時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2013年12月

祝!資生堂社長就任 こころを動かすマーケティング 前日本コカコーラ会長の魚谷さんの本

2013年12月26日再掲


前日本コカコーラ会長の魚谷さんが資生堂の社長に就任した。ブランド力、マーケティング力不足で悩む資生堂の救世主として見込まれたものだ。

これからは日本の経営者も二期作、三期作に耐える人材が出てくるという証(あかし)だと思う。

魚谷さんへのエールを込めて魚谷さんの「こころを動かすマーケティング」のあらすじを再掲する。

2012年2月23日初掲:
こころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられるこころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられる
著者:魚谷 雅彦
ダイヤモンド社(2009-08-07)
販売元:Amazon.co.jp
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日本コカコーラ会長の魚谷さんのコカコーラのマーケティング解説。


魚谷さんの経歴

魚谷さんは留学制度がある会社ということでライオンに入社し、コロンビア大学でマーケティングを学び、MBAを取得。

ニューヨークでコミュニケーションとプレゼンテーションの能力を磨くためにデール・カーネギー・スクールで毎週2回、夜7時から10時まで学んだという。ここにもカーネギーに学んだ人がいた。

帰国後30歳でライオン最年少のプロダクトマネージャーとなる。プロダクトマネージャーの仕事は、机に向かってするものだけではなく、朝から晩まですべての時間が仕事の時間だとライオンの先輩にたたき込まれた。

常に問題意識を持つ、何故だろうと考え、電車に乗る人を観察、テレビコマーシャルを見て、世の中の変化を敏感に感じ取るのだと。最初に入社したライオンには今でも感謝していると。

その後シティ・バンク、欧州食品メーカーからフィリップモリスグループのクラフト・ジャパンの代表取締役副社長、そして1994年に39歳で日本コカコーラにマーケティング担当のシニア・ヴァイスプレジデントとして入社する。

以下に述べるようにマーケティングで鮮烈にデビューし、一度営業を担当した後、マーケティングに戻り、2001年に日本人としては26年ぶりに社長に就任する。

2006年に社長を退き、会長となり、自分の会社のブランドヴィジョンを設立し、現在はNTTドコモの特別顧問も兼務している。


コカコーラのマーケティング

最初に「よく驚かれる事実」として、コカコーラは日本で毎日5,000万人に製品を売っていることを紹介している。

自動販売機で2,000万人(全国で250万台ある自動販売機のうち100万台がコカコーラの自動販売機)。スーパーやコンビニで1,600万人。マクドナルドなどのファーストフードやレストランで900万人。これで合計5,000万人となる。

コカコーラは1886年アトランタの薬局で薬剤師をしていたジョン・ペンバートン博士が発明し、シロップを水に混ぜて「コカ・コーラ」というブランドで売り出した。ある時、間違えて炭酸水を混ぜたら、よりおいしいということで現在のコカ・コーラが誕生した。

120年前から同じ物が、世界200国以上で売られ、世界ナンバーワンのブランド価値を誇っている。

ブランドをintrisic value(基本的な価値)とextrinsic value(付帯的な価値)に分けると、味やボトルなど基本的な価値は100年以上変わっていないが、付帯的情緒的な価値は時代に合わせて大きく変化したという。

現在のコカコーラの企業ビジョンは"Live positively"だ。

コカコーラは世界各地で「ボトラー」と呼ぶディストリビューター/ボトル詰め会社ネットワークを持っており、日本にも有力企業との合弁会社を中心に最大18社のボトラーネットワークを持っていた。

コカコーラ全体では全世界で90万人が働いており、日本でも2万3千人が働いているが、日本コカコーラはマーケティング(広告宣伝)専門の会社なので、社員は550人しかいない。

この本では魚谷さんが担当したコカコーラの様々な製品の広告宣伝が紹介されていて興味深い。


まずはジョージアの立て直し

魚谷さんが入社した当日から課題として出されたのは、コーヒーのジョージアだ。1975年に発売されたジョージアは味の良さに強力な流通網が加わり、一時は40%を超えるトップシェアを持っていたが、次第にシェアを失いつつあった。

認知度調査をしてみると、シェアが10%のサントリーのBOSSが一番で、トップシェアのジョージアは2位という結果が出た。

入社して1週間で(社長のOKを取り付けて)、既に大手広告代理店に決まっていた巨額の撮影費用が掛るアメリカの飛行場でのCM撮影をキャンセル。バックに「ジョージア・オン・マイ・マインド」が流れるマンネリのブルーカラーをターゲットとした広告案だったという。広告代理店社内で、とんでもないヤツがきたと、大変な騒ぎになった。

急遽CMを作り直すことになり、広告代理店をすっとばしてJRエクスプレスのCMを作っていた製作会社TYOの早川和良さんに直接1週間で考えて欲しいと依頼に行く。前職での広告の評判が良く、尾崎豊の"I love you"を使った早川さんのCM作品が心に残っていたからだという。



タレントのダンカンがサラリーマンに扮したCMは好評だった。次にたけし軍団を使ったCMを企画するが、たけしのバイクの交通事故でCMはキャンセル。そこで思い立ったのが、飯島直子を使ったサラリーマンをターゲットとする「男のやすらぎキャンペーン」だった。



ブルゾンをプレゼントするキャンペーンには4,400万通の応募があり、ジョージアのシェアは一挙に53%にアップした。成功できたのは、徹底的にターゲットとなる生活者をイメージしたからだと魚谷さんは語る。


お茶飲料

次にお茶を立て直す。魚谷さんの入社した当時はコカコーラはウーロン茶で「茶流彩彩」というブランドを持っていたが、トップのサントリーに全く勝負にならなかった。

「何をやらないかを決めるのも戦略である」とビジネススクールで教わったことを思い出して、ウーロン茶でなく、健康イメージのある「爽健美茶」で勝負した。市場調査は福岡の3日間だけだったという。2人の若いマーケターが確信を持って進めたマーケティングが成功したのだ。アカペラのコマーシャルはモデル選びが難航したが、最後の体育大生が全員のイメージと一致したという。

次は紅茶だ。マーケティングで「平均点のマーケティングは失敗する」と学んだので、女性をターゲットにリッチなミルクティーというコンセプトで「紅茶花伝」をつくりだした。

生の牛乳を使うことは技術的に難しかったが、これを克服して、一回り小さい缶にして本格派のミルクティーを売り出した。

ほとんどプロモーションをしなかったにもかかわらず一位となり、紅茶飲料のトップブランドだった「午後の紅茶」がミルクティーを売り出してきても一位は全く揺るがなかったという。

この成功でマーケティングに於ける細分化とセグメンテーションの重要性、そして一旦一位になると簡単には変わらない「一番手の法則」を学んだという。

アメリカの広告代理店の経営者が書いた「ポジショニング戦略」という本が参考になったという。

ポジショニング戦略[新版]ポジショニング戦略[新版]
著者:アル・ライズ
海と月社(2008-04-14)
販売元:Amazon.co.jp
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この本のなかで、「大西洋を2番目に単独飛行した人は誰でしょう?」という質問がある。誰もが一番めのリンドバーグは知っているが、2番目のバート・ヒンクラーの名前は誰も知らない。

どこか一点訴求できる独自の価値を見つけ、自ら新しいカテゴリーを作って差別化できるポジショニングを作り出す。これがマーケターの腕の見せ所だと。


営業起点のマーケティング

魚谷さんはマーケティングの専門家だが、一時社長の指示でコカコーラの営業を担当した。「リレーションベースの営業」と呼ばれていた営業を、「戦略的な営業」に変えるためだ。

社長には「リレーションベースの営業」と呼ばれて居るぞと営業マンに檄を飛ばし、ドラッカーの「マネジメント」の教えに従い、ビジネスプロセスの起点を「お客様」として、当時17社あったボトラー社と営業が「協働マーケティング」に乗り出し、「お客様は誰か」ということからスタートした。17社全部からそれぞれの地域のマーケティングプランを出し、1週間掛けて日本コカコーラへのプレゼンテーションを行ったという。

その結果、圧倒的なシェアを誇る九州地区でジュースが弱いことがわかり、「お客様」である子どもが楽しく飲めるように、キャラクターをつくり、上手い物を飲んだときに出る「クーッ」という声をブランド名にした「QOO」をつくった。



QOOはあっという間に全国に広まり、今やアジアでも販売されている。

かつて日本コカコーラの社長を務めたことのあるオーストラリア人が2000年にCEOに就任すると、一時は日本のCMでさえアトランタの本社のOKを取る必要があるくらい中央集権的だったコカコーラが日本に学べということで、世界各国のトップが日本を訪問してくることになる。

日本法人の社長もオーストラリアのトップを務めていたアメリカ人女性に代わり、魚谷さんは社長と二人三脚で日本コカコーラの経営を担う。


広告メディアバイイングと広告クリエイティブの分離

魚谷さんが入社してすぐにジョージアを担当した時に、メディア購入とクリエイティブを別々に切り離し、仕事の質・量に応じてフィーを払うというやり方に変えた。日本の広告業界に激震をもたらしたという。

それまではメディア購入のつけたしのような広告クリエイティブの存在を広告クリエイティブとして正当に評価することにしたのだ。

一つ一つの広告をしっかり評価してベンチマーキングする。年に一度代理店やクリエイターとレビューを行い、それぞれの担当者にも評価させる、という透明性を高めたシステムとした。

日本コカコーラでは広告を費用とは考えず、投資と考えているから、投資リターンを正確に把握する必要があるのだ。

このようなメディア購入とクリエイティブ分離、評価システム導入の結果、大幅に取引が減る広告代理店があった。魚谷さんが出向いて先方の社長に伝えた。社長のショックを受けた顔を今でも忘れられないという。

最後に新たにメディ購入を一手に引き受けて貰う広告代理店を訪問した。この代理店がジョージアの「明日があるさキャンペーン」を提案した会社だった。


ジョージアの再・立て直し



実はジョージアのコンペでは、当初この代理店は入っていなかったという。無理矢理追加して入れても、第一回目のコンペでは最低評価だった。魚谷さんが断りを入れると、先方の営業次長は「1週間待ってくれ、プレゼンの時間は他社の半分でいい」ということで食い下がる。「営業は断られたときから始まる」だ。

期待しないでプレゼンを受けてみると、前回とは全く違ったものだった。「明日があるさ」キャンペーンの原形で、出演は吉本興業のオールキャスト、CMに近いビデオ映像まで作ってきたという。

魚谷さんはこのとき人の心は動かせるのだと思ったという。あの代理店の次長は、最初の第1回目の審査で負けて、社内にあきらめムードが出たところを、1週間という短い時間で立て直した。

社内の人の心を変えたからこそ、クライアントの心も変えることができた。これこそマーケティングだと思ったという。

このCMは日本コカコーラの歴史でも初めてACC賞グランプリを獲得し、CMからドラマや映画が生まれ、CD発売、吉本興業のオールキャストがNHKの紅白歌合戦に出場するという企業広告を遙かに超えた幅広い展開ができたという。

缶コーヒーのCMがみんなに元気を与えたと評価されたのだ。


最後はコカコーラ

魚谷さんのマーケター最後の仕事はコカコーラのマーケティングだ。それまでの「スカッとさわやか」から「No Reason」というサザンを使ったコマーシャルを導入した。


"No Reason"という標語はアトランタ本社からクレイムがついたが、女性社長が本社に説明してくれてキャンペーンはスタートした。

担当した広告代理店では社内でもコンペを行い、トップクリエイター達が考えたのもサザンだったという。コカコーラはそれまでサザンを起用したことはなかったが、桑田さんの書き下ろしの曲「波乗りジョニー」も、桑田さん自身のCM出演も大変な盛り上がりとなった。

多くの人、関係者を巻き込んだマーケティングの成功例だ。


日本コカコーラの社長に就任

2001年に"No Reason"キャンペーンが成功すると、10月に魚谷さんは47歳で社長に就任した。同じ外資系の日本IBM会長の椎名武雄さんに乾杯の音頭をお願いしたという。椎名さんの"Sell IBM in Japan. Sell Japan in IBM"という標語は、魚谷さんもまさに同感だからという。

社員には本人の名前入りメッセージ集の「こころざし読本」を配布し、共通の価値観である"Fun & Excitement"を共有した。

新商品の提案はA4の紙一枚。説明は3分を流儀にしたという。

日本全国で250万台ある自動販売機のうち100万台がコカコーラの自動販売機で、ジョージアの販売のために世界に先駆けてホット・コールド切り替え自動販売機を導入した。元々自動販売機網を拡大したのは、1980年代に社長だったオーストラリア人のトップが、ボトラーの意見を聞いて決断したという。

自動販売機をおサイフケータイ対応として会員登録とあわせてマーケティングデータを取得できるようになった。

日本コカコーラの会長となり、ドコモの顧問に就任してからは、One docomoという各組織を代表する300名ほどのブランド推進リーダー組織をつくった。日産のクロスファンクショナルチームと同様の考えだ。

日本企業はもっとマーケティング経営力を高めていくべきだと魚谷さんは語る。最後にマーケティングに絶対の原理はなく、先回りして新しいニーズをつくることも重要だと語っている。

このブログのように実際の広告を振り返りながら読むと大変楽しめる本である。


参考になれば次クリックお願いします。


韓国併合への道 完全版 日本に帰化した呉善花さんの本



1910年の韓国併合に至る歴史的事実と、1945年までの日本統治下の韓国、そして日本統治時代の評価についての拓殖大学教授・呉善花(オ・ソンファ)さんの本。

生い立ちや日本に来た1983年前後の事情は、ベストセラーとなった処女作「スカートの風」に詳しい。今度このあらすじも紹介する。



ちなみに「スカートの風」=チマパラムという言葉の意味は、女の浮気や、ホストクラブ通いなど自由奔放な女性を指す言葉だという。

呉さんは、1956年韓国済州島に生まれる。韓国人だったら誰でも求める、お金と権力にあこがれて、大学から志願して軍人となり、軍人との結婚を目指す(当時、韓国の歴代大統領は軍人だった)。

軍人との初恋はあえなく破れ、27歳の時に日本に留学する。日本の大東文化大学を卒業後、東京外国語大学大学院でマスターを取った。日本の大学で教えながら活発に執筆活動しており、2005年に日本に帰化している。

日本統治時代を客観的に評価する姿勢が韓国で国賊扱いを受けており、2007年の母親の葬儀の時には、空港で入国拒否をくらい、日本領事館の抗議で、葬儀にだけ参列できた。

2013年7月に親戚の結婚式で韓国に行ったところ、仁川空港で入国を拒否され、日本に強制送還されるという事件が起きている。



入国拒否となったのは、全3部作となった「スカートの風」や、この本の影響も大きい。

この本の初版は2000年に発売され、その時は第10章までで終わっている。




次が初版に集録されている1〜10章までのタイトルだ。

第1章 李朝末期の衰亡と恐怖政治

第2章 朝鮮の門戸を押し開けた日本

第3章 清国の軍事制圧と国家腐敗の惨状

第4章 独立・開化を目指した青年官僚たちの活躍

第5章 一大政変の画策へ乗り出した金玉均

第6章 夢と果てた厳冬のクーデター

第7章 国内自主改革の放棄

第8章 新たなる事大主義

第9章 民族独立運動と日韓合邦運動の挫折

第10章 韓国併合を決定づけたもの


上記の通り第1〜10章は歴史書である。

その後、2012年に「完全版」として、11章と12章が追加された。これら2つの追加が本当に重要な日本統治時代の評価に関する部分なので、これらについては、節のタイトルまで紹介しておく。

第11章 日本の統治は悪だったのか

・西洋列強による植民地統治との違い

・韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘

・英仏蘭が行った一方的な領土宣言

・巨額投資による産業経済の発展

・原料収奪をもっぱらとした西洋諸国

・武力的な威圧はあったか?

・武断統治から文化統治への転換

・植民地で行われた弾圧と虐殺

・学校数の激増と識字率の急伸

・教育を普及させなかった西洋列強

・差別と格差をなくそうとした同化政策

・戦時体制下の内鮮一体化政策

第12章 反日政策と従軍慰安婦

・反日民族主義という「歴史認識」

・国民に知らされない日本の経済援助

・親日派一掃のための「過去清算」

・韓国人自身の「過去清算」への弾圧

・「従軍慰安婦」問題の再燃

・政権危機と対日強硬姿勢の関係


この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応している。目次は節タイトルまで記載しているので、ここをクリックして、全部の目次をチェックしてほしい。

この本を読んでいて、1〜10章までは歴史の叙述で、正直やや冗長なので、ダレ感があったが、最後の2章の思い切った発言は前の10章までとは全然異なっており、目が覚める思いだ。

2005年に日本国籍を取得して、2012年の「完全版」で、呉さんが思っていたことをやっと書けたということだと思う。それが上記のような韓国政府の入国拒否という事態を招いたのだろう。

第11章の「日本の統治は悪だったのか?」では、日本による朝鮮統治と西洋列強の植民地統治との違いとして次の4点を挙げている。

1.収奪によって内地を潤すという政策をとらなかったこと

2.武力的な威圧をもっての統治政策を全般的にとらなかったこと

3.文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと

4.本土人への同化(一体化)を目指したこと

たとえば、現在韓国で使われている地籍公簿(土地台帳、地籍図)は1910年から1918年までの間に朝鮮総督府が作ったものだ。近代国家体制の確立していなかった朝鮮に、本格的な土地調査を導入し、これにより土地の所有者を明確にした。

ところが、韓国の歴史教科書では、「全農地の約40%にあたる膨大な土地が朝鮮総督府に占有され、朝鮮総督府はこの土地を東洋拓殖株式会社など、日本人の土地会社に払い下げるか、我が国に移住してくる日本人たちに安い値段で売り渡した」(2002年の中学校国史の国定教科書を呉さんが引用)と書いている。

日本による土地調査事業について、ソウル大学の李榮薫教授の調査報告を紹介している。

「総督府は未申告地が発生しないように綿密な行政指導をした。(中略)その結果、墳墓、雑種地を中心に0.05%が未申告で残った。あの時、私たちが持っていた植民地朝鮮のイメージが架空の創作物なのを悟った」。

「日帝の殖民統治史料を詳らか(つまびらか)にのぞき見れば、朝鮮の永久併合が植民地統治の目的だったことがわかる。収奪・掠奪ではなく、日本本土と等しい制度と社会基盤を取り揃えた国に作って、永久編入しようとする野心的な支配計画を持っていた。近代的土地・財産制度などは、このための過程だった」。

しかし 李榮薫教授などは少数派だ。韓国の教科書フォーラムで聴衆に殴られる李教授の姿がYouTubeに掲載されている。



李榮薫教授は、「大韓民国の物語」で、韓国の歴史教科書を変えよと主張している。

大韓民国の物語
李 榮薫
文藝春秋
2009-02



この本で呉さんは、日本は西洋列強の収奪を目的とした植民地支配とは異なり、差別と格差をなくそうとした同化政策を取っていることを指摘している。李榮薫教授も、「地理的に接していて、人種的に似ていて、文化的によほど似たり寄ったりで、一つの大きな日本を作ろうとしていたのだ」と語っている。


創氏改名の真実

創氏改名についても、韓国でしばしば主張されているような「朝鮮人の姓名を強制的に日本名に改めさせること」ではない。

昭和15年に施行された創氏改名は次のような条件で行われた。

1.創氏は6か月間限定の届け出制。届け出なかったものは従来の朝鮮の姓が氏としてそのまま設定される。

2.創氏しても従来の姓がなくなるわけではなく、氏の設定後も姓および本貫はそのまま戸籍に残る。

3.日本式の氏名などへの改名は強制ではなく、期限なく、いつでもしてよい制度である。

朝鮮では本貫(ほんがん)と姓がある、たとえば慶州出身の李さんなら慶州李氏が本貫で、李が姓だ。本貫・姓では女性は結婚しても夫の姓にはならないので、本貫・姓に代わる家族名として「氏」を創設できる制度だ。結果として朝鮮在住者の80%が創氏して日本風の名前に変更している。

改名は名を変えることで、こちらは10%以下が改名した。

韓国国民に知らされない日本の経済援助

韓国の初代大統領となった李承晩は、日本の植民地支配に甘んじてきた屈辱の歴史を清算し、民族の誇りを取り戻すために、反日民族主義を打ち出した。

日本は終戦の時に、朝鮮のすべての日本及び日本人保有の私有財産・工場設備・インフラなどを米軍経由韓国に委譲し、北朝鮮にあった資産はすべてロシアが没収した。

ハーグ条約は占領軍が占領地の私有財産を没収することを禁じている。しかし、日本はこの主張を1957年に取り下げ、在朝鮮資産を正式に放棄した。

日本と韓国は戦争をしたわけではないので、本来日本に戦争賠償責任は生じない。

それにもかかわらず日本は1965年の日韓国交正常化を機に、日韓経済協力協定を締結して韓国に多額の援助をした。1950年代には国民一人当たりのGDPがわずか60ドルという世界最貧国の韓国にはまさに干天の慈雨となった。

日韓経済協力協定に基づく日本の援助額は、10年で有償2億ドル、無償3億ドル、民間経済協力3億ドル以上の合計8億ドル以上である。これは当時の日本の外貨準備のほぼ半分にあたる巨額の援助である。

このほか民間人に対する補償として1975年に軍人、軍属または労務者として召集され終戦までに亡くなった者を対象に、その直系遺族9,500人にそれぞれ30万ウォンが支払われている。同時に日本の金融機関への預金などの財産関係の補償として9万4千件に対して総額66億ウォンが支払われている。

韓国は日本からの資金を使って朝鮮戦争で荒廃した港湾、鉄道、鉄橋などのインフラや、農業近代化、中小企業育成、POSCO製鉄所などの重化学工業団地などを建設した。

1970〜1980年には約2,000億円が援助され、1980年からは追加の約3,300億円が地下鉄建設、ダム建設、下水処理などに活用されている。


韓国人自身の過去の清算

1997年1月の韓国の通貨危機以降、「韓国人自身の過去の清算」という言葉が登場し、日本の過去ばかりでなく、自らの過去を問い直そうという動きがでてきた。この表れが1998年10月に日本を訪問した金大中大統領の「もはや過去について論及することはない」という発言だった。

続く盧武鉉大統領も「過去は問わない、未来を見つめよう」と登場したが、金大中も盧武鉉も支持率低下とともに、対日強硬姿勢に転換している。


反日姿勢は大統領支持率アップに必須

盧武鉉はさらに親日反民族行為を糾弾するとして、106名を公表し、財産を没収した。これで親日派を一掃したのだ。

言論も弾圧された。2002年に韓国で出版された「親日派のための弁解」は青少年有害図書とされ、著者のキム・ワンソプは独立運動家の名誉棄損で在宅起訴された。




韓国の日本に対する賠償請求権は、1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」で消滅している。

しかし、韓国政府は盧武鉉政権の2005年以来、「従軍慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人被爆者は対象外だったので、解決していない」という態度を取っている。

どの政権でも政権支持率が下がる3,4年目には必ず対日強硬姿勢を打ち出しているのが現状だ。

朴槿恵(パククネ)大統領に至っては、就任当初から対日強硬姿勢を打ち出している。これは2011年8月に、韓国憲法裁判所が「韓国政府が賠償請求権の交渉努力をしないことは違憲」とする判断を示したことに始まっている。

つい最近もソウル高等裁判所で、新日鐵住金に対して戦時中の朝鮮人労働者に対して雇用条件と異なった重労働をさせたという理由で賠償を認める判決がでており、新日鐵住金は韓国大法院(最高裁判所)に上告した。

日本人から見ればきりがない韓国の賠償や謝罪要求は、実はすべて両国間で解決済みの問題であることを呉さんは冷静に指摘している。

呉さんは親日的な発言に目をつけられて、今は韓国入国を禁止されている元韓国人だが、その主張は拝聴すべきものと思う。

大変参考になる本だった。筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。


参考になれば次クリック願う。

零の遺伝子 国産戦闘機「心神」 vs F22の攻防 次期FXはまだ終わっていない

零の遺伝子: 21世紀の「日の丸戦闘機」と日本の国防 (新潮文庫)零の遺伝子: 21世紀の「日の丸戦闘機」と日本の国防 (新潮文庫)
著者:春原 剛
新潮社(2012-07-28)
販売元:Amazon.co.jp

日経新聞編集委員の春原 剛(すのはら つよし)さんの本。春原さんは先日の日経・CSISシンポジウムでアーミテージ・ナイ鼎談の進行役を務めていた。

1990年代の次期支援戦闘機FSX商戦では、自主開発を求める自衛隊の制服組や三菱重工業などの産業界を、米国との外交関係を重視した日本政府が押し切り、F16をベースとした共同開発に決着した経緯がある。

たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て (新潮文庫)たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て (新潮文庫)
著者:手嶋 龍一
新潮社(2006-06)
販売元:Amazon.co.jp




これにより、日本の開発したアクティブ・フェーズド・アレイ・レーダー技術と炭素複合材を使った軽量主要成型技術が米国に召し上げられ、生産分担分も米国に持って行かれるという結果となり、日本の航空エンジニアは2重の屈辱を味わった。

FSXをトラウマとして抱える防衛省・自衛隊の関係者は、いつしか日本の独自開発で戦闘機を作る夢を持ち続けた。それが現在も開発が進められている先進技術実証機ATD−X、コードネーム「心神(しんしん)」と呼ばれる国産ステルス戦闘機で、これを支援したのが「防衛庁の天皇」と呼ばれ、事務次官を異例の4年も続けた守屋事務次官だった。


守屋次官の政治力

山田洋行の過剰接待を受けた収賄罪で起訴され、現在は懲役刑で服役している「防衛庁の天皇」と言われた守屋武昌次官は、かつて「日米キャデラック・カローラ論」を掲げていたという。第5世代戦闘機としてはF22がキャデラックであり、カローラに相当するのが、日本の「心神」である。

実際、F22が推力15トンのF119エンジン2基を搭載するのに対して、推力5トンのIHI製のXF5エンジンを2基使った「心神」はたしかにカローラのようなコンパクト機となる。日本にも推力10トン以上の自主開発エンジンの計画があるが、費用は1兆円を超えるので、なかなか踏み切れないのだ。

セロ戦もライバルF6Fヘルキャットのエンジンが2,000馬力超に対し、当初の栄エンジンは1,000馬力以下だった。非力なエンジンを使ったので、軽量で敏捷な戦闘機ができたことから、この本ではセロ戦と「心神」の類似性をタイトルに使っている。

ちなみに、このブログで守屋さんの「普天間交渉秘録」のあらすじを紹介しているので、興味ある方は参照してほしい。淡々と事実を説明しており、わかりやすい本だった。

守屋次官は、小泉純一郎首相に気に入られていたので、米軍再編問題で外務省が打ち出していた「スモール・パッケージ」(横田基地の米軍司令部のグアム移転だけ受け入れて、米陸軍第1軍司令部の座間移転は拒否する)に対抗して、米軍のグローバル再編に協力する「トータル・パッケージ」として小泉首相に説明し、「トータル・パッケージはおもしろいじゃないか」という言葉を引き出すことに成功する。

「トータル・パッケージ」とは、1.米海軍厚木基地の艦載機部隊を海兵隊岩国基地へ移転、2.普天間飛行場の移転、3.相模補給廠や牧港補給地区など使用頻度の低い遊休施設の返還などを含んだ防衛省の独自プランだ。

2004年9月の小泉・ブッシュ会談のために、小泉首相は守屋次官に発言要旨メモをまとめるよう指示し、ここで日米交渉の主導権は外務省から防衛省に移った。


「機体はつくるな」という指令

防衛庁幹部には、米国の印象を悪くするような「新・国産戦闘機プロジェクト」を声高に進めるのは賢明でないという考えがあったので、「心神」開発は「高運動飛行制御システム」という名目で始められた。2004年前後に130億円の予算を確保したが、「機体はつくるな」とクギを刺されていたという。

そこで防衛省の技術開発本部は「心神」の実物大のモックアップ模型をつくって、フランスの仏国防整備庁の設備でステルス性能を試した。このことはYouTubeの次の映像で報じられている。




もともとF22が欲しかった防衛庁

防衛庁は国産開発の「心神」をもとから欲しかったわけではない。第5世代戦闘機のトップに位置する米軍のF22が導入希望のトップだった。F22のステルス性能は、自動車ぐらいの大きさのものが、レーダーではゴルフボールくらいにしか映らないという驚異的なものだ。

フランスでの「心神」のステルス性能テスト結果は、上記のビデオでは「中型の鳥よりは小さいが、虫よりは大きい」と防衛庁幹部が語っている。「せいぜいサッカーボールぐらい」だったという。



現代の戦闘機は戦闘機だけで行動するわけではない。強力なレーダーを持つ早期警戒機や地上・海上のレーダーと一体化した高速データリンクの中で、敵を攻撃する役割が与えられている。だから敵の「脳」ともいえる早期警戒機を撃墜できる能力があり、また「敵地深くに入り込み、爆撃する能力」を持つステルス戦闘爆撃機は、「核にも匹敵する戦略兵器」と言われるのだ。

F22は燃料を大量に消費するアフターバーナーを使わず超音速飛行ができるので航続距離も長く、グアム島から北朝鮮に侵入して、電撃爆撃し、北朝鮮軍機とドッグファイトをしてグアム島に帰還することが可能という。航空自衛隊のF15だと、日本から北朝鮮の往復飛行がやっとで、ドッグファイトすると「片道切符」になるという。

F15があれば、F22は要らない」と言っていた航空自衛隊は、2007年に沖縄で行われた航空自衛隊のF15対米軍F22の共同訓練で、双方が早期警戒機を導入していたにもかかわらず、完全に「お手上げ」の状態だったことから、F22導入希望に変わったという。

これに先立ち2004年に行われたインドと米軍の合同軍事演習で、F15がSU30に惨敗したという情報を自衛隊は得ていた。この時は、早期警戒機なしのデータリンク抜き、自動追尾ミサイルなしのドッグファイトだった。

次のビデオを見れば、SU30の驚異的な運動性能がわかると思う。まるで風に舞う木の葉のようだ。



2009年5月に自民党の新・国防族を代表する浜田靖一防衛大臣は、ワシントンを訪問して当時のゲーツ国防長官と面談した時に、次期主力戦闘機にF22を有力候補として位置付けていることを強調した。しかし、ゲーツ長官はF35を「良い戦闘機」だと勧める発言をした。



F22は打ち切り、F35は大増産

F22は1983年にコンセプトをつくり、2005年に実戦配備が始まった。ところがあまりにカネがかかり、しかも飛ぶごとに毎回お化粧直しが必要ということもあり、メインテナンスもバカにならない。

このため米国では183機で生産中止が決まっている。米国議会の輸出禁止決議もあり、日本がF22を購入することは不可能となった。

一方F35は、同じ生産ラインから空軍仕様、海軍仕様、海兵隊のSTOVL仕様が一括生産でき、米空軍1,800機、米海軍400機、米海兵隊600機、英国空軍150機に加え、NATO諸国、イスラエルも導入し、日本も2011年末にF35を導入決定した戦闘機のベストセラーだ。

F22,F35と並ぶ第5世代戦闘機としては、ロシアのPAK FAと呼ばれるSU50や中国の殲20がある。






第6世代戦闘機

米軍の中では、第6世代戦闘機は、いよいよ無人機になると言われている。映画「ステルス」もAIを搭載した無人機が、隊長を自らの意思で救出するというストーリーだ。同じようなことが次世代の戦闘機では起こる可能性があるという。



次世代戦闘機の特性は"morphing”(変形)というコンセプトだという。なにやら映画「ターミネーター2」のT−1000のような印象があるが、「しなり」に近いものを機体に持たせるものとみられているという。



ちなみに航空自衛隊は、早くから無人飛行機の研究を続けており、F104の無人機を10機以上生産した。

パイロット訓練用の逃げ回るターゲットとして考えられていたが、運輸省との論争で航路が限定されたため、すぐに撃ち落とされるようになり、結局岐阜県の航空自衛隊第2補給処に死蔵されているという。


F35は空軍、海軍、海兵隊が同じ戦闘機を使う初めてのケースで、その意味ではいままで米軍戦闘機が抱えていたインターオペラビリティの問題を抜本的に解決した戦闘機である。(いままでの米軍の戦闘機はF15、F−16は空軍だけ、F14、F−18は海軍だけ、ハリヤーは主に海兵隊が使っており、ミサイル、弾薬、燃料、潤滑油、レーダー、タイヤに至るまで装備品の仕様が異なっていた)。

平和の配当で、どの国も防衛予算を削減している流れのなかで、F35は世界各国が参加した文字通りの"Joint Strike Force"といえる共同開発機種である。

日本もライセンス生産という形で、その開発に加わることになるので、いまさら日本独自で「心神」戦闘機を開発するということになるとは考えにくい。それゆえ「心神」はせいぜい試作機にとどまるのではないかと思うが、今後の動きに注目したい。

問題点がよく整理された本である。もともと2009年に単行本として出版され、2012年に文庫化された。春原さんの本をいろいろ読んでみて、この本が一番よくまとまっていると思う。


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