小林よりのりの靖国神社論。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論


現在中国との間で、尖閣列島問題がフォーカスされているが、同じように中国がしばしば指摘するのが首相の靖国神社参拝問題だ。

たとえば安部晋三は靖国参拝を明言しているが、谷垣禎一は靖国参拝は控えると明言している。まるで中国による「踏み絵」のようだ。

中国・韓国との外交問題となってしまった靖国問題だが、小林よしのりは【検証】朝日は靖国をこうして「外交カード」に仕立てたという一章をもうけて、朝日新聞を「アジアの放火魔」と呼んでいる。

まさにゴーマニズムの呼び名の通りの発言だ。

筆者は朝日新聞を購読しているが、小林よしのりの本を読むことで別の面からの議論の論点がわかって参考になった。

そもそも靖国神社参拝は公的行事として、歴代の首相が行い、天皇が行っていたのだが、昭和50年の三木首相の靖国「私的参拝」発言が「公式参拝」是非論議をつくりあげてしまった。

これが天皇が靖国神社を参拝できなくなった理由だと指摘している。しかし靖国神社の成り立ちからして、公式参拝が当然であると小林よしのりは語る。


靖国神社のなりたち

戦争で亡くなった戦死者を祀る神社という意味では、靖国神社は唯一無二の存在である。

靖国神社は明治二年(1869年)明治天皇の「わが国のために尽くした人々のみたまは国自ら永久にお祀りすべきである」との聖旨により『東京招魂社』として建立された。

祀られているのは幕末の1953年、黒船来航の年からの死亡者であり、日本の近代化の過程でたおれた吉田松陰や、坂本龍馬も祀られているのだ。

靖国神社には現在250万柱の御祭神が祀られている。古来からの死者・先祖を崇拝する信仰に基き、公に殉じた人を英霊と呼び、国が永久にお祀りする施設だ。

神社のなりたちとスピリチュアルな面を忘れ、国立追悼施設の建立とはナンセンスなのだと。


死者のみたま

この本では多くの戦死者の遺書や、終戦自決者の遺書が載せられているが、彼らの国を守るという意志は純粋で、読んでいて涙がにじんでくる。

何百万もの戦死者が靖国あるいは九段で会おうと誓いあって死んでいった以上、みたまを靖国から動かすことなどありえないと。

筆者の母の弟、筆者の叔父が太平洋戦争で戦死している。

土浦航空隊で訓練中に敵機の爆弾が防空壕を直撃し、他の仲間と一緒に亡くなったものだ。たしか享年18歳だったと思う。

生き埋めによる窒息死なので遺書はない。現場に駆けつけた母は、叔父の顔がまだ生きている様に生気を帯びていて、死んだとは認めたくなかったと言っていたものだ。

戦友や遺族たちが毎年土浦で慰霊祭をやっていたので、筆者も昔何回か参加したことがある。

航空自衛隊に行った叔父の戦友が、慰霊祭にあわせて上空を飛行機で記念飛行していたのを思い出す。

筆者は戦後生まれなので、戦死した叔父には当然会ったこともなく、写真だけだが、叔父が戦後叙勲されたのを祖父は大変喜び、叙勲の詔勅を居間に飾っていたことを思い出す。

お墓も代々の墓とは別に叔父の海軍二等兵曹の墓を別につくってある。いかに祖父母が叔父の死を悲しんでいたかがわかる。

叔父の場合は、毎年合同の慰霊祭があったので、靖国神社にはお参りしなかったが、こういった特別の事情がなければ、たぶん祖父母や母も靖国神社にお参りしたことだろう。

このブログを読んで頂いているあなたにも、たぶん親類で戦争でなくなった人が必ずおられると思う。

戦後60年以上が経ち、戦争の記憶がどんどん風化する一方だ。

そもそも靖国神社とはどんな存在なのか、神道に基づく神社への参拝が、なぜ外国との政治問題化するのか、日本の内なるスピリチュアルな問題をあえて外交問題と仕立てようとする国内勢力があるのではないか…。

そんな考える機会をあたえてくれる本である。

朝日新聞を「アジアの放火魔」と呼ぶような過激な点は注意する必要があるが、論点を考える上では参考になる本だと思う。


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