時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2016年01月

日本とトルコ合作の映画 海難 1890を見た

日本とトルコ合作の映画「海難 1890」を見た。



英語の字幕版もある。



kainan1890













出典:海難1890サイト

トルコでも同時に公開されている。これがトルコ語の予告編だ。



以前、このブログの「トルコ世界一の親日国」のあらすじで紹介したように、筆者のピッツバーグ時代の隣人の元ピッツバーグ・スティーラーズ ラインバッカー トーンチ・イルキンはトルコ出身だった。



ピッツバーグで家を買った時、トーンチとシャロンのイルキン夫妻が挨拶に来てくれて、「自分はトルコ人だ。なんでも困ったことがあったら言ってくれ。是非遊びに来てくれ。」と言ってくれたのだ。

当時はトルコ人が世界一の親日家だとは知らなかったので、なぜ「自分はトルコ人だ」などと言うのか不思議に思っていた。

トルコは世界一の親日国なのだ。そしてトーンチのような2歳でアメリカに移住して、言われなければトルコ人とわからない人でも、日本に対する親愛の情があったのだ。

この映画は1890年に台風の為に難破したトルコの軍艦エルトゥールル号を和歌山県串本町の住民が助けたことと、それから95年後にイラン・イラク戦争が勃発した時に、トルコ政府が日本人救出のためにトルコ航空機を提供してくれたことを題材にしている。

非常に感動的な映画だった。

トーンチにもこの映画のことを連絡しようと思う。

トルコではエルトゥールル号遭難の話は教科書にも載っているというが、日本ではまだ知らない人も多いと思う。

是非この映画を見て、多くの人がトルコへの親近感を抱いて欲しいものだ。


参考になれば次クリックお願いします。


アー・ユー・ハッピー? バリバリのビジネスマン・矢沢永吉



先日紹介した「成りあがり」に続く矢沢永吉(永ちゃん)の独白録。

「成りあがり」に続くといっても、「成りあがり」は永ちゃんが28歳の時の本で、「アー・ユー・ハッピー?」は永ちゃんが51歳の時の本だから、その間23年間もブランクがある。

「成りあがり」は図書館で借りた本を読み終わらないうちに購入したと書いたが、この本も同じだ。

全くぶっとんだ。

前作は、永ちゃんの生い立ちから、キャロルが売れる前の下積み時代を経て、わずか3年弱のキャロルの大躍進と、早すぎる解散、そしてE.YAZAWAとしてソロシンガーとなって独立した永ちゃんが、年間150ステージをこなすまでの道のりを描いている。

それから23年経ち、「アー・ユー・ハッピー」では、ビジネスマンとしての永ちゃんを描いている。

成功した永ちゃんの姿ばかりではない。

1980年代に、永ちゃんはマネージャーによる横領事件に巻き込まれた。早い話が、ピンハネだ。永ちゃんには150万円のギャラを50万円と言って、100万円をネコババするという手口だった。

永ちゃんは警察沙汰にはしなかったという。

次に永ちゃんが巻き込まれたのが、オーストラリアのゴールドコーストで、永ちゃんの世界戦略のための音楽施設を建設するというプロジェクトで、永ちゃんの部下が永ちゃんをだまして30億円を横領したオーストラリア事件だ。

これはオーストラリアで詐欺事件として刑事裁判になり、被告の2人はオーストラリアで1年程度服役した。この本の末尾に実名と顛末が書かれている。

永ちゃんの離婚についても書いてある。

糟糠の妻すみ子さんと離婚して、再婚したのはマリアさんというクオーターの女性だ。

マリアさんと知り合ったのは「成りあがり」を出すちょっと前の1977年だ。

スーパースターとして成功はしていたが、すみ子さんからは家には仕事は持ち込むなといわれ、すみ子さんや家族との気持ちの隔たりを感じていたころだった。

すみ子さんは、「私は朝8時に家を出て、夕方6時にちゃんと帰ってくる男と一緒になりたかった。」という。

夜中の酒が増えていった。さびしかったのだと。

1980年ころからマリアさんと一緒にロスで生活しはじめ、結局すみ子さんと離婚したのは1989年だ。

前作同様、この本には糸井重里が協力している。

実はこの本の原稿は10年前にできあがっていたが、なにか違うという感じがあり、その時は糸井さんと永ちゃんが話して、お蔵入りすることにしたのだという。

それから10年経って出版した。

この本ではビジネスマンとしてもバリバリの永ちゃんの姿を紹介している。

日本の外タレ招聘ビジネスは一部の興行会社が独占している。出入国管理局の許可が既得権化していたのだ。

永ちゃんは政界に顔の利く実力者に頼んで、出入国管理局長と3者面談し、外人タレントの招聘権を取った。永ちゃんのバンドのメンバーは永ちゃん自身が選んで呼んでいるという。

日本国内のコンサートツアーも、キョードーなどの音楽事務所に地方の興行を仕切ってもらって、ブラックボックス化していたのを、一部自分で手掛けた。弁当の仕出しから、ケータリングまですべてやった。キャラクターグッズも当初は他人に任せていたが、今は自分の会社で手掛ける。

すべて「なめんなよ」というメッセージだ。

猿の調教師は、まず猿の頭をかじって、「オレがボスだぞ」っていうことを教えるという。そうすると猿は調教師のいうことを聞くようになるのだと。人間も、一発かじられなきゃ気がつかないときがあると永ちゃんは語る。

この本で、永ちゃん流の「倍返し」が出てくる。

テレビドラマの半沢直樹で有名になった「倍返し」で、半沢直樹の場合はリベンジという意味だが、永ちゃんの場合は違う。



オーストラリアの30億円詐欺事件で、巨額の負債を負った永ちゃんに対する銀行の目は厳しかったという。だから、永ちゃんはすぐに「倍返し」をするようマネージャーに指示した。

月々の返済額を倍にするのだ。

そうすると当然、予定より早く返済が完了する。あわてたのは銀行だ。永ちゃんのような優良融資先を失ってはならないと、態度が変わったという。

永ちゃんが権利関係を意識するようになったのは、永ちゃんが崇拝するビートルズの影響だという。読んでいたビートルズの本に、著作権や、フィルム権、肖像権とかが出ていたのだと。

前作「成りあがり」では、年間150回ものコンサートをこなしていた永ちゃんだが、この本では年間5〜6カ月程度しか音楽をやっていないと語る。

音楽を離れると、音楽が恋しくて、より一層のパワーがでるのだと。

その他にロスでの暮らしぶりや、アメリカで持っている大型クルーザーの維持費が日本とは比べ物にならないくらい安いことなどを語っている。

最後にウェンブリーで行われた世界のスーパースターを集めた” SONGS AND VISIONS"コンサートで、ロッド・スチュアートとかボン・ジョビと一緒に歌ったことを語っている。



筆者は永ちゃんの曲もほとんど聞いたことが無いし、ファンでもなんでもないが、永ちゃんの本には感心する。

是非一読をおすすめする。


参考になれば次クリックお願いします。


成りあがり 永ちゃんこと矢沢永吉の激白集 



見城さんの本で、当時の角川春樹社長に言われて、小学館から出ていた矢沢永吉(永ちゃん)の単行本「成りあがり」の文庫化を実現したと書いてあったので読んでみた。

筆者は大体1日1冊のペースで本を読んでいるが、めったに本は買わない。本当に手元に置いておきたい本は限られるからだ。

その筆者が図書館から借りた本を読み終わる前に買ったのがこれだ。

まったくぶっ飛んだ。

「取材構成 糸井重里」と書いてあるので、糸井重里がインタビューをプロデュースしたのだろう。まさに永ちゃんの本音、そのものズバリが書かれている。

永ちゃんの生い立ち(広島生まれだが、実母は3歳の時に出奔、父は2年生の時に病没)、親類をたらいまわしされて、やっかいものとして、なんとか高校を卒業したこと、おばあさんを唯一の肉親として育ったこと、貧乏で小学校6年生くらいから新聞配達や牛乳配達をやって食べていたこと、中学2年くらいからラジオで音楽を聞きだし、映画館のフィルム運びをやりながら発声練習していたこと、高校生のころから独学で音楽を学んで作曲していたことなどが語られている。

そして永ちゃんが「10回くらい、リフレインで読んだよ」という本が、友達のお姉さんが勤めていたキャバレーチェーンの社長がくれたカーネギーの「人を動かす」だ。永ちゃんが高校生の時だ。「えらく気に入ってね、キザに友達の誕生日に贈ったりしたよ」と。

人を動かす 新装版
デール カーネギー
創元社
1999-10-31


「『ああなるほど。なるほど。一理あるな。一理いえるな』と感じたわね。」

「たまに女房に花を買って帰るというのも、カーネギーの影響かもしれないね。多少」。

「ともかく、10回以上も読んだものな」。

なんと永ちゃんもカーネギーに影響受けているんだ。

永ちゃんは、「BIGになる」という強い意志を持って、高校卒業と同時に上京し、横浜で活動し始めた。

いろいろなアルバイトをやりながら、メンバーを集めてバンドを結成、3番目のバンドのヤマトで横浜のディスコやキャバレーで演奏していた。

そしてヤマトを解散し、内海利勝ジョニー・大倉と一緒に始めたのがキャロルだ。キャロルがレコードデビューするときには、ミッキー・カーチスがプロデューサーとしてかかわったが、契約があまりにもキャロルに不利な契約なので、後で永ちゃんはミッキーを切った。

キャロルは1972年7月に横浜市立大学の講堂で練習を始め、その年の冬にレコードデビュー、そしてスターダムにのし上がった後、永ちゃんと他のメンバーの考えが離れ、1975年4月の日比谷野外音楽堂のラストライブで解散した。



その間のことは、この本よりもジョニー・大倉の「キャロル 夜明け前」に詳しいので、これも追って紹介する。永ちゃんとしては、ギャラは4等分。何の文句があるんだというところだろうが、他のメンバーの思いは違う。

キャロル 夜明け前
ジョニー大倉
主婦と生活社
2003-10


キャロル解散後、永ちゃんはソロ活動を始め、この本の単行本が出た当時は、年間150回ステージに立ち、その間にレコーディングしている。

なぜ?150を50にしないのか。その方が楽だし。どんでもない。簡単な理由よ。

ロックはまだまだメジャーじゃない。やっと矢沢永吉という人間が少しずつ頭を持ち上げてきた。日本じゃその程度だ。これは、やっている本人にしかわからない。

フォークは、定着しかけている。でもオレたちばまだまだ、もがいてももがいてもそこまでできていないと思う。

150ヵ所でも少ないと思っている。

本当に引き込まれる本だ。

こんな話も載っている。

キャロル結成前、永ちゃんが金がないときに、親しらずが悪化して1か月くらい口も開けられないことがあった。日大病院に行ったら、1万円取られて、ろくに治療もやってもらえなかった。

それで有り金全部持って、奥さんの肩につかまって、御茶ノ水の医科歯科大に行って、教授に事情を話したら、基本料金だけで治療してもらえた。インターンの研究材料になったけど、ともかく注射代、レントゲン料金とかすべて無料にしてもらった。

永ちゃんはいう。やっぱり、オレ、あの時つくづく思ったね、国立と私立の差だね。

あの時、オレ、倅は私立に入れるのやめようと思ったね…。

この本は昭和53年に小学館から単行本として出版され、昭和55年に角川文庫で文庫化されている。

平成16年には改版され、筆者が買った本は平成27年9月15日発行の改版27刷だ。これだけ売れると角川書店も小学館も、ウハウハだろう。見城さんの置き土産だ。

改版されて無くなったのが、冒頭の永ちゃんの言葉だ。

初版には「すみ子、栄一郎、寛十郎、そして、もうすぐ生まれる子供に、贈る。」となっているが、改版にはない。

永ちゃんの私生活はよく知らないが、再婚しているから、前の奥さんとその子供たちへのメッセージは消したのだろう。

糟糠の妻を棄てた、という見方もできるが、永ちゃんが世界的にビッグになるためには、ハーフだという英語のできる奥さんが必要だったようにも思われる。

100万部以上のベストセラーだけあって、楽しく読める。筆者自身もそうだが、矢沢永吉「食わず嫌い」の人にもおすすめできる本である。


参考になれば次クリックお願いします。


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