巨象も踊る
著者:ルイス・V・ガースナー
販売元:日本経済新聞社
発売日:2002-12-02
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1993年から2002年までCEOとして巨大な赤字を出して不振に陥っていたIBMを立て直したルイ・ガースナー氏の自伝。
ガースナー氏はIBMのCEOに就任した時に、「いま現在のIBMに最も必要ないもの。それがビジョンだ」と発言して話題となったことでも有名だ。
ガースナー氏のeメールや『eビジネスの将来』と題した講演、IBM再生の財務実績などの付録も含めて460ページにものぼる大作なので、読むのに時間が掛かった。
ガースナー氏はニューヨークのロングアイランド出身、ダートマス大学工学部を卒業してすぐにハーバードビジネススクールに入り、1965年にマッキンゼーに新卒で入社し、すぐに頭角を現し9年で上級パートナーに昇進し、金融グループの責任者として上級指導委員会の委員となった。
しかし経営コンサルティングを一生の仕事にするつもりがないことがはっきりしたので、マッキンゼーに12年居た後、1977年にアメリカン・エクスプレスに旅行関連サービスグループの責任者として入社した。
アメリカン・エクスプレスで様々なポストと経験した後、1989年に投資会社のKKRがLBO(レベレッジド・バイアウト=買収する会社の資産を担保に資金を調達するやりかた)で買収したRJRナビスコのCEOに就任した。
アメリカの為に引き受ける
RJRナビスコで4年経営に携わった後、1993年4月にIBMのCEOに就任する。IBMの株価の推移をリンクでご紹介するが、ガースナー氏が就任した時は13ドルで、退任した2002年の1月は120ドルまで上がった。現在は80ー90ドルで推移している。緊急危機でもさほど株価が落ちていないのはさすがだ。
当時のIBMは世界のメインフレーム市場で圧倒的なシェアーを誇っていたシステム360が前年比60%値下がりするなど、利益を長年もたらしたメインフレーム商品が寿命を迎えていた、
1980年代から急速に拡大しつつあったPC市場では、IBMは先駆者ながら心臓部のソフトをマイクロソフト、CPUをインテルに任せてしまったので結局先駆者利益を得られず、会社として巨額の赤字を計上していた。
ちなみに筆者が米国に初めて駐在した1986年には、オフィスのPCと言えばIBMのPCがメインで、ワードプロセッサー専用機のWang Laboratoriesがまだ広く使われていた時代だった。
日本ではNECの98シリーズが日本語対応の独自システムで圧倒的なシェアを持っていたところに、IBMがDOS-Vでなぐり込みをかけた頃だ。
先も見えず、会社分割は不可避と思われ、危機的状況だった。
こんな状況でCEOを引き受けたのは、CEO選定委員長の「IBMはアメリカの至宝だ。アメリカのために引き受けて欲しい」という殺し文句のためだったと。
ビジョンつくりの代わりになすべき事
ガースナー氏の就任会見で最も有名な言葉は、「いま現在のIBMに最も必要ないもの。それがビジョンだ」というものだ。
ビジョンの代わりに戦略をつくり、実行する。
収益性を回復し、顧客の維持・獲得に勝利する。
クライアント・サーバー分野にさらに力を入れる。
会社分割はせず、業界で唯一の総合的なサービス・プロバイダーとして、総合的ソリューションを提供する。
顧客本位の姿勢を強めるといったことが、ガースナー氏の就任会見で発表された。
ガースナー氏の経営方針
ガースナー氏がCEO就任直前にIBMの経営会議に出席したときに次の経営方針(抜粋)を発表している。就任直前のCEOは簡単に挨拶する程度ですませるものだが、ガースナー氏は45分も熱弁を振るった。
1.手続きによってではなく、原則によって管理する
2.われわれがやるべきことのすべてを決めるのは市場である
3.問題を解決し同僚を助けるために働く人材を求めている。社内政治を弄(ろう)する幹部は解雇する
4.わたしは戦略の作成に全力を尽くす。それを実行するのは経営幹部の仕事だ
5.速く動く。間違えるとしても、動きが遅すぎたためのものより、速すぎたためのものの方がいい
6.組織階層はわたしにとって意味を持たない。会議には地位や肩書きにかかわらず、問題解決に役立つ人を集める。
このうち最も重要なのは、原則によるリーダーシップ、顧客(市場)の立場に立った判断、戦略の実行、それに待遇・報酬改革だ。
原則によるリーダーシップ
ガースナー氏の経営のやり方は原則によるリーダーシップだ。それまでのIBMがプロセスにとらわれていたので、プロセスを破壊して組織全体に新風を吹き込んだ。
ガースナー氏の原則とは市場、品質、顧客満足度、株主価値、生産性、戦略的なビジョン、緊急性の感覚などである。
これらをIBMの経営幹部に目覚めさせるために、世界中から420名を集めた上級経営幹部会で、顧客満足度と市場シェアーの2つの図を見せた。どちらもIBMは急速に順位を下げていた。
IBMは競争相手にぶっ飛ばされているのだと。
さらに競争相手CEOのIBMをあざける言葉をこの会議で紹介した。
たとえばオラクルのラリー・エリソンは「IBM?死んだ訳ではないが、相手にする必要がない会社になった」と語った。
IBMでは社内の他部門に対する怒りは日常茶飯事だが、競争相手に対する怒りはなかった。それをガースナー氏はかき立て、社員の怒りのベクトルを競争相手に向けさせた。
顧客・市場重視
ガースナー氏は就任後すぐにベア・ハッグ作戦を発表した。経営幹部50人が3ヶ月以内に最低5社の大口顧客を訪問する計画だ。
ちなみにベア・ハッグとは強く抱きしめることで、プロレスの技にもなっている。
IBMの天動説的顧客無視主義はガースナー氏自身も経験していた。アメックス時代、たった1台のアムダール機を購入した為に、IBMが契約の打ち切りを宣言してきたこともあった。
地域ごとに独立していた組織も全世界産業別の組織に再編成した。銀行、政府、保険、流通、製造業などの11の産業別分野と中小企業の12の分類したのだ。
顧客は二の次というIBM文化を変えるためだ。
勝利、実行、チームが新しいIBMリーダーのスローガン
ガースナー氏は社員の前で訴えた、IBMでは計画実行の失敗を繰り返していると。
実行と進捗報告を要求していない。期限を設定していない。タスクフォースをつくる。またタスクフォースをつくる。しかし実行はしない。
就任記者会見で一躍ガースナー氏を有名にした言葉、「いま現在のIBMに最も必要ないもの。それがビジョンだ」という言葉の裏には、ビジョンを創っている余裕はない、戦略をつくり、それの実行あるのみだという強いメッセージが込められている。
戦略を着実に実行する。情熱を持って組織を率いて勝利を得る。そんなリーダーをIBMは求め、重用するようになった。
IBMに着任する前の経営会議で幹部が50人ほど集まっていたが、ガースナー氏だけブルーのシャツで、他は全員白いシャツだった。短期間に全員がカラーシャツを着るようになった。
IBMの会議ではオーバーヘッド・プロジェクターを多用していたが、ガースナー氏は歩み寄ってプロジェクターの電源を切って、「事業について話をしよう」と呼びかけたことも全社にまたたく間に知れ渡った。
社内で独立帝国の様な存在だったヨーロッパなども、幹部を入れ替え、IBM文化を変えていったのだ。
待遇・報酬体系の改訂
ガースナー氏が就任した当時のIBMではストックオプションやボーナスはごく一部で、大半が固定報酬で、全部門共通の等級に基づき同じ給料が支払われ、しかもほとんど差が付けられていなかった。
福利厚生もアメリカ企業でNo. 1だった。無料医療や社員専用カントリークラブなど古き良きアメリカだったのだ。
しかしIBMが窮地に陥り、数万人がレイオフされていた状況では制度改革が必要だった。
ガースナー氏は、業績に基づく報酬体系に変更し、社員の多くにストックオプションを導入し、2002年には7万人がストックオプションを持つ様になっていた。
IBMでは30万人の社員のほとんどが知的労働者であり、それをつなぎ止め、全社的目標達成に向かわせるためにストックオプションを拡大したのだ。
また所属部門の業績にリンクしていたボーナスを、上級社員ほど全社業績にリンクする様に変えた。
全社の業績が悪くとも自分の部門さえ良ければよいという文化を変えたのだ。
全社が一丸となったチームの基盤ができた。
ガースナー氏の功績
1.メインフレーム事業への再注力
ガースナー氏の兄もIBMで働いていたが、病気でコンサルタントとなっていた。兄がメインフレーム事業の位置づけを再認識するように助言した最初の人間だった。
メインフレームではIBMのヨーロッパやアメリカの研究所が提唱したアーキテクチャーのバイポーラからCMOSへの大胆な移行を決断し、コストを下げ、価格を大幅に下げて競合の日立他を引き離し、後継のシステム390でメインフレーム事業をよみがえらせた。
2.サービス事業の拡大
クライアント・サーバーモデルでは顧客自身が様々なサプライヤーの機器やソフトを統合しなければならない。そのため様々なサプライヤーの技術を統合するソリューションが重要だと考えた。
ハードウェアも自社のものにこだわらず、サービス主導のビジネスに変えたのだ。
3.『eビジネス』というブランドでネットワーク型コンピューティング推進
単体のパソコン中心の時代の次にくるもの。それはネットワーク型コンピューティングであるとの考えのもとに、オープンな標準規格化を推進した。
ネットワーク社会となるにつれ、パソコンの機能は大型システムやネットワーク機器に代替される。
テレビ、ゲーム機、携帯端末、携帯電話、自動車や家電などがパソコンに取って代わるという今で言うユビキタスコンピューティングにガースナー氏は賭けたのだ。
『eビジネス』という言葉をつくり、これがIBMにとって『月旅行計画』、会社を活気づける大目標と宣言した。
『eビジネス』のマーケティングと宣伝に50億ドルを投じたが、ブランド力の向上という意味で、自分のキャリアで最高の仕事だとガースナー氏は振り返って語っている。
4.世界最大のソフトウェア事業を再構築
ガースナー氏就任当時IBMは世界最大のソフトウェア企業だった。しかしIBM自身がソフトウェア企業であるという認識がなかったし、ソフトウェア事業部もなかった。
そこでIBMのソフトウェア資産を一人の経営幹部のもとに集め、自社仕様をすべてオープン仕様にした。
数百のアプリケーションソフトから撤退し、IBMが強いミドルウェアに注力し、グループウェアのノーツを持つロータスやTivoliを買収。シーベルとの提携など、強みを活かし、2001年現在でマイクロソフトに次いで世界第2位のソフトウェア売上となった。
5.自社の研究資産を競争相手にでさえ売る
IBMの研究所のノーベル賞の受賞者数は、ほとんどの国を上回っており、世界の情報技術の大半を生み出してきた。しかし自社が開発した技術は外には売っていなかったため、結局科学的な発見を効果的に市場化できないでいた。
競争相手に自社の虎の子の技術を売るという問題はあったが、自社の製造部門は既存技術での製品が売れている以上、新規技術の商品化に消極的だったので、社内で商品化できないものは社外に売るという方針に転換した。
そこで技術のライセンス供与とDRAMを初めとする部品のOEM販売を開始した。結局DRAM事業からは撤退したが、ガースナー氏はDRAM事業はIBMが部品市場に参入する入場料のようなものだったと語る。
カスタム半導体でトップとなり、ゲーム機向けのパワーPCでコンピューター以外の成長分野にも進出できた。
ガースナー氏の座右の銘 世の中にいる4種類の人
最後にガースナー氏は長年オフィスに掲げていた標語を紹介している:
世の中には4種類の人がいる。
動きを起こす人
動きに巻き込まれる人
動きを見守る人
動きが起こったことすら知らない人
IBMの標語は"Think!"だと思っていたが、ガースナー氏の標語は異なる。
楽天の三木谷さんの"Best effort basis"の人と"Get things done"の人という2種類の分類とは若干切り口が異なるが、同様の区分である。
460ページの本を読み終えて、ガースナー氏の実行こそ最も重要で、リーダーシップ次第では『巨象も踊る』のだというのがよくわかった。
まずは長年続いた経営会議を廃止し、取締役会も人材一新という破壊から始まり、内外からの人材を起用したリーダーシップチームつくりも参考になった。
ガースナー氏が名前を挙げて特筆しているリーダーシップチームは、CFO、人事担当、広報担当と全世界一つの広告代理店、サービス部門の責任者、ソフトウェア部門の責任者である。
どこの会社でもCFOと人事と広報がCEOの改革チームには必要だと思う。
あらすじを書くのにえらく時間が掛かったが、何度も読み返したせいでガースナー氏の強いリーダーシップにより、IBMという会社がいかに復活したかよくわかった。
やや取っつきにくい本だが、まずはこのあらすじを読んで、大作に挑戦いただきたい。
参考になれば次クリックお願いします。
著者:ルイス・V・ガースナー
販売元:日本経済新聞社
発売日:2002-12-02
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1993年から2002年までCEOとして巨大な赤字を出して不振に陥っていたIBMを立て直したルイ・ガースナー氏の自伝。
ガースナー氏はIBMのCEOに就任した時に、「いま現在のIBMに最も必要ないもの。それがビジョンだ」と発言して話題となったことでも有名だ。
ガースナー氏のeメールや『eビジネスの将来』と題した講演、IBM再生の財務実績などの付録も含めて460ページにものぼる大作なので、読むのに時間が掛かった。
ガースナー氏はニューヨークのロングアイランド出身、ダートマス大学工学部を卒業してすぐにハーバードビジネススクールに入り、1965年にマッキンゼーに新卒で入社し、すぐに頭角を現し9年で上級パートナーに昇進し、金融グループの責任者として上級指導委員会の委員となった。
しかし経営コンサルティングを一生の仕事にするつもりがないことがはっきりしたので、マッキンゼーに12年居た後、1977年にアメリカン・エクスプレスに旅行関連サービスグループの責任者として入社した。
アメリカン・エクスプレスで様々なポストと経験した後、1989年に投資会社のKKRがLBO(レベレッジド・バイアウト=買収する会社の資産を担保に資金を調達するやりかた)で買収したRJRナビスコのCEOに就任した。
アメリカの為に引き受ける
RJRナビスコで4年経営に携わった後、1993年4月にIBMのCEOに就任する。IBMの株価の推移をリンクでご紹介するが、ガースナー氏が就任した時は13ドルで、退任した2002年の1月は120ドルまで上がった。現在は80ー90ドルで推移している。緊急危機でもさほど株価が落ちていないのはさすがだ。
当時のIBMは世界のメインフレーム市場で圧倒的なシェアーを誇っていたシステム360が前年比60%値下がりするなど、利益を長年もたらしたメインフレーム商品が寿命を迎えていた、
1980年代から急速に拡大しつつあったPC市場では、IBMは先駆者ながら心臓部のソフトをマイクロソフト、CPUをインテルに任せてしまったので結局先駆者利益を得られず、会社として巨額の赤字を計上していた。
ちなみに筆者が米国に初めて駐在した1986年には、オフィスのPCと言えばIBMのPCがメインで、ワードプロセッサー専用機のWang Laboratoriesがまだ広く使われていた時代だった。
日本ではNECの98シリーズが日本語対応の独自システムで圧倒的なシェアを持っていたところに、IBMがDOS-Vでなぐり込みをかけた頃だ。
先も見えず、会社分割は不可避と思われ、危機的状況だった。
こんな状況でCEOを引き受けたのは、CEO選定委員長の「IBMはアメリカの至宝だ。アメリカのために引き受けて欲しい」という殺し文句のためだったと。
ビジョンつくりの代わりになすべき事
ガースナー氏の就任会見で最も有名な言葉は、「いま現在のIBMに最も必要ないもの。それがビジョンだ」というものだ。
ビジョンの代わりに戦略をつくり、実行する。
収益性を回復し、顧客の維持・獲得に勝利する。
クライアント・サーバー分野にさらに力を入れる。
会社分割はせず、業界で唯一の総合的なサービス・プロバイダーとして、総合的ソリューションを提供する。
顧客本位の姿勢を強めるといったことが、ガースナー氏の就任会見で発表された。
ガースナー氏の経営方針
ガースナー氏がCEO就任直前にIBMの経営会議に出席したときに次の経営方針(抜粋)を発表している。就任直前のCEOは簡単に挨拶する程度ですませるものだが、ガースナー氏は45分も熱弁を振るった。
1.手続きによってではなく、原則によって管理する
2.われわれがやるべきことのすべてを決めるのは市場である
3.問題を解決し同僚を助けるために働く人材を求めている。社内政治を弄(ろう)する幹部は解雇する
4.わたしは戦略の作成に全力を尽くす。それを実行するのは経営幹部の仕事だ
5.速く動く。間違えるとしても、動きが遅すぎたためのものより、速すぎたためのものの方がいい
6.組織階層はわたしにとって意味を持たない。会議には地位や肩書きにかかわらず、問題解決に役立つ人を集める。
このうち最も重要なのは、原則によるリーダーシップ、顧客(市場)の立場に立った判断、戦略の実行、それに待遇・報酬改革だ。
原則によるリーダーシップ
ガースナー氏の経営のやり方は原則によるリーダーシップだ。それまでのIBMがプロセスにとらわれていたので、プロセスを破壊して組織全体に新風を吹き込んだ。
ガースナー氏の原則とは市場、品質、顧客満足度、株主価値、生産性、戦略的なビジョン、緊急性の感覚などである。
これらをIBMの経営幹部に目覚めさせるために、世界中から420名を集めた上級経営幹部会で、顧客満足度と市場シェアーの2つの図を見せた。どちらもIBMは急速に順位を下げていた。
IBMは競争相手にぶっ飛ばされているのだと。
さらに競争相手CEOのIBMをあざける言葉をこの会議で紹介した。
たとえばオラクルのラリー・エリソンは「IBM?死んだ訳ではないが、相手にする必要がない会社になった」と語った。
IBMでは社内の他部門に対する怒りは日常茶飯事だが、競争相手に対する怒りはなかった。それをガースナー氏はかき立て、社員の怒りのベクトルを競争相手に向けさせた。
顧客・市場重視
ガースナー氏は就任後すぐにベア・ハッグ作戦を発表した。経営幹部50人が3ヶ月以内に最低5社の大口顧客を訪問する計画だ。
ちなみにベア・ハッグとは強く抱きしめることで、プロレスの技にもなっている。
IBMの天動説的顧客無視主義はガースナー氏自身も経験していた。アメックス時代、たった1台のアムダール機を購入した為に、IBMが契約の打ち切りを宣言してきたこともあった。
地域ごとに独立していた組織も全世界産業別の組織に再編成した。銀行、政府、保険、流通、製造業などの11の産業別分野と中小企業の12の分類したのだ。
顧客は二の次というIBM文化を変えるためだ。
勝利、実行、チームが新しいIBMリーダーのスローガン
ガースナー氏は社員の前で訴えた、IBMでは計画実行の失敗を繰り返していると。
実行と進捗報告を要求していない。期限を設定していない。タスクフォースをつくる。またタスクフォースをつくる。しかし実行はしない。
就任記者会見で一躍ガースナー氏を有名にした言葉、「いま現在のIBMに最も必要ないもの。それがビジョンだ」という言葉の裏には、ビジョンを創っている余裕はない、戦略をつくり、それの実行あるのみだという強いメッセージが込められている。
戦略を着実に実行する。情熱を持って組織を率いて勝利を得る。そんなリーダーをIBMは求め、重用するようになった。
IBMに着任する前の経営会議で幹部が50人ほど集まっていたが、ガースナー氏だけブルーのシャツで、他は全員白いシャツだった。短期間に全員がカラーシャツを着るようになった。
IBMの会議ではオーバーヘッド・プロジェクターを多用していたが、ガースナー氏は歩み寄ってプロジェクターの電源を切って、「事業について話をしよう」と呼びかけたことも全社にまたたく間に知れ渡った。
社内で独立帝国の様な存在だったヨーロッパなども、幹部を入れ替え、IBM文化を変えていったのだ。
待遇・報酬体系の改訂
ガースナー氏が就任した当時のIBMではストックオプションやボーナスはごく一部で、大半が固定報酬で、全部門共通の等級に基づき同じ給料が支払われ、しかもほとんど差が付けられていなかった。
福利厚生もアメリカ企業でNo. 1だった。無料医療や社員専用カントリークラブなど古き良きアメリカだったのだ。
しかしIBMが窮地に陥り、数万人がレイオフされていた状況では制度改革が必要だった。
ガースナー氏は、業績に基づく報酬体系に変更し、社員の多くにストックオプションを導入し、2002年には7万人がストックオプションを持つ様になっていた。
IBMでは30万人の社員のほとんどが知的労働者であり、それをつなぎ止め、全社的目標達成に向かわせるためにストックオプションを拡大したのだ。
また所属部門の業績にリンクしていたボーナスを、上級社員ほど全社業績にリンクする様に変えた。
全社の業績が悪くとも自分の部門さえ良ければよいという文化を変えたのだ。
全社が一丸となったチームの基盤ができた。
ガースナー氏の功績
1.メインフレーム事業への再注力
ガースナー氏の兄もIBMで働いていたが、病気でコンサルタントとなっていた。兄がメインフレーム事業の位置づけを再認識するように助言した最初の人間だった。
メインフレームではIBMのヨーロッパやアメリカの研究所が提唱したアーキテクチャーのバイポーラからCMOSへの大胆な移行を決断し、コストを下げ、価格を大幅に下げて競合の日立他を引き離し、後継のシステム390でメインフレーム事業をよみがえらせた。
2.サービス事業の拡大
クライアント・サーバーモデルでは顧客自身が様々なサプライヤーの機器やソフトを統合しなければならない。そのため様々なサプライヤーの技術を統合するソリューションが重要だと考えた。
ハードウェアも自社のものにこだわらず、サービス主導のビジネスに変えたのだ。
3.『eビジネス』というブランドでネットワーク型コンピューティング推進
単体のパソコン中心の時代の次にくるもの。それはネットワーク型コンピューティングであるとの考えのもとに、オープンな標準規格化を推進した。
ネットワーク社会となるにつれ、パソコンの機能は大型システムやネットワーク機器に代替される。
テレビ、ゲーム機、携帯端末、携帯電話、自動車や家電などがパソコンに取って代わるという今で言うユビキタスコンピューティングにガースナー氏は賭けたのだ。
『eビジネス』という言葉をつくり、これがIBMにとって『月旅行計画』、会社を活気づける大目標と宣言した。
『eビジネス』のマーケティングと宣伝に50億ドルを投じたが、ブランド力の向上という意味で、自分のキャリアで最高の仕事だとガースナー氏は振り返って語っている。
4.世界最大のソフトウェア事業を再構築
ガースナー氏就任当時IBMは世界最大のソフトウェア企業だった。しかしIBM自身がソフトウェア企業であるという認識がなかったし、ソフトウェア事業部もなかった。
そこでIBMのソフトウェア資産を一人の経営幹部のもとに集め、自社仕様をすべてオープン仕様にした。
数百のアプリケーションソフトから撤退し、IBMが強いミドルウェアに注力し、グループウェアのノーツを持つロータスやTivoliを買収。シーベルとの提携など、強みを活かし、2001年現在でマイクロソフトに次いで世界第2位のソフトウェア売上となった。
5.自社の研究資産を競争相手にでさえ売る
IBMの研究所のノーベル賞の受賞者数は、ほとんどの国を上回っており、世界の情報技術の大半を生み出してきた。しかし自社が開発した技術は外には売っていなかったため、結局科学的な発見を効果的に市場化できないでいた。
競争相手に自社の虎の子の技術を売るという問題はあったが、自社の製造部門は既存技術での製品が売れている以上、新規技術の商品化に消極的だったので、社内で商品化できないものは社外に売るという方針に転換した。
そこで技術のライセンス供与とDRAMを初めとする部品のOEM販売を開始した。結局DRAM事業からは撤退したが、ガースナー氏はDRAM事業はIBMが部品市場に参入する入場料のようなものだったと語る。
カスタム半導体でトップとなり、ゲーム機向けのパワーPCでコンピューター以外の成長分野にも進出できた。
ガースナー氏の座右の銘 世の中にいる4種類の人
最後にガースナー氏は長年オフィスに掲げていた標語を紹介している:
世の中には4種類の人がいる。
動きを起こす人
動きに巻き込まれる人
動きを見守る人
動きが起こったことすら知らない人
IBMの標語は"Think!"だと思っていたが、ガースナー氏の標語は異なる。
楽天の三木谷さんの"Best effort basis"の人と"Get things done"の人という2種類の分類とは若干切り口が異なるが、同様の区分である。
460ページの本を読み終えて、ガースナー氏の実行こそ最も重要で、リーダーシップ次第では『巨象も踊る』のだというのがよくわかった。
まずは長年続いた経営会議を廃止し、取締役会も人材一新という破壊から始まり、内外からの人材を起用したリーダーシップチームつくりも参考になった。
ガースナー氏が名前を挙げて特筆しているリーダーシップチームは、CFO、人事担当、広報担当と全世界一つの広告代理店、サービス部門の責任者、ソフトウェア部門の責任者である。
どこの会社でもCFOと人事と広報がCEOの改革チームには必要だと思う。
あらすじを書くのにえらく時間が掛かったが、何度も読み返したせいでガースナー氏の強いリーダーシップにより、IBMという会社がいかに復活したかよくわかった。
やや取っつきにくい本だが、まずはこのあらすじを読んで、大作に挑戦いただきたい。
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