江戸時代、1842年(天保13年)から明治12年(1879年)まで37年間、加賀藩に御算用
者として仕えた猪山家の家計簿を中心として武士の生活の実態を明らかにした本。

無名の武士の家計簿なので、非常に地味な素材だが、磯田さんの軽妙な語り口から、ビビッドな武士の生活風景が浮かびあがってくる。

この本を原作として堺雅人主演の映画「武士の家計簿」が2010年に封切られている。半沢直樹で大ブレークする前の堺雅人が、堅実なそろばん侍を好演していて面白い映画に仕上がっている。





磯田さんの「歴史の愉しみ方」に「武士の家計簿」の映画化の話が紹介されている。



ある日突然、映画会社から映画化させてほしいとの電話があったのだと。

松竹の太秦(うずまさ)の時代考証技術は高く、映画の小道具には江戸時代の本物がかなり使われていたという。高津(こうづ)商会という道具会社の巨大倉庫から出してくるそうで、「高津は美術館も持っている」との説明だったと。

製作費4億円をかけてチャンバラのない時代劇を撮った。興行的には大成功で、Wikipediaによると15億円の興行収入があったようだ。

撮影所に招待されて、磯田さんは、ちょんまげ姿の堺雅人さんと話したとのこと。堺さんは、映画会社が勧めても高級ホテルに入らず、ウィークリーマンションにこもり、役作りに関係したメモや文章をこつこつ書いているとのこと。堺雅人さんの人柄がわかるエピソードだ。

この映画は2010年の作品なので、2012年に亡くなった森田芳光監督の最後の作品の一つだ。

この本の目次を紹介しておく。

第1章 加賀百万石の算盤係

第2章 猪山家の経済状態

第3章 武士の子ども時代

第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ

第5章 文明開化のなかの「士族」

第6章 猪山家の経済的選択

猪山家は代々加賀藩の御算用者、つまり会計係で、地道な仕事が評価され、そこそこの収入を得ていた。父と夫の二人が御算用者として勤め、ダブルインカムで現在の貨幣価値で1,742万円の年収があった。

しかし、武士の身分では祝儀交際費や儀礼行事用をケチるわけにはいかず、下女、草履取りの家来もいたので、家計は火の車で、方々から年収の倍の借金をしていた。

そこで、猪山家では、一大決心をして家財道具の主なものはすべて売り払い、債権者と交渉して、分割払いかつ金利減免の条件を取り付けて、リストラが成功したのだ。家計簿が残されたのも、この大リストラのおかげだ。

リストラで衣装を売り払ったので、猪山家の夫婦はまさに着たきりスズメの生活に耐えた。衣装代は祖母と母のみで、妻のお駒には衣装代はない。夫の直之は悲惨で、こずかいは月々約6,000円しかなかった。

武士に跡継ぎの男子が生まれると、毎年のようにいろいろな行事があり、親戚を呼んで宴を催す。

映画では絵に描いた鯛の場面が出てくるが、実際には猪山家では跡取り息子の宴は本物の鯛で祝い、娘の祝い事では絵に描いた鯛で済ませていたようだ。

武士の儀礼で最も出費があるのが葬儀だ。猪山家では、年間収入のほぼ1/4を葬儀費用に費やしている。

猪山直之の跡取り息子、猪山成之は、幕末に大村益次郎に見込まれ、維新後は海軍に勤め、海軍主計大監まで出世している。

この本では、猪山家の親族の維新後の身の振りようを”文明開化のなかの「士族」”として紹介している。やはり士族の一番の出世は、新政府の役人や軍人になることで、猪山家では成之の息子二人が海軍に勤め、海軍一家となっている。

しかし、猪山家はその後の日露戦争で三男をなくしたり、甥がシーメンス事件に巻き込まれるなど、晩年は不運が続いた。

猪山家の東京の住居は、現在の東京タワーの近くの聖アンデレ教会がある場所だったという。筆者もこの教会の前を時々通るので、感慨深い。

最後に磯田さんは、猪山家の人々から、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が、人の死活をわけることを教えてもらったように思うと書いている。筆者も同感である。芸は身を助ける。

士族から海軍は、たぶんベストの「転職」ではないかと思うが、それは算盤に長けていたからだ。ナポレオンも砲兵士官だったが、軍隊では大砲の弾着を計算するのに、数学は必須だ。まさに、「算盤侍」が海軍士官には適していたのだ。

あまりに地味なタイトルなので、長らく読もうという気にならなかったが、読んでみたら大変面白い。2010年の時点で20万部を超えていたので、いまではさらに売れているだろう。

映画も大変面白い。映画もおすすめである。


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