蒲 俊郎
インプレスR&D
2016-12-13
IT企業などの監査役や桐蔭法科大学院長としても幅広く活躍している蒲弁護士が、5年間「ヨミウリオンライン」の「おとなの法律事件簿」というコラムで書いた事例(フィクション)から16ケースを選んで、企業向けに再編集・加筆したもの。
どのケーススタディも「ヨミウリオンライン」に掲載した内容から、その後の判決などを織り込んで加筆・修正している。
16のケーススタディは実践的で、最新の判例や厚生労働省の指針等を反映しているので、企業の実務担当者にはコンプライアンスハンドブックとして役立つと思う。
この本で取り上げているケースは次の通りだ。
第1章 情報漏洩に関する事件簿
CASE 1 相次ぐ個人情報漏洩事件、企業における防止対策の決定打とは?
CASE 2 「産業スパイ」事件、うちの会社は大丈夫?
第2章 ハラスメントに関する事件簿
CASE 3 セクハラに対する企業の処分が、急速に厳罰化しているって本当?
CASE 4 社員から「パワハラ」の訴え、防止策は?
CASE 5 出産後にマタハラ、無事に職場復帰できる? パタニティーハラスメントの解説と共に
第3章 時間外労働に関する事件簿
CASE 6 話題のブラック企業、自分の会社がそう言われないためには?
CASE 7 実態が伴わない”名ばかり管理職”、残業代を請求できる?
CASE 8 50時間もの残業代、年俸制だと請求できない?
第4章 人事異動や退職に関する事件簿
CASE 9 嫌がらせ同然の上司による退職勧奨、法的に問題は?
CASE10 関連会社への出向命令、無効になる場合とは?
CASE11 転勤辞令、「子どもの通学」理由に拒否できる?
第5章 組織の不祥事に関する事件簿
CASE12 ライバル企業の社員の引き抜き、どこまで許される?
CASE13 内部通報で報復人事、配転の取り消しは可能?
CASE14 社内情報で妻や他人名義で株売買、インサイダー取引になる?
第6章 経営に関する事件簿
CASE15 当社も上場、企業にとってのIPOの意味とは?
CASE16 監査役への就任、賠償責任で全財産を失う?
法律本によくある、「この場合はAだが、こういった条件の場合はBで、さらに条件が変わるとCで…」といった、結論を言わない論点はぐらかしのような部分がなく、すべてのケースで「So What?」(だから、どうなの?)がはっきりしていてわかりやすい。
どのケースも参考になるが、特に筆者の専門分野である個人情報漏洩事件についてのCASE1が絶対おすすめだ。この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応しており、CASE1は全文が立ち読み可能なので、ぜひこちらをクリックして、「なか見!検索」の画面を表示して、右側のスクロールバーを操作してCASE1の全文を読むことをお勧めする。
個人情報漏洩については、「悪意を持った内部者」の犯行を抑えられるかが重要なポイントであり、蒲弁護士は情報漏洩が割に合わない実態を教育で徹底的に周知すべきだと語る。
三菱UFJ証券の個人情報漏洩事件の犯人の三菱UFJ証券の部長代理は、わずか12万8千円の現金のために、そのまま勤めていればもらえたはずの数千万円の退職金を失い、懲役2年の実刑判決で収監され、離婚して家族も失った。
一生消えない刑事前科がつくので、再就職もままならず、さらに会社からも総額70億円と言われる損害の一部を賠償請求される見込みだ。
たった12万8千円のために、失ったものは計り知れなく大きい。
ベネッセ事件の犯人の刑事裁判では2016年3月29日に、不正競争防止法違反による3年6カ月の懲役、罰金300万円の判決が言い渡された。
この本では、社員の日常の変化を見逃さず事前に対応することの重要性、悩み事相談窓口の設置、ベネッセ事件を例にあげての記者会見での発言の注意点や、500円の金券に限らない補償のやり方など、至れり尽くせりの実務的な解説をしている。
その他のケースについて、参考になった点を紹介しておく。最近施行された法令・指針や判決が多く、この本の内容の新しさがわかると思う。
★営業秘密について、2016年1月に施行された改正不正競争防止法では、罰則が強化され、個人に対する罰金の上限は1,000万円から2,000万円に、法人に対する罰金の上限は3億円から5億円になった。国外に流出させた場合の罰金の上限は3,000万円と、法人10億円。
それに加えて、営業秘密侵害行為によって得た収益は、上限なく没収できることを定めている。また、当初は親告罪となっていたが、裁判で営業秘密を公開しない秘匿決定手続きが導入されたこともあり、非親告罪となった。海外のサーバーで管理されている営業秘密が、海外で不正取得された場合でも、処罰の対象となった。
★パワハラケースの最後に「心にしみる言葉」として、次が紹介されている。ある企業の人事担当役員の言葉だそうだが、パワハラケースでよく引用されているそうだ。
「すべての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう。」
★マタハラケースの最初に「ガラスの天井」をヒラリー・クリントンが破れなかったという米国の大統領選挙の話を紹介している。12月9日初版発行の本なのに、話題の新しさに驚かされる。判例や法令は常に新しいものが出てくるので、その意味では、この電子書籍+オンデマンド出版という出版形態は、このようなコンプライアンスハンドブックに適したものではないかと思う。
★マタハラ防止措置義務も2016年に動きがあり、厚生労働省が「事業主が職場における妊娠、出産等に関する言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」と「子の養育又は家族介護を行い、又は行うこととなる労働者の職業生活と家庭生活の両立が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針」を2016年8月に公表し、2017年1月から施行されている。
★パタニティーハラスメントについてもマタハラの最後に紹介している。東京都の小池知事が、就任早々、都の幹部職員に対して「イクボス宣言」をおこない、男性の育児休業取得率を2020年までに13%に引き上げる目標を掲げている。
★ブラック企業に関するケースでは、厚生労働省の「かとく」(過重労働撲滅特別対策班)が紹介されている。エービーシー・マート、大阪の「まいどおおきに食堂」などを運営するフジオフードシステム、ドン・キホーテなどが「かとく」が書類送検したケースとして紹介されており、2016年11月7日に電通の強制捜査に入ったのも「かとく」だ。
★ケース12のライバル企業の社員の引き抜きも参考になる。サイバーエージェントの藤田晋社長は、ライバル企業に引き抜かれた社員に対して「激怒」し、それを社内に拡散させたという。
2000年頃に他社社員の引き抜きを行った際に、業界第2位以下の会社は寛容だったのに対して、業界1位の会社は「出入り禁止」とばかりにカンカンに怒り、その企業は今でも業界首位を維持しているという事例を見て、自分も不寛容と言われようが、社員が同業に引き抜かれた場合には「激怒する」という方針に決めたのだと。
社員の転職も、企業による社員引き抜きも原則自由で、競業禁止の特約はわずか6カ月の制限でも無効とされた判例がある。しかし、首謀者が部下をごっそり引き連れて転職するようなケースでは、損害の範囲は限定的ながらも、損害賠償責任を認めた判決もあり、ケースバイケースで考えなければならない。
会社側の対抗手段は、あまりなく、だからこそ藤田社長も意図的に「激怒」して、それをメディアに載せることでけん制したのではないかと蒲弁護士は推測している。
★ケース13の内部通報者に対する報復人事も参考になる。事例として挙げられているのは、オリンパスの内部通報者が、2007年に内部通報したら、必要のない配転命令を受けたケースだ。
訴訟に発展し、いったん2012年に会社側の権利の濫用を認めて最高裁で確定したが、その後も通報者は元の営業職に戻れず、2012年9月に損害賠償を求めて新たに訴えていたもので、2016年2月に和解が成立して、会社側が1,100万円支払うことになった。
この間にオリンパスの粉飾決算による不正経理が発生している。不正経理に気付いた社員が、社内告発をしようと考えたが、内部通報制度で不利益を被った社員がいることを知り、社内通報をやめて、外部のフリージャーナリストに情報を提供したことから、明るみに出た。
オリンパスの内部通報制度が機能していれば、あれほどのダメージは受けなかったのではなかろうかと。
もともと「ヨミウリオンライン」のコラムだったこともあり、一般読者向けにわかりやすく解説している。コンプライアンスの担当者のみなならず、一般読者にも参考になる話題が多いと思う。
この本はオンデマンド出版なので、ネット販売と一部の大手書店のみで取扱っており、一般の書店には並んでいないため、まずはアマゾンの「なか見!検索」で、立ち読みすることをお勧めする。
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