都市伝説ソウル大改造


昨年韓国大統領に就任した李明博(イ・ミョン・バク)氏のソウル市内を流れる清渓川(チョン・ゲ・チョン)再生事業についての手記。

今月ソウルに家族旅行で行くので、再度読み直した。

李明博大統領の支持率も回復しているようだ。

清渓川





出典:韓風(kampoo)

李明博氏は「ブルドーザー」と呼ばれていたので、ソウル市長としての権力をふるってゴリ押しするタイプの人かと思っていたが、この本を読んで、様々な人に気を遣いながら、慎重に事を進めていく黙考熟慮型の人ということがよくわかった。

この本では李明博氏の生い立ちや、平社員からわずか10年あまりで社長に就任した現代建設時代の活躍などは書かれておらず、もっぱら清渓川再生プロジェクトのことだけが書かれている。


李明博氏の経歴

李明博氏は1941年日本の大阪生まれ。終戦後両親とともに韓国に帰国したが帰国途上で船が転覆し、九死に一生を得る。

貧しい農家の息子として生まれ、パンや蚕のさなぎ(ポンテギといって酒のつまみ)などを露天商として売って学費を稼ぎ、苦学して地元の夜間高校からソウルの高麗大学を卒業した。

24歳で現代建設に入社し、ヒラ社員の時は課長の様に、課長の時は理事(役員)の様に常に一歩先を見て行動し、シベリアや砂漠などでビジネスをつくって注目され、入社5年で理事(役員)、12年目の36歳で社長になった。47歳に会長に就任してからは、政治を志し、1992年 51歳の時に国会議員に当選した。

国会議員だった時に1998年から99年までの間、米国のジョージワシントン大学の客員研究員として留学し、環境対策を中心とした国家経営を研究する。

2002年、61歳の時にソウル特別市市長に就任し、清渓川再生プロジェクトで一躍韓国のみならず世界の注目を浴びる。

日本でも清渓川にならって、東京の日本橋再生計画などが議論される様になってきている。清渓川については日本語のホームページもできているので、是非ご覧頂きたい。


下水道化していた清渓川

清渓川再生プロジェクトを思いたったのは、米国に留学してボストンのビッグディグプロジェクトを見学してからだと李明博氏は語る。

ビッグディグとは、ボストンの都心の史跡の風景を損なっている高架道路を撤去し、高速道路を地下化しようというプロジェクトで、米国で最もコストがかかる公共事業工事とされている。昨年末20年近くかかった工事が完成し、これによりボストンの町中の慢性渋滞も解消し、景観も回復する効果があった。

清渓川は元々都心を流れる人工河川で、生活用水などが流れ込み、名前のような清流ではなかった。

韓国の高度成長時代に清渓川の上に清渓川高架道路が建設され、清渓川は暗渠(あんきょ)になっていたが、メタンガス爆発を時々繰り返し、高架道路としての耐用年数を超え、1990年代にはソウルの厄介者になっていた。

清渓川をどうにかしなければならないという共通の問題意識はあったが、どうすべきかは決まっていなかった。

一日17万台の車が通る片側6車線の高架道路で、この付近には露天商の出店が並んでいた。清渓川の復元をすると、大規模な交通マヒが起こり、露天商に対して巨額の補償をしなければならないと、学者たちは反対していたという。


2つの重点目標

ソウル市長就任してからは、交通事情の改善と清渓川再生を2大テーマとして、環境に配慮したサステイナブル都市として有名なブラジルパラナ州のクルティバ市を視察し、ベンチマーキングを行った。

この本では交通事情改善は取り上げられていないが、李明博氏の功績の一つとしてソウルの交通事情改善も有名だ。

清渓川についてはソウル市長立候補時の公約通り、高架道路下の暗渠から、清流流れる都市型くつろぎの公園河川に生まれ変わらせる工事を2年間で終わらせるべく清渓川復元本部を組織した。

清渓川本部は推進本部、復元研究団、市民委員会の3部構成で、工事は3区間に分けて入札で大手建設会社が請け負った。当初は尻込みしていた大手建設会社をたきつけるマーケッティングを行ったのも李明博氏だ。

200年周期の大洪水対策も、模型でシュミレーションを積み重ねて行い、2段の護岸構造とした。

着工直前には、取り壊す清渓川高架道路を歩くイベントを行った。李明博氏は野党出身なので、清渓川再生のための交通規制などに警察などの協力を得られず、着工もあやぶまれていたが、盧武鉉大統領と面談し協力を取り付けると警察も一転して協力的になった。

清渓川は人工河川だったので、ソウルを流れる漢江から水を引こうとすると、水資源公社からは莫大な代金を請求されそうになった。この論争がインターネットで報道され、国民から圧倒的な支持を得たので、無料で漢江から水を引けることになったという。


国際的に評価が高い清渓川プロジェクト

清渓川には平均260メートル間隔で、国際コンペで選ばれた22の異なるデザインの橋を架け、ソウル市の景観を変える効果もあった。

韓国では日本と同様にいろいろな規制がある。たとえば李明博氏が市民から募金を集めて、橋を建設しようと思いたったら、寄付に必要な行自部の承認が得られなかった。そこで募金はやめて、市民にタイルに絵を描いてもらい、それで壁画をつくることにしたという。

李明博氏が一番神経を使ったのが露天商対策だ。最初から権力で露天商を追い出すことはせず、商人対策チームをつくって、延べ4,200回も商人を訪問して十分話し合った。

移設先を文井洞の物流団地と東大門運動場に露天商のための蚤の市をつくったが、それでも移転に反対する露天商にはやむなく強制撤去して、工事を予定通り完成させた。

清渓川再生プロジェクトは2004年にはベネチア建築ビエンナーレで最優秀施行者賞を受賞し、一躍世界の注目を集めるようになった。

日本からも日本橋再生プロジェクトの関係などで、清渓川再生プロジェクトを研究する運動が盛り上がっている。

李明博氏は、「経済効率ばかり追求していては日本は21世紀の先進国とはなり得ない」と発言し、高速道路一つ取り外せない日本の行政を批判し、日本橋再生プロジェクトにエールを送っている。

ちなみに筆者自身は日本橋再生などというケチな事業ではなく、首都高速の主要路線はすべて地下化する一大プロジェクトにすべきではないかと思う。これなら期間限定のガソリン税を払っても良い。


日本生まれ、苦学して大学を卒業、民間企業の経営者としての経営ノウハウ、米国に留学しての都市再生、環境対策の研究、住民との対話を重視する政治姿勢、日本語もできる知日派大統領、李明博氏への期待は高まる。

今や日韓などで対立している時代ではない。まさに漁夫の利で、日韓対立を一番喜ぶのは中国だ。巨大化することが必至の中国に対抗するためにも日韓の2国間関係をさらに深めるべきだろう。

今年6月には訪韓した鳩山氏と会談し、8月31日には鳩山氏にお祝いの電話を入れている。「鳩山氏は話が通じる人」というコメントを残している。

鳩山訪韓






是非これからの日韓関係の深化を期待して李明博大統領の活躍にエールを送りたいものだ。


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