渋谷ではたらく社長の告白 (幻冬舎文庫)渋谷ではたらく社長の告白 (幻冬舎文庫)
著者:藤田 晋
販売元:幻冬舎
発売日:2007-08
おすすめ度:4.5
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「時短読書のすすめ」ブログの第3弾は、サイバーエージェント社長の藤田晋さんの「渋谷ではたらく社長の告白」だ。現在は文庫でも発売されており、買い求めやすくなっている。

この本がベストセラーになった後、藤田さんは奥さんの奥菜恵さんと離婚。また独身に戻っている。

ネット長者の一人として、またホリエモンの親しい友人として、この本が出た2005年当時はマスコミにもいろいろ叩かれたことがあったが、今は若者集団をまとめて力を発揮させる着実な経営者という評価が定着していると思う。

藤田さんは直接話法の使い方がたくみで、楽天の三木谷さんの発言など、いかにも人間性が出ていて、ついひきこまれてしまう。

この人もカーネギー信者か!ということで、もう一つのインデックスはカーネギーにしている。

以下あらすじは2005年7月4日初掲のもので、その後ホリエモンは逮捕されたり、藤田さんの周辺では動きはあったが、あらすじ自体には特に付け加えることはないので、そのまま掲載する。



筆者は新刊書でもベストセラーでも、まずは図書館で予約して読む。読まずに買うことはしない。その筆者がインターネット業界本で初めて買った本がこれだ。

藤田氏の経歴・自伝の内容もさることながら、有線の宇野社長、ホリエモン、三木谷さん、GMOの熊谷社長などとの会話の引用が、それぞれの社長の性格がよくわかる発言に仕上がっていて絶妙である。

『社長失格』からホリエモンやGMOの熊谷正寿社長のベストセラーの『一冊の手帳で夢は必ずかなう』などネット関係者で数百冊の本を読んだが、この本は頭にスッと入り、思わず引きつけられる。

女優奥菜恵と結婚していることでも知られているインターネット広告事業のサイバーエージェント藤田晋(すすむ)社長の自伝的告白。すでに5年前に『ジャパニーズドリーム』という本を出版しており、これが2作目。福井県のめがねフレームで有名な鯖江市生まれで、父親はカネボウの工場に勤務するサラリーマンというごく普通の青年。

しかし筆者が一度読んでからあえて本を買ったことでもわかる通り、ただ者ではない。

藤田氏は天才的営業マンでなおかつすぐれた経営者なのだろう。高校まではバンドをやってミュージシャンを目指していたが、高校3年で歌の才能がないことに気づく。偏差値40から急遽受験勉強して、青山学院大学経営学部に入学する。将来の夢として『会社をつくる』ことをこころざし、そのために学生の時に人材紹介業のオックスプラニングセンターにアルバイトとして働き、営業員として頭角を現す。

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
著者:ジェームズ・C. コリンズ
販売元:日経BP社
発売日:1995-09
おすすめ度:4.5
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このオックスプラニングセンターでのアルバイト時代に感銘を受けたのが『ビジョナリーカンパニー』で、いずれ『21世紀を代表する会社をつくる』ことを決意とする。

人を動かす 新装版人を動かす 新装版
著者:デール カーネギー
販売元:創元社
発売日:1999-10
おすすめ度:5.0
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角川春樹がカーネギーに影響されたことは前に書いたが、藤田氏もまたカーネギーの『人を動かす』から学んだことをあげていること。

なんと藤田氏もカーネギー信者か!

卒業後は当時32歳でインテリジェンスの社長だった有線の宇野社長に出会い、インテリジェンスに入社する。宇野社長が社内一番のハードワーカーだったそうだが、藤田氏も最初からほとんど休みなしに働き、土日も出社し、バリバリ実績を上げ、『すごい新人が入ってきた』と周囲から一目おかれる。

入社1年目でオックスプラニングセンターの元上司、親友に誘われ、3人で会社設立すべく決意し、インテリジェンス宇野社長に告げると、なんと逆提案でインテリジェンスが50%出資する会社をつくるのでその社長になれと言われる。これが入社1年目の新入社員がやることか!宇野氏にも藤田氏にも両方に驚かされる。

『大事なのは金じゃない。本当に大事なのは志を共有できるかどうかなんだ』

『21世紀を代表する会社をつくる』という目標をもった藤田氏はこの宇野社長の殺し文句でコロリ、インテリジェンス入社1年後の1998年4月にサイバーエージェントを創業する。

会社を創るときには事業はなにをやるのかはっきりしたプランがなかったが、宇野社長と相談し、1998年当時注目をあびてきたインターネット関係の事業で、インターネットの営業を専門にする会社をつくることにする。

インターネット業界は営業が弱いから、営業の専門会社をつくるそれだけのシンプルな事業計画で、学生アルバイトを集めスタート。

営業第一号は高津社長のウェブマネーの営業代行。持ち前の営業力で売りまくる。そうかそれでウェブマネーは強いのかと納得できる。

藤田氏は創業直後の1998年7月から『ベンチャー企業の日記』をホームページ上に書き始める。これが今は渋谷ではたらく社長ブログになっている。ブログのパイオニアである。

最初から週110時間働くと決めていた彼らは『毎日事業プランコンテスト』を行う。その中からでてきたのがサイバークリック(クリック保証型広告事業)だ。まずは学生アルバイトにつくらせるが、全然ダメ。困ってエッジの堀江貴文社長を訪問する。

当時の堀江社長は26歳、藤田氏は25歳、おたく的雰囲気の堀江氏のオフィスを訪問すると、スリッパに履き替え、バーカウンターのある会議室に通される。そこに長髪で今よりだいぶ太っていたおたく的な堀江社長が現れる。挙動不審に思えたが、話し始めるとあふれる野心、独演会、ただものではないと直感する。

そんな堀江氏にクリック保証型システムの件を相談すると『いや、できますよ。あんなの楽勝ですよ』翌週には完成。堀江氏自身がプログラムをつくった。エッジにパートナーとして収益を分け合う形としてスタートしたサイバークリックに営業を集中。トラブルは堀江氏がバイクで来て修理した。

堀江氏は『あんなの楽勝ですよ。他にもあったら言ってください』と言うので、メール版のアフィリエイトシステムも『そんなの作れますよ』のノリで、参入。結局これがサイバーエージェントとエッジの共同事業のメルマガ配信システム、クリックインカム=現メルマとなる。

創業初年度の1998年に7名の新卒内定者を取ったが、この7名は1人を除きいずれも退社。しかし2年目の内定者20名はサイバーエージェントグループの要職についている。

表参道のオフィス環境、最先端のインターネットビジネス、若く士気の高い社員たち。すべては優秀な人材を確保するためのプレゼンテーションだったのだと。藤田氏は自分は採用に関しては最初からたぐいまれな能力を発揮していたと語っている。

インテリジェンスは全く他社との差別化はなく、後発にもかかわらず他社をごぼう抜きにしている。理由はただ一つインテリジェンスは採用に非常に力をいれているので、同業他社と比べて明らかに優秀な社員が入社し、その社員が非常に高い士気で頑張っているからだ。『採用力は競争力だ』

1999年にネットバブルが起こる。業績も急成長、サイバークリック、クリックインカム(現メルマ)、大阪支店も大当たり、2000年の史上最年少社長としての上場記録をめざす。原宿から始めたオフィスも北青山、そして2000年に家賃1,500万円の渋谷マークシティに引っ越す。

東大卒、住友商事で働いていた23歳の中山豪氏を口説いて入社。現在財務担当取締役の中山氏は入社当日に寝袋持参で出社、『ベンチャーですから』と20日間泊まり続けた。博報堂から米国にMBA留学中の早川氏を引き抜く。

このころ出資したいというベンチャーキャピタルや上場企業が押し寄せる。ある上場企業の経営者よりは50億だすと言われる。ソフトバンクの孫氏は『インターネット業界は今100年に一度のチャンスです!』と言い、熱狂はさらに盛り上がる。

こんなタイミングで恩人の宇野社長に出資比率の変更を申し出る。『わかった。最初の約束だったもんな。なんとかするよ』と。宇野社長も立派だ。結局藤田氏の持ち分を34%とし、上場後に出資比率が落ちないようにワラントも発行することとなる。

GMO熊谷社長は初対面で『…というわけで、当社はインターネット広告に参入したいと思っている。そのためにもサイバーエージェントに出資させて頂いた上で提携したい』と。このときは断るが、後にGMOはサイバーの株主となり、一時は20%を保有していた。

1999年9月末サイバーエージェントの2回目の決算がでる。売上は5億円、利益は3千万円程度出ているはずだった。ところが売上計上の仕方を変えないと上場できないと監査法人から言われ、その通りにすると売上4億5千万円、利益は2千万円の赤字となる。

2000年春の上場をあきらめかけた時に神風が吹く。孫さんがナスダックジャパンの設立を発表。東証も対抗するために、マザーズ創設を発表。赤字会社でも上場が可能となる。

ジャパニーズ・ドリーム―史上最年少の上場企業社長ジャパニーズ・ドリーム―史上最年少の上場企業社長
著者:藤田 晋
販売元:アメーバブックス
発売日:2005-07
おすすめ度:4.0
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上場にあわせて『ジャパニーズ・ドリーム』を出版。時価総額10兆円企業を目指すと宣言。1999年の日経ベンチャーの未上場ベンチャーオブザイヤーの2位に選ばれる。1位は楽天でこのときに三木谷社長と知り合う。

インターネット企業の株価はさらにヒートアップ。上場前のサイレントピリオドが始まったが、大阪で顧客とのトラブル発生。重要客先の媒体取り扱い停止、サイバークリックの特許問題発生、主幹事証券会社の顧問弁護士が強硬に反対し、2000年2月の上場が延期される。マークシティへの引っ越しを控え、多くの内定者を出しているのにキャッシュが底をつきそうになる。

同年齢のクレイフィッシュの松島社長が市場最年少の上場記録を達成。さんざん宣伝した後なので、まあいいかと思っていると、今後は東証の審査官の面接で藤田氏自身が失態。

審査官『コーポレートガバナンスについて、どうお考えですか?』、藤田氏『コーポレートガバナンスって何でしたっけ?』『今日はこれまでです。結果はまたご連絡します』…これで上場が延びるが、ぎりぎりのタイミングの2000年3月24日に設立丸2年で、株価1,500万円(!)で上場。

初値1,520万円がつき、225億円の資金調達に成功。藤田氏も26歳にして300億円の資産を持った。ところがネットバブル崩壊で、株価はそれから凋落の一途となる。

『インターネット関連株を早く処分しろ。』これに巻き込まれたのがエッジ(現ライブドア)だ。2000年4月にマザーズに上場したが、結局初日は売り気配のまま終わってしまう。

筆者もこのころ米国に駐在して某インターネット企業のIPO株を取得した。1999年11月IPO価格$42、初値$210、それから2週間でピーク$320、2000年3月に$200(持ち株半分売却。この半分は元手が5倍に!)、2000年4月$80-90、2000年10月$10前後(残り半分売却。この半分は元手が1/4に!)という超速ローラーコースターを経験しているので、実感がわく。

追われ者―こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた追われ者―こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた
著者:松島 庸
販売元:東洋経済新報社
発売日:2002-04
おすすめ度:4.5
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クレイフィッシュの松島社長は大株主の光通信にたてつき、社長を解任されてしまう。『どんなことがあってもキレたら、ゲームオーバーなんだ…。』

株価は暴落し、ネット企業たたきが始まる。高値で買った株主はカンカン。業績も赤字。株価上昇のために株式分割したが、逆に売りやすくなってさらに株価は下がる。2000年9月期の業績は売上32億円、16億円の営業赤字。

12月の株主総会は大荒れ。2004年9月期には売上300億円、利益30億円を出すという中期経営計画を発表するが、株式市場は無関心、だれも達成を信じていなかった。投資家からは評判が悪いと言われ、社員は離脱。藤田氏は自らの保有株を当時の時価で7億円分(現在の時価で100億円!)全社員に無償で配ることを決心。ところが株をもらってからすぐやめる人が続出。最悪の時期だ。

会社は先行投資中にもかかわらず、一度いつでも黒字を出せることを見せようと2001年4〜6月期に無理矢理4半期ベースで黒字としたが、株式市場からはむしろ売上鈍化を問題視され、評価がさらに下がった。

M&Aコンサルティングの村上社長が10%を買い占め、『現金を150億円持っているのを一度株主に返したらどうか』と言ってくる。そのころ他の株主がその気になれば子会社化ができることに気がついたが、ワラントの行使時期は2001年10月となっており、それまでは拒否権がないことがわかり自分の無防備に愕然とする。

GMO熊谷社長よりは合併を持ちかけられる。『藤田君、ぼくは20億も御社に投資しているんだよ』、村上氏よりは『メディア事業なんてたいしたことないんじゃないの?強みのある広告代理店に特化してはどうなんだ?』といわれ、有線ブロードワークスの社長に就任した宇野社長からは『藤田、おまえがしっかりしなくてどうするんだ』と喝を入れられる。

このころはノイローゼになりそうだったと。株価対策が万策つき、悩みに悩み『このままではGMOに買収されてしまう、どうせなら宇野社長がいい』と思い、宇野社長に買収してくれと言うと『おまえの会社なんかいらねえよ。そんな気持ちでやってきたのか。よく考えろ。』と言われる。

その数日後楽天の三木谷氏が興味を持っていると連絡が入る。三木谷氏に会うと、『話は聞いている。俺は出資するつもりだ。ベンチャーが叩かれているから助けないとね。』GMOの持ち株の半分を三木谷社長が買い取ることで、話は進み、藤田氏も無事ワラント行使して現在に至る。

その後数ヶ月後の三木谷社長との会話。『三木谷社長、今度の4半期決算厳しそうです。』『そうなんだ?』『なんとか黒字は確保しなければと思っているのですが。』『いいよ、そんなの。もっと中長期の経営を目指しているんだろ?だったら、自分の信念を貫けよ。』

『私はなにもかも若く、そして未熟でした。21世紀を代表する会社をつくる。これからはもう何があっても信念を曲げない。堅くそう決意した。』

創業5周年を迎えた2003年9月期より収穫の時を迎える。2004年9月期に向けた中期計画が現実味を帯びてきた。実際には売上267億円、利益40億円を達成した。私生活では奥菜恵と結婚。事業もランナーズ・ハイとなり、次は1000億円、1兆円をめざすと。

最後に『みんなで一緒に会社を大きくしよう』と締めくくり、きっちり採用を呼びかけている。

読後感爽快な元気の出る本だった。文庫版になって買いもとめやすくなったので、是非一度手に取ることをおすすめする。


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