今後数回は外交官出身のノンフィクション作家関榮次さんの作品を紹介する。

筆者が最初に読んだのは「日英同盟」だったが、関さんのストーリー構成力にはうなった。

関さんとは昼食をご一緒したこともあり、著書にサインも頂いた。


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このあらすじブログが縁で、ご紹介した本の著者の方とのおつきあいが出来るようになり、筆者も大変刺激を受けた。

日英同盟―日本外交の栄光と凋落日英同盟―日本外交の栄光と凋落
著者:関 栄次
販売元:学習研究社
発売日:2003-03
おすすめ度:4.0
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筆者は年間200冊以上の本を読んでいるが、たとえプロの作家でも本当に文才がある人は案外少ないと感じている。

今まで頭をガーンとやられる様なカリスマ性があると感じたのは安部譲二と角川春樹であることは以前書いたが、この本の著者の関榮次さんの文才というか、ストーリー構成力には感心した。

日英同盟に基づき日本が第1次世界大戦中に地中海に艦隊を派遣したという、知る人ぞ知る部類の歴史的史実をセンターピースにしていながら、徳川家康に仕えた三浦按針に始まる日本と英国の歴史からはじまり、現在の日米安保体制に対する提言まで、一連の流れでスッとあたまに入る様に構成されている。

また史実についても、この本の帯に「元外交官による10年にも及ぶ資料発掘の成果!」と書いてあるが、それぞれの事件の描写が関係者の回想録や外交文書などの綿密な調査に基づいていることがはっきりわかる深みがあり、興味深く読めた。


著者の関栄次さんは元外交官

以前紹介した日米永久同盟で日英同盟のことが言及されていたので、この本を読んでみたのがきっかけだが、『日米永久同盟』と提言も異なり、出来も全く異なる。

著者の関栄次さんは駐英公使、ハンガリー大使等を歴任した元外交官でノンフィクション作家だ。

日本のシンドラー6,000人のユダヤ難民を救った杉原千畝を取り上げたNHKのその時歴史が動いたでも、ゲスト出演した。

一般的に日英同盟は『日本外交の精髄』と呼ばれて、特に日露戦争の時の英国の協力(戦費調達、ロシアバルチック艦隊補給への嫌がらせや、アルゼンチンがイタリアに注文していた戦艦の日本への転売斡旋等)が、日本の勝因の一つになったとして、高く評価されている。

しかし、それは来るべき日露対決の事を考えて1902年に締結された日英同盟が、2年後の1904年に実際に日露戦争が起こったときに機能したもので、いわば当初の目的通りである。

日英同盟のおかげで日本はロシアに勝利して列強と肩を並べる『一等国』になったとの満足感に浸ったが、それは1923年に米国の圧力で終了するまでの日英同盟の21年の歴史のほんの一部でしかない。

関さんは日英同盟を礼賛する様な動きを諫め、余り知られていない地中海遠征という史実を通して、当時の日英両国の関係を描き、末期の日英同盟を救おうとする一連の動きを取り上げる。


第1次世界大戦まで

1914年に第1次世界大戦が勃発し、日本も参戦しドイツが領有していた青島を攻略、1915年には中国に対して21箇条の要求を出すに至って、日本は日英同盟を悪用しているとの批判が英国内に高まる。

しかし国運を賭してドイツと戦っている英国は、背に腹は替えられず、手を焼いていたドイツ・オーストリア連合軍のUボートの輸送船攻撃に対抗するため、日本に地中海への艦隊派遣を要請。

この時の英国首相はロイド・ジョージ、軍縮相はウィンストン・チャーチルだ。

日本海軍ではちょうど欧州視察から帰国したばかりの秋山真之(さねゆき)少将(司馬遼太郎の『坂の上の雲』の登場人物)が、地中海派遣という機会を生かせば、戦後の我が国の地歩が有利になるとともに、実戦経験は技術向上や兵器の改良にも役立つとして、優秀な若手士官を派遣することを熱心に進言していた。


地中海への艦隊派遣

英国の要請を受け1917年に旗艦を巡洋艦『明石』とする最新鋭の樺型駆逐艦8隻の第2特務艦隊が地中海遠征に派遣され、以後1919年の凱旋帰国まで2年間地中海で連合国の輸送船防衛の任務につくことになった。

日本の特務艦隊はマルタ島に本拠を構え、連合国のなかでも抜群の稼働率で出動し、各国からの信頼を得て、地中海の連合国輸送船護衛に大きな成果を上げた。

唯一の損害らしい損害は、駆逐艦榊がオーストリア・ハンガリー帝国の小型潜水艦の雷撃で、船首に大きな損害を受け、59名が殉職した事件である。

本書はこの事件を中心に、最後はマルタ島にある榊殉職者の慰霊碑を著者が訪れた時の記録で終わっている。

この事件に関しては非常に詳しいウェブサイトを見つけたので、ご興味のある方は参照頂きたい。

オーストリアもハンガリーも現在はいずれも内陸国なので、潜水艦と言われてもピンとこないが、旧ユーゴスラビア、現在のクロアチアは当時オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったので、アドリア海を母港として地中海に出没していた。

日本から派遣された特務艦隊には後に巡洋艦出雲と駆逐艦4隻が増派され、終戦とともに戦利品のUボート数隻を伴って、凱旋帰国した。

戦後ロンドンで大戦勝パレードがあり、各国の軍隊が参加したが、日本は艦隊は既に帰国の途についており、わずかに4名の駐在武官がパレードに参加したにとどまった。

本書の裏表紙にあるこのときの貧相なパレードの写真は、日本の外交センスのなさを示す写真として紹介されている。


近代海戦では対潜水艦対策がカギ

筆者は駆逐艦が英語でDestroyerと呼ばれるのを長らく不思議に思っていたが、今回第1次世界大戦で既にドイツのUボートが活躍していた事を知り、なぜ駆逐艦をDestroyerと呼ぶのか、はじめてわかった。

駆逐艦よりずっと大きい巡洋艦はヨットの様なCruiser、戦艦はもっと簡単にBattle Shipと、どうということがない呼び名がついているが、駆逐艦だけがデストロイヤーというおどろおどろしい名前がついている。

第1次世界大戦の時から潜水艦が海上輸送の大きな脅威で、潜水艦に対抗して商船隊を護衛するには高速でかつ小回りの利く小型艦船が必要だったのだ。

そのため排水量1,000トン前後で最高速度30ノット前後の小型の駆逐艦が大量に建造され、対潜作戦に当たったのだ。

日本から派遣された樺級の駆逐艦も排水量665トンの小型船舶だ。

地中海遠征を通して、日本は神出鬼没の潜水艦に対抗するには多数の駆逐艦など小型船舶と、航空機による護送船団方式しかないことを経験したわけだが、この教訓は生かされず、相変わらず大艦巨砲主義に固執し、それが結局第2次世界大戦の敗北につながった。

現代では駆逐艦の代わりに、航空機と哨戒艇が対潜水艦戦略の中心であることは『そのとき自衛隊は戦えるか』で紹介したが、日本は第2次世界大戦の反省もあってか、哨戒機99機、哨戒ヘリ97機と突出した対潜水艦戦闘能力を持っている。


日英同盟の末路

第1次世界大戦後のパリ講和条約交渉では、エール大学卒の俊英を代表にたてる中国に対し、日本は21箇条の要求の理不尽さを突かれ守勢にまわる。

同盟を結んでいた英国も日本を援護すべく努力はするが、日本を支援することが英国内の世論の賛成を受けられず、限界があった。

日本は地中海派兵を行い、榊の乗組員の犠牲を払ったが、自らの行動に世界から支持を得られず、もはや日英同盟を継続することは不可能であった。

英国は日英同盟を終結する時に、ロイド・ジョージ首相、バルフォア枢密院議長などが、英国の名誉のためにも第1次世界大戦で貢献した日本に対する信義を守らなければならないと呼びかけ、アメリカを説得し、さらにフランスも入れて、1923年の4カ国条約締結に至る。

1923年のワシントン条約で軍備制限が合意され、大正デモクラシーのもと、束の間の平和が訪れるが、日本は軍制度改革や軍備縮小に失敗し、5.15事件、2.26事件等を経て軍部の介入がひどくなり、太平洋戦争に向かっていく経路をたどる。


日米安保体制への教訓

著者の関栄次さんは日英同盟の教訓をもとに日米安保体制について考察している。たぶんこれが最も関さんが伝えたかった点であろう。

日英同盟が双務的な盟約であったのに対して、日米安保条約は対日講和後も米軍基地を維持しようという米国の意図から生まれた片務・従属的な条約である。

たしかに日本の復興・発展に日米安保条約が果たした役割は大きく、それがため日米関係は『最も重要な二国関係』と言われる様になってはいるが、安保条約のために日本の国民の防衛意識が希薄になってしまったと関さんは指摘する。

筆者が昔読んだ小沢一郎の『日本改造計画』(絶版となっていたが復刻される)で、小沢氏は『普通の国』という表現を使っていたが、戦後60年が過ぎ、共産圏対自由主義圏という冷戦構造もなくなり、アジアでは中国、インドのBRICS諸国の台頭が著しい現状では、日米安保条約が現在のままで良いのかどうかを日本国民の間で真剣に議論する時ではないかと筆者も思う。

日本改造計画日本改造計画
著者:小沢 一郎
販売元:講談社
発売日:1993-06
おすすめ度:4.5
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関さんは現在の日米安保体制が国家の自主性を損ない、国民の外交感覚を鈍らせる結果となっていることが気がかりだと指摘している。

また沖縄に集中する米軍基地の縮小についても、真剣な対策をおろそかにしてきた歴代政権の責任は重大であると指摘する。

さらに現状のままでは、80年前に日英同盟がワシントンに葬られたように、いつの日か日米安保体制が北京に、あるいはモスクワなどに葬られないという保障はないと警告する。

同盟は、盟邦以外の諸国を疎外し、外交上の選択の幅を狭めることになるので、いわば劇薬のようなものであり、国益を守るため他に十分な手段がない場合の補足的措置であるべきであり、慢性的に常用してよいものでもないと。

共産主義に代わり、国際テロが国際社会への脅威となり、世界情勢が変わり、ピンポイントで攻撃できる巡航ミサイルなど軍事技術も進歩した。

米国自身も国内外の基地展開を縮小している現状で、日米安保がそのまま継続されるべきなのかどうか。

そもそも日本国憲法を改正し、自衛権を明文化すべきではないか。様々な観点での議論が必要だ。

関さんは日本国民が必ずしも納得しない米国の世界戦略に奉仕することを求められることもある現在の安保条約を、国民的論議も十分に尽くさないまま惰性的に継続することは、日米の真の友好を増進し、世界の平和と繁栄に資する道ではないと語る。

米軍基地をグアムに移転するから移転費用の1兆円を日本国民が負担しろというアメリカ政府の提案が明らかになり、日本政府がそれを受け入れようとしている現在、国民の税金を使う前に、普通の国となる議論が再度なされるべきではないかと筆者も感じる。


元外交官のからを破った関さんの提言は斬新で拝聴すべき意見だと思う。読後感さわやかなノンフィクション作品である。


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