時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2013年05月

売れる作家の全技術 大沢在昌の小説講座 懇切丁寧な指導が光る

小説講座 売れる作家の全技術  デビューだけで満足してはいけない小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない
著者:大沢 在昌
角川書店(角川グループパブリッシング)(2012-08-01)
販売元:Amazon.co.jp

「新宿鮫」シリーズなどの刑事小説の大御所・大沢在昌が、角川書店の「小説 野生時代」の企画で、12人の「どうしてもプロになりたい」という小説家志望者に対して1年間続けた「小説家講座」の講義録。


筆者が最近、人に勧めている本のナンバーワン

筆者は、年間250−300冊のペースで本を読んでいるので、「最近読んだ面白い本を教えてくれ」と聞かれることが多い。そんな時に、最近、筆者が勧めているのがこの本だ。

もっとも、この本を勧めると、「別に小説家になりたいわけではないので…」というような反応を示す人がいるが、この本は小説家志望の人向けだけに書かれたものではない。

一般読者には、「作家はこんな風に考えて、こんなテクニックを使って小説を書いているのか」ということがわかり、かえって小説を読む楽しみが増すと思う。

また、この本で紹介されている小説のいくつかは本当に面白い。たとえば直木賞を受賞した朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」や、三崎亜紀の「となり町戦争」などは大変面白い小説である。


「名前は知っているけど、読まないと決めた作家」という壁

大沢在昌は、長くやってきて知名度も高くなった作家ほど「名前は知っているけど、読まないと決めた作家」という壁にぶち当たると語る。

だから「ほぼ日」で「新宿鮫」の最新シリーズを連載したりして、新しい試みで、その壁を突破しようとしているのだという。

実は、筆者も、この本をきっかけとして大沢在昌の「新宿鮫」シリーズなどの作品を読んでみた。

新宿鮫 (光文社文庫)新宿鮫 (光文社文庫)
著者:大沢 在昌
光文社(1997-08)
販売元:Amazon.co.jp

大沢在昌は、筆者が「読まないと決めた作家」の一人だった。筆者は元々刑事ものには興味がない。もし、この本を読まなかったら、大沢在昌の作品は読むことはなかっただろう。


「デビューだけで満足してはいけない」

この本を読むと、アマチュア相手に、これだけ懇切丁寧に、愛情をこめて指導している大沢在昌自身に興味を惹かれる。講義の最後には、受講生12人すべての作品を読み、一人ひとりへのアドバイスを与えている。

受講生はすべて動物の名前で、「ネコ」とか「イルカ」とかになっている。将来世に出た際に、この小説講座を受講していたことがマイナスの評価にならないために、仮名にしたという。すごい思い入れだ。


サブタイトルは「デビューだけで満足してはいけない」

大沢在昌自身がまさに、「デビューだけして全く売れなかった作家」だったから、指導にも熱が入っているのだと思う。

大沢在昌は23歳でデビューして、11年間全く本が売れなかった。28冊の本が、すべて初版どまりで「永久初版作家」と呼ばれたという。それでもなんとか食えたのは、出版業界が今とは比べものにならないほど豊かで、気の長い編集者が育ててくれたからだと。

28冊、毎回、「これでどうだ」、「これじゃ駄目か」、「それならこうしてやる」と手を変え品を変え、他人の作品はもちろん、映画や漫画からも、おもしろい話を作るメソッドを盗もうとしていたが、売れなかった。

29冊目の本の「新宿鮫」がヒットし、その後文学賞をいくつか受賞したこともあって、いまは大きな顔をしているが、1作のヒットで一生食えることなどありえない。むしろそのヒット作を上回るものを作らないと、「あの人はあれで終わったな」と言われてしまう。

作家に安全確実なポジションなどない。過去の成功は過去でしかない。いつも今書いている作品、これから書く作品を問われるのだ。

講義の最後の大沢在昌の言葉は次の通りだ。

「自分を苦しめ、追い詰めて、これ以上ないと思った、さらにその先があると信じて書くこと。

100パーセントの力を出し切って書けば、次は120パーセントのものが書けるし、限界ぎりぎりまで書いた人にしか次のドアを開けることはできません。それを超えた人間だけがプロの世界で生き残っているんです」。


驚かされるプロの作家の読書量

大沢在昌の読書量はハンパではない。最も読んだときは高校2年生の時で、毎日3冊ずつ図書館の棚の端から端まで読んで、1年間で1,000冊読んだという。

作家になるまでも毎年500〜1,000冊、スタンダードなミステリーはもちろん、新しい作家のものや優れたノンフィクションも読んだ。

いろんな作家の本を読むことによって、経験したことのないことにに対する知識や、小説の勘どころみたいなものが身に付くのだと。

ミステリーを書こうとする人には、基礎知識が絶対必要で、「本格推理小説」でも「ハードボイルド」でも、古今東西の名作、古典は一通り読んでいなければならない。本格推理小説にはトリックの知識、警察小説には警察の知識が不可欠だ。

最低でも1,000冊は読んでからでないと、ミステリーの賞に応募することはできないと。

今回の受講者12人には、それほどの読書家はいないようで、大沢在昌は、ことあるごとに作家にとっての読書の重要性を強調している。

「プロの作家がどれだけ多くの本を読んでいるかを知ったら、おそらくびっくりするでしょう。みんなたくさん読んできているし、今現在も読み続けています。

そんな人たちの中に殴り込んでいって自分が名を成そうとするならば、その人たちより少ない読書量、少ない引き出しでは絶対に勝てるわけがない」。

「『本を読むのは嫌だけど書きたい』という人は作家などやめたほうがいい」。

筆者は別に小説家になろうとは思わないが、我が意を得たりという気がすると同時に、「年間300冊でもまだ少ないんだ」、と思う。

先日紹介した「海賊とよばれた男」の最後に参考文献が載っていた。出光佐三や出光興産に関する本ばかり、50冊ほど紹介されているのに驚いた。

やはり、あれだけの本を書くには相当な読書と研究が必要なのだと思う。

大沢在昌は、この本の最後に卒業制作として長編小説を課題に出している。その準備に関して、「準備期間5か月のうち、3か月を材料の仕入れやプロットを考えることに使い、2か月を書くことに使うこと」を勧めている。膨大な読書を含む準備が、いかに重要なのかがよくわかる。


この本の構成

大沢在昌が1年間、毎月続けた講義は、10回が講義、2回が受講者の作品講評という構成となっている。

この本の目次を見ると、毎回10程度取り上げられている講義ポイントがわかる。よくできた目次なので、まずは本屋で目次をパラパラめくってみることをお勧めする。

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応していないので、「なんちゃってなか見!検索」で、目次の一部を抜粋して紹介しておく。どんな感じか、わかると思う。(カッコ)内は特記事項だ。

第一部 講義
第1回 作家で食うとはどういうことか

   ・作家デビューの方法
   ・偏差値の高い新人賞を狙え
   ・作家の財布事情
   ・縮小する出版市場
   ・作家になるために大切な四つのポイント
   ・作家のモチベーション
質疑応答
   ・デビュー前にどれくらい書いていたのか?
   ・無理してでも決めた枚数を書くべきなのか?
   ・途中で駄作だと感じても最後まで書くべきか?

第2回 一人称の書き方を習得する 
   ・3つのハードルを克服しろ
(3つのハードルとは、1.視点の乱れをなくす、2.限定された視点でどこまで読者に情報を提供し、物語を形作れるか、3.視点人物、つまり語り手である「私」や「僕」や「俺」の個性をどれだけ読者に伝えられるか)
   ・「出す」だけでなく、「入れる」ことも忘れない(ネタを常に探し、アイデア帳を身近に置いておき、常に人間観察するなど)

質疑応答
   ・どうすれば嫌な人物を描けるか?
   ・実体験を作品に反映させることはあるのか?
   ・いいタイトルをつける秘訣は?

第3回 強いキャラクターの作り方 
   ・キャラクターがストーリーを支える
   ・キャラクターには登場する理由がある
   ・細部を細かく作り上げていく(「スタニスラフスキー・システム」)
   ・主人公に変化のない物語は人を動かさない(ストーリーが登場人物を変化させ、その過程に読者は感情移入する)
   ・人間観察からすべてが始まる(水商売の女性は靴を見てお客を見極める)
   ・ミステリーには基礎知識が必要
質疑応答
   ・名探偵は主人公なのに物語の中で変化しないのでは? 
   ・アマチュアでも取材は可能か?

第4回 会話文の秘密
   ・「実際の会話」と「小説の会話」は違う
   ・キャラクターにふさわしい会話
   ・なぜ「隠す会話」が必要か
   ・効果的な会話のテクニック
   ・決定的なセリフにたどり着け
質疑応答
   ・「神の視点」と視点の乱れの違いは?

第5回 プロットの作り方
   ・どんな楽しみを提供するかを意識する
   ・「謎」の扱いがプロット作りのカギ
質疑応答 
   ・どうすればプロットをうまく使えるようになるか?
   ・作品内のタイムテーブルは作るべきか?

第6回 小説には「トゲ」が必要だ
   ・面白い物語を書くには
   ・最も強い武器を伸ばせ
   ・面白い物語とは何か(自分が書くものは必ず面白いはずだと信じる)
   ・主人公を残酷な目に遭わせろ(主人公に残酷な物語は面白い)
   ・小説の「トゲ」とは何か(読み終えたあと、読者の心の中にさざ波を起こすような何か)
質疑応答
   ・こぢんまりした作品になってしまうのはなぜ?
   ・古典の引用で注意すべきことは?(「フランケンシュタイン」と「マイ・フェア・レディ」は実は同じ話)
   ・小説に実在の人物名を使ってもよいか?
   ・物語のカタルシスには何が必要か?(死ぬほど考えるしかない)
   ・漢字はどの程度使うべきか?
 
第7回 文章と描写を磨け
   ・文章にリズムを持たせろ
   ・正確な文章を書け
   ・「8割感情、2割冷静」で書く
   ・人物をひと言で表現しろ
   ・描写の3要素(「場所」、「人物」、「雰囲気」)
   ・擬音、オノマトペ、外来語
   ・日本文学と海外文学の違い(最小限の言葉で最大限の情報を伝達するスキル)
   ・改行のテクニック(改行は、文章のリズムを作るうえでの数少ないテクニック)
質疑応答
   ・「副詞はなるべく入れるな」は正しい?(読んでいて心地よい文章かどうか)
   ・推敲の方法(その日の仕事を始める前に、必ず前回書いた文を読み返す)

第8回 長編に挑む
   ・設計図と分量配分
   ・冒頭シーンは何度も書き直せ(「新宿鮫」の冒頭シーンの解説)
   ・主人公を印象づけろ
   ・強いキャラクターを複数つくる(「新宿鮫」の「ロケットおっぱいのロッカーの晶」、「まんじゅう(死人)の上司・桃井」)
   ・中だるみを防ぐには謎を解け
   ・一つ目の謎を解き、新たな謎を作る
   ・クライマックスは二度用意する
   ・自分を遊ばせてあげよう(「生きた会話」が書けたのは、私自身、楽しんで書いていたから)
   ・推敲まで作品を寝かせる(時間をあけることによって、あたかも他人の文章を読むように自分の文章を読み返すことができる)
   ・描写に困ったときの虎の巻(「天・地・人・動(動物)・植(植物)」)
   ・読者はMで、作者はS(主人公に対しても読者に対しても、作者は意地悪にならなければならない)
   ・強いタイトルを考えろ
編集者から長編小説への注文 
   ・読者を楽しませる、サービスしてあげるという気持ちは絶対に必要
   ・冒頭の10〜20枚で読者を引き込むように書く
   ・読者を冷静にさせてはいけない
   ・どうすれば読者をもう一度水中深く引っ張り込むことができるのか?
   ・何枚かに1回は山場をつくる、「引き」をつくるという意識を持つ
   ・小さな謎をちりばめておいて、それをところどころで解決していくことで読者を引っ張り続ける
   ・時代の空気を取り入れろ
質疑応答
   ・短編向きのテーマ、長編向きのテーマとは?
   ・思いついたことは作品にすべて注ぎ込むか?
   ・知らない世界をどう描くか?
   ・冒頭から順番に書くべきか?(成功している小説は、おそらく頭から順番に書かれたもの)

第9回 強い感情を描く
   ・面白い物語を作る技術は教えられない
(アイデアの出ない人はプロになれないし、万一プロになれたとしても、もたない)
   ・「作家になりたい」という人生は続く
(とにかく本をたくさん読むこと。それ以外にない。自分の中の蓄積、引き出しが少なすぎる)
   ・作家としての人生もいろいろある
(読むことが好きで好きで読み過ぎて、そこから今度は書きたいという気持ちに転換した、そういう自分を自覚している人でなければ作家にはなれない)
   ・回り道を恐れるな
(プロになっても、引き出しが少ないために苦労している人は実はたくさんいる。書く時間よりも読む時間をはるかに多く持ち、どんどん読んで、どんどん引き出しを増やして、アイデアを膨らましている人が作家を目指している)
  ・足りないものをどう埋めていくか(結局、「才能がなければダメですよ」)
  ・技術は教えられるが才能は教えられない(アイデアが出せなければ、作家になる才能がない。とにかく頭をひねることに尽きる)
質疑応答 
  ・ラストから逆算して書いてもよいか?(人間を駒にしてしまう危険性がある)

第10回 デビュー後にどう生き残るか
  ・プロ小説家の心得(専業か兼業か)
  ・編集者とのつき合い方(「頼りすぎずに頼ること」)
  ・作家同士のつき合い方(北方謙三とのつき合いを紹介している)
  ・パーティに出よう
  ・仕事の依頼は断るな(締切厳守で書くこと)
  ・読者は大切なお客様である(横柄に振る舞うような人は最悪)
  ・出版界の厳しい現実
(直木賞作家でも初版1万部という人がたくさんいる。文庫書き下ろしは約60万円の収入で終わり。それでも文庫書き下ろしの仕事をしている作家は多い)
  ・本を作る仕事は出版社にとって先行投資(一人でも売れる作家が出てくれば元が取れる)
  ・マスメディアとのつき合い方(テレビでよく見る作家で、ちゃんと小説も書いているという人はとても少ない)
  ・「先生」とは呼ばせるな
  ・インターネットの評価は気にするな
  ・デビュー後の5冊が勝負(受賞第1作がダメならば、この作家はダメとなる)
  ・直木賞ぐらいでおたおたするな(直木賞を取ることにエネルギーを使い果たして、燃え尽き症候群になってしまう)
質疑応答
  ・持ち込みでのデビューは可能か?
  ・一般のエンターテインメント小説で「偏差値の高い」新人賞は?
  ・自分にはこれしか書けないというものに対して、愚直なまでに信じて書く
  ・新人賞への挑戦は何回くらい(3回から5回くらい)

第二部 受講生作品講評
課題は次の4つだ。それぞれのテーマにつき9人前後の受講生の作品のあらすじが紹介され、大沢在昌が論評している。

A ラストで「ひっくり返す」物語を書く(原稿用紙40枚)

B 「自分の書きたい世界」を書く(原稿用紙50枚)

C テーマ競作「バラ」と「古い建物」を入れた物語を書く(原稿用紙40枚)

D テーマ競作「恐怖」の感情を書く(原稿用紙30枚


本当に小説家を目指す人には、作品のどのような点が、どう評価されるのかわかるので、大変参考になると思う。「人のふり見てわがふり治せ」という言葉がある。第二部の受講生作品講評も、しろうとの作文とバカにせずに、じっくり読むと、大変参考になる。

この本には収録されていないが、最後に「卒業制作」としてテーマは自由で、原稿用紙250枚から400枚くらいの長編小説が課題として出されている。締切は約5か月で、良い作品があれば角川書店から単行本として出版されることになる。


以上、目次の補足のようなあらすじとなったが、これでも全部の目次の半分程度である。いかに講義の内容が濃いか、わかると思う。

冒頭に記したように、筆者が最近、他人に進めている本のナンバーワンだ。こんな本は、いままで読んだことがない。大沢在昌のパイオニア精神、後輩を育てようとする真摯な姿勢には感心する。

実に様々な味わい方がある本である。


参考になれば次クリック願う。



アベノミクスで日本経済大躍進がやってくる 高橋洋一さんの近著

アベノミクスで日本経済大躍進がやってくる (現代ビジネスブック)アベノミクスで日本経済大躍進がやってくる (現代ビジネスブック)
著者:高橋 洋一
講談社(2013-03-28)
販売元:Amazon.co.jp

別ブログで紹介した「日本経済の真相」「さらば財務省!」の著者、高橋洋一嘉悦大学教授の最新作。

2013年3月に出版されたばかりなので最新の話題も織り込んでいるが、基本的には「日本経済の真相」、さらには2008年の「この金融政策が日本を救う」と同じ路線である。

日本経済の真相日本経済の真相
著者:高橋 洋一
中経出版(2012-02-15)
販売元:Amazon.co.jp

俗説を列挙して、論評を加えるスタイルも「日本経済の真相」と同じスタイルである。

アベノミクスの道筋は、大胆な金融緩和でインフレ予想がでてくれば、円安と株高になり、1〜2年内に消費、輸出、設備投資が増えて景気回復、雇用増加につながる。2年半程度で貸出も増え、インフレ率が高まってさらに実需がでて、賃金上昇につながるというものだ。

これが経済学のスタンダードな理論であると高橋さんは語る。

現在のアベノミクスを支える理論的基盤を与えているのは、日銀副総裁に就任した岩田規久男さんが率いていた「昭和恐慌研究会」のメンバーだ。この研究会は、2004年に「昭和恐慌の研究」という本を出して、日経・経済図書文化賞を受賞している。

昭和恐慌の研究昭和恐慌の研究
著者:岩田 規久男
東洋経済新報社(2004-03-19)
販売元:Amazon.co.jp

岩田さんは高橋さんの都立小石川高校の先輩という関係にある。

高橋さんがプリンストン大学留学から帰国した時に、岩田さんの「昭和恐慌研究会」に招かれて、プリンストンでバーナンキ経済学部長やクルーグマン教授などが、どんな議論をしているのかを説明し、それから研究会に参加するようになったという。

クルーグマンは、「日本の金融政策はアブノーマルだからおもしろい」と言っていたという。クルーグマンは1998年に日銀はインフレ・ターゲット政策を採用すべきだという論文を書いている。

15年も前に、世界的に有名な経済学者がインフレ・ターゲットの採用を日銀に提起していたのだ。

バーナンキも、「自ら機能マヒに陥った日本の金融政策」という論文も書いているという。


大恐慌を終息させた金融政策

大恐慌が終息したのは、ルーズベルトがニューディールなどの巨大な公共投資を推し進めた財政政策だというのが通説だったが、これに異論を唱え、金融政策の重要性を指摘したのがミルトン・フリードマンだった。

フリードマンの学説をさらに発展させたのがバーナンキや、カリフォルニア大学のバリー・アイケングリーンなどだ。

当時は岩田さんを中心とするグループはそれほど影響力をもっていなかった。世間には日銀に追随するような議論ばかりで、岩田さんのグループは、まるで「レジスタンス」のようだったという。

今回復刊された岩田規久男さんの「まずデフレをとめよ」は2003年の出版だが、「インフレ目標政策を導入せよ!」と本の帯に書いてあり、今復刊しても修正するところがないという。

日本経済再生 まずデフレをとめよ日本経済再生 まずデフレをとめよ
著者:岩田 規久男
日本経済新聞出版社(2013-03-26)
販売元:Amazon.co.jp

実質金利をマイナス金利に

「ゼロ金利のもとでは金融政策に限界がある」というのは誤りだ。名目金利はゼロ以下には下げられないが、予想インフレ率を高めれば、実質金利はなお下げることができる。これが最も重要なポイントであると高橋さんはいう。

たしかに筆者も高橋さんや岩田さんの本を読む前までは、ゼロ金利になっている以上、貸出金利をマイナス金利にすることは不可能だと思っていたが、この本を読んでよくわかった。

クルーグマンが早くから指摘していたのも、この点で、「日銀は人びとのインフレ予想を高めるような政策を打ち出せ」と主張し、具体的にはインフレターゲット政策を提起していた。

予想は英語だと"expectation"だ。誤解を招くので高橋さんは「期待」でなく、「予想」と訳しているという。


大蔵省の「洗脳」にのらなかった浜田教授

高橋さんは、かつて大蔵省の「洗脳部隊」に属していたという。学者やマスコミに、大蔵省に都合のよい主張をしてもらうことが仕事だ。やり方は勉強会や研究会に参加してもらい、時には海外視察などにつれていくのだと。

しかしこの洗脳部隊の時に、全く誘いを受け付けなかったのが、当時東大にいた浜田宏一イェール大学名誉教授だったという。

浜田教授は2年ほど前に「昭和恐慌研究会」のメンバーとなった。先日紹介した「アメリカは日本経済の復活を知っている」では、「20年もの間デフレに苦しむ日本の不況は、ほぼすべてが日銀の金融政策に由来するものである」と断言している。

アメリカは日本経済の復活を知っているアメリカは日本経済の復活を知っている
著者:浜田 宏一
講談社(2012-12-19)
販売元:Amazon.co.jp


円安が好況の鍵

高橋さんは、小泉政権が成功したのは、日銀に量的金融緩和を実施させ、その結果円安が続いたためだと語っている。

高橋さんは第一次安倍内閣(2006年9月〜2007年9月)の時に、総理補佐官補というポジションで、総理官邸入りするように安倍総理から直接依頼された。

超党派の議員200人が集まり、「増税によらない復興財源を求める会」を結成した時にも、安倍さんに声をかけて加わってもらった経緯がある。

安倍さんは、「増税によらない復興財源を求める会」に参加するとともに、自民党内でも議員立法で日銀法を改正すべく同志を集めていた。結局谷垣総裁が待ったをかけたため、日銀法改正検討は進まなかったが、こういった活動を通して安倍さんは知識を蓄えていった。

そして自民党総裁選で「消費者物価上昇率2%を目標としたインフレ・ターゲット政策を日銀に求める」と宣言して自民党総裁に就任すると、今度は総選挙でもインフレ・ターゲットを自民党の目玉政策に掲げて、選挙に勝利したのだ。


日銀のレジームチェンジ

それまで安倍さんのインフレ・ターゲットを批判していた白川日銀総裁が、豹変してインフレ・ターゲットの受け入れをすぐさま示唆した。「金融政策のレジーム転換」が起こったのだ。

そして3月の黒田新総裁になって、「異次元の金融緩和策」が実施され、円安と株高の流れが加速したのだ。株価は野田民主党政権時のほぼ倍、円相場は30%下落、GDPはプラスに転じた。

平成26年度からの消費税アップもあり、高額商品が良く売れているという。

長期金利が上昇しているが、それでも0.9%という歴史的には低い水準だ。金利が低いうちに長期固定金利の住宅ローンを使って住宅を購入しようとする人が増えている。

国民の心理が「インフレ期待」に一変した。まさに「心理経済学」で大前研一さんが提唱していたように、人々の心理を動かした結果、円安株高がある。

大前流心理経済学 貯めるな使え!大前流心理経済学 貯めるな使え!
著者:大前 研一
講談社(2007-11-09)
販売元:Amazon.co.jp

アベノミクス登場以来、別ブログで高橋さんの本は何冊か紹介している。

この本もわかりやすいが、これ一冊ということなら、そのものズバリの2008年末の「この金融政策が日本を救う」だろう。浜田宏一教授の推薦書でもある。

この金融政策が日本経済を救う (光文社新書)この金融政策が日本経済を救う (光文社新書)
著者:高橋洋一
光文社(2008-12-16)
販売元:Amazon.co.jp

次は「この金融政策が日本を救う」のあらすじを紹介する。


参考になれば次クリック願う。



円高の正体 浜田宏一教授推薦書 マネー不足が円高の原因

円高の正体 (光文社新書)円高の正体 (光文社新書)
著者:安達誠司
光文社(2012-01-17)
販売元:Amazon.co.jp

以前紹介したイェール大学浜田宏一名誉教授が、「アメリカは日本経済の復活を知っている」で推薦していた本。

アメリカは日本経済の復活を知っているアメリカは日本経済の復活を知っている
著者:浜田 宏一
講談社(2012-12-19)
販売元:Amazon.co.jp

「日本銀行デフレの番人」のあらすじに続く、浜田教授推薦書の第2弾だ。

著者の安達誠司さんは、大和総研、富士投信投資顧問、クレディスイスファーストボストン証券などの調査部でキャリアを積み、現在はドイツ証券経済調査部シニア・アナリストとして活躍している。

日銀副総裁に就任した岩田紀久男教授の「昭和恐慌の研究」では、安達さんも共著者の一員として加わっている。

バーナンキFRB議長は大恐慌の研究で有名だ。期せずして、大恐慌の研究家と、昭和恐慌の研究家が日米の中央銀行の首脳となったわけだ。

昭和恐慌の研究昭和恐慌の研究
著者:岩田 規久男
東洋経済新報社(2004-03-19)
販売元:Amazon.co.jp

Essays on the Great DepressionEssays on the Great Depression
著者:Ben Bernanke
Princeton Univ Pr(2004-01-05)
販売元:Amazon.co.jp

この本の最初に、謎の言葉が掲げられている。

「あと28.8兆円」

本の最後で、米国カーネギー・メロン大学のベネット・マッカラム教授による「目標とする名目経済成長率を達成するために、中央銀行はどの程度マネタリーベースを供給する必要があるかを割り出す方程式」を紹介している。

マクロ金融経済分析―期待とその影響
著者:ベネット・T. マッカラム
成文堂(1997-06)
販売元:Amazon.co.jp

それが「マッカラム・ルール」と呼ばれるもので、それによると2%の経済成長を達成するには、日銀が現在の121兆円から28.8兆円追加すればよい。それが冒頭の「あと28.8兆円」の意味だ。

この場合、2%の名目成長率を達成して、ドル=円レートは95円、インフレ率は1.5%程度になるという。

さらに4%の成長を達成するには、78.8兆円の追加のマネタリーベースが必要となる。この場合、ドル=円レートは115円、インフレ率は3%程度と計算されるという。次がこの28.2兆円と78.8兆円を割り出したグラフだ。

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出典:本書187ページ

そうすることで日本は成長を取り戻して、円高とデフレから脱却することになる。

ところで、2013年4月の黒田・日銀の「異次元の金融緩和」で打ち出したのは、現在のマネタリーベースを倍にする、つまり138兆円から270兆円に増加させるものだ。安達さんの言うように、マッカラム・ルールを適用すると6%程度の成長になると思われる。

6%の成長が実現するかどうかわからないが、それだけアグレッシブな金融政策なのだ。


円高になると名目GDPは減少する

安達さんは、次の2003年以降のグラフを使って、円高になると名目GDPが減少すると説明している。

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出典:本書53ページ

なぜこうなるかというと、「輸出産業(と輸入品競合産業)の利益が減っていく負の効果」のほうが、「輸入産業の利益が増える正の効果」より大きいためだ。

円高で日本の賃金は対外的に割高となるので、企業の海外移転も増え、日本の雇用が失われる。


円高だと税収も減少

円高になると税収も減る。安達さんは次のグラフを使って示している。

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出典:本書 109ページ


「良い円高」論のウソ

安達さんは「良い円高」論者は、”何にとって”良いと言っているのか見極める必要があると語り、「良い円高論者」を次の3パターンに分類している。

1.「強い円」志向説 
たとえば2009年に亡くなった日本銀行元総裁の速水優さんの「強い円 強い経済」や「円が尊敬される日」などが代表的だ。

強い円 強い経済強い円 強い経済
著者:速水 優
東洋経済新報社(2005-02)
販売元:Amazon.co.jp

円が尊敬される日
著者:速水 優
東洋経済新報社(1995-12)
販売元:Amazon.co.jp

その一節を安達さんは引用している。

「各業界においても、円の価値が強いことが対外的な信認を得ることになる。(中略)日本の軍事力、外交力を補填する存在感、発言力は、通貨の強さから出てくるという事実を、過去の半世紀の動きで私は十分理解しているつもりである」。

出典:「強い円 強い経済」154ページ

以前紹介した榊原英資さんの「強い円は日本の国益」も同様の論旨だ。

強い円は日本の国益強い円は日本の国益
著者:榊原 英資
東洋経済新報社(2008-09-04)
販売元:Amazon.co.jp

2.通貨暴落のトラウマ説
変動相場の国では通貨危機は起こらない。だから通貨暴落は円には起こらない。

銀行法違反で有罪となった木村剛・元日本振興銀行会長が喧伝していた「キャピタルフライト」は起こらない、と安達さんは説く。

キャピタル・フライト 円が日本を見棄てるキャピタル・フライト 円が日本を見棄てる
著者:木村 剛
実業之日本社(2001-11)
販売元:Amazon.co.jp

ちなみに、このブログで木村剛さんに関する「日銀エリート 挫折と転落」のあらすじを紹介しているので、参照して欲しい。

日銀エリートの「挫折と転落」--木村剛「天、我に味方せず」日銀エリートの「挫折と転落」--木村剛「天、我に味方せず」
著者:有森 隆
講談社(2010-11-30)
販売元:Amazon.co.jp

3.「円高不況は乗り越えられる」という精神論
プラザ合意の後、日本は1985年の1ドル=235円から、1987年末の122円まで円高が続いても耐えられた。だから今回の円高も耐えられるという精神論。

しかし、安達さんは円相場は、1987年12月に122円になったのち反転し、1990年4月まで160円程度まで戻していたこと、原油価格が1980年の1バレル=40ドルから、1986年には8ドル以下まで急落していたことを指摘する。

日本人の努力もあったが、2012年末のような78円というような円相場が続いたわけではなく、原油値下がりによる恩恵もあったので、「たゆまぬ努力とコスト削減で円高不況を乗り越えた」という説は怪しい。


為替相場はマネタリーベースに連動

さらに安達さんは、ソロス・チャートを使って、2008年からの日米のマネタリーベースと、円の対ドル相場は、きれいに連動することを示している。

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出典:本書 124ページ

ソロス・チャートは1987年から2007年の20年で見ると、マネタリーベースと為替相場が連動しなかった時期が5年ほどある。2002年から2007年の時期だ。

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本書:128ページ

しかし、この時はマネタリーベースを増やすために日銀が銀行に無利子で預けても、銀行が産業界に貸し出しを増やさなかった。「インフレ予想」が起こらなかったため、産業界でも積極的な資金需要がなかったためだ。これを「超過準備」と呼ぶ。

ソロスチャートで、マネタリーバランス増加分から、「超過準備」の分を引くと、きれいに連動する。次が「修正ソロスチャート」だ。

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出典:本書 132ページ

修正ソロス・チャートが示すところは、「為替レートは、2国における将来の物価の予想の格差の変動によって動かされている」ということで、基本的にマネタリーベースの差であることがわかる。


「神の見えざる手」

この本の中で安達さんは、為替相場の成立する仕組みや、経済活動を動かす「予想インフレ率」のことを「神の見えざる手」と呼んでいる。

つまりみんながインフレを予想すれば、インフレとなり、通貨が安くなる。それが「見えざる手」のファンクションである。

これはアダム・スミスが「国富論」で「見えざる手」と評した「個人がバラバラの思惑で動いても、経済は不思議と一定の方向に動く仕組み」のことを指している。

筆者は、この「神の見えざる手」という言葉には抵抗がある。アダム・スミスの表現は「見えざる手」であり、”神の”という言葉はついていない。

安達さん以外にも「見えざる手」に”神の”という言葉をつける人は多い。筆者はそういう人には、「ちゃんと勉強しているのか?」という疑問を持たざるを得ない。

「国富論」は岩波文庫では4巻、日経出版のものは2巻の大作で、筆者の読んだ日経出版のものだと、上が430ページ、下が解説も入れて570ページで、合計でちょうど1,000ページある。

国富論〈1〉 (岩波文庫)国富論〈1〉 (岩波文庫)
著者:アダム スミス
岩波書店(2000-05-16)
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国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)
著者:アダム・スミス
日本経済新聞社出版局(2007-03-24)
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実は、「見えざる手」は、日経出版だと下巻31ページに一度だけ出てくるだけだ。

このことは、このブログで紹介した「池上彰のやさしい経済学1」や、浜矩子さんの「新・国富論」などの本でも紹介されている通りだ。

池上彰のやさしい経済学―1 しくみがわかる池上彰のやさしい経済学―1 しくみがわかる
著者:池上 彰
日本経済新聞出版社(2012-03-24)
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新・国富論 グローバル経済の教科書 (文春新書)新・国富論 グローバル経済の教科書 (文春新書)
著者:浜 矩子
文藝春秋(2012-12-17)
販売元:Amazon.co.jp

「国富論」のあらすじはまだ紹介していないが、当時の「重商主義」を批判した本ゆえ、古臭い部分もある。

筆者も長年手を付けていなかったが、日経出版のものが2007年に出たので、いいきっかけと思って、読んでみただけなので、偉そうなことはいえない。

けれども、”神の”をつけている人がいると、経済アナリストといえども、アダム・スミスを、ちゃんと読んでいない人もいるのではないかと疑ってしまう。

ともあれ、全体の論旨としては明快で、浜田宏一教授が推薦書として取り上げていることでもわかるとおり、現在の「アベノミクス」に沿った見解で、参考になった。


参考になれば次クリック願う。



海賊とよばれた男 ベストセラーとなった出光興産創業者・出光佐三の伝記小説

海賊とよばれた男 上海賊とよばれた男 上
著者:百田 尚樹
講談社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

海賊とよばれた男 下海賊とよばれた男 下
著者:百田 尚樹
講談社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

2011年に100周年を迎えた出光興産の創業者・出光佐三(いでみつ・さぞう)の伝記小説。本の中では、「国岡鐵造」として登場する。

会社の知人が出版社の講談社の人と仕事で打合せしたら、講談社の人から「これは面白いですよ」ということで、この本をもらったという話を聞いたので、読んでみた。

作者の百田尚樹さんの最初の作品の「永遠の0」は、別ブログで紹介している

永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
著者:百田 尚樹
講談社(2009-07-15)
販売元:Amazon.co.jp

小説のあらすじは、いつも詳しく紹介しないので、自分でも「予想外の最後の展開に驚く」と書いていながら、最後の展開がどうだったか忘れていたので、再度「永遠の0」を読み返した。



「永遠の0」の宮部も登場

実は、「海賊とよばれた男」の中に、「永遠の0」の主人公の宮部がチラッと出てくる。それは、昭和15年(1940年)の秋に国岡鐵造(出光佐三)が、当時幅広く事業展開していた中国の支店を訪問する場面だ。

上海で石油タンクを保有している国岡商会の上海支店を、国岡が訪問した時に、旧知の海軍大佐と会って、海軍の最新鋭戦闘機として零戦を見せてもらい、その時の若い航空兵が「宮部」という名札を付けていたという場面だ。

講談社の人が勧めるだけあって、上下700ページほどのボリュームだが、一気に読める。


この本の構成

この本の構成は、よくできている。アマゾンの「なか見!検索」に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。

第1章 朱夏 (昭和20〜22年)

第2章 青春 (明治18年〜昭和20年)

第3章 白秋 (昭和22年〜昭和28年)

第4章 玄冬 (昭和28年〜昭和49年)


この本は「伝記小説」だ。筆者は、ポリシーとして「小説」のあらすじは詳しく紹介しない。

しかし、出光佐三の経歴自体は一般的に知られているものなので、「伝記」として扱い、割合詳しいあらすじを紹介する。

この本の面白さは、それぞれのストーリーの痛快さにあり、「あらすじ」ではそれを伝えることができない。

以下のあらすじを参考にして、ぜひ本を読んでみてほしい。


第1章は、戦争直後の話。

戦前、朝鮮や満州、中国で幅広く事業展開していた国岡商店は、日本の敗戦で海外の資産をすべて失い、ゼロから再スタートした。

海外からの帰国社員を一名もクビにせずに、ラジオ修理や海軍の巨大な石油タンクの底さらいなど、なんでもやったという話が、国岡鐵造の「馘首(かくしゅ)はならん!」という言葉とともに紹介されている。

海軍のタンクの底に残っている廃油さらいは、専門家の廃油取扱い業者でも嫌がる危険な作業だったが、国岡商店の社員は、幹部社員でもホワイトカラーでも嫌がらずに真っ黒になりながらやりとげた。

そのことが、GHQも注目するところとなった。国岡鐵造は、一旦、公職追放されたが、GHQが見直して、すぐに取り消されることとなった。


第2章は、国岡鐵造の生い立ちから、戦前、戦争中まで。

国岡鐵造は明治18年(1885年)に福岡県宗像市赤間に生まれた。両親は染物業をいとなんでいたが、家は貧乏だった。

鐵造は、父親に反対されながらも、何とか福岡商業(福岡市立福翔高校)、神戸高商(神戸大学)を卒業する。

神戸高商の校長にもらった色紙に書いてもらった言葉が「士魂商才」で、これが鐵造の座右の銘となった。

神戸高商を卒業後、多くの友人が三井物産や鈴木商店などの大会社に就職する中で、鐵造は社員数名で小麦と機械油を取り扱う神戸の個人商店に入社した。独立を考えていた鐵造は小さな会社で、すべての技能を身につけることを選んだのだ。

台湾向けに三井物産の向こうを張って小麦粉の販路をつくるなど、数年で大きな成果を上げ、出身地の福岡の門司で、親族・家族を社員として国岡商店として独立する。明治44年(1911年)、25歳のときだ。

日邦石油の機械油の取り扱いが主な事業で、起業するときに神戸時代に知り合った支援者の日田重太郎から独立資金を出してもらう。

日田重太郎には、その後も国岡商店が潰れそうになった時に追加出資をしてもらい、鐵造の生涯の恩人となった。

ちなみに、鐵造は日田の恩義に感謝して、1970年には日田の出身地の兵庫県姫路市に製油所を建設し、番地名を日田町と命名している。


石油の公示価格

石油は1859年に米国のドレイク大佐が、ペンシルベニア州で油田を発見し、当初は1バレル20ドル近くまで上がったが、その1年半後には供給過剰で10セントまで下がった。石油相場は乱高下してリスクの高いビジネスとなり、石油を掘り当てても、なかなか大金を投じて石油を開発することが難しく、供給は減少していた。

そこで1800年代末に当時のアメリカの石油精製と販売の80%を押さえていたスタンダード石油のロックフェラーが、この値段で買うという「公示価格」を決めた。

公示価格が決まったことで石油の供給は増え、石油業界は拡大した。その後。1911年にアメリカの独占禁止法であるシャーマン法によりスタンダードオイルは34の会社に分割された。


アイデア商人だった鐵造

すでに既存顧客は機械油の仕入れ先が決まっていたので、鐵造は紡績工場のスピンドル(糸車)の軸受油に注目する。独自の調合で最適の軸受油を作り出し、大手紡績工場から大量受注した。

次は焼き玉エンジンをつかっていた漁船の燃料を、当時使われていた灯油から、税金がかからず安価な軽油に転換させて大成功した。

国岡商店は、門司の販売店で、対岸の山口県には売れなかった。そのため、門司側から伝馬船に軽油を積んで、海上で漁船に売るという方法で販売を拡大させた。

これが「海賊とよばれた男」という、この本のタイトルの由来だ。

鐵造はアイデア勝負で、日邦石油の販売店として販売を伸ばしたが、国内では自由な事業展開が難しいかった。そのためセブン・シスターズと呼ばれるメジャーが牛耳っていた朝鮮や満州、中国で事業展開した。

満州でも独自の配合で極寒の満州でも凍らない車軸油をつくって、メジャーに勝利した。

何事にも筋を通す鐵造は、国がつくった石油統制会社などにも反対していたため、石油業界の異端児と見られていた。

米国が日本向け石油の禁輸に踏み切ったことから、日本の石油流通は石油配給統制会社に一本化されてしまった。


初代「日章丸」

鐵造のユニークな点は、単に石油販売のみにあきたらず、自前のタンクを上海などで建設するとともに、自前のタンカーを持ったことだ。

1939年には自社タンカー「日章丸」が完成している。「日章丸」は戦時中徴用され、1944年にアメリカの艦載機の爆撃で沈没した。国岡は全部で3隻のタンカーを持っていたが、すべて戦争で沈没した。

以前、関榮次さんの「Mrs. Ferguson's Tea-set"のあらすじで紹介したとおり、戦時中の日本船舶の損失は大きく、船員の死亡率は43%と、陸軍軍人の20%、海軍軍人の16%をはるかに超えていた。「日章丸」も例外ではなかったのだ。

Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940
著者:Eiji Seki
Global Oriental(2007-02-28)
販売元:Amazon.co.jp


2代め「日章丸」

戦後まもなく、サンフランシスコ講和条約が締結された直後に、2代めの「日章丸」が播磨造船所で完成している。当時としては世界最大級の1万8千トンという大型タンカーだった。

2代めの「日章丸」は、当初、アメリカからの石油製品の輸入に使われ、アメリカ製のガソリンは「アポロ」の商標で人気を博した。

メジャーは日本の石油会社の多くを直接・間接に支配しており、政府からも言うことを聞かない会社として目をつけられていた国岡は、13対1のような戦いを強いられていた。その国岡の武器がタンカーだった。

1951年にイランがイギリスの国策会社アングロ・イラニアン石油の全施設を接収したところ、イギリスはイラン産の石油は自国のものだと主張し、イラン石油を輸送するタンカーを拿捕した。

そんな中で、「日章丸」は1953年4月にイギリスの警戒網を潜り抜けて、無事にイラン産ガソリンと軽油を日本に輸入した。これがイランが石油施設を国有化してから、最初の輸出となった。

その後、イギリスはアメリカと組んで、両国でイランの石油を抑えにかかり、1953年8月にCIAがわずか70万ドルのコストで、政権転覆させ、シャーを復帰させて親米国に転換させ、国岡の優先権は半年で終結した。

この本では、イランとの交渉では、イラン側がタンカーを購入するために、イランにある約3万トンのスクラップで代金を支払うと提案してきたことが紹介されている。

筆者自身は、イランから2,000トンのステンレススクラップを買い付けた経験がある。

1983年ころだと思うが、ちょうどイラン・イラク戦争の真っ最中だったので、国岡が石油を輸入したイラク国境に近いアバダン港は使えず、戦争の影響のないホルムズ海峡に近いバンダル・アッバス港から輸出したものだ。

コンテナーに積み込むフォークリフトがなく、人手で積み込んだので、船積みは3か月ほど遅れたが、品質の良いものだった。


3代め「日章丸」

1957年には中国の黒竜江省の大慶油田の石油生産が開始された。戦前、満州で大慶油田が発見されていれば、日本の運命は違ったものになっただろうと鐵造はやりきれない思いがしたという。

これを機に鐵造は、中東の原油をいかに安く仕入れるかが日本の将来を左右すると考え、世界最大級である13万トンの3代めの「日章丸」を発注する。

3代目の「日章丸」はあまり目立った活躍はなかった。

筆者の会社では、この「日章丸」が廃船となった時に解体船請負契約を結んで函館ドックで解体した。

当時は造船不況の時代で、新造船がなかったので、やむなく雇用調整金を使って石油ショック以来余剰気味だったタンカーを中心に解体したのだ。「日章丸」も1962年に竣工したが、わずか16年でスクラップになった。

タンカーは次第に大型化して、1978年には50万トンクラスのスーパータンカーまで誕生し、13万トンという「日章丸」が矮小化してしまったためだ。


ガルフとの提携

この本では筆者が合計9年間駐在していたピッツバーグにあったオイルメジャーの一社のガルフと国岡が提携したことが紹介されている。

1955年鐵造は70歳にして初めてアメリカを訪問した。サンフランシスコでバンクオブアメリカを訪問して、当時の国岡の資本金の18倍にあたる1千万ドルの巨額融資を取り付け、ニューヨークのあと、ピッツバーグを訪問した。

ピッツバーグには米国のモルガン、ロックフェラーに次ぐ第3位の財閥のメロン財閥系で、オイルメジャーの一社のガルフ・オイルの本社があったのだ。

ガルフは戦前からクウェートの石油開発に力を入れていたが、アジアには進出していなかったため、クウェート産原油の販売先に困っていたのだ。

この本では、鐵造がガルフの本社の広大な敷地と噴水付きの池や豪華な本社に驚いた様子が描かれているが、筆者にはピンとこない。ガルフの本社はピッツバーグの市内にあり、筆者の務めていたUSスチールのビルの斜め向かいが、ガルフ本社だったからだ。

この本で本社といっているのは、今やピッツバーグ大学の応用研究センターとなった、ピッツバーグ郊外にある旧ガルフの研究所のことかもしれない。


人間尊重の経営

鐵造はガルフに招待されたパーティで、「アメリカの民主主義はニセモノで、人間を信頼していない。国岡は『人間尊重』を第一に考え、社員を家族と考えて経営しているので、タイムレコーダーもなければ出勤簿もなく、定年も馘首のない」と演説すると、会場から盛大な拍手が起こったという。

出光興産のホームページでも「人間尊重の百年」という特設ページが設けられており、出光佐三の言葉や出光興産の歴史、出光史料館(門司)などが紹介されている。


石油精製業界に進出

この時に鐵造は石油精製業に進出するため、徳山での国岡最初の製油所の建設を米国のエンジニアリング会社と契約した。この本では通常3年かかる工期を10か月で完成させた話や、大型タンカーを受け入れるために徳山港の沖合2キロに海上バースを建設した話を紹介している。


民族系石油会社の雄として活躍

その後も、1960年には国岡はソ連原油をカスピ海の第2バクー油田から国際市況の半値で輸入した。

これは当時の池田勇人通産大臣から持ちかけられたものだという。当時の日本のほとんどの石油会社はメジャーと提携しており、民族系は国岡だけだったので、持ちかけられたものだ。

1963年には千葉県の姉ヶ崎に東洋最大級の製油所を建設した。

その年の冬は「三八寒波」と呼ばれる豪雪が降り、日本全国で灯油が足りなくなり、火力発電所の重油も不足する事態となった。

通産省は石油業法を通じて、生産調整させていたため、国岡は有り余る原油がありながら、製品をつくることができなかった。

石油連盟と通産省は石油製品の市況を支えるため生産調整を申し入れたが、国岡は行政指導に反発して石油連盟を脱退した。需要に応えるために石油製品を増産し、当時の通産大臣による勧告を出すとの脅しにも屈しなかった。


石油ショックとその後

鐵造の晩年には1973年に第4次中東戦争を機に石油ショックが起こり、原油の値段はそれまで1バレル4ドルを超えることがなかったのが、一気に12ドルにまで上昇し、狂乱物価を引き起こした。

鐵造は1981年(昭和56年)に95歳で亡くなっている。

出光興産は、長らく非公開会社だったが、2006年に東証一部に上場して公開会社となった。

この本では出光佐三が、最初は日田重太郎、次にいくつかの銀行の融資によって助けられ、事業を拡大していく様子がわかったが、たとえばウォルマートの創業者のサム・ウォルトンは、上場することによってウォルマートの成長が加速したことを自伝で書いている。

私のウォルマート商法 すべて小さく考えよ (講談社プラスアルファ文庫)私のウォルマート商法 すべて小さく考えよ (講談社プラスアルファ文庫)
著者:サム・ウォルトン
講談社(2002-11-20)
販売元:Amazon.co.jp


出光が公開会社だったら、民族系として存続できず、とっくの昔に外資系石油メジャーが株を買い占めたかもしれない。

株を公開しなくても、すぐれた経営者だから資金を調達できたのだろう。

それにしても、戦後ほとんどゼロで再出発して、わずか15年くらいで2か所の新鋭製油所を持つ一大石油会社となったことは、日本の高度成長の一例として驚嘆に値する。

出版社の講談社の人が勧める通り、大変面白く痛快なストーリーを満載した本である。ぜひ一読をお勧めする。


参考になれば次クリック願う。



「トルコ 世界一の親日国」 どっちがオリンピック招致に成功しても祝福しよう! 

猪瀬直樹東京都知事の海外出張中のトルコやイスラム中傷発言で、オリンピック招致レースでの東京の立場がゆらぐ恐れがある。

トルコを訪問した安倍首相は、トルコ政府と国民に、「どちらが勝ってもお互いに万歳しよう」と呼びかけ、修復を図っている。

時宜にかなったアクションだと思う。

トルコは世界一の親日国と言われている。

まさに安倍首相が提案するように、東京も2020年オリンピック招致レースではベストをつくすが、結果としてイスタンブールが勝ったら、日本も心からお祝いを言おう!

この意味を込めて「トルコ 世界一の親日国」のあらすじを紹介する。

トルコ世界一の親日国―危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空トルコ世界一の親日国―危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空
著者:森永 堯
販売元:明成社
発売日:2010-01
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2010年は「トルコに於ける日本年」で、日本とトルコ各地でイベントが開催された。



大前研一さんの「衝撃!EUパワー」を前回紹介したが、その中でもトルコが将来EU加盟が認められると、EUの競争力の秘密兵器となることが説明されている。

またトルコが世界一の親日国であることも、大前さんの本で紹介されている。


トルコが世界一の親日国だともっと早く知っていれば…

筆者はこの本を読んで、「もっと早くトルコが世界一の親日国だった事を知っていれば…」と悔やむことがある。

実はピッツバーグ駐在時代に筆者の家の三軒隣に、フットボールのピッツバーグスティーラーズの昔の花形ディフェンスプレーヤーで、今はテレビのスポーツレポーターなどをやっているトーンチ・イルキン(Tunch Ilkin)の一家が住んでいたのだ。

Tunch Ilkin近影
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Tunch Ilkinの現役時代
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出典:いずれもWikipedia

Tunchのフットボールコーチング映像



最初その家に移った時に、トーンチと奥さんのシャロンが挨拶に来てくれて、「自分はトルコ人だ。なんでも困ったことがあったら言ってくれ。是非遊びに来てくれ。」と言ってくれたのだ。

当時はトルコ人が世界一の親日家だとは知らなかったので、なぜ「自分はトルコ人だ」などと言うのか不思議に思っていた。

トーンチの家の庭には子どもの遊び場もあったので、筆者の子どもたちはトーンチの家によく遊びに行っていたし、おやつもごちそうになったりしていた。

しかし家に招いたりというつきあいはしていなかったのだが、今になってこの本を読んで、なぜトーンチが「自分はトルコ人だ」と言っていたのかわかった。

トルコは世界一の親日国なのだ。そしてトーンチのような2歳でアメリカに移住して、言われなければトルコ人とわからない人でも、日本に対する親愛の情があったのだ。

実に悔やまれる。

もっと彼と彼の家族と親しくしていれば良かったと今更ながら思う。

そんなことを思い起こさせるのが、この本だ。


筆者の森永堯さんは元伊藤忠商事でトルコ駐在16年

この本の著者の森永堯(たかし)さんは、元伊藤忠商事で、トルコ駐在歴16年というトルコ通だ。

トルコにはアンカラとイスタンブールに駐在し、二度目のアンカラ支店長発令の時は、伊藤忠の当時の社長から「トルコは君に任せる」と言われたそうだ。

人脈も広く、とりわけトルコの故オザル首相(後に大統領)と彼の無名時代から親しく、オザル首相のいわば「私設日本関係補佐官」となって、いろいろ日本とトルコのビジネスと友好関係を促進したという経歴の持ち主だ。

筆者も商社マンではあるが、昔アルゼンチンでの研修生時代には、「その国の大統領になるような人材と親しくなっておけ」と言われたものだ。森永さんはまさにそれを実現しており、商社マンの鑑ともいうべき人である。

さらにビジネスの実績もスゴイ。日本の製造業のトルコ進出第一号のいすゞ自動車のトルコ工場建設を決めたり、日伊トルコのコンソーシアムで第2ボスフォラス大橋を受注したり、自分のコネをフルに活用してビジネスにつなげている。

社長から「トルコは君に任せる」と言われるだけの実績がある。


1890年のエルトゥールル号遭難事故

トルコ人が日本人に対して特別の感情を持っているのは、古くは1890年のオスマントルコの軍艦エルトゥールル号が台風のために和歌山沖で遭難し、串本町大島の住民の必死の救援で69名が助かった(600名弱が死亡)ことに端をを発するという。

明治天皇は串本町の住民の命がけの救援活動を高く評価し、助かったトルコ水兵を日本の軍艦でトルコまで丁重に送り届けた。

その後日露戦争で日本がトルコの長年の宿敵ロシアに勝ったので、アジアの同胞が憎いロシアを倒したということで、トルコ人の日本人への尊敬の気持ちがいよいよ強くなったのだ。



近代トルコ建国の父、ケマル・アタチュルク大統領の執務室には明治天皇の写真が飾られていたという。

このような明治時代の話を、日本人は忘れてしまっているが、先方の国民は覚えているという例は他でもある。

たとえば筆者の駐在していたアルゼンチンは、日露戦争の直前に「日進」、「春日」という自らがイタリアの造船所にオーダーしていた戦艦を日英同盟による英国の働きかけもあって日本にゆずり、その2隻が日本海海戦で活躍したという歴史がある。

昔の筆者も含めて日本人はこのことを知らない人が多いと思うが、アルゼンチンでは日本との文化交流などの機会には、この話が紹介されることが多い。

おまけに日本にはシニアを中心にアルゼンチンタンゴの愛好家が多いということで、文化面でもアルゼンチン国民は親しみを感じており、日本人のタンゴ歌手の藤沢嵐子(らんこ)さんやバンドネオン奏者(最近では小松亮太さんという人が有名のようだ)は有名だ。

今回のトルコが世界一の親日国であるということも含めて、世界の国民には親日派もいるという事実を日本人はもっと知っておくべきだろう。


1985年のトルコ航空機によるイラン在住日本人救出

そしてそんなトルコ国民の日本人への敬意が、1985年のイラン・イラク戦争の時のトルコ航空機によるイラン在住日本人の救出につながった。



1985年、イラン・イラク戦争末期の頃、イラクのサダムフセインは、イラン上空を飛ぶ飛行機は民間機でも攻撃の対象となると発表した。各国の駐在員は自国の飛行機で先を争って帰国したが、日本航空は「安全の保証がない」ということで、組合の反対もあり飛行機を飛ばさなかった。

当時は内閣専用機もなく、日本の駐在員とその家族は途方にくれていたときに、日本人向けに特別機を派遣してくれたのがトルコ航空だ。

その裏には、テヘランでトルコ大使に救援を要請した野村大使と、伊藤忠本社の指令を得て、懇意のオザル首相に頼み込んだ伊藤忠イスタンブール支店長の森永さんがいたという。

プロジェクトXでもこの話は第135回 「撃墜予告 テヘラン発最終フライトに急げ」(イラン・イラク戦争での邦人脱出劇・トルコ航空)ということで、2004年1月27日に放送された。

「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」 ―希望の絆をつなげ (プロジェクトX〜挑戦者たち〜)「撃墜予告 テヘラン発 最終フライトに急げ」 ―希望の絆をつなげ (プロジェクトX〜挑戦者たち〜)
NHK出版(2012-07-31)
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実は寮委員の先輩の柔道部の三本松進さんが、当時通産省からイラン大使館に赴任しており、プロジェクトXで三本松さんが出てきた時にはびっくりした。

ウィキペディアでは「七帝戦」>「超弩級」の項目で、三本松さんも紹介されている。

なんとモントリオールオリンピック金メダルの上村春樹・現・全柔連会長(当時は明治大学)に一本勝ちした(!)ことが紹介されている。さらにびっくりした。

筆者も含めてトルコに助けて貰ったことを日本人の多くは忘れているだろうが、小泉元首相は2006年1月のトルコ公式訪問にあたり、日本人救出の話を聞いて「感動し」、当時のトルコ航空関係者などトルコ側11人に叙勲を決めた。

普通は外国人の叙勲者は年間20名程度しかいないのだが、その20名に加えてトルコ航空関係者の11を叙勲の対象にしたのだ。

良い話だと思う。


今からでも遅くない世界一の親日国トルコ再認識

筆者が体験したトーンチ・イルキンの話のように、日本のことを心底好いてくれる国民は世界には少ない。

アルゼンチンも親日国だとは思うが、トルコのように実際に人命救助という行動で表してくれた国は他にはないのではないか。

大前さんの本にもあるように、トルコはEU加盟交渉を既に20年も継続して行っている。またEUの前身のEECには1963年に準加盟国として協定を結んでいる。

欧州の一員になることは建国の父ケマル・アタチュルクの国家戦略一つであり、いずれはEUに加盟する可能性が高いと思う。経済もBRICsに次ぐVISTAの一国として発展している。

伊藤忠商事がコンソーシアムの一員として参加した第二ボスフォラス大橋の工事は、予定より半年も前に完成したという。日本人とトルコ人の組み合わせは最強なのだと著者の森永さんは語る。

政治的にも経済的にも重要な国である。

冒頭に記した通り、2010年は「トルコに於ける日本年」だった。筆者はまだトルコには行ったことがないので、是非近い将来トルコに行きたいと思っている。特にカッパドキアは是非見たい。

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出典:Wikipedia

多くの日本人がトルコを訪問し、トルコの人たちとの交流を深めたいものだ。

「トルコに於ける日本年」にふさわしい本である。簡単に読めるので、是非一読をおすすめする。


参考になれば次クリック願う。



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