時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2015年06月

草の花 西伊豆戸田を描いた福永武彦の小説

草の花 (新潮文庫)
福永 武彦
新潮社
1956-03-13


筆者は西伊豆の戸田(へだ)に毎年夏に行く。夏休みに戸田に行きたくて1年間働いているようなものだ。大学4年生の時は戸田で20日以上過ごしたし、卒業後も独身時代は毎夏数日行っていた。

結婚して家族ができると、なかなか一人で戸田に行くのは難しくなったが、子供が大きくなるにつれ、また一人で行けるようになった。

毎年戸田には沼津から船で行っていたが、戦前から続いた伝統ある定期船も残念ながら昨年で廃止された。

筆者の場合、行きか帰りに沼津港に寄って「双葉寿司」で食事するというのが、戸田に行く楽しみの一つだ。

しかし、定期船がなくなると、修善寺からバスで行かざるをえず、そうなると沼津港に寄るのはかなり寄り道となる。今年は「双葉寿司」にも行けなくなるかもしれない。

戸田に行くのは、そこに大学の保健体育寮があり、昔の寮委員の仲間が集まるからだ。

戸田寮は創設120年ちかい伝統ある寮だ。そんな寮での戦前の弓道部の合宿生活が取り上げられている小説が福永武彦の「草の花」だ。

学生時代に読んで、もう読んだこと自体も忘れていたが、先日寮委員のOB会があり、後輩から教えてもらって読んでみた。

福永武彦は1979年に亡くなっているので、すでに没後36年も経つが、この3月に福永武彦の経歴をまとめた「『草の花』の成立―福永武彦の履歴」という本が出版されている。

独特な描写は病的ともいえるほど繊細で、依然として人気のある作家である。



物語は戦争が終わって間もない昭和20年代の結核病棟(サナトリウム)でスタートする。

6人部屋で恢復中の「私」と、近くのサナトリウムから転院してきた大学同窓生が知り合い、その同級生は成功の確率の低い肺の摘出手術を自ら志願し、術中死する。

私に託された2冊の大学ノートを開くと、彼の2つの物語が綴られているという展開だ。

最初の物語は、戦前の旧制第一高等学校の弓道部が、春の合宿を西伊豆の戸田寮で行うところからスタートする。

文庫本の表紙絵にもなっている和船がなつかしい(表紙の絵は艪(ろ)が流されて漂流している時のものなので、艪は書いていない)。

艪で漕ぐ和船の操船は難しいが、筆者は戸田寮にいたおかげで和船の操船はお手の物だ。 伝統的な和船の操船風景がU-tubeに載っている。



弓道部の先輩・後輩で惹かれあう、今でいうとボーイズラブの苦悩が繊細なタッチで描かれている。

2番目のノートに綴られた物語は、その弓道部の美しい後輩が若くして病死し、残された妹を愛するというストーリーだ。

戦時中の話で、いずれ来る召集令状(赤紙)の恐怖、キリスト教の信仰心、純粋な愛などが中心テーマだ。

漱石の「こころ」は「先生」からの手紙だったが、「草の花」では術中死した友人のノートが物語を伝える。

こころ (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社
2004-03


やはり青春時代に読む小説で、オッサンの筆者が読むのは、やや場違いという感じもあるが、ともあれ、夏の戸田で過ごした学生時代のことなどが思い出されて楽しめる。


参考になれば次クリックお願いします。


キングオブオイル マーク・リッチ伝

キングオブオイル
ダニエル・アマン
ウェイツ
2010-11-05


原油のスポット市場を作り上げ、イランやナイジェリアなどの原油を、イスラエルやアパルトヘイト時代の南アフリカに販売して巨額の富を得たが、米国でイランとの禁輸の網をくぐったとして訴追され、クリントン大統領の特赦により免罪されたトレーダー マーク・リッチの物語。

マーク・リッチという名前は、一般の人にはあまりなじみがないかもしれないが、筆者は鉄鋼原料の商売を20年ほど担当していたので、まさに同時代のビッグショットとして知っていた。

Marc Rich









出典:ネット検索で取得

米国政府からイランとの禁輸を破り、巨額の脱税をしたという罪で訴追されるまでは、マーク・リッチの会社のマーク・リッチ+Co. AGが世界最大のコモディティトレーダーとして君臨していた。

訴追後、マーク・リッチ+Co. AGはグレンコアと名前を変え、マーク・リッチが持ち株を売却すると、エクストラータがスピンアウトして石炭などのコモディティトレードで大きく成長した。

2013年には、グレンコアがそのエクストラータを合併して、グレンコア・エクストラータとして世界最大のコモディティ・トレーダーとして君臨している。

筆者はマーク・リッチとは取引したことはないが、マーク・リッチがトレーダーとして頭角を現したフィリップ・ブラザースとは取引したことがある。入社して初めての仕事が、フィリップ・ブラザースからの鉄鋼原料の輸入商売だった。

いままでマーク・リッチはメタル・トレーダーだと思っていた(「メタル・トレーダー」というマーク・リッチの伝記も出版されている)。



しかし、この本を読んで、実は巨額の富を築いたのは、もっぱら原油のスポットトレード、それもアラブ諸国から石油の禁輸措置を食らって、「油断」状態だったイスラエルに、シャーの時代はもとより、ホメイニが復帰してからもイラン原油を売っていたためだということがわかった。

この本によると、マーク・リッチは1973年から20年間、イスラエルの石油必要量の1/5を供給し続けた。

マーク・リッチは同様に、アパルトヘイトで国連から禁輸措置を受けていた白人政権時代の南アフリカにも、イラン産原油やナイジェリア産原油などを売って、こちらでも巨額の利益を上げている。サダム・フセイン時代のイラクともマーク・リッチは取引があった。

もともと原油は長期契約で取引され、原油のスポット市場は存在していなかった。そのスポット市場を作り上げたのが、マーク・リッチだ。

マーク・リッチはベルギーに生まれ、幼少の時に、一家はナチスを逃れて、カサブランカ経由で米国に逃れる。外国語が達者だったお父さんは、南米からのジュート(麻)の輸入会社を立ち上げて成功し、マークはニューヨークの私立ローズ高校から、ニューヨーク大学に進み、19歳からフィリップ・ブラザースの見習いとして働き始める。

マーク・リッチは最初に水銀の取引で大儲けして、頭角を現した。

次にマーク・リッチは「石油は武器になる」と予想して、イランと原油100万トンの固定価格(5ドル)での長期取引を決めた。この買持取引は、フィリップ・ブラザースのトップの了解を得ておらず、当時の公定価格3ドルよりも高かったため、マークはその原油を米国のアシュランドオイルに転売するはめとなった。

これがマーク・リッチがフィリップ・ブラザースから独立することを決心するきっかけとなった。

その直後に、第4次中東戦争が起こり、イスラエルが軍事的には勝利したが、アラブ諸国はイスラエルと親イスラエル国に対する石油の禁輸で対抗し、第1次オイルショックが起こり、原油価格は12ドルまで急騰した。

マーク・リッチが予想していた通り、「石油は武器になる」ということが明らかになったのだ。

ちなみにこの本では、トップシークレットとして、第4次中東戦争前にイランとイスラエルは共同でパイプラインを運営して、イラン原油をパイプラインでイスラエルまで輸送していたことが明かされている。

マーク・リッチは1979年1月にシャーが追放され、イラン革命が起きてからもイラン革命政府との取引を続けた。

1979年11月にイランによるアメリカ大使館人質事件が起こって、米国はイランと断交してからも、マーク・リッチはイランとの取引を続け、イランから原油を買って、イスラエル等に販売していた。

イランは原油の向け先がイスラエルであることを知っていたが、何も言わなかったという。

この取引はマーク・リッチのスイスのツーク(Zug)にある本社が行った取引で、スイス法ではイランとの取引は合法だった。(Zukは法人税が約10%と安く、フィリップ・ブラザースなど多くの企業が本社を置いていた)

しかしこの取引に目をつけて、政治問題化しようとたくらんだ人物がいた。後にニューヨーク市長となり、一時共和党の大統領候補ともなったルドルフ・ジュリアーニ連邦検事だ。

マーク・リッチは1982年に米国籍を離脱して、スペインに帰化していたが、米国政府はこれを認めず、1983年にイランとの禁輸破りと脱税で起訴した。

マーク・リッチは「逃亡者」となったのだ。

逃亡者 製作20周年記念リマスター版 [Blu-ray]
ハリソン・フォード
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-10-02


筆者には、デビッド・ジャンセン主演のテレビドラマシリーズの方が親しみがある。

逃亡者 SEASON 1 (全30話収録) [DVD] 2TF-4500
デビッド・ジャンセン
株式会社イーエス・エンターテインメント/キープ株式会社
2010-04-30


マーク・リッチの元妻のデニーズ・リッチは民主党の支援者として知られ、100万ドル以上を民主党に寄付していた。イスラエルのバラク首相からの頼みもあり、ビル・クリントン大統領は2001年の任期満了の数時間前にマーク・リッチに対する大統領特赦にサインした。

この行為は金で特赦を買った行為として非難され、政治問題となったが、覆されることはなかった。

しかしマーク・リッチは特赦後も、米国を訪問したり、スイス国内でスイス法を平気で無視する米国官憲に捕まると、また訴追されかねないとして警戒し、死ぬまで米国には足を踏み入れなかった。

そして2013年、稀代のトレーダー、マーク・リッチは79歳でスイスで死去した。

筆者はマーク・リッチと会ったことはないが、この本は興味深く読んだ。

マーク・リッチのスイスの豪邸には、モネ、ルノワール、ピカソなどの絵画が飾ってあったという。

巨額の富を築いたトレーダーの先輩ではあるが、尊敬する気にはなれない。

1980年前後は「コンプライアンス」という言葉はなかった。「コンプライアンス」が単に法令順守以上のものを意味するようになったのは、割合最近のことだ。

マーク・リッチの行為は、マーク・リッチ本人が言うように、形式からすればスイス法では違法ではないということになるのだろうが、実質的には米国の対イラン禁輸の網をかいくぐった、まさに「コンプライアンス」違反である。

今でいう「コンプライアンス」意識がなかったのが、マーク・リッチの致命傷になったともいえる。

同時代史としても楽しめる。

マーク・リッチの名前を憶えている人には、是非一読をおすすめする。


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