブンスのコーチを務めながら、日本代表ハイパフォーマンスマネージャーとして日本代表チームの強化にもかかわることになる。

そして2012年1月に日本代表GMに就任した。


日本代表GMの役割

GMの役割は、ヘッドコーチやチームマネージャーと連携して、各世代の日本代表の強化計画を打ち出し、それにしたがってプランを実行し、成果を随時チェックしていくことで、日本ラグビー界全体のレベルアップを達成することだ。

日本代表には、年齢制限のない15人制代表チームのほかに、若手育成プロジェクトの「ジュニア・ジャパン」、年齢制限のあるU20、U17(ユース)、U18(高校代表)、7人制日本代表、「セブンズ・アカデミー」、そして女子の15人制と7人制の代表チームがある。

代表チームにはヘッドコーチをはじめとするコーチ、トレーナー、ドクター、チームマネージャーなど11人のスタッフがいる。そのほかの代表チームも5〜8人のスタッフがいるので、全体で50名程度のスタッフがいる。

これらのスタッフの任命、合宿や遠征などの強化スケジュール策定、そして予算決定がGMの仕事だ。


2019年日本ワールドカップまで時間がない

いままで2019年の日本でのラグビーワールドカップ開催まで、だいぶ時間があると思っていたが、この本を読んで、それほど時間の余裕はないことがわかった。

ラグビーのワールドカップはオリンピックとFIFAワールドカップに次ぐ、世界第3位のスポーツイベントだ。2011年のニュージーランドワールドカップは、観客135万人、世界207の国と地域でテレビ放映され、視聴者は述べ39億人というビッグイベントだ。

2015年のイングランドで行われるワールドカップへの日本の出場権はまだ決まっていないし、2019年の自国開催のワールドカップ自体も日本の出場権は決まっていないのだ。

一方、7人制ラグビーが2016年リオ・オリンピックから正式種目になった。リオ・オリンピックの前に、2013年にワールドカップセブンスが開催されるので、男女とも出場すれば、オリンピックの前に人気を盛り上げることができるだろう。


日本代表の強化

代表チームの活動期間は合宿やテストマッチで4−6月と11月の合計100日程度だという。残りの250日を選手にどう過ごしてもらうのかが、日本代表が勝つために最も重要な点であると岩渕さんは語る。

日本の場合は、大学ラグビーの人気が依然として高く、数万人の観客が動員できるが、代表チームのテストマッチでは観客が5,000人ということもある。だから大学ラグビーのトップスターなどは、代表になることにあまりインセンティブがない。

トップリーグでも一時期は、選手を出してケガでもされたら困るということで、代表に選ばれても辞退するということがあったが、岩渕さんはヘッドコーチのエディ・ジョーンズと一緒に各チームとコミュニケーションを取っているので、現在はサポートが得られているという。

サッカーと違い、ラグビーの代表チームでは戦術・技術面のみならず、体力強化のためのフィットネストレーニングも取り入れる必要がある。スクラムの強さや、フィジカルの強さという世界との差を縮める努力が不可欠なのだ。

相手チームも、サモアやトンガ、フィジーなどは、ヨーロッパで活躍している選手もいるので、パシフィック・ネーションズカップなどで対戦する選手と、ワールドカップ本番で当たる選手とは全く異なる陣容となっているという。

ワールドカップ前の試合の戦績は判断材料にならないのだ。

マッチメーキングについても問題がある。ラグビーのテストマッチ(国際試合)はIRB主導で決める試合があり、何年か先まですでに決まっているという。特にトップレベルのニュージーランドやオーストラリアは、すでに2019年の日本ワールドカップまで試合日程は決定済みだ。

かつてのようにオールブラックスが日本に来日するということは、2019年までないことが決定している。

とはいえ、岩渕さんもIRBへの働きかけを通して、2013年にはウェールズ来日、2016−2018年には強豪チームとのテストマッチを組んでいるという。

日本代表が自信を持つために、具体的な目標として2015年のイングランド大会ではトップ10、2019年の日本大会ではトップ8を掲げている。


トップ8入りを目指して

順位を上げるためのターゲットは、現在9〜14位にいるイタリア、スコットランド、トンガ、フィジー、サモアの5か国だ。これらの国とワールドカップの年に必ず開かれるパシフィックネーションズカップやワールドカップ本番で勝つことが、日本の順位アップにつながる。

逆にいうと、テストマッチの予定がすでに組まれているので、これらの国とテストマッチを組むことは難しいのだ。

ランキングが上がれば、上位国と対戦できるが、ランキングが下のままでは、強いチームとは戦えない。だから2015年のワールドカップでトップ10に入ることが、2019年日本大会への準備という意味でも重要なのだ。

その意味では2012年に来日し、また2013年にも来日するフランスの各チーム選抜のフレンチ・バーバリアンズは、各国の代表選手が含まれており、強化試合として重要なのだという。



つい先日2015年のワールドカップの組み合わせが発表されたところだ。これによると、アジア一位になれば、南アフリカ、サモア 、スコットランド、米州2位のプールBに入れるが、もしアジア一位になれず、 敗者復活戦勝者で参加するなると、オーストラリア、イングランド、ウェールズ、オセアニア一位との死のAプールとなる。

2019年日本ワールドカップ開催までの準備期間は始まっている。まずは2015年イングランドワールドカップ、2016年のリオ・オリンピックでの7人制ラグビーにあわせて盛り上げることが必要だ。


日本代表ヘッドコーチのエディ・ジョーンズの戦略

日本代表ヘッド・コーチのエディー・ジョーンズについて書いた「エディー・ジョーンズの監督学」のあらすじは別ブログで紹介した

エディー・ジョーンズの監督学 日本ラグビー再建を託される理由エディー・ジョーンズの監督学 日本ラグビー再建を託される理由
著者:大友 信彦
東邦出版(2012-08-23)
販売元:Amazon.co.jp

エディ・ジョーンズは、南アフリカ代表の副コーチや、オーストラリア代表のワラビーズのヘッドコーチもつとめた経験豊富な指導者で、お母さんが日系人で日系のハーフだ。

岩渕さんもエディ・ジョーンズの「日本ラグビーは世界一のアタッキング・ラグビーを目指す」という方針を支持している。

フィジカルで劣っている人間が勝とうと思えば、1対1になる局面を増やすしかない。相手がラインで待ち構えているところに突っ込んで行っては、すぐに1対2以上となり負けてしまう。そこで、フィットネスを使って、早くポジショニングして、相手よりもいい状況をつくって、個々の状況判断で、1対1の局面をいかに有利に進めるかが課題となるのだ。

エディ・ジョーンズは2012年6月のフレンチ・バーバリアンズとの試合で若手中心の日本代表が負けたときに、すごい剣幕で怒ったという。フランス代表ですらないプロリーグ選抜チームに日本代表が負けることは、我慢ならないことだったという。

勝つメンタリティを持たず、「そこそこやれたな」ではダメなのだ。次のワールドカップまでにメンタルな部分をどう変えていくかが日本代表の大きな課題なのだ。


岩渕さんだけの力では限界が当然ある。ラグビー協会関係者やラグビー経験者も含めて、みんなが日本でのラグビーワールドカップ開催の成功を目指して、まずは直近のゲームから応援しよう!


参考になれば次クリック願う。




エースの資格 江夏の何気ない一言が落合を三冠王にした

エースの資格 (PHP新書)エースの資格 (PHP新書)
著者:江夏 豊
PHP研究所(2012-02-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

江夏のピッチャー論。

以前別ブログで紹介した「江夏の超野球学」でも、いいピッチャーの条件はバッターの観察力だと語っていたが、この本でも江夏は持論を展開している。

江夏豊の超野球学―エースになるための条件江夏豊の超野球学―エースになるための条件
著者:江夏 豊
ベースボールマガジン社(2004-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

江夏の21球の背景

江夏は自分の投げる瞬間に「しまった」というケースがしばしばあったという。バッターを見た途端、タイミングがどんぴしゃり合ってしまって、「あっ」となる。これはコントロールミスとは違うものだ。

数多く打たれて、「もう打たれたくない」という強い思いから、「タイミングが合ってしまった」と思ったら、球を放す前にパーンと抜いたり、スライダーをかけたりできるようになった。キャッチャーはおろおろして、「何ですか、今のボールは?」と聞いてくるので、「ほっとけ。魔球じゃ」と言ったのだ。

これが伝説の「江夏の21球」が生まれた背景だろう。

「相手バッターを見る」技術を若いピッチャーにも知ってほしいという。


エース談義

澤村や斎藤祐樹、ダルビッシュ、杉内など最近の投手についての評価が面白い。

元巨人軍フロントの清武さんが、澤村と斎藤佑樹を巨人軍のBOS(Baseball Operating System)で比較して、差は歴然としていたと、別ブログで紹介した「巨魁」という本で語っていた

巨魁巨魁
著者:清武 英利
ワック(2012-03-16)
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江夏も澤村を巨人のエース候補に挙げ、斎藤佑樹は「エース候補」とは言い難いとしている。エースはだれでもなれるわけではないのだと。

澤村はストレートは150キロ超と速いが、勝負球はスライダー、フォークだ。

斎藤はバックスイングの小さいフォームで、器用ではあるが、器用という武器が裏目に出ているのではないかと。

日本ハムの投手コーチの吉井理人コーチも、斎藤を育てようとするあまり、口を出しすぎているのではないかと。本当に「いいコーチ」は「みずから教えない」のだと。まさに落合が「コーチング」の中で語っているのと同じことだ。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
ダイヤモンド社(2001-09)
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最近の投手の中では、杉内とダルビッシュを高く評価している。

ダルビッシュはベースカバーをサボらずにやっているという。ダルビッシュの無失点イニングの記録が続いていた時は、ランナー2,3塁でも日本ハムの野手は前進守備をして、一点もやらない姿勢をみせていた。江夏は、ダルビッシュがチームのみんなに愛されていると感じたという。

ダルビッシュと対談した時も、「この男はほんとうに野球が好きなんだな。投げることが好きなんだな」と感じたという。


エースの特権

江夏が阪神に入団した時に、当時の阪神のエースの村山は、わざわざボールの縫い目を高くつくらせていた。それが「エースの特権」なのだと。縫い目が高い方が、指にひっかりやすく、フォークボールも落ちやすいからだ。当時は各球団が自分で自分仕様のボールを買っていたのだ。

それに対して江夏は縫い目が高いボールはマメができて痛くなるから嫌いなので、入団2年目にメーカーに頼んで10ダースほど試合球の縫い目をたたいて低くしてもらった。

村山は激怒したが、江夏は「自分の意志でやってもらっているんです」と答えたという。既に阪神の投手ローテーションは江夏を軸にまわりつつあり、強いことが言えたのだと。


考えて投げるタイプ 考えないタイプ

江夏は考えて投げるタイプだったので、考えないバッターはやりにくいという。その筆頭は長嶋さんだ。また、長嶋さんはずっと江夏のカーブをフォークと勘違いしていた。「いいフォークだねぇ」と言っていたという。江夏もキャッチャーの田淵も長嶋さんがフォークと思い込むのをそのままにしていたという。

ロッテの有藤にも2試合連続でホームランを打たれた後で聞いたら、やはり考えずに来たボールを打つタイプだったという。

ピッチャーで考えないタイプは少ないが、その筆頭が江川だという。

江川は天性だけで投げており、プロに入って最初の5年間は「怪物」だったが、最後の4年間は並のピッチャーとなり、9年で現役を引退した。文字通り持って生まれた素質だけでやっていたピッチャーだという。

清武さんの「巨魁」ではナベツネが江川を巨人の助監督にいれるべく画策して、それが清武以下の事務レベルの反発を招き、「清武の乱」が起きたことが描かれている。

江夏の言葉が本当なら、「考えない江川」をたとえ副監督でも指導者としてチームに入れるのは考えものかもしれない。


ピッチャーの筋力は投げてつける

ピッチャーの筋力は投げてつけるもので、トレーニングはあくまで補助的なものだという。これは以前筆者がトレーニングの権威、石井東大教授から聞いたことと一致する。

だから、外国人監督の100球制限をキャンプに持ち込むのは日本の事情に合わないと指摘する。キャンプでは投げて体をつくるのだと。


自分で自分をだます

松阪の故障以来、明暗が分かれている大リーグの松坂大輔と黒田博樹について江夏は語っている。

松阪は高校時代から非常に器用なピッチャーで、「変化球は遊びのなかで覚えた」というほどだった。江夏は器用なピッチャーは案外好不調の波があり、松坂は器用さがマイナスになっている典型だという。

松阪は30歳を過ぎて体力の限界を感じているところだろうから、右ヒジの手術から復帰したあとの転身を見守りたいと。

黒田は松坂より5歳年上だが、ボールに衰えは感じられない。35歳を過ぎて、本人は衰えを感じているだろうが、練習方法や工夫により、衰えが進む時間を遅らせているのだろうと。

江夏は「自分で自分をだますこともしているでしょう」という言い方をしている。「自分で自分をだます」というのは、たぶん江夏が長年活躍できた秘訣なのだろう。


抑え投手は自分をだませなくてはならない

抑え投手は、たとえブルペンで調子が悪くても、「調子がいいんだ」と自分をだますことが大事なのだ。登板が続くので「自分はマウンドに上がったら常にベストなのだ」と言い聞かせ、少々のことでは動揺しない精神状態をつくっていくものだ。

現役投手には手厳しい。藤川球児は投球術が一切ないのに成功できた珍しい例だと。一方、西武の牧田和久はつねに低めにほうれるので、注目しているという。

通算300セーブの岩瀬は、落合前監督の「作品」だ。全盛期を過ぎていて、スライダーは曲がりが大きすぎて、左バッターは振らない。それでも抑えで使われることのつらさを岩瀬は感じているのだろう。

抑えの岩瀬、荒木・井端の1・2番コンビは、落合の「作品」だから、最後まで落合は面倒をみてきた。その意味で、落合は選手思いの指揮官だったのだ。リードだけでメシが食える谷繁もその意味では落合の「作品」なのだろう。


カーブ談義

カーブ談義も面白い。江夏は高校時代カーブもほうれないでプロに入った。高校の野球部の監督に「カーブを教えてください」とお願いにいったら、「真っすぐでストライクもほうれんのに、なにがカーブじゃ!」と、ぶっ飛ばされたという。

高校2年の時に対戦して驚かされた鈴木啓示でも持ち球はカーブと直球だけだった。今の高校生ピッチャーがスライダーやフォーク、チェンジアップなど、各種の変化球を投げるのとは隔世の感がある。

プロに入っても江夏のカーブはあまり曲がらなかったが、王さんには効果的だったという。王さんは曲がるイメージで打ちに行くのだけど、曲がらないのでタイミングがあわなかったのだ。

江夏は堀内みたいなドロップに近いカーブをほうりたいと、練習したが、どうしても投げられない。そこで恥を忍んで試合前に堀内に聞きに行ったことがある。

そうしたら堀内は、笑いながら手を見せてくれた。堀内は子供のころ機械でケガをして、右手の人差し指が1センチほど短い。だからあの抜けるカーブを投げられるのだとわかって、江夏はあきらめたという。


カモのバッター カモれないバッター

バッターではじっと一球を待つバッターがやりにくいという。

一球一球追いかけてきたバッターを江夏はカモにしていた。1981年に江夏が日本ハムに移った時、落合はその年首位打者にはなったが、何でも追いかけるバッターだったので、江夏はカモにしていた。

ところが、翌1982年に落合は、じっと待つというタイプに変身していた。江夏はこいつ変わったなと思ったそうだが、案の定その年は打ち込まれ、落合ははじめて三冠王になった。

まともなヒットは少ないのだが、落合は思いっきり振ってきたので、当たりそこないでもヒットになった。

じーっと待って狙い球をフルスイング。ピッチャーにとっての絶対的な鉄則である「フルスイングさせてはいけない」を完全に破られたのだ。

これにはオチがある。

1981年のプレーオフの後、江夏は落合と偶然会って、落合が「麻雀がしたい」というので、連れて行った。

落合がリーチをかけてきて、江夏が待ちを指摘すると、「なんで江夏さん、待ちがわかるの?」と聞いてきたので、「そんなもん、野球とおんなじで、おまえの読みなんてすぐわかるわい」、「野球でもじっと待たれるほうがピッチャーは怖いんだぞ」と言ってしまった。

するとそれまでは一球一球追いかけてき落合が、翌年は図々しく待つバッターに変身して三冠王を取ったのだ。

たぶん落合は江夏の何気ない一言を参考にしたのだろう。その意味では、落合にとって「運命の麻雀」だったのではないかと。


江夏の気分転換はマージャン

面白い話を江夏は書いている。

気分転換には酒を飲むのが一番だろうが、江夏はアルコールがダメだという。女性と会って気分転換という人もいるかもしれないが、「女性は一瞬ですからね。そのあと疲れるだけですから、私はそれよりか麻雀」だと。

なるほどと思う。山本モナとスキャンダルを起こして巨人から出された日本ハムの二岡とか、やけどをする選手が多い中で、江夏の達観には感心する。


「バッターの裏をかく」時代は終わった

現代野球はバッターの待っているボールがわかったら、その近辺に投げることが主流になっているという。

以前の野球では、真っすぐを待っているときはカーブ、外角を待っているときは、インコースと「バッターの裏をかく」戦術だったが、現代野球は外を待っていると思ったら、外にほうってバットを振らせて凡打に打ち取る、カーブを待っていれば、鋭いカーブを投げて打ち取るという戦術だ。

だからバットの芯をすこしはずすために多くの球種が必要なのだ。


野村監督の「野球に革命を起こさんか?」発言

阪神から南海に移籍してきた江夏に対して、野村監督がリリーフ専門への転向をもちかけ「野球に革命を起こさんか?」と説得した話は有名だが、江夏は「革命」と言われても、どういう意味なのかわからなかったという。

リリーフ専門を受け入れても、調整方法はわからず、監督は、「好きなようにしろ、自分でつくれ」と言うだけで、江夏は苦しんだという。

野村監督からは「江夏、おまえは毎試合、登板のスタンバイをしておけ。終盤以降、自分たちがリードしているときには、いつでも出られるように。その代わり、ゲームの前半はすきにしてていい。ベンチに入らなくてもいいし、ロッカーで休んでいてもいいから」と言われていたが、このことを他の選手には野村監督は伝えていなかった。

だから事情を知らない選手たちは、「江夏はなにを勝手なことをしているんだ」と反発し、ベテランの広瀬叔功さんからはチームメートの前で、「ナニしとんのや!1回からベンチに入った方がいいぞ」と怒鳴られた。

江夏は悔しい思いをしたが、その場は「わかりました」と引き下がり、あとで広瀬さんには事情を説明したという。

ノムさんは別ブログで紹介した「野村ノート」の中で江夏を三大悪人の一人としているが、江夏は野村監督兼捕手との付き合い方が難しかったことを書いている。

野村ノート (小学館文庫)野村ノート (小学館文庫)
著者:野村 克也
小学館(2009-11-19)
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野村監督は他の選手に説明するなど配慮が利かない人だったと。

この辺がノムさんの限界なのだろう。ノムさんが長嶋さんや、亡くなった仰木さんのような人望がないのは、こういったところなのだと思う。


江夏が育てた選手

東京6大学リーグホームラン記録を持って田淵が阪神に入団してきたとき、キャッチングは落第だった。それでも兼任コーチだった村山さんは、鳴り物入りで入団してきた田淵を試合で使っていくと明言した。

田淵は、江夏の力のあるストレートを捕球する時にミットがわずかに動くので、ストライクのボールもボールと判定されることがあった。江夏は「しっかり捕れよ。球の力に負けるなよ」と、年上の田淵に文句を言った。

田淵は恥ずかしい思いをしながらも、鍛えなおし、後年「ユタカに言われて再度、手首を鍛えなおしたことが、その後のバッティングにプラスになった」と言っていたという。

江夏は日本ハム時代は大宮龍男というキャッチャー、広島時代は大野豊を育てた。江夏の場合は、プライベートのときも行動をともにして、暇があれば野球の話をして鍛え上げたという。


落合もそうだが、江夏も本当に野球が好きなのだと思う。そんな思いが伝わってくる本である。


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プロ野球重大事件 ノムさんの暴露本

プロ野球重大事件    誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)プロ野球重大事件 誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川書店(角川グループパブリッシング)(2012-02-10)
販売元:Amazon.co.jp
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野村克也楽天名誉監督のぶちまけ話。

巨人軍の元GM清武さんが、ナベツネとケンカして辞めて以来、清武さんがメディアに各種情報をリークしていると巨人軍関係者から非難されている。今日も清武さんが巨人軍などに名誉棄損で1千万円の損害賠償訴訟を起こしたと発表している。

清武の乱は、巨人軍のお家騒動ととらえられているが、本質にはプロ野球のあり方についての大きな問題をはらんでいるとノムさんは語る。


オーナーとは何者なのか?

清武の乱、落合の解任、ナベツネが難色を示し、楽天が反対して難産だった横浜DeNAの誕生。これらはすべて「オーナーとは何者なのか?」という問題を提起したのだと。

落合は、就任一年目でリーグ優勝し、8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、一度もAクラスから転落したことがないという実績を上げた。しかし、推定3億7千万円という高い年俸と、好成績ゆえに選手の年俸上昇により球団は黒字になったことがないというお家の事情から、シーズン中に落合の解任は発表された。

優勝でもされたらクビを切りにくくなるからという理由だろう。

後任監督が立浪でなく、70歳の高木守道というのも財政事情のためだということを物語っている。

DeNAベイスターズ誕生の際にも、巨人のナベツネが「モバゲー」を球団名につけることに反対し、楽天の三木谷会長は、DeNAの経営の健全性がないことを理由にTBSによる球団売却に執拗に反対した。

ノムさんは、三木谷さんが反対したのは、2005年にTBS株の買収に失敗したことと、DeNAの創業者との間に個人的にいざこざがあったことが原因になっているらしいと語る。

ちなみにDeNAの中畑監督についてノムさんは、現代野球に不可欠の理論性、緻密さ、データの活用といった要素からは(あくまでイメージだが)最も遠いところにいると評している。

たしかにそうかもしれないが、DeNAは知名度を上げ、マスコミから注目されるために、中畑監督を欲しがっていたのであり、別に成績を上げようなどとは思っていないと思う。

筆者は今年、横浜ファンを引退したから冷静に言えるのだが、その意味では中畑監督は正解だと思う。


野球は文化的公共財

どのオーナーも加藤良三コミッショナーの「野球は文化的公共財である」という重みを全く理解していない。オーナーは監督の最大の敵なのだと。

楽天の三木谷会長や、島田オーナーは、「成績が悪ければ解雇される。成績が向上すれば続投する」という球界の不文律を無視して、楽天監督4年目に2位にまで引き上げたノムさんを解雇した。ノムさんはよっぽど頭にきたようだ。三木谷さんも島田さんも球場に足を運ぶことはほとんどなかったという。

ちなみに三木谷さんもこの本を読んだのかもしれないが、急に楽天のオーナー復帰を発表している

そんなノムさんが絶賛するのが、ソフトバンクの孫さんだ。楽天がクライマックスシリーズに進出したときに、面識もないソフトバンクの孫さんから激励のメッセージをもらったという。

「真の人格者とは、こういうものなのか」と孫オーナーのもとで監督を務めることができた王貞治をうらやましく思ったという。

昨年ソフトバンクが日本一になった時には、ホークスの選手は孫オーナーを胴上げし、孫さんはビールかけにも嬉々として参加した。

ノムさんはヤクルト監督就任の際にも、オーナーのサポートがあったことを語っている。


暴露話あれこれ

杉内が巨人に移籍した原因は、ソフトバンクの編成を取り仕切っている小林至取締役の心無いひと言が原因だったという。「きみがFAになっても、必要とする球団はない」。

小林取締役は東大野球部出身のプロ選手だが、プロでは一軍登板を果たせず、引退後は渡米としてMBAを取り、スポーツビジネスに携わった。その後、ソフトバンクの取締役に就任し、杉内事件の責任を取り、編成部からはずれた。

暴露の第一弾は、長嶋と杉浦に当時の南海球団は、月額2万円の小遣いを卒業まで支給していたことだ。南海には立大の先輩の大沢啓二さんがいて、長嶋と杉浦に「おまえらも南海に来い」、「わかりました」という具合だったという。

大卒の初任給が1万5千円の時代の2万円なので、ちょっとした金だったが、南海は長嶋の契約金からいままで払っていた小遣いを減額すると申し渡して、当時1,800万円という巨額の契約金を提示した巨人に長嶋をさらわれた。

契約金の前渡しとは思っていなかった長嶋はいっぺんで南海に幻滅したらしい。長嶋は大沢さんに土下座して謝ったという。


巨人と試合する時は、敵は10人

「巨人と試合する時は、敵は10人だと思え」といろいろな人に言われたが、1961年の日本シリーズで、セリーグ出身の円城寺審判が、スタンカのストライクをボールと判定、「ふつうならストライクだが、風があったので沈んだ。それでボールだ」と。

これでスタンカは気落ちして、結局南海は日本シリーズで敗退した。ノムさんは「円城寺 あれがボールか 秋の空」という川柳をつくったという。

スタンカは、さよならヒットを浴びたとき、本塁のバックアップに入るとみせかけて、円城寺主審に体当たり、ほかの選手やコーチも暴行を加えたという。

日本初のスコアラーは、鶴岡監督時代の南海の尾張スコアラーだという。元新聞記者の人で、7色の鉛筆をつかって、敵と味方の特徴をメモにしていったという。後に西武の根本さんに乞われて広岡監督のもとでデータ野球に貢献したという。


サッチーの武勇伝

ノムさんが1977年に南海の監督を解任されたのは、女性問題、つまりサッチーのためだという。前妻との離婚調停中に、サッチーと同棲していたことが問題視され、南海のオーナーと後援会長のトップ会談が行われて決まった。

後援会長の比叡山の僧侶からは、トップ会談の前に「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せい」と言われて、「女を取ります」と即答して席を立ったという。

車で待っていたサッチーが話を聞いて、寺に乗り込み、「野村を守るのが後援会長たるあんたの立場でしょ!野球ができなくなるとはどういうことよ!」と坊さんに向かって啖呵をきったら、剣幕におののいた坊さんは受話器を取り上げて「警察を呼ぶぞ」と言ったという。

ノムさんは坊さんに幻滅するとともに、サッチーに「この女はただものではないな」とあらためて思ったのだと。

今はTBSの関口博のサンデーモーニングに出ている張本さんは、今はご意見番みたいにいわれているが、「張本くらいチームを私物化した選手もいないだろう」とこき下ろしている。

ツーアウト・ランナー一塁で、ランナーに「走るな。じっとしとれ」と言って、ランナーを走らさずにヒットが出やすくさせたという。バッティングにしか興味がなく、肩も弱く、フライは追いかけるふりをするけど、本気で球を追うことはしないというありさまだったと。

そのほか、球界のケチの話。長嶋一茂、息子カツノリの話なども面白い。この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして、目次を見て、どんな内容なのかチェックしてほしい。

ノムさんは、もう監督はやらないつもりのようだ。他人の迷惑も考えず、言いたい放題だ。読者としては楽しめる本である。


参考になれば次クリックお願いします。




巨魁 元巨人軍GM清武さんの球団経営の実態 ナベツネ糾弾はごく一部

巨魁巨魁
著者:清武 英利
ワック(2012-03-16)
販売元:Amazon.co.jp
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読売新聞主筆兼巨人軍会長として86歳になった今も君臨するナベツネに対して、現場のコーチ人事に口をだすのは「コンプライアンス違反」と突然批判を始め、当然の帰結として2011年11月に巨人軍をクビになった元巨人軍GM清武英利さんの本。ちなみにウィキペディアには清武さんのナベツネ告発というコラムがつくられている

この本を読み終えても「なんで?」という疑問は解消されていない。ナベツネを告発する内容は第8章(最後の独裁者)に集中しており、この本の大半は巨人軍の運営に関するもので、告発本というよりは、球団経営の実情紹介本のような内容だ。

第8章(最後の独裁者)でも、ナベツネの様々な言動や行動が取り上げられているが、ナベツネが悪者であるという決定的な証拠はない。すべてナベツネならありうるだろうなぁ、という想定の範囲内である。

この本を読んで読売新聞社内には歴史的に、ナベツネを筆頭とする政治部と、清武さんが所属していた”正義派”の社会部の社内対立があることを初めて知った。そのあたりが根本原因なのかもしれない。

清武さんは1950年生まれ、立命館大学を卒業後、読売新聞に入社し、社会部の記者として警視庁や国税庁を担当する。中部支社社会部長のあと、編集委員、運動部長を経て、2004年から巨人軍の編成部長に転出し、球団代表、GM・編成部長、オーナー代行などになった後、ナベツネ批判をして解任される。



YouTubeには上記ニュース以外に、清武さんの記者会見の発表全部が6編に分かれて収録されているので、興味がある人は見てほしい。



「コンプライアンス」問題ではない

筆者もそうだが、たぶん多くの人が、「なんで?」と思ったと思う。ナベツネがコーチ人事など巨人軍の運営に介入することなど、いわば日常茶飯事だと思っていたし、別にコンプライアンス違反でもなんでもないと思う。

告発した理由もすでにヘッドコーチに昇格が決まっていた岡崎コーチの代わりに、巨人軍OBの江川氏をヘッドコーチ兼助監督としてナベツネが押し込んできたというもので、たしかに現場の人事に介入するものではあるが、ナベツネは巨人軍取締役会長でもあるので、経営トップが口を出すことは、ままあることだ。

「上司は思いつきでものをいう」という本もあるくらい、上司は思いつきでものを言うものだし、現場はそのことがわかっているので、それなりに根回ししたり、事前に了解を取っておくことは当たり前のビジネス慣行だ。

上司は思いつきでものを言う (集英社新書)上司は思いつきでものを言う (集英社新書)
著者:橋本 治
集英社(2004-04-16)
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清武さんが問題としている「鶴の一声」は、強いて言えば巨人軍会長のナベツネが、巨人軍の経営陣を無視しているというガバナンスの問題ではあるが、別にコンプライアンスやモラルに反しているとかいう問題ではない。「コンプライアンス違反」というのは、新聞記者にはあってはならない言葉の誤用だと思う。

清武さんは元新聞記者なので、文章もうまく、読み物としては面白い。詳しく紹介すると読んだときに興ざめなので、印象に残った部分を箇条書きで紹介しておく。


歴史的な読売新聞社内の社会部と政治部の対立

★社会部記者は政治部記者を記者として認めていなかった。
本田靖春は、著書「我、拗ね者として生涯を閉ず」のなかで、”赤坂の高級料亭で有力政治家にタダ酒を振る舞われ、政局に際しては、その政治家の意向に沿った原稿を書く。取材先でコーヒーの一杯も頂戴しないようにおのれを律している私たちからすると、彼らは新聞記者ではない。権力者の走狗である。”と言っているという。

我、拗ね者として生涯を閉ず我、拗ね者として生涯を閉ず
著者:本田 靖春
講談社(2005-02-22)
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★清武さんが読売新聞社に入社した1975年に「読売政変」があった。
従来硬派3部(政治部、経済部、国際部)に対して、「社会部帝国」ということで、軟派社会部が圧倒的な力を持った時代があったが、1975年の人事異動で社会部出身の実力者が巨人軍代表に更迭され、務台社長の信頼を得たナベツネが編集部次長兼政治部長に昇格し、軟派と硬派の権力構造は逆転してしまったという。

ちなみにナベツネは、”俺は若いころ長谷川にいじめられた。内職して本を書いたこともある。何年も我慢したんだ。氏家も読売から追放され、ルンペンを何年もやった。それを面倒見たんだ。”と言っていたという。

やはり今回の事件の背景には読売新聞社内の社会部と政治部の対立・不仲があるように思える。


ナベツネの本領発揮

★清武さんの依頼でナベツネが橋本龍太郎に、キューバ選手獲得の骨折りを頼む電話の話が面白い。それまで渋々という感じだったのが、電話になると「渡邊ですが、先生にキューバの件でお願いしたいことがありまして」と丁寧な口調で話し始めたという。ナベツネの本領発揮という感じだ。


ナベツネあれこれ

★近鉄とオリックスの球団合併の時に、新規参入した楽天三木谷さんについてナベツネは知らなかったので、説明を受けて「孫正義の小型版か」と言ったという。当時75歳くらいだったナベツネが知らないのもやむを得ないだろう。

★巨人軍のBOS(Baseball Operating System)についてナベツネが興味を持っているという話があり、パソコンを持ち込んでナベツネに説明したら、怒り出したという。ナベツネがBOSに興味を持っているという話は、取り巻きの勝手な憶測だったという。

★ナベツネは「大震災こそ読売のチャンスだ」と言っていたという。関東大震災のときは、読売新聞は被災し、発行部数も11万部から5万部まで落ち、そのうち2万部は代金未回収で、やむなく当時の警視庁刑務部長だった正力松太郎に読売新聞社を10万円で売却したという歴史がある。

★復興支援の巨人軍激励会で、「復興祈念だから記念撮影、サインは遠慮してほしい」とのアナウンスが流れると、ナベツネが激高して、「なんでダメなんだ。こんなこと誰が決めたんだ。あとで懲罰だ!」と怒鳴ったという。

★カラーバス効果で日本酒の銘柄は気になる。ナベツネの好きな酒は「立山」だという。

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その他の情報

★古田の後の選手会会長の宮本は、酒が飲めないのに何時間でもつきあってくれ、個人的なことまで打ち明けてくれたという。割り勘負けしているのに、「いや、いいんですよ。これも仕事です」と言っていたという。

★ライブドアのホリエモンは、Tシャツ姿で現れ、オーナーたちを挑発し、時には元水着キャンペーンガールの恋人と登場する厚顔ぶりも反発を買っていたという。


巨人版マネーボール

★巨人軍は提携先のヤンキースからBOS(Baseball Operating System)の研修を受け、2010年に自分のBOSを作り上げた。日本ハムも2005年に1億円を投じてBOSを導入したという。RC27という27回アウトになるまでに得点をどれだけあげられるかを見る指標では、巨人では小笠原、谷、阿部慎之助、ラミレスという順番だった。

別ブログでも紹介した「マネーボール」に”高校生ドラフトに大金をかけるのは、確率を無視し、理性をないがしろにしている”と書いてあるが、巨人軍でも同じ結果が出たという。

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著者:マイケル・ルイス
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活躍する確率は、高校生<大学生<社会人とはっきり結果が出ている。

★かつてスカウト部長をつとめた人に「巨人軍は伝統的に小さい選手はとりません」と言われたことがあるという。スカウトはどうしても体格にまず目が行くが、清武さんは、体格にめぐまれていなくても、”B群”として獲得していったという。

★BOSで比較してみると2010年ドラフトの澤村と斎藤佑樹との差は歴然。斎藤より高校生の宮国のほうが数値は高かった。しかし原監督は大石がいいと、異議を訴えてきて一波乱あったという。

★選手が「何かを持っている」というのは英語では"The way carry by himself"というのだと巨人の在米スカウトのミンチーが教えてくれたという。巨人の東北地区担当のスカウトが、無名の坂本を八戸のグラウンドで見つけた時も、そんな雰囲気を感じたという。

「コンプライアンス違反」と清武さんが呼んだナベツネ語録

この内容は2012年1月号の文芸春秋にも載っているが、真偽のほどはわからない。いずれにせよ江川さんはひどいとばっちりだ。「悪名」などと言われ、イメージダウンで大迷惑だろう。

文藝春秋 2012年 01月号 [雑誌]文藝春秋 2012年 01月号 [雑誌]
文藝春秋(2011-12-10)
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”巨人は弱いだけでなく、スターがいない。江川なら集客できる。江川は悪名だが、無名よりはいい。悪名は無名に勝るというじゃないか。彼をヘッドコーチにすれば、次は江川が監督だと江川もファンも期待するだろう。しかし、監督にはしないんだ。

江川の庇護者は氏家だった。だが江川は監督にはしない。天と地がひっくりかえって人格者になれば別だがな。”

”原監督は采配ミスは一つもないと言い張るが、実際は交代をことごとく間違えた。采配で負けた試合はたくさんある。原をコントロールできる江川を置いておくほうがいいんだ”

”江川は99.9%受ける。日テレから1億円もらっていたのが、4900万円くらいになるから、こっちが1億円出せば、ウチに来たほうが多くもらえると考えるだろう。原を江川でコントロールするよ”

清武さんは新聞記者出身なので、文章がうまく面白い読み物である。しかし冒頭に記したように内容は球団経営の実情紹介本で、ナベツベ批判はごく一部だ。読んでも「なんで?」という疑問が依然として残る本である。


参考になれば次クリックお願いします。



采配 監督・落合博満が初めて明かした采配の秘密

+++今回のあらすじは長いです+++

采配采配
著者:落合博満
ダイヤモンド社(2011-11-17)
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落合博満前中日監督が2011年の日本シリーズ中に出版した本。この本は監督・落合博満が書いた最初の本で、現在アマゾンで売り上げランキング20位前後と、ベストセラーになっている。筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。

落合は参考になる本を何冊も出しているので、このブログでも紹介しているが、中日の監督に就任してからは本は一切出していない。レポーターが書いた「落合戦記」という本はあるが、これは落合が書いた本ではない。

落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」
著者:横尾 弘一
ダイヤモンド社(2004-11)
販売元:Amazon.co.jp
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「落合戦記」は絶版になっており、中古本がプレミアム付きで売られている。このブログで紹介した「超野球学1・2」も、いずれも中古本がプレミアムがついている。
落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2003-05)
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落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
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落合は監督退任表明後、いくつものテレビ番組の取材に応じているので、YouTubeに次の対談など、いくつかアップされている。それぞれ面白いので、時間があればチェックしてみてほしい。




勝つための66の言葉

この本では落合が勝つための66の言葉として、次の6章にわけて述べている。

1章 「自分で育つ人」になる
2章 勝つということ
3章 どうやって才能を育て、伸ばすのか
4章 本物のリーダーとは
5章 常勝チームの作り方
6章 次世代リーダーの見つけ方、育て方

アマゾンの「なか見!”検索」に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。それぞれの章に10前後の言葉があり、大体の感じがわかると思う。


「オレ流」はない

落合の采配はマスコミに「オレ流」とレッテルを貼られているが、この本で「オレ流はない。すべては堂々たる模倣である。」と語っている。

自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術であり、模倣は一流選手になるための第一歩だ。ピアニストも画家も同じ。大事なのは誰が最初に行ったかではなく、誰がその方法で成功を収めたかだ。

「オレ流」として、いままで議論を読んできた落合采配の「謎」をこの本で自ら解説していて、大変面白い。そのいくつかを紹介しておこう。


補強なしに現有戦力で優勝する

落合采配の最初の謎は中日の監督に就任した時に、「誰一人クビにしない。目立つ補強もせず、現有戦力を10〜15%アップさせて優勝する」と宣言したことだ。巨人などのカネにまかせて他球団のエースや4番打者ばかり集めてくるチームには、イヤミに聞こえる発言だろう。

これを落合が実行した理由は、最初に部下に方法論を示し、「やればできるんだ」という自信をつけさせるためだという。

「あの人の言う通りにやれば、できる確率は高くなる」と、上司の方法論を受け入れるようになれば、組織の歯車は目指す方向にしっかりと回っていく。そして有言実行で就任一年目でリーグ優勝した。

しかし、2004年のシーズンが終わった後、18人の選手がドラゴンズのユニフォームを脱いだ。積極的な補強をしなければ、2005年は戦えないと判断したからだ。

ドラゴンズのユニフォームを脱ぐ選手には、ドラゴンズでは競争に負けたが、ほかの球団では通用する実力をつけさせたいと落合は語る。事実、2005年戦力外通告を受けた鉄平は楽天に行って、パリーグの首位打者になった。ドラゴンズの厳しい練習が間違っていなかった証拠だと落合は語る。


2月1日紅白戦の謎

「2月1日に紅白戦をやる。春のキャンプでは初めから1軍も2軍もない。キャンプの間に見させてもらう」。

「全員一からポジションを争ってもらいます」というのは、敵を欺くにはまず味方を欺けという戦法だ。

2001年に発刊した「コーチング」の中で、落合はコーチングの基本を「教えない。ただ見ているだけでいい」と定義した。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
ダイヤモンド社(2001-09)
販売元:Amazon.co.jp
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実際に監督になって、「見ているだけのコーチング」が基本となることは確認できたが、それと同時に「最低限、教えておかなければならないこと」があることに気づいたという。それは、「自分を大成させてくれるのは自分しかいない」ということであり、選手の自覚を促す方法が2月1日の紅白戦だった。

プロ野球選手の契約では12月1日から1月31日までの2か月はポスト・シーズンと呼ばれ、球団に拘束されない期間だ。監督やコーチが練習させたくとも、できない。

「2月1日の紅白戦」という監督のメッセージを受け止め、選手は考える。「自分自身で自分の野球を考える」習慣を植え付け、それができる選手がレギュラーの座を手にするのだ。

落合が2月1日紅白戦と宣言したことで、メディアや評論家がキャンプを訪れ、高齢でめったに現場に足を運ぶことはないと言われていた川上哲治さんをはじめ、広岡達郎さん、関根潤三さんなどの監督経験者も2時間以上続くノック練習を楽しそうに見ていたという。落合も1999年から5年間の評論家時代は12球団のキャンプ地すべてに足を運んだ。「プロだからこそ見なければわからない」のだと。

なかにはキャンプを見もしないで「初日から紅白戦なんて意味がない」と批判する評論家もいた。2004年、中日がリーグ優勝したことで、足を運んだ評論家の多くは「厳しい練習が実を結んだ」と評価し、足を運ばなかった評論家はだまっているしかなかったという


6勤・1休の厳しい練習

他の球団は4勤・1休が多いだろうが、中日のキャンプは6勤・1休だ。それだけで中日のキャンプの厳しさがわかる。しかし、6勤・1休は昔はどの球団でも同じだったという。「オレ流」ではないのだと。

落合は「休みたければユニフォームを脱げばいい。誰にも文句を言われずにゆっくり休めるぞ」と言う。「一年でも長くユニフォームを着ていたいのなら、休むということは考えちゃいけないよ。」というのが本音のメッセージだ。

不安だから練習する。練習するから成長する。「心技体」ではなく、体をつくる練習が先に来る「体技心」だと。これが成長のサイクルだ。

春季キャンプでは、全体練習を終えた後、落合自身がサブ・グラウンドでノックして守備練習する。守備練習は強制ではなく、ノックを受けたいと思った選手がコーチに申告し、落合がノッカーに指名される。1,2時間は当たり前、どちらがギブアップするかまで続けられる。

「これ以上続けたら体が壊れてしまうと感じたら、グラブを外してグラウンドに置く」ということだけがルールだ。

落合の中日監督時代に生え抜きからレギュラーになったのは森野将彦ただ一人だ。その森野は「終わる時間は自分で決めなさい」と言うと、いつも最後までグラウンドにいたという。

ノックでも、落合がもう限界なのではないかと思ったが、グラブを外さないので、続けたら、突然バタッと倒れて救急車を呼びそうになったことがあるという。グラブを外したくとも手が腫れ上がって外れなかったのだと。

そうまでにして自分の限界まで追い込んでポジションを奪い取った。だから「自分から練習に打ち込んでいる間は、オーバーワークだと感じても絶対にストップをかけるな」というのが落合のルールだ。

コーチにも「どんなに遅くなっても、選手より先に帰るなよ。最後まで選手を見てやれよ」と言っていたという。選手の指導については次の2点を徹底してきた。

1.絶対に押し付けてはならない
2.鉄拳制裁の禁止

厳しい競争は自然にチームを活性化させる。だから選手たちが自己成長できるような環境を整え、そのプロセスをしっかり見ていることが指導者の役割なのだ。


3年間一軍登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手に

落合が監督に就任した2004年のシーズンでは、沢村賞投手ながら、ヤクルトから移籍して肩を痛め、3年間一軍登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手として登板させた。落合は投手起用については森繁和コーチに全面的に任せており、これが落合が先発投手を決めた唯一のケースだという。

川崎ほどの実績のある投手が故障で宝の持ち腐れとなっていたので、本人の復帰を後押しするつもりで、開幕投手に指名し、具体的目標を与えたのだ。

川崎は2回で5失点してマウンドを降りたが、ドラゴンズ打線はコツコツ反撃して、最後は8対6で広島に勝った。

復帰を目指して川崎が必死で努力する姿をチーム全員が見て、川崎に勝たせようと全員が動くことでチームとはどういうものなのかを実感させた。大きなリスクを覚悟した落合の監督として最初の采配は成功だったのではないかと。

川崎はこの年もう一試合先発登板したが、ワンアウトも取れず4失点で降板し、その年に現役を引退した。しかし新監督がチームとしてのまとまりをつくる方法としては、落合のいうように成功だったと言えると思う。


2007年日本シリーズ第5戦の「山井の幻の完全試合」

落合の采配で最も議論を読んだのが、2007年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、8回まで完全試合を続けていた山井を9回に岩瀬に交代させた采配だ。



落合は自分の采配を正しかったか、間違っていたかという物差しで考えたことはないという。「あの時点で最善といえる判断をしたか」が唯一の尺度だ。

落合・中日の日本シリーズの成績は2004年対西武3勝4敗、2006年対日本ハム1勝4敗だった、2007年はリーグ優勝できなかったが、クライマックスシリーズで勝ち上がり、またもや日本ハムとの日本シリーズとなった。

なんとしても勝ちたい中日は3勝1敗で名古屋で第5戦を迎えた。山井は完全試合を続けていたが、4回から右手のマメが破れ血が噴き出していた。8回で1:0でリードしていて、9回の守りをどうするか考えているときに、森繁和コーチが「山井がもう投げられないと言っています」と言いに来た。

落合は即座に「岩瀬で行こう」と決断した。岩瀬はプレッシャーのかかるなかで、3者凡退に打ち取り、ドラゴンズは53年ぶりに日本一になった。

落合も山井の完全試合を見たかったが、その時点でのリードは1点しかなく、監督としてはどうしても53年ぶりにドラゴンズを優勝させたかった。この采配は53年ぶりの優勝という重い扉を開くための最善の策だったという。

ドラゴンズが日本一になったという事実だけが残る。その瞬間に最善と思える決断をするしかない。それがブレてはいけないのだと。


「勝利の方程式」よりも「勝負の方程式」

この本で落合は、「負けない努力が勝ちにつながる」と語っている。これが落合野球の真髄だと思う。落合は投手力を中心とした守りの安定感で勝利を目指す戦いを続けてきた。監督が投手出身か打者出身かは関係ない。これが勝つための選択なのだと。

試合は「1点を守り抜くか、相手をゼロにすれば負けない」。そしてチームスポーツでは「仕事をした」と言えるのは、チームが勝った時だけである。たとえ10点失っても勝った投手は仕事をしている。0対1で完投負けした投手は、厳しいようだが、仕事をしていないのだ。

勝利をひきよせるための手順=「勝負の方程式」はあるが、こうすれば絶対に勝てるという「勝利の方程式」はない。

落合は現役時代に「勝負の方程式」という本を書いている。

勝負の方程式勝負の方程式
著者:落合 博満
小学館(1994-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「こうすれば相手は嫌がる」、「こんな取り組みをして失敗した」という様に勝負を少しでも優位に戦うための原則論をまとめたものだという。

ドラゴンズでは勝ち試合は8回に浅尾、9回に岩瀬を送って白星をつかむケースが多いので「勝利の方程式」と呼ばれている。

岩瀬の代わりに浅尾をストッパーに起用すると、「岩瀬に何かあったのか」とか「ストッパーを岩瀬から浅尾に代えるのか」と騒ぎ立てられるが、落合はあくまで勝利に近づくための最善策としかとらえておらず、岩瀬や浅尾に対する信頼感とは別次元の問題だという。

この本で落合は「岩瀬を出せば勝てる」と思ったことは一度もないと語る。勝負には何があるかわからない。だから岩瀬が打たれて負けた試合の落合のコメントは、「岩瀬で負けたら仕方がない。岩瀬だって打たれることはある」というものだ。

これに対して「勝利の方程式」を信じている監督は「まさか、あの場面で岩瀬が打たれるとは…」と言うだろう。

落合は日本一を目指して戦うなら「まさか」で黒星を喫したくない。勝負に絶対はないが、「勝負の方程式」を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見えるのだと。


なぜ落合は2009年WBCの監督就任要請を断ったか

落合は2009年WBC監督就任要請を断り、原辰徳監督が監督に就任するとドラゴンズの選手が全員代表入りを辞退したことが大きな批判を浴びた。

落合は中日ドラゴンズと契約しており、その契約には「チームを優勝させるために全力を尽くす」という条項がある。3月はペナントレース前のオープン戦の時期で、そんな時期に「契約している仕事」を勝手に放りだすわけにはいかないのだ。

現役監督に全日本の監督を任せたいのであれば、日本野球機構とオーナー会が決めて、中日のオーナーから落合が命令を受ければ、断る理由はない。筋を通せばよいのだ。しかし日本の社会には「国のため」とかいう大義名分があると、契約をあいまいにして物事を決めようとする悪い部分があるという。

ましてや出場を辞退した選手に理由を明かさせるのは大問題だ。選手は球団と契約している個人事業主であり、選手のコンディションは「企業秘密」なのだ。

プロ野球は契約社会でありながら、肝心な場面で契約が二の次に考えられることに落合は違和感を覚えるという。「自分はどこと契約しているのか」、「自分の仕事はなんなのか」を優先しなければならない。

この本で明かしているが、岩瀬は2004年と2008年のオリンピックに自ら参加した。しかし、北京オリンピックでメダルを逃して帰国すると脅迫電話やヤジに悩まされ、「もう国際大会は勘弁してください」と言ってきたという。監督として「日の丸を背負えるのだから行って来い」とは口が裂けても言えないのだと。

大変参考になる本だが、詳しく紹介しているとあらすじが長くなりすぎるので、要点を、1.落合流強いチームの作り方、2.落合の企業秘密、3.落合の指導法に整理して簡単に紹介しておく。


1.落合流強いチームの作り方

★任せるところは1ミリも残さず任せきる/人脈や派閥のような感覚でコーチを起用しない
落合が先発投手を自分で決めたのは、上記の川崎憲次郎の開幕投手だけだった。それ以外はすべて森繁和コーチが決めた。森コーチの采配にすべての責任を負うのが監督の仕事だという。

現役時代に仕えた監督を見てきて「なんでも自分でやらなければならない監督ほど失敗する」と感じていたという。だから投手に関することは森コーチに任せられると思うと、全面的に任せ、落合自身は先発投手が誰になるのかも直前まで知らなかったという。

森コーチは駒澤大学のエースとして活躍し、社会人の住友金属経由、西武に入団。黄金時代の西武でプレーして、現役引退後もすぐにコーチとなり、西武、日本ハム、横浜で投手コーチを務め、一年たりともユニフォームを脱いだ年がなかった。現場が必要としている人材なのだ。

そうはいっても落合と森コーチの接点は、アマチュア時代の世界選手権でチームメートになったくらいで、決して親しい仲間だったわけではない。

野球の世界に限らず、一般社会でも気心しれたヤツだけを自分の周りに置きたがる人がいる。落合は名前は出していないが、典型的な例が北京オリンピックの星野ジャパンの星野・山本浩二・田淵幸一トリオだろう。

落合は仕事は一枚の絵を描くようなものだと言う。自分の持っている色だけではなく、自分とは違う色を持っている人を使う勇気が絵の完成度を高めてくれると語る。


★「いつもと違う」にどれだけ気づけるか
さすが落合と思わせるのがこのポイントだ。2010年4月の名古屋ドームの試合で落合は試合が始まってすぐ主審が体調を崩していることに気づいた。タイムをかけて、主審に声をかけたが、大丈夫というので続けると、次の回で立っていられなくなり、予備審判と交代した。

「監督、よくそんなところまで見ていましたね」と言われたという。

落合はいつもダグアウトの同じ場所に腰掛け。試合の流れを追いながら、視野に飛び込んでくる様々な光景について次のようなことをあれこれ考えている。

「試合の流れが、この間の対戦に似ている。こういう守り方で逃げ切れるかな」

「向こうのベンチの雰囲気が暗い。首脳陣が何か余計なことを言ったんじゃないか」

「三塁手が足をかばいながら動いている。あれはどこか痛めているな」…。

監督の仕事は勝利に結びつく采配をすることで、その際に大事なのはグラウンドの中にある情報をどれだけ感じ取れるかどうかだ。

固定概念を取り除き、普段と違うんじゃないかと感じることができれば、頭がその理由を探ろうと動き出す。落合の長年の勝負師としてのカンが生きている発言である。


★なぜ2009年、2010年と荒木・井端のポジションを変えたのか

落合は12球団で最も安定していた荒木・井端の二遊間コンビを入れ替えた。レギュラークラスの選手から「慣れによる停滞」を取り除かなければならないという考えを二人に話して、「挑戦したい」という意思を確認してうえで、コンバートに踏み切ったのだと。

ドラゴンズの2−3年後を考えると、井端の後釜に据えられる選手が見当たらない。井端の後釜に荒木を据えて2,3年後も安泰にしておきたいという事情があったのだという。

荒木・井端自身もマンネリがあったことを認めている。落合らしい「よく見ている」一例だと思う。


★できる・できない両方がわかるリーダーになれ
落合の真骨頂がこれだ。「毎シーズンAクラスのチームを作ることができた要因は何ですか」と問われたら、落合は「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」とはっきり答えるという。

監督には「名選手、名監督ならず」で、できない選手の気持ちがわからない人がいる。その一方で、現役時代は実績を残せなかったが、早くして指導者になり、コツコツと経験を重ねて、2軍監督やコーチを経験して「できない選手」の気持ちがよく理解できるので、若い選手を育て上げる手腕にたけている人もいる。しかしこのタイプの監督は「できる人の思い」が理解できず、スター選手と無用な衝突を起こしたり、ベテランから若手に切り替えるタイミングを間違うことがある。

落合自身プロに入ったのは「もうけもの」と考え、プロになればすぐクビになっても「元プロ野球選手」になれるので、残った契約金で飲食店でもやろうと考えていたという。「できない人の気持ち」は若いころの自分の気持ちそのものだと。

落合のようにプロに入った時はあまり期待されていなかったが、あとで超一流選手になったという経歴のある監督は、川上哲治さん、野村克也さんがいる。

しかし二人とも野球から一歩も離れず、ずっと真剣に取り組んできたという点で落合とは大きな差があると思う。鉄拳制裁になじめず、秋田工業高校では野球部の入部退部を繰り返し、東洋大学野球部ではケガもあって退部し、大学も中退して、故郷に帰ってプロボウラーを目指していたというキャリアの監督は落合くらいだろう。

川上さん、野村さんの二人とも名監督だが、落合くらい選手の気持ちがわかる監督もいないだろうと思う。


★連戦連勝を目指すより、どこにチャンスを残して負けるか
長嶋監督はファンを愛する人で、試合を見てくれるファンがいるかぎり毎試合勝とうとした。落合は今日は負けても、翌日に戦う力、勝てるチャンスを残すべきではないかという考えだ。

「1敗は1敗でしかない」と割り切ることも大切だ。

いい結果が続いている時でもその理由を分析し、結果が出なくなってきた時の準備をする。負けが続いた時でも、その理由を分析し、次の勝ちにつなげられるような負け方を模索する。

組織を預かる者の真価は、0対10の大敗を喫した次の戦いに問われるのだと。


「ファンが喜ぶ野球ーそれは勝ち続けることなのだと信じて。」
この本、いや落合野球で一番の問題はここだと思う。

「最大のファンサービスは、あくまで試合に勝つことなのだという信念が揺らいでしまったら、チームを指揮する資格はない。」と落合は語る。

そこで、「ファンが喜ぶ野球ーそれは勝ち続けることなのだと信じて。」という言葉が来る。

たしかに球場に来るファンはひいきチームが勝つことが最大の喜びだ。しかし球場まで行くことはめったにないが、ひいきチームはあるという人が圧倒的多数だろう。

野村さんはこのブログで紹介した「あぁ、監督」という本で、落合のサービス精神の欠如について、次のように語っている。

「どうも落合は勘違いしているのではないか。彼はグラウンドで結果を出せばいいと考えているようだが、それだけではプロ野球の監督として失格なのだ。いくら強くても、実際にファンが球場に足を運んでくれなければ、商売は成り立たないのである。

誰のおかげで自分が存在できるのか。ファンあってのプロ野球ということをいま一度考えてもらいたいのである。」

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)あぁ、監督 ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川グループパブリッシング(2009-02-10)
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球場に行ったこともないが、ひいきチームはあるという、いわばサイレントマジョリティのファン、そしてひいきではないが興味はあるので、一度はプレーを見てみたいというファン、そういった人を球場に来てもらえるだけの魅力と話題性を提供するのが本当の一流監督ではないのか?

別に落合がコメディアンになる必要はない。ただ玄人好みでなく、素人好みの路線がプロ野球には必要とされていると思う。その典型が今度横浜の監督に就任する中畑清監督だと思う。

中畑監督はこの本で落合が排しているお友達内閣を組織しつつある様に思える。たぶん横浜は今季もダメだろう。

しかしスポンサーのDNAは別に強い横浜が欲しいわけではない。社名のDNAが広く知れ渡るような話題性のある広告塔が欲しいのだ。最下位でも注目度が上がればそれでよいのだ。

だから今のところ力の衰えが目立つラミちゃん以外は目立った補強をしていない。筆者は、もう付き合えないので、今年限り郷土の球団の横浜ファンから「引退」するが、DNAのやり方はこれはこれでアリだと思う。

筆者は正直、落合が日本で再度監督をやるかどうかはわからないと思っている。野球がオリンピック・スポーツとして復活したら、中国が落合を監督にリクルートする可能性は高いのではないかと思う。

幅広いファンとの折り合い、そしてマスコミの使い方、これが次に落合が日本で監督をやる際には飛躍するための課題となるだろう。


2.落合の企業秘密

落合が45歳まで現役でプレーできた理由で最も大きかったのは、対戦相手が落合という選手の考え方を分析できなかったからだ。野球はメンタルなスポーツという典型例である。

落合の打撃の特徴は、「外角のボールをライトスタンドに放り込んでしまう」ことだと言われてきたが、実は落合自身はその記憶はない。

実際には内角寄りのボールを力負けせずに、押し込むようにライトスタンドに運ぶ技術を持っていたのだが、元プロのスコアラーには内角のボールをライトスタンドまで運べるはずがないとして、コースを真ん中よりに記録してしまう。そんなプロの盲点の積み重ねが「外角球をライトスタンドに放り込む男」という評価なのである。

実際外角のボールに3三振することもあったのに、ライトへのホームランが多いということだけで、「落合は外角に強い」と誤解されてきたから45歳までプレーできたのだと。

これは落合の「企業秘密」だったから、引退するまで決して口外しなかった。これがプロの戦術なのだ。監督となれば、対外的なことだけではなく、自軍のコーチや選手にも読まれてはいけない部分もある。

監督は何をやろうとしているのかをコーチに読まれると、監督にすり寄って、選手を見ないコーチが生まれる。コーチの見るべき方向は監督の顔色ではなく、選手なのだ。

落合は今季中日のユニフォームを脱いだが、プロ野球の監督は引き継ぎは一切しない。しかし、引き継ぎはしないが、次の監督が困らないチームにしておく、それが監督としてやらなければならない仕事なのだと。

最後に落合は「仕事で目立つ成果を上げようとすることと、人生を幸せにいきていこうとすることは、全く別物と考えているのだと語る。一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないか。

一杯の白飯と穏やかな時間。その中で生きていこうとしているのが、落合博満の「人生の采配」なのだと結んでいる。

大変参考になる本だったので、あらすじも長くなりすぎた。「若手諸君、成長したけりゃ結婚しよう」などの落合の指導法については、つづきを読むに載せたので、興味があれば見ていただきたい。

冒頭で紹介したとおり、筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。一読の価値はあると思う。


参考になれば次クリックお願いします。



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日本男児 インテル長友の本 「長友革命や!」

日本男児日本男児
著者:長友佑都
ポプラ社(2011-05-25)
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イタリアのインテル・ミランでサイドバックとしてプレイする長友佑都選手の自伝。

長友はインテルにとっても、日本代表にとっても、サイドバックとして必要不可欠のプレーヤーになっている。次が長友のインテルでの最初のゴールシーンを収録したYouTubeの映像だ。



長友は1986年愛媛県の西条市生まれ。長友が小学校3年生の時に両親が離婚して以来、母親の手で姉と弟と一緒に育てられた。長友の母方の家系には競輪選手が何人もいて、母親はアスリート一家に育ったという。

母親が結婚式場の司会者として働いて、長友のサッカー人生を支援してくれたおかげで私立のサッカー有名校・東福岡、明治大学と順調にサッカー人生を歩み、ついにはFC東京、U−23代表、日本代表、イタリア・セリアAのチェゼーナ、そして世界最高のクラブの一つのインテルのレギュラーとなった。

長友はチームの中では一番長距離走が早い選手として目立つようになるまで走力を徹底的に鍛え、フィジカルを強くするために、体幹の筋肉を徹底的に鍛えた。長友の今日の成功は、努力のたまものであることがよく分かる。




”努力する才能”

小学校からサッカーを始め、フォワードで得点王だったが、弟の方がうまいとして評判が高かった。中学に入って長距離走の重要性に気づき、徹底的に走りこんで走力とスタミナがつけた。

松井秀喜の「不動心」のあらすじで「努力できることが才能である」という言葉を紹介したが、長友も「”努力する才能”がないと、成長できない」と全く同じ事を語る。

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
新潮社(2007-02-16)
販売元:Amazon.co.jp
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どんなにサッカーがうまくても努力をしないと上には行けない。現在の自分に満足せず、なにが足りないかを知り、それを補うトレーニングを行う。”努力する才能”とは、努力することをためらわない勇気でもある。

努力して全校トップになった中学校時代の駅伝は、長友に努力の成功体験を与えてくれたという。


「長友革命や!」

長友は福岡の東福岡高校に入学が決まり、愛媛県の西条北中学を卒業する時に、みんながくれた写真と寄せ書きを破り捨てて、「俺はビッグになってやる!」、「長友革命や!」と叫んだという。

感傷を捨て去り、「活躍するまで、ここへは戻れない」と覚悟したのだ。

東福岡高校での初練習の時、ランニングでいきなりトップを独走した。監督の目に留まるためだ。「このチャンス、ものにしてやる!」。高校の寮の部屋には、「努力に勝る天才なし」、「意志あるところに道あり」という校訓を貼りつけていたという。

長友は体が小さいので、高校の時からウェイトトレーニングをやっていた。朝5時に起床、朝食前にランニングなどの自主トレ。8時半には教室に行き、放課後は全体練習。その後は夜間の筋トレ。毎日睡眠不足の戦いだったが、授業中には寝なかった。お母さんが必死で働いて授業料を支払ってくれると思うと、寝ることなんてできなかったという。

高校から明治大学に入学してサッカー部に無事入部出来た後は、朝5時起床、6時から朝練習、学校に出て授業、授業が終わると練習という生活だった。しかし大学に入学して、すぐに椎間板ヘルニアによる腰痛が出て、数カ月リハビリを続けた。

歩くことも苦痛だったという。

腰痛の克服のために「一生もんの体幹をつくる」と決心して慎重にトレーニングを行い、食材、食べるタイミングから、眠り方、入浴方法、入浴後のストレッチまで気を使った。

筆者も椎間板ヘルニアの持病があるので、筋力を維持するために毎週ウェイトトレーニングと1キロの水泳は欠かさない。長友には同病の親しみを感じてしまう。

余談だが、長友はウェイトトレーニングの際に腰をガードするベルトを使わなかったために、高校生の時に腰を痛めたのではないかという気がする。

Schiek シーク 4インチパワーレザーリフティングベルト モデル2004L M ウェイトトレーニングベルト
Schiek シーク 4インチパワーレザーリフティングベルト モデル2004L M ウェイトトレーニングベルト


重い重量を持つ時は、ウェイトトレーニングベルトは欠かせない。腹圧で背骨の椎間板を保護するのだ。もちろんベルトをやっていても、腰を痛めることはあるが、ベルトなしだと間違いなく腰を痛める。

高校生で自主トレで筋トレしていたとなると、たぶんトレーナーなどもいなかったのだと思う。

ベルトをして正しい姿勢で筋トレすれば、歩けなくなるほど腰を痛めるということはまずないと思う。

閑話休題。

体幹を鍛えることで、なんとか腰痛を克服し、明治大学のレギュラーとなった。FC東京に見出され、大学とプロに掛け持ちを経て、正式にFC東京の選手となる。U−23の反町監督に見出され、キリンカップでU−23代表デビューを果たした。

本代表でも召集され、2008年Jリーグシーズンでは、優秀選手賞と優秀新人賞を受賞した。「もっと、もっと」と自分を鍛えた成果だったという。

優れたサッカーの才能を持っているわけではない。自分から努力を取ったらなにも残らないと語る。努力は裏切らないし、努力をすれば成長出来る。そして成長に限界はない。


岡田監督の信頼を受ける

2010年の南アフリカワールドカップでは、岡田監督のもとで活躍した。「カメルーン戦は、お前にエトーを見てもらいたい」。

ワールドカップ前に敗戦続きで、非難されていても岡田監督はブレることはなかったという。逆に悪いときこそ、成長できるチャンスなんだと、ずっと選手に言い続けていたという。


「心を磨く」ということ

インテルに来て、「心を磨く」、「心に余裕を持つ」ということを覚えたという。心を磨く」ことの重要性を知った長友は、どんなプレッシャーも力に変えることができるようになったという。プレッシャーを楽しみながらプレー出来ているという。


すべてが「努力」で統一されている。体が小さいというハンディがあるなかで、世界トップのクラブでプレーを続けている長友らしい本である。

長谷部の「心を整える。」とはまた違った意味で、参考になり、かつ役に立つ本だと思う。



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やめないよ キング・カズ 三浦知良のエッセー集

やめないよ (新潮新書)やめないよ (新潮新書)
著者:三浦知良
新潮社(2011-01-14)
販売元:Amazon.co.jp
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日経新聞のスポーツ欄にほぼ隔週で連載しているキング・カズこと横浜FC所属三浦知良選手のエッセー集。

筆者は一度だけカズの試合を見たことがある。

横浜FCがJ−1に昇格してのリーグ戦で、ジェフ千葉との試合を横浜スタジアムに見に行ったのだ。

その時カズはたしか故障明けで、試合には出場しなかった。

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試合が始まってしばらくして控えの選手がアップを始めた。そこで目の前で練習していたカズを見ただけだったが、体がえらくスリムなのに驚いた。

この本でも時々出てくるが、カズは現役サッカー選手なので、体をいわばF−1マシンのように保っているという。筋肉質で持久力も瞬発力もあり、体脂肪は1ケタ台に保っているが、逆に寒さに弱く、ウィルスにも弱い。

40代の男性なら少なくとも体脂肪率は12ー13%くらいあった方が抵抗力もあって健康体なのではないかと。

カズの場合、23年落ちのF−1マシンのようなものなので、エンジン(心肺機能)は強いが、一度走るとタイヤ(筋肉)がすごくすり減り、サスペンション(関節)への負担は大きい。だから専属トレーナーや調理師が必要なのだと。

もっとも時々トレーナーの指示を無視して、六本木・麻布方面に「テスト走行」に出かけることもあるとうそぶく。

キング・カズだけに、巨人軍原監督とグアムの空港で「ヘーイ、キング・カズ!」と呼びかけられた話とか、行きつけの店に行ったら、マリナーズのイチローがカズの指定席を占領していて「カズさん、ブラジル(2014年ワールドカップ)行くんでしょ?見たいね。」と言われた話とか、すごい人脈だ。

イチローには「あのね、J−2で出ていないんだから・・・・。」というと、「関係ないでしょ。見たいね。」と言われ、そこまで言われると行けるような気がしてきたという。

WBCの優勝監督の原監督は、グアムの空港でカズが野球好きの息子を紹介すると「それじゃ、ジャイアンツで待っているぞ!」と手を振って去っていたという。

なんというさわやかさだろうとカズも驚嘆している。

サッカーではジーコの精神が残っているチームとして鹿島を絶賛している。ジーコは「勝負がかかれば何であれ負けるな」とじゃんけんでもリラックスゲームでも常に真剣に取り組んでいたという。

スタメンから外れた選手による練習試合でも、鹿島との試合では「試合に出たい」というハングリーさが浦和とは違っていたという。

これは2009年の話だ。

2009年のJリーグ最終戦では、昇格して1年目で降格が決まっていた横浜FCが一位の浦和に勝つという番狂わせを起こし、2位に急上昇していた鹿島が逆転優勝したドラマがあった。

鹿島のオリヴェイラ監督が練習試合の後で訪ねてきてくれたという。「カズ、君は我々の誇りだ。元気にやっているじゃないか。本当は何歳なんだ?」

カズは練習試合でもフル出場していると。

声を出して仲間を統率し、試合後は入念にクールダウンする。ひそかに見届けていた彼は言ってくれた。

「君はエゼンプロ(手本)だ。その精神を鹿島の選手も見習ってほしい。」リーグを3連覇した優勝監督の激励に涙が出たという。

先週の松田直樹選手の弔問に訪れていたカズがテレビのニュースに報道されていたが、引き締まった面構えはまさに戦士そのものだ。

松田選手が所属していた松本山雅チームは松田選手が亡くなる直前に、7月30日にアウェーで筆者の住む町田市の町田ゼルビアと試合をしている

松本山雅





試合前のポスターでは相手チームの松田選手が全面に出ていたが、この試合は松田選手は交代でも出場していない。松田選手はJFL後期日程は全試合出場していたので、やはり体調が悪かったのかもしれない。

サッカー選手は常にフィットの状態に保っているのだと思うが、カズの「F−1」という言葉であらわされる通り、松田選手のような「もろい」面もある。

筆者も実は高校時代2年生までサッカー部に入っていた。たった2年間だけだったが、足首をねんざした他、ヒザの痛みに悩まされた。

それを考えると子供の時から40年近くサッカーを続けているカズは驚異的だ。綿密な体のケアをしているのだろう。

カズには、ひきつづき体に気をつけて、現役生活を続けて、1点でも多くのゴールを挙げ、日本に元気を与えてほしい。

ガンバレ、カズ!


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心を整える。 日本代表ゲームキャプテン・長谷部の本 

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
著者:長谷部誠
幻冬舎(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
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アマゾンで売れ行き一時トップ(2011年6月20日現在)の日本代表ゲームキャプテン・長谷部誠の本。

長谷部のミスチルベスト15あり、愛読書あり、さらに印税を全額地震被害者のために寄付することもあって、カッコイイということで女性にもよく売れているようだ。

長谷部は2010年夏のワールドカップの2週間前に岡田監督からゲームキャプテンに指名された。チーム全体のキャプテンは川口能活、長谷部の前のゲームキャプテンは中澤佑二だった。

長谷部は当時26歳。チーム内で年長の選手が多くいた。一度は、チームに対する影響が大きすぎると岡田監督に辞退を申し出る。岡田監督はすぐに中澤を部屋に呼び、話し合った結果、長谷部にやはりゲームキャプテンをやって貰うという決定となった。

「やはりゲームキャプテンはオマエにやってもらう。オマエは誰とでも分け隔てなく話せるし、独特の明るさがある。何か特別なことをやろうとしなくていい。いままでやっていたとおり、普通に振舞ってくれ。」

岡田監督にはこのように言われたという。

この本のタイトルは「心を整える。」だ。試合で実力を出すために、いわばピアノを調律するように。心を調律して良いパフォーマンスを生み出すのだ。そのための56の習慣を紹介している。

長谷部は静岡県出身。藤枝東高校で2001年の国体に準優勝し、浦和レッズにスカウトされる。レッズでは2年目からレギュラーに定着し、2003年のナビスコカップで優勝、2007年にはACLで優勝し、一躍国際スカウトに注目される。

2008年にドイツのヴォルフスブルグに移籍して、翌2009年ブンデスリーガで優勝。



ヴォルフスブルグはフォルクスワーゲンの工場がある場所で、サッカーチームのスポンサーもフォルクスワーゲンだ。

筆者は最初の米国駐在の時に、家内用にフォルクスワーゲンのジェッタを持っていた。当時は米国製のフォルクスワーゲンも販売されていたので、西ドイツ製のフォルクスワーゲンは「ヴォルフスブルグ・エディション」というプレートが付いていた。

長谷部はMFとしてブンデスリーガでプレーを続けており、最近ヴォルフスブルグとの契約を2014年まで延長した。長谷部というとあまり目立たない選手という印象が強い。遠藤の様にフリーキックを蹴るわけでもないし、かつての小野伸二のようなキラーパスがあるわけでもない。

それでいてチームになくてはならないの攻守の要となっているのが、長谷部がブンデスリーガで4年もレギュラーを張っており、日本代表でもゲームキャプテンとなっている理由だろう。

ヴォルフスブルクのディレクターは長谷部の90分間のポジショニングを見て、感心して次のように評しているという。

「長谷部は組織に生まれた穴を常に埋められる選手だ。とても考えてプレーしているし、リーグ全体を見渡しても彼のような選手は貴重だ。」


長谷部の肉声が伝わる本

この本は長谷部の肉声が伝わるような本だ。

高校3年になってやっと藤枝東のレギュラーになれた長谷部にレッズからオファーが来た。両親は大学進学を勧め、高校生からのプロ入りに反対したが、そんな長谷部に、「じいちゃん」が言った。

「マコト、人生は一度しかないんだよ。男なら思いきって挑戦するべきではないのか」

長谷部の名前は誠実の「誠」だ。スパイクにはじいちゃんの「松」と自分の「誠」を刺繍で縫いつけているという。

長谷部のじいちゃんは松太郎という名前で、既に亡くなったが、スパイクの内側に刺繍を縫いつけることで、いつもじいちゃんと一緒だという気持ちでいるという。

試合でサイドラインを超える時に、長谷部は天を見上げているが、いつも「じいちゃん、今日もよろしく」と心の中で言うのだと。

「昔気質(むかしかたぎ)」なところが、長谷部の魅力なのだと思う。


「心を整える」56の習慣

この本ではいかにも誠実で努力家・勉強家の長谷部らしい「習慣」、エピソードが紹介されている。アマゾンのなか見!検索には対応していないので、目次を紹介しておく。

第1章 心を整える。
 01 意識して心を鎮める時間を作る。
 02 決戦へのスイッチは直前に入れる。
 03 整理整頓は心の掃除に通じる。
 04 過度な自意識は必要ない。
 05 マイナス発言は自分を後退させる。
 06 恨み預金はしない。
 07 お酒のチカラを利用しない。
 08 子どもの無垢さに触れる。
 09 好きなものに心をゆだねる。
 10 レストランで裏メニューを頼む。
 11 孤独に浸かるーひとり温泉のススメ

第2章 吸収する。
 12 先輩に学ぶ。
 13 若手と積極的に交流する。
 14 苦しいことは真っ向から立ち向かう。
 15 真のプロフェッショナルに触れる。
 16 頑張っている人の姿を目に焼きつける。
 17 いつも、じいちゃんと一緒。

第3章 絆(きずな)を深める。
 18 集団のバランスや空気を整える。
 19 グループ内の潤滑油になる。
 20 注意は後腐れなく。
 21 偏見を持たず、まず好きになってみる。
 22 仲間の価値観に飛び込んでみる。
 23 常にフラットな目線を持つ。
 24 情報管理を怠らない。
 25 群れない。

第4章 信頼を得る。
 26 組織の穴を埋める。
 27 監督の言葉にしない意図・行間を読む。
 28 競争は、自分の栄養になる。
 29 常に正々堂々と勝負する。
 30 運とは口説くもの。
 31 勇気を持って進言すべきときもある。
 32 努力や我慢はひけらかさない。

第5章 脳に刻む。
 33 読書は自分の考えを進化させてくれる。
 34 読書ノートをつける。
 35 監督の手法を記録する。

第6章 時間を支配する。
 36 夜の時間をマネージする。 
 37 時差ボケは防げる。
 38 遅刻が努力を無駄にする。
 39 音楽の力を活用する。
    コラム ミスター・チルドレン ベスト15
 40 ネットバカではいけない。

第7章 想像する。
 41 常に最悪を想定する。
 42 指揮官の立場を想像する。
 43 勝負所を見極める。
 44 他人の失敗を、自分の教訓にする。
 45 楽な方に流されると、誰かが傷つく。
 
第8章 脱皮する。
 46 変化に対応する。
 47 迷ったときこそ、難しい道を選ぶ。
 48 異文化のメンタリティを取り入れる。
 49 指導者と向き合う。

第9章 誠を意識する。
 50 自分の名前に誇りを持つ。
 51 外見は自分だけのものではない。
 52 目には見えない、土台が肝心。
 53 正論を振りかざさない。
 54 感謝は自分の成長につながる。
 55 日本のサッカーを強くしたい。
 56 笑顔の連鎖を巻き起こす。

最終章 激闘のアジアカップで学んだこと


この目次だけ読んでも、まじめな長谷部の性格が感じられると思う。


勉強家の長谷部

この本のところどころに、長谷部が影響を受けた本の言葉が引用されている。それは京セラ創業者の稲盛和夫さんだったり、松下幸之助だったりする。

たとえば稲盛さんの次のような言葉を引用している。

「判断に迷った時は、人として正しいかどうかを考えるようにしている」

以前読んだ稲盛さんの本では、「動機善なりや、私心なかりしや」と常に自問すると書いてあった。これと同じような言葉だ。

だから長谷部は監督にも進んで進言するという。「自己保身のために言わないことの方こそ、正しくない行動のはずだ」と思うからだという。

2010年ヴォルフスブルクの監督に就任したばかりの英国人マクラーレン監督にもボランチのポジショニングについて意見を言ったという。

こんな時に長谷部が意識しているのは「上から目線」にならないようにすることだと。監督が腹を立てたら考えも聞いてもらえず、干されてしまうかもしてない。チームのために進言しているという思いを伝えなければならないのだ。

この辺の一途さが岡田監督からゲームキャプテンに指名された理由の一つだろう。


33読書は自分の考えを進化させてくれる

この本の33番目の習慣が読書だ。長谷部は当初は東野圭吾とか宮部みゆきとかの人気作家の小説をよく読んでいたが、デール・カーネギーの「人を動かす」を読んでから、哲学系の本が圧倒的に増えたという。

ドイツではひとりでいる時間が増え、よりサッカーや人生のことを深く考えるようになったことも関係している。

読書は人前で話す機会が多いサッカー選手にとって、言葉のセンスを磨く上でも重要だという。

長谷部の推薦するのは次の本だ。このブログでもあらすじを紹介しているので、題名をクリックして参照してほしい。

松下幸之助の「道をひらく」

道をひらく道をひらく
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1968-05)
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姜尚中(カン・サンジュン)の「悩む力」

悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
著者:姜 尚中
集英社(2008-05-16)
販売元:Amazon.co.jp
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太宰治の「人間失格」(リンクは「人間失格」に触発された押切もえの「モデル失格」)

人間失格 (集英社文庫)人間失格 (集英社文庫)
著者:太宰 治
集英社(1990-11-20)
販売元:Amazon.co.jp
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「アインシュタインは語る」

アインシュタインは語るアインシュタインは語る
大月書店(2006-08)
販売元:Amazon.co.jp
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これは筆者のコメントだが、アインシュタインの伝記の決定版ともいえるものが、6月に出版されている。アインシュタインの手紙の断片を編集した「アインシュタインは語る」よりアインシュタインの考え方や人柄がわかるので、こちらをおすすめする。(ただし下巻はミスにより刷り直しとなって近々再発売される

アインシュタイン その生涯と宇宙 上アインシュタイン その生涯と宇宙 上
著者:ウォルター アイザックソン
武田ランダムハウスジャパン(2011-06-23)
販売元:Amazon.co.jp
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アインシュタイン その生涯と宇宙 下アインシュタイン その生涯と宇宙 下
著者:ウォルター アイザックソン
武田ランダムハウスジャパン(2011-06-23)
販売元:Amazon.co.jp
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斉藤茂太「幸せを呼ぶ孤独力」

幸せを呼ぶ孤独力―“淋しさ”を「孤独力」に変える人の共通点幸せを呼ぶ孤独力―“淋しさ”を「孤独力」に変える人の共通点
著者:斎藤 茂太
青萠堂(2005-12)
販売元:Amazon.co.jp
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長谷部は「読書ノート」をつけて、気に入った文を抜き書きしているという。心の点検もしているのだと。

ちなみに本田圭祐も白洲次郎の本を読んでいたという。

白洲次郎 占領を背負った男白洲次郎 占領を背負った男
著者:北 康利
講談社(2005-07-22)
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長谷部の「監督ノート」

長谷部は今は現役選手だが、いずれは引退する。その時のために2年前から「監督ノート」をつけ始めているという。自分が出会った監督が、どのようにチームをマネージしているのかを記録しているという。

また他の選手から聞いた他の監督の練習方法や、本やテレビなどで見たサッカー以外のスポーツの練習方法でも参考になりそうなものは記録しているという。

注目すべき点は多いという。たとえば:

・シーズン前の合宿ではどのようにしてチームの組織を構築するのか
・遅刻したときの罰金の額
・携帯電話やゲーム機の使用制限
・GM(ゼネラルマネージャー)との関係の作り方
・スポンサーへの対応
・ファンやマスコミへの距離感
・どんなスタッフを揃えるか
・試合に向けてどのような練習をするのか
・練習の時間配分
・練習メニュー

この本の38番目の習慣は「遅刻が努力を無駄にする」だ。長谷部は練習の1時間前には着くようにしているという。時差対策も日本への帰国の一週間前から就寝時間を少しずつ早めるという。いかにもまじめな長谷部らしい習慣だ。

ちなみに筆者の時差調整のやり方は、東へ向かう場合は(日本→北米など)機内で眠るが、西へ向かう場合(北米→日本など)は、機内では寝ないで無理矢理時差調整をする。

飛行機に乗ったらすぐに時計を到着地の時間に合わせるというのも、頭の切り替えに役立つと思う。


長谷部はミスチルファン

この本には長谷部によるミスチルベスト15なども載っていて、ミスチルのことが、いろいろなところで出てくる。試合前の移動中のバスの中でもいミスチルは不可欠なのだと。



「ニーチェの言葉」にドキッとする

このブログでも紹介した「ニーチェの言葉」とか、ワタミの渡邉美樹さんの本のこととかも出てくる。

超訳 ニーチェの言葉超訳 ニーチェの言葉
ディスカヴァー・トゥエンティワン(2010-01-12)
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きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉
著者:渡邉 美樹
日本経済新聞社(2006-09)
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「ニーチェの言葉」の中で「脱皮して生きていく」という言葉にドキッとしたという。ワールドカップ直前に、岡田監督の戦術変更を受け入れられない自分に気が付いたという。

2008年のアルゼンチンのボカ・ジュニアーズとの試合では、ボカの選手のワンプレー、ワンプレーに魂がこもった試合態度に圧倒されたという。ボールを失ったら、すごい気迫で奪い返しに来るという。ユニフォームを引っ張るのも当たり前。スタンドに来ているスカウトに必死にアピールして、わずかな可能性も逃さないという真剣な態度だ。

長谷部はボカの選手を見て、自分の未来は自分で勝ち取るのだという単純なことに気づかされたという。長谷部はボカ戦で、海外移籍を本気で考えるようになり、異文化のメンタリティを積極的に自分になかに取り組むことを意識するようになったという。



筆者はブエノスアイレスに2年間住んでいて、トップクラブ「リーベル・プレート」の会員だったので、リーベルとボカの試合も見た。日本でいえば巨人・阪神戦のような感じで、ちょっとハイソなリーベル、下町のボカという立ち位置だ。ブエノスの貧民地区出身のマラドーナもボカに憧れ、一時在籍したこともある。


長谷部の誠実な性格が伝わってくる本だ。正直あまり長谷部のゴールは記憶にない。あまり目立たないが、日本代表の常連としてチームには不可欠な選手なのだろう。

著者の誠実さといい、気持ちのこもった内容といい、売れる要素満載の本だ。


参考になれば次クリック願う。



ザイニチ魂! ドイツで活躍する鄭大世(チョン・テセ)の本

ザイニチ魂!―三つのルーツを感じて生きる (NHK出版新書 337)ザイニチ魂!―三つのルーツを感じて生きる (NHK出版新書 337)
著者:鄭 大世
NHK出版(2011-01-06)
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4年間在籍した川崎フロンターレから、昨年ドイツ2部リーグのボーフム(Bochum)に移籍したザイニチ3世・鄭 大世(チョン・テセ)の本。

チョン・テセオフィシャル・ブログも持っており、ドイツでの生活やボーフムでの試合結果などが載っている。

チョン・テセブログ





書店で目立つところにあったので買ってみた。

この本を読んだ後で、「壁を壊す!」というブックレットが岩波書店より出ているので、こちらも参考までに読んでみた。「壁を壊す!」は「ザイニチ魂!」の内容と基本的に一緒で、2010年7月に早稲田大学のアジア太平洋研究センターで行われたチョン・テセの講演をまとめたものである。

壁を壊す!! サッカー・ワールドカップ北朝鮮代表として (岩波ブックレット)壁を壊す!! サッカー・ワールドカップ北朝鮮代表として (岩波ブックレット)
著者:鄭 大世
岩波書店(2010-12-09)
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チョン・テセの所属するボーフムはかつて小野伸二も在籍したことのあるクラブで、現在はブンデスリーガの2部の首位にいる。

筆者はボーフムに行ったことがある。といってもサッカーを見に行ったのではなく、ボーフムにある取引先のオフィスに行ったのだ。

ボーフムにはドイツの重工コングロマリット・クルップの特殊鋼部門の本社があり(現在は同じ重工コングロマリットのティッセンと合併して、ティッセンクルップという会社になっている)、昔担当していた鉄鋼原料の関係で訪問したのだ。

ボーフムはデュッセルドルフの郊外にあり、ライン工業地帯の中心地の一つだ。

Ruhr_area-administration




出典:Wikipedia

ボーフムの隣には香川真司が所属するドルトムントや、内田篤人が所属するシャルケ(ゲルゼン・キルヘン)もあり、チョン・テセは香川とよく食事するという。

チョン・テセは読売新聞で「一騎当千」というコーナーを半年ほど書いたり、サッカー雑誌にコラムを書いている。スポーツ選手が書いた本にしては読みやすく、文才があると思う。

この本ではチョン・テセの生い立ちから、幼稚園(河合塾ドルトンスクール名古屋校)、愛知朝鮮第二初級学校、東春朝鮮中級学校、愛知朝鮮高級学校、東京都小平市にある朝鮮大学校での生活、プロとして4年間在籍した川崎フロンターレの生活、そして北朝鮮代表として2008年の東アジア選手権、ワールドカップ予選、2010年のワールドカップ南アフリカ大会のことを書いている。

チョン・テセは身長181センチ、体重81キロというサッカー選手にしては、がっちりした体格をしている。サッカーもさることながら、ヒップホップをやりたいがために筋肉をつけたウェイトトレーニングの賜だとという。

フィジカル面が強いので、日本では「人間ブルドーザー」、韓国では「人民ルーニー」と呼ばれていた。

チョン・テセの憧れはコートジボアール代表のドログバだったが、実際にワールドカップで直接対決して、「レベルが違う、これが世界一か、人間技ではない、人間のがたいではない」という驚きばかりだったという。



ドログバは噂通りの怪物で、当たりの激しいイングランド・プレミアリーグのフィジカルサッカーで勝ち抜くためには、こうならなければならないのかと、ため息が出る思いだったという。

それで目標をドログバからルーニーに変えたのだ。



チョン・テセの目標は次の4つだ。

1.ボーフムをブンデスリーガの1部に昇格させること
2.2−3年後にはイングランドのプレミアリーグに進出すること
3.UEFAチャンピオンズリーグで優勝すること
4.2014年ブラジルワールドカップに出場して1勝以上すること

チョン・テセは現在26歳。ボーフムでは先発のポジションを確保しているが、それでも90分間フル出場は少ない。

チョン・テセのお父さんは在日2世で、国籍は韓国、お母さんも在日2世で国籍は北朝鮮。

もともとチョン・テセの国籍は父系主義で韓国だったが、学校も朝鮮系だし、修学旅行も北朝鮮に行っており、サッカーの代表も北朝鮮代表になるのが当然と思っていたという。

朝鮮大学2年生の時に代表召集の話が来たが、国籍が韓国だったので、参加できずショックを受けた。チョン・テセのお母さんは、韓国籍のお父さんと結婚したことすら悔やんでいたという。

当時から日本代表や韓国代表を目ざすという選択肢はなかった。

朝鮮大学から2006年にJ1の川崎フロンターレに在日として初めて入団。お母さんは泣いて喜び、お父さんも応援してくれたという。

フロンターレでは関塚監督に育てられた。

フロンターレではレギュラーの境目をウロウロしていた2007年6月にチョン・テセは北朝鮮代表になった。

チョン・テセの支援者がFIFAに「在日」の歴史的背景と具体例を示し、照会したところ、北朝鮮のパスポートを持っていれば良いということになった。北朝鮮当局や韓国大使館にねばり強く働きかけて、北朝鮮のパスポートが発給され、晴れて北朝鮮代表になったという。

北朝鮮代表として東アジア選手権予選で、1試合4得点など、3試合で8点を決め、大会の得点王になった。

帰国してからも北朝鮮代表としてなめられてはいけないという思いが強く、練習にも試合にも気を抜くことがなくなり、フロンターレでもレギュラーとなった。

2008年2月に中国・重慶で開催された東アジア選手権本番では、優勝した日本とも対戦し、チョン・テセのゴールで1:1で引き分けている。チョン・テセは韓国戦でゴールを決め、北朝鮮は1:1で引き分けたが、中国戦で1:3で負け、結局優勝を逃している。



チョン・テセは2008年から始まったワールドカップ予選で、チームから浮いてしまい、他の選手からチョン・テセは要らないと監督に進言されてしまったという。

チョン・テセはふてくされていたが、高校の恩師から「自分のルーツを思い出せ」とアドバイスされ、気持ちを入れ替えて代表の試合に臨んだ。北朝鮮は死のグループという韓国、サウジ、イラン、北朝鮮のグループBを韓国と共に勝ち抜いてワールドカップ本戦に出場する。

ワールドカップ本戦ではブラジル、ポルトガル、コートジボアールと同じ組になり、北朝鮮は結局全敗で予選で姿を消す。チョン・テセもブラジル戦での1アシストのみで、得点はゼロだった。ブラジルとは1:2で善戦したが、ポルトガル選では0:7,コートジボアール戦では0:3で負けた。

ワールドカップではカカ、ロビーニョ、クリスティアーノ・ロナウド、ゾコラのユニフォームを手に入れたという。

今後は前記の4つの目標達成のため活躍し、「世界のチョン・テセ」、「世界のザイニチ」として認知されるように貢献したいと結んでいる。


一番知りたい北朝鮮のことは余り書いてない

この本で一番知りたかったのは、チョン・テセがなぜ北朝鮮代表を選んだのか、北朝鮮代表の生活、北朝鮮の民衆の生活はどうなのかという点だが、残念ながらこの本ではあまり詳しく書いていない。

北朝鮮代表を選んだ理由も、日本代表や韓国代表は元々考慮に入れていなかったということであまりはっきりしない。

北朝鮮国籍のお母さんの影響で朝鮮系の学校に行って、教育も朝鮮系の教育を受けてきたので、正式な国籍は韓国でも祖国は北朝鮮と思っていたのだろうと思う。

北朝鮮代表の生活については、ごく断片的な情報しか載っていない。たとえばユニフォームは自分で洗濯しなければならないとか、ユニフォームの質が悪く番号がすぐ取れる、試合用のユニフォームを着て練習するとかだ。

プロがないので、選手達は1年中一緒に生活し、いわゆるステートアマだ。練習は同じパターンの繰り返しで単調だという。

戦い方は超守備的サッカーで、チョン・テセが下がったら10バックになってしまうほどの守備体系だったという。

北朝鮮の選手たちは、純粋で、多くの情報を知らないために、好奇心が旺盛だという。派閥意識もなく、人間的に素晴らしいと。ロシアリーグで活躍するホン・ヨンジョを中心にまとまっているという。

しかしチョン・テセは他の北朝鮮選手とはあまりつきあいがなく、合宿では一人でいることが多いという。やはりザイニチとしては、中に入って行きにくいのだろう。


「壁を壊す!」も含めて北朝鮮のことが余り書いていないのが残念だが、読み物としては面白い。チョン・テセは文才もある。楽しく読めた本だった。


参考になれば次クリック願う。



松井秀喜の「信念を貫く」 新天地アスレティックスで頑張れ!

信念を貫く (新潮新書)信念を貫く (新潮新書)
著者:松井 秀喜
販売元:新潮社
発売日:2010-03
おすすめ度:4.5
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2011年はアスレティックスの一員としてキャンプインした松井秀喜の近著「信念を貫く」のあらすじを紹介する。

このブログでは以前「不動心」を紹介している

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
新潮社(2007-02-16)
販売元:Amazon.co.jp
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「不動心」も非常によかった。特に「努力できることが才能だ」という言葉は、筆者の息子たちにも常々言っている言葉だ。

野球選手はオフのときにプロのライターを頼んで本を出す人が多い。

超多忙な松井が自分で机に向かって原稿を書いたとは思えないので、たぶんこの本も松井の口述筆記をライターがまとめたものだと思うが、松井の人間性や考え方がよくわかる。

内容さえよければ、ライターを使おうが使うまいが関係ないという典型のような本だ。

2006年シーズンに左手首を骨折する大怪我を負った松井は、その後復帰したものの、今度は両膝の故障に悩まされ、その後はヤンキースではDHで試合に出ることが多くなった。

特に2008年のシーズンや、ヤンキースがワールドシリーズに優勝した2009年のシーズンは、守備はやらせないというヤンキースGMの方針で、松井はDH専門となった。

2009年のワールドシリーズは、ナショナルリーグの球場での試合のときは代打でしか出場できないというハンディキャップがあるDHではあるが、シリーズMVPという快挙を成し遂げ、ヤンキースに不可欠の選手という印象を強く残した。



松井もこの本の中で書いているが、ワールドシリーズ第2戦でペドロ・マルチネスの外角低めの球をうまくすくい上げてホームランにしたあの場面が記憶に残っている。

あれは、ペドロの失投だったが、失投を一振りでしとめるのがプロだと。

シリーズMVPになったにもかかわらず、ヤンキースのGMはじめ経営陣は、膝の状態が悪いので松井には守備はさせないという方針を変更せず、守備機会を望む松井との交渉は後回しにされた。

松井は、やはり野球選手は守備につかないとリズムがつかめないと語り、2010年は膝の状態がよければ毎試合守備に出てもらってもかまわないというエンゼルスに入団した。

松井との契約交渉に自ら出馬したソーシア監督の熱意にもほだされたという。

この本では今まで順風満帆だった松井が、2006年のケガ以降、守備ができないため、毎試合DHまたは代打という不安定なポジションになったにもかかわらず、監督の起用法に一切文句を言わず、ヤンキースの勝利をひたすら願って、出場したときには常にベストをつくすというチームプレーヤーに徹する姿が描かれている。

不遇の時代でも松井は信念を持って生きているというメッセージが力強く伝わってくる。

不遇がないというのは選手時代の長嶋に限られると思う。他の選手は王でさえ入団当初の数年は苦労している。

不遇の時代があったほうが、いずれ監督なり、コーチになったときに大成するのではないかと思う。その意味では、この本のように謙虚に自分のチーム内のポジションを受け入れ、与えられた役割でチームのためにベストをつくす松井の姿勢は必ず松井自身のためになるだろう。

「不動心」も面白い本だったが、「信念を貫く」も違った面での松井を知ることができ面白い。簡単に読める新書なので、一読をおすすめする。


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野球がもっと面白くなる 落合の超野球学2 

2010年の日本シリーズで、ロッテに苦杯を飲まされた落合博満監督が浪人時代にベースボールマガジンの超野球学シリーズで持論を展開した本。

今回の日本シリーズでは延長が続き、「いい試合」の連続だったが、逆に2007年の中日ー日本ハムのような歴史に残る場面はなかった。

たとえば2007年の日本シリーズでは、最終戦の完全試合達成中だった山井を、8回で換えた采配が一時論議を呼んだ。

「小心な夢のない野球」とか言っていた人もいたが、結果論もいいところだ。

1:0の試合で、そのまま逃げ切れば日本シリーズ制覇となる場面で、岩瀬へのスイッチは当然だ。そのまま山井に投げさせていれば、日本ハムは最後の力を振り絞って反撃してきただろう。

一人でも走者を出せばズルズル行く恐れはあった。筆者も記憶があるが、ヤクルトの松岡弘だったと思うが、9回まで完全試合をしていたが打たれて負け投手になった例もある。

あの場面で岩瀬が出てきたので、日本ハムは意気消沈し、日本ハムの息の根を止める見事な采配だった。

勝つために野球をやっているのであって、記録をつくるために野球をやっているのではない。

この本でも紹介されている落合の、「相手の嫌がることをやるかが勝負の鉄則」の真骨頂を見せた試合だ。

その落合の野球理論がイラストや写真入りで、わかりやすく説明されているので、前回の「超野球学(1)」に続いて紹介する。


落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
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超野球学1はバッティングの技術、基本を一から説いたが、2では頭、考え方を説く。

いかに相手の嫌がることをやるかが勝負の鉄則だと。

佐々木主浩との対決ではフォークを捨ててストレートだけで勝負して良い結果を残した。

そういば数年前イチロー、佐々木のマリナーズと松井が入る前のヤンキーズで大リーグのプレイオフを戦ったとき、ヤンキーズ打者全員に徹底的にボールを見られて自滅した事を思い出す。

力のある投手がアウトローをひたすらついてくるとお手上げなのに、なぜ自分と同じ考えをする投手がいないのだろうと、ほくそ笑んでいたのだと。

『最後は自分のウィニングショットで打ち取りたい』という投手の美学、『真っ向勝負したから悔いはない』という投手の冒険心、相手バッテリーの性格を考えて攻略するのだと。

『データ人間になってはいけない、自分がデータの宝庫になろう!』といいながら、『ヤマは張ったことはありません。』、『配球も読んだことがありません。』ではやや混乱するが、インハイを意識してたち遅れない準備だけをしてボールを待つのだという。

超野球学1でのボールをよく見る、深いトップと大きなフォロースルー、早い始動、超野球学2の理想的な体の回転、『ボールを押し込む』という手首の動き、理想的なミートポイント、これらのチェックポイントを頭に入れて、かつリキまない。

今度バッティングセンターに行くのが楽しみだ。

最後に現役時代の『練習なんかしません』発言について、現役を退いた今『練習はしました。質も量も他のどの選手にも負けないくらい練習しました』と胸を張って言えると。

落合の言うことはすべて疑ってかからなければならない。すべて目的があって言っているのだから。


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落合博満の超野球学1 全然「オレ流」じゃない本当の落合

2010年11月9日追記:

日本シリーズでロッテに敗れた中日落合監督。3年前は日本シリーズを制したが、今年は伏兵西村ロッテに苦杯を飲まされた。

勝負師落合としては案外冷静に分析して、もう来年のことを考えているのかもしれない。

落合監督の浪人時代の野球論の本を紹介する。

マスコミは「オレ流」とかレッテルを貼っているが、今度別ブログで紹介する「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」でテリー伊藤が言っているように、プロに徹して遊びのない落合はマスコミ受けしないだけだと思う。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)なぜ日本人は落合博満が嫌いか? (角川oneテーマ21)
著者:テリー 伊藤
角川書店(角川グループパブリッシング)(2010-05-10)
販売元:Amazon.co.jp
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2007年11月2日追記:


日本シリーズを制して、中日に53年ぶりの優勝をもたらした落合博満監督。

名球会の資格がありながら、名球会には入らないなど、落合監督は「オレ流」とか言われて誤解されることが多い。

今回の最終戦も落合監督の采配が非難されているが、プロとして当然のピッチャー交代だと思う。

その落合監督の考えがよくわかるのが、この「コーチング」と「超野球学(1)」なので、日本シリーズ制覇を記念して再掲する。

コーチング―言葉と信念の魔術


落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈


落合博満中日監督というとマスコミは「オレ流」とレッテルを貼る。しかし彼の流儀は「基本に忠実に」であり、全然「我が道を行く」とか「唯我独尊」ではない。

彼はあまりに当たり前の事しか言わないので、常人とは異なる「鋭い」見方で人気を保っている有名プロ野球解説者面々には煙たがられ、彼らとは異なるという意味で「オレ流」と呼ばれているのかもしれない。

そんな落合の本は出版社が受けを狙ってか前著の「コーチング」でも「教えない、ただ見ているだけで良い」とか、誤解を招くサブタイトルを付けられていた。

この本も「超野球学1」とあたかも普通の野球理論とは異なる本の様なタイトルを付けられているが、実際はサブタイトルの「バッティングの理屈」が示すとおり、基本の基本のおさらいである。

バッティングの常識は
1.センター返し、

2.ボールをよく見る、

3.コンパクトにスウィングする

の3点だが、落合はそれぞれにわかりやすい説明をして、それらがいかにちゃんと理解されていないかを指摘する。

この本も読んでから買ったが、買う価値のある本だと思う。

たとえばセンター返しについては2000年の中村紀洋との対談で、「落合さんはライトへのホームランが多かったと思いますが、どうやったら右へ強い打球を狙い打ったのですか」と聞かれた時に「ライトに狙い打ったことは一度もないよ」と答えたと。

一瞬中村は驚いた表情をしたが、すぐになるほどと理解した由。翌2001年は中村は前年の記録を大幅に伸ばし、プロの一流の打者でも基本に忠実にやることによって記録を伸ばせることを実証してみせた。

あくまで常識=理屈を説き、全然オレ流ではない。

「バッティングは1日、2日で上達するものではない。1回でも多くバットを振った選手が生き残る。」実に泥臭いが、そういえば王も練習の虫と言われていたことを思い出す。

コンパクトなスウィングの解釈はバットを短く持って、当てに行くのではなく、「トップの位置はより深く、バットは一直線に振り出し、フォロースルーは大きく」だ。

全然しろうと考えと違うが、なるほどと思う。参考になる野球理論である。



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東大五月祭でミスター東大コンテスト開催

以前紹介した東大五月祭でミスター東大コンテストが開催された。

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 東大






出場人数は13名で、東大B&W(ボディビル&ウェイトリフティング)部のOBが中心だが、陸上部の選手や、学習院のボディビル部の選手なども参加していた。

次が当日配布されたパンフレットだ。

五月祭






司会は山谷茜(あかね)さん。非常に場慣れしており、ボディビルコンテストでの用語も筆者以上に詳しいのに驚かされた。出場したB&W部OBの奥さんで、月刊ボディビルディングの記者だ(だった?)そうだ。

ボディビルディング 2008年 10月号 [雑誌]ボディビルディング 2008年 10月号 [雑誌]
販売元:体育とスポーツ出版社
発売日:2008-08-25
クチコミを見る

解説は東大御殿下グラウンドのトレーナー、武田晃尚さん。B&W部出身ではないが、太い腕が印象的なビルダーだ。

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筆者は実はミスター東大コンテストは初めて見た。あまり人が集まらないのではないかと心配していたが、会場の法文二号館の文1大教室(300名くらい収容だろうか?)が満杯で立ち見の人も出るくらい盛況だった。

観客には女子高生や、防衛大学校だろうか、自衛隊の制服を着た自衛隊関係の学校の学生もいた。若い女性の観客も多く、現役部員の励みにもなったのではないかと思う。

途中から入場する人も多く、5−6名の中年女性のグループ(学生のお母さんたちだろうか?)も最後の方に入場し、佐々木卓君のゲストポージングを見ていた。

出場選手はコンテストを本気で優勝を目指す人と、会場を盛り上げるため(?)の出場者が混ざっており、見ていても楽しかった。観客も飽きることなく、楽しめたのではないかと思う。

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審査員の評価の他に、パンフレットにQRコードが付いており、観客が携帯電話から投票できるようにしていた。

ミスター東大コンテスト投票







フリーポーズ評価も顔評価も同じQRコードなので、同じ顔投票画面が表示されるのはご愛敬といったところだ。

優勝は法学部4年の岸上君。ボディビルコンテストの時期ではないので、他の選手は絞り込んでいないためキレ(ディフィニション)がやや欠けているのに対して、キレがよく、プロポーションもバルクもあった。岸上君の写真はミスター東大コンテストの特設サイトで公開されている

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上の写真は優勝した岸上君。それと主催者を代表して筋肉博士東大石井教授が講評しているところだ。

ゲストポーザーのタックこと、佐々木卓君の仕上がりが非常に良かったのが印象的だった。

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佐々木卓君はB&W部のOB3年目。法学部卒業後、理学部(?)に転科し、現在は石井教授の研究室で、大学院生として筋肉の研究を続けている。いずれは石井教授の良き後継者となることだろう。

佐々木卓君はテレビのクイズ番組などにも時々登場している。彼のポージングを初めて見たが、さすがに二年連続の学生ボディビルチャンピオン、2008年のミスター東京チャンピオンだけあって、バルクは石井教授の現役時代に匹敵するものがある。

コンテスト直前の時期ではなく、身体を絞り込んでいないために、ディフィニションはミスター日本やミスターアジアになった全盛時の石井教授のすごみ・迫力とは比較にならないが、肩幅も広く、骨格的には石井教授よりも恵まれた素質を持っているのではないかと感じた。

観客席まで降りていって、観客に写真を撮らせたりしていたので、観客もトップレベルのボディビルダーの身体が身近に見えて楽しめたのではないかと思う。

10年ぶりにミスター東大コンテストを復活させた主催者の企画力と実行力には感心した。いずれ社会人になっても、人を動かす力は必ずや役に立つと思う。

コンテストの後、帰りに石井教授と一緒になったので、話を聞いた。石井教授はゴルフはやらないが、年間300ゲームくらいボウリングをやっていて、この日も息子さんと一緒にボウリングのトーナメントに参加するとのことだった。

昔石井教授と一緒にボウリングをした時の記憶が甦ってきた。強烈な回転を掛けた強いボールが石井教授の持ち玉で、平均200をちょっと下回るアベレージとのことだった。

総じて現役と、出場選手、現役を支援するOB,他の大学の関係者、観客を巻き込んでイベントを盛り上げた司会の山谷茜さんや解説者の武田さん他の全員のチームワークの良さ、準備・運営の緻密さがよくわかるさわやかなイベントだった。

ボディビルを全く知らない人でも楽しめたと思う。

いずれこのイベントの映像はウェブで公開されるそうなので、楽しみにしている。



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