時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2015年01月

あの夏、サバ缶はなぜ売れたのか? データ分析もPDCAサイクルだ



博報堂グループで制作と広告・プロモーションをワンストップで提供する博報堂プロダクツのデータベースマーケティング部長大木真吾さんの本。

顧客分析は筆者が最も興味を持っている分野の一つで、いままで世界最高のCRM能力を持つといわれている「TESCO顧客ロイヤルティ戦略」や「アナリティクス界のドラッカー」(大木さんの表現)といわれる米国ダブソン大学のトーマス・ダベンポート教授の「分析力を武器とする企業」などのあらすじを詳しく紹介してきた。

Tesco顧客ロイヤルティ戦略
C. ハンビィ
海文堂出版
2007-09



分析力を武器とする企業
トーマス・H・ダベンポート
日経BP社
2008-07-24


この本では、データ活用のPDCAサイクルを次の様に紹介している。

PLAN : 「意志を持つ」フェーズ データ分析の目的を明確にして仮説を構築する

DO   : 「可視化する」フェーズ データを収集し、分析作業を行う

CHECK: 「翻訳する」フェーズ   分析結果の意味するところを解釈し、課題解決を目指す施策を打ち出す

ACTION: 「アクションする」フェーズ あらかじめ目標を設定し、実際に分析結果に基づいたアクションをする

参考になったのは、JALが行った「海外女子旅」プロジェクト。最初はデータには全く触れず、JALの旅客販売統括部WEB販売部と博報堂プロダクツの社員で構成されるプロジェクトチームが、顧客の旅行パターンを思い思いに挙げて70の「行動仮説」をつくった。

それをさらにふるいにかけて、十数個のグループにわけ、それぞれにJAL顧客のデータをあてはめていって、「海外女子旅」というグループを見つけた。

このグループは:
1.JALのホームページにログインしたうえで、WEB経由で購買している。
2.過去2年間に1回以上、日本発のJAL国際線に搭乗している。
3.20〜45歳の女性マイレージ会員である。
4.比較的同年代の女性同志での搭乗が1回以上ある。

クロス分析の結果、1万人の海外女子旅経験者を抽出できた。、

次に、この1万人の海外女子旅経験者をプロファイリングして、ペルソナ化(擬人化)して、同様の人を探した結果、母集団8万人から、1万7千人の「近い将来海外女子旅をするかもしれない候補者」グループをあぶりだすことができた。

母集団8万人は、今や次のようなグループに分けられた。

1万人 海外女子旅経験者
1万7千人 近い将来海外女子旅をするかもしれない候補者
5万人 海外女子旅をしないと思われる候補者

同じ「海外女子旅」のバナー広告などを表示した結果、上記の1万7千人の「近い将来海外女子旅をするかもしれない候補者」グループが、5万人の「海外女子旅をしないと思われる候補者」より10倍も売り上げが上がったという。

データ分析の成功例だ。

この本ではID−POSデータ(ポイント会員組織を持つスーパーなどでのPOSレジ売り上げデータ)を分析した例も紹介されている。

本のタイトルになっている「あの夏(=2013年)、サバ缶はなぜ売れたのか?」は、2013年7月30日に「たけしの健康エンターテインメント! みんなの家庭の医学 新発見!やせるホルモンで病の元凶【肥満】を解消SP」で「サバの水煮缶」がダイエット効果があると放送されたからだった。

大雪と「雪見だいふく」の関係とか、食べるラー油とキムチにラー油をかけた「キムラ君」など、テレビCMとの関係が紹介されている。

その他には「シュークリーム男子」とか、「地域ナンバーワンスーパーが、ネットサービスの会員を増やしたい」、「居酒屋の顧客単価を上げる」などの例が紹介されている。

平易に読めるのはいいが、いかんせん具体例が弱い。

顧客データ分析では、英国のTESCO社と、NECTAR共通ポイントプログラムを英国、イタリア、チリなどで運営するカナダのAIMIA社が世界最高峰だ。

残念ながら日本の顧客分析は、到底英国のレベルに達していない。

最大の原因は、英国の流通業界は寡占で、TESCOやAIMIA(運営会社は英国のLMG=Loyalty Management Group、スーパーはSainsburry)は、英国の全世帯数の半分以上の情報を持っているのに対し、日本最大の流通業のイオンでもマーケットシェアは10%強程度だからだ。

日本の消費者は、スーパーのチラシで特売情報を入手し、いつも行くスーパー数社の中から選択している。それだけスーパーは競争も激しいし、結果として消費者の購買情報はスーパー数社で散逸してしまう。

だから集められるデータが少なく、たとえID=顧客情報を持っていても、一人の顧客の全体像がつかめないのだ。

それと誰も問題にしていないが、実は日本の郵便番号のメッシュは荒すぎて、たとえば建物一つ一つに郵便番号がついている英国とは比べ物にならない。

階級社会の英国は、年収や勤務先などのデータがなくても郵便番号だけで、どういったクラスの人が住んでいる場所なのか判別できるという。郵便番号をプロファイリングデータの一つとして活用しているのだ。

実際、筆者が英国出張中にNECTARのカードをロンドン支店の住所で申し込んだら、その住所には住んでいる人はいないので、正しい住所を連絡して欲しいという回答があった。

日本ではこういう具合にはいかないだろう。

この本では、データ分析はどういう具合にやるのかがわかって、参考になった。しかし、ビッグデータ時代到来と騒がれているが、日本の所与の条件で、どれだけデータ分析が進歩していくのか不安を感じさせる内容でもあった。


参考になれば次クリックお願いします。


ウィスキーと私 「マッサン」の主人公・竹鶴政孝さんの自伝

ウイスキーと私
竹鶴 政孝
NHK出版
2014-08-27


現在NHKの朝ドラで放映中の「マッサン」の主人公、日本のウィスキーの創始者・竹鶴政孝さんの自伝。

日経新聞の「私の履歴書』の連載をNHK出版が単行本にしたものだ。

「マッサン」は筆者も「どんど晴れ」以来、久しぶりに見ている朝ドラだ。毎日録画して、土日に1週間分まとめて見ている。



朝ドラを見だしたきっかけは、昨年北海道旅行の際に余市蒸留所を訪問したからだ。

すでにその時にNHKの朝ドラになるという話は決まっていたが、まだブームとなる前で、ゆったり蒸留所やその中にある竹鶴邸を見学できた。

その時はフーンと思って、あまり気にしなかったが、ポットスティルで蒸留した無色無臭のアルコールを樽に入れて5年ほど熟成すると、量は2/3くらいに減ってしまうかわりに、ウィスキーのあの色と味が出るのは思えば不思議なものだ。

減ってしまう分は「天使の分け前」と言われている。

この「ウィスキーと私」は竹鶴さんの自伝で、事実と違う点は、リタさんと出会ったときは、リタさんの父親は亡くなった後だったという点だけだと、この本の註と竹鶴さんの孫の竹鶴孝太郎さんの随想で語られている。

父親の亡くなった家庭に独身男性が出入りすることになっては、リタさんの実家に不名誉だと思って、わざと事実を変えて記しているのではないかというのが、孫の孝太郎さんの見解だ。

「マッサン」は、テレビドラマとして部分部分、脚色はされているが、ストーリーは竹鶴さんの原作に近い内容となっている。

この本では、竹鶴さんがスコットランド留学を決め、アメリカのサンフランシスコ経由で、アメリカのカリフォルニア・ワイナリーというワインの醸造所を見学してから、スコットランドに渡ったことも紹介されている。

当時は第一次世界大戦の最中で、竹鶴さんの乗った船が、ドイツの潜水艦攻撃を避けるために随伴船とジグザグ航行していたら、随伴の貨物船にぶつかって貨物船が沈没してしまい、生存者は1名だけだった話が紹介されている。

ちょうど乗り合わせたベルギーの皇太子が音頭を取って、竹鶴さんが犠牲者の義捐金集めに一役買ったのだという。

当時の日英同盟の関係もあり、スコットランドでは王立工科大学(原書ではグラスゴー大学と記されているが、これは記憶間違いのようだ)やロングモーン・グレン・リベット蒸留所の工場長に大変親切にしてもらっい、ウィスキーの製造法を学んだ。

しかし日本に帰ってからは、留学に送り出してもらった摂津酒造ではウィスキー製造は、株主会議で否決され、結局サントリーの前身の寿屋の鳥井信治郎さんに拾ってもらい、京都の山崎に蒸留所を建設する。

鳥井さんは今のボンドなど接着剤をつくっているコニシの前身の小西儀助商店の出身で、「やってみなはれ」の人だ。

鳥井さんがマッサンをウィスキー工場長として、年俸4,000円で雇うのも、朝ドラの通りだ。大正12年、1923年のことだ。契約は10年間だったという。

その後、サントリーは日本で白札、赤札などのウィスキーを売り出し、当初は日本人の味に合わなかったが、だんだんに売れるようになった。マッサンは横浜でサントリーのビールもつくっていた。

マッサンはその後独立して、出資者を集め、住友銀行などから融資を得て、大日本果汁株式会社を設立。昭和9年に余市工場を建設した。ウィスキーの原酒を寝かす5年以上の間は、リンゴジュースをまず販売して食いつないだ。これがニッカの社名の由来だ。

工場設立の2年目の昭和11年にウィスキーの蒸留を始め、一級ウィスキー工場として大蔵省の認定を受けた。戦争中は海軍の指定工場となって、原料は優先的に配分されていた。

戦後は、ウィスキーは酒税法で、特級から3級(その後廃止)まで等級分けされ、3級は原酒の配合率が0〜5%とされていた。つまり、ウィスキーの原酒がゼロでも3級ウィスキーは作れたのだ。

筆者の学生時代は、2級ウィスキーはサントリーのレッド、1級はホワイト、特級は角瓶以上だったが、たぶん当時も2級ウィスキーには原酒はほとんど入っておらず、醸造用アルコールが主体だったのだと思う。

どうりで飲みすぎると悪酔いしたわけだ。

ニッカは余市工場と、仙台郊外に宮城峡に工場を建設し、昭和44年から生産を始めた。

余市はハイランド・モルト工場だ。

西宮工場にカフェ式連続蒸留機を入れて、穀物原料からアルコールを蒸留してグレイン・スピリッツをつくり、ハイランド・モルトと混ぜた。

さらに宮城峡では、ローランド・モルトをつくり、これでうまいウィスキーの原酒のフルセレクションがそろった。

最後に竹鶴さんは、ウィスキーのうまい飲み方をエッセーで書いている。

毎日飲むにはストレートだと、胃に悪いので、ウィスキー:水=1:2が適当だという。竹鶴さんは、オンザロックは冷えすぎるとしてあまり勧めていない。いずれにせよ、人それぞれ、一番うまいと思う方法で楽しむべきだし、飲む人の量によっても変わってくると。

巻末のコラムや随想も入れて190ページ余りの本で、簡単に読める。

竹鶴さんの他の本も読みたくなる。ウィスキーのことも学べ、読んでいて楽しい明治生まれの気骨ある日本男児の自伝である。



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