全貌ウィキリークス
著者:マルセル・ローゼンバッハ
早川書房(2011-02-10)
販売元:Amazon.co.jp
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日本のメディアにはほとんど登場しないので、最近あまり話題になっていない機密情報暴露サイトのウィキリークスについて独・シュピーゲル誌の記者が書いた本。
シュピーゲル誌は、2010年6月に米・ニューヨークタイムズ紙、英・ガーディアン紙と一緒に、ウィキリークスが9万件ものアフガニスタン戦争の戦争日誌を公開する前に、既存メディアとして情報の分析に協力するとともに、確認できた情報を自己判断でニュースとして流すことに合意した。
ウィキリークスがこれだけ広く認知された過程では、既存メディアの協力もあった。
この3誌合同のプロジェクトはKabul Recoveryというコードネームで呼ばれ、英国ガーディアン紙の本社オフィスに拠点が置かれた。ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジと各紙の記者は4週間にわたり共同作業を続けたという。
著者のシュピーゲルの記者たちがジュリアン・アサンジに最初にあった時は、共同プロジェクトの最中で、アサンジはひげもそらず青白い顔色で数日前から着続けている服を着て、靴を履かずに靴下だけであらわれたという。
創始者ジュリアン・アサンジの経歴
ウィキリークスの創始者で唯一の決定権者のジュリアン・アサンジはオーストラリア生まれ。ヒッピーで売れない絵描きのシングルマザーに育てられた。
母親はジュリアンを育てながら、いろいろなパートナーと同棲と結婚を繰り返し、一時はカルト教団の信徒に付きまとわれたこともある。
アサンジはきちんとした教育は受けたことがなく、通った学校は37校にものぼる。しかしアサンジの知能指数は147−180だという。
アサンジは最初にコモドール64というホームコンピューターのとりことなり、あっというまにプログラミング言語をマスターし、13歳でシステムのセキュリティを破るクラッキング専門のハッカーとなった。自らを「マッド・プロフェッサー」というコードネームで呼んでいたという。
当時は電話線で回線をつなぎ、音響カップラーで通信していたという。
出典:Wikipedia
音響カップラーをご存じの人は少ないと思うが、筆者は最初の米国駐在の時に(1986年〜1991年)重さ10キロくらいの携帯用のテレックスマシンを持っていた。米国内の出張のときはそれを持参して、ホテルや公衆電話からテレックスを送っていた。
当時の電話機はモジュラージャックがついていない機種もあり、そのときはこの音響カップラーを受話器にむすびつけて、受話器経由で信号を送っていたのだ。ちょうどファックス送信の時の音のような感じだ。
駐在の最後の1991年ころになるとパソコン通信が始まったが、1986年当時はまだeメールはなく、テレックスの時代だったのだ。
閑話休題。
アサンジはハッカーとしての活動について語らないが、仲間と一緒にNASAのシステムに侵入したりしていたらしい。彼らは自らを「ハックティビスト」と呼び、権力に抵抗していた。
アサンジ自身の最後の学歴はメルボルン大学数学科だ。メルボルン大学は米国陸軍から砂漠での自走車両走行の最適化のプロジェクトを受託していたという。アサンジは「殺人機械の最適化」に嫌気がさし、退学した。
その後アサンジは友人を通じ、オーストラリアの反戦運動家で現国会議員のアンドリュー・ウィルキーや、ベトナム戦争の機密文書を7,000ページを「ペンタゴン・ペーパーズ」としてリークしたダニエル・エルズバーグなどと知り合いになった。
ダニエル・エルズバーグはランド研究所員として米国国務省の依頼でベトナム戦争の分析に携わり、「ペンタゴン・ペーパーズ」の執筆者の一人でいながら、情報をリークするというまさにウィキリークスの先達となる存在だ。この「ペンタゴン・ペーパーズ」は今は情報公開法に基づき、一部が公開されている。
ウィキではない
ちなみにウィキペディアの創設者のジミー・ウェールズは、ウィキリークスを非難して、次のように語っている。
「私はウィキリークスを敬遠し、本当は彼らがこの名称を使わないようにと望んでいるほどです。『ウィキ』ですらないのですから。」
たしかに「ウィキ」(不特定多数が寄ってたかって作り上げる)ではない。筆はジミー・ウェールズの意見に賛成だ。
「コラテラル・マーダー」ビデオの公開
ウィキリークスを一躍有名にしたのは、米軍のアパッチヘリコプターが、テロリストと間違えてロイターのカメラマンと運転手を含むイラクの民間人を攻撃した事件の一切が映っているビデオだ。
コラテラルとは付随的という意味で、「コラテラル・マーダー」とは、シュワルツネッガーの「コラテラル・ダメージ」という映画を連想させる題名だ。
事件は2007年7月12日にイラクのニュー・バクダッドで起こった。
ロイターのカメラマンと運転手は小火器を使った戦闘があったというしらせで現場に直行したところ、背中のカメラを米軍のアパッチヘリコプターのパイロットに武器とみなされ、30ミリ砲の攻撃を受けたのだ。
その場にいあわせた12人全員が死亡した。助けようとやってきたミニバンも銃撃され、乗っていた子供も重傷を負った。そのビデオがウィキリークスで公開され、世界中に報道されたのだ。
このビデオは元兵士のブラドレー・マニングが、軍のワークステーションで特別に保護されたネットワークからダウンロードしてCDに焼いて持ち出し、アサンジに送ったのだ。マニングも元ハッカーだった。マニングは米陸軍当局の徹底的な捜査で、情報源として特定され、機密漏えい罪で逮捕された。
次々と公開される秘密書類
次の大スクープとなったのは前述の報道機関3社との共同で検証していた「アフガニスタン文書」だ。9万件もの戦争日誌である。
これは2010年7月に報道機関3社と一緒に公開され、現在もウィキリークスで"wardiary"として公開されている。
「アフガニスタン文書」に続き、2010年10月には39万通にものぼるイラクからの戦争報告も公開された。
戦争日誌では、テロリストから自白を得るためにイラクの警察が拷問していても、米軍は見て見ぬふりをしている事実などが明るみにでた。
そして2010年11月末に米国の外交公電25万件が公開された。1966年12月から2010年2月までの外交公電が含まれており、その中には駐在大使のざっくばらんな現地政府高官や実力者の評価などが含まれていた。
たとえばタイのタイイップ・エイドリアン首相はスイスに8つの隠し口座を持っているのではないのかといった汚職情報や、ロシアとの天然ガスの取引でベルルスコーニ首相が巨額を手にしたとか、メドベージェフ大統領は「見習い」で、プーチンが「群れのボス犬」で、「バットマン」(メドべージェフはロビン)だとかいった情報が数限りなく含まれている。
ヒラリー・クリントン長官名で大使館関係者に、国連と国連の首脳について徹底的な調査を指示しだ2009年7月の極秘扱いの公電も公開された。
あれやこれやでヒラリー・クリントン国務長官は、各国の外務大臣や政府高官に謝罪の電話をかけまくらなければならなかった。
米国政府のウィキリークス封じ込め
米国政府はウィキリークスを壊滅させることを決心した。各国政府によびかけ、様々な妨害活動を開始した。
まずはウィキリークスサイトに大量のDoS攻撃があった。ウィキリークスがアマゾンのEC2クラウドサーバーを利用しはじめると、アマゾンはすぐにサービスを打ち切った。
EveryDNSはDNSサービス提供を解約し、URLでは検索できなくなった。ウィキリークスの英国の銀行口座は閉鎖され、eBayはpaypalサービスの解約を通知、VISA、Mastercardも解約、いずれもウィキリークスへの送金を拒んだ。
これでウィキリークスへの小口献金の道はほとんど閉ざされた。ドイツの財団だけがウィキリークスへの資金援助を続けている。
こういった反ウィキリークスの動きに対して、ウィキリークスのサポーターたちは、大量ミラーリングを呼びかけ、数日のうちに1,200以上のウィキリークスのコンテンツを複製したミラーサーバーがインターネット上に誕生した。
アサンジの逮捕
アサンジにはインターポールから国際指名手配が出された。
女性二人への強姦(コンドームなしのセックス強要)の訴えがあったスウェーデンでは、2010年8月にいったん不起訴処分となっていたが、同じ容疑でインターポールから国際指名手配が出されたのだ。
アサンジはロンドンの警察署に出頭、逮捕されたが、支持者が保釈金を払って釈放された。
哲学的問題
ジャーナリストが書いた本だけに、この本の最後では、次のような哲学的問題が提起されている。
・機密文書の公開は民主主義を脅かす?
・すべての情報を公開すべきか?
・「国境なき危機の時代」における、ウィキリークスとメディアの課題。
内部告発者の末路
最後にこの本ではロバート・レッドフォード主演の「コンドル」という映画を紹介している。
CIAで書籍分析を務めるレッドフォードが演じるターナーは、ある日昼食から戻ったら、職場の同僚6名が殺害されていた。CIAが石油市場を操作するという知ってはならない事実を彼らが文書解析の仕事で洗い出してしまったのだ。
CIAの卑劣な幹部がターナーを部署もろとも抹殺しようとしたのだ。
ターナーは逃げ延びて、ニューヨークタイムズにすべてを告げるために出向く。
ターナーとCIA支局長のヒギンスの会話で終わる。
「彼ら(ニューヨークタイムズ)はすべてを知っている。なんでもやるがいい。彼らに話したんだ」
「ターナー、新聞社が記事にするなんて思っているのか?」
「記事にするさ」
「どうしてそう言える?」
ウィキリークスの概要がわかり、その存在意義について考えさせられる本である。
参考になれば次クリックお願いします。
著者:マルセル・ローゼンバッハ
早川書房(2011-02-10)
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日本のメディアにはほとんど登場しないので、最近あまり話題になっていない機密情報暴露サイトのウィキリークスについて独・シュピーゲル誌の記者が書いた本。
シュピーゲル誌は、2010年6月に米・ニューヨークタイムズ紙、英・ガーディアン紙と一緒に、ウィキリークスが9万件ものアフガニスタン戦争の戦争日誌を公開する前に、既存メディアとして情報の分析に協力するとともに、確認できた情報を自己判断でニュースとして流すことに合意した。
ウィキリークスがこれだけ広く認知された過程では、既存メディアの協力もあった。
この3誌合同のプロジェクトはKabul Recoveryというコードネームで呼ばれ、英国ガーディアン紙の本社オフィスに拠点が置かれた。ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジと各紙の記者は4週間にわたり共同作業を続けたという。
著者のシュピーゲルの記者たちがジュリアン・アサンジに最初にあった時は、共同プロジェクトの最中で、アサンジはひげもそらず青白い顔色で数日前から着続けている服を着て、靴を履かずに靴下だけであらわれたという。
創始者ジュリアン・アサンジの経歴
ウィキリークスの創始者で唯一の決定権者のジュリアン・アサンジはオーストラリア生まれ。ヒッピーで売れない絵描きのシングルマザーに育てられた。
母親はジュリアンを育てながら、いろいろなパートナーと同棲と結婚を繰り返し、一時はカルト教団の信徒に付きまとわれたこともある。
アサンジはきちんとした教育は受けたことがなく、通った学校は37校にものぼる。しかしアサンジの知能指数は147−180だという。
アサンジは最初にコモドール64というホームコンピューターのとりことなり、あっというまにプログラミング言語をマスターし、13歳でシステムのセキュリティを破るクラッキング専門のハッカーとなった。自らを「マッド・プロフェッサー」というコードネームで呼んでいたという。
当時は電話線で回線をつなぎ、音響カップラーで通信していたという。
出典:Wikipedia
音響カップラーをご存じの人は少ないと思うが、筆者は最初の米国駐在の時に(1986年〜1991年)重さ10キロくらいの携帯用のテレックスマシンを持っていた。米国内の出張のときはそれを持参して、ホテルや公衆電話からテレックスを送っていた。
当時の電話機はモジュラージャックがついていない機種もあり、そのときはこの音響カップラーを受話器にむすびつけて、受話器経由で信号を送っていたのだ。ちょうどファックス送信の時の音のような感じだ。
駐在の最後の1991年ころになるとパソコン通信が始まったが、1986年当時はまだeメールはなく、テレックスの時代だったのだ。
閑話休題。
アサンジはハッカーとしての活動について語らないが、仲間と一緒にNASAのシステムに侵入したりしていたらしい。彼らは自らを「ハックティビスト」と呼び、権力に抵抗していた。
アサンジ自身の最後の学歴はメルボルン大学数学科だ。メルボルン大学は米国陸軍から砂漠での自走車両走行の最適化のプロジェクトを受託していたという。アサンジは「殺人機械の最適化」に嫌気がさし、退学した。
その後アサンジは友人を通じ、オーストラリアの反戦運動家で現国会議員のアンドリュー・ウィルキーや、ベトナム戦争の機密文書を7,000ページを「ペンタゴン・ペーパーズ」としてリークしたダニエル・エルズバーグなどと知り合いになった。
ダニエル・エルズバーグはランド研究所員として米国国務省の依頼でベトナム戦争の分析に携わり、「ペンタゴン・ペーパーズ」の執筆者の一人でいながら、情報をリークするというまさにウィキリークスの先達となる存在だ。この「ペンタゴン・ペーパーズ」は今は情報公開法に基づき、一部が公開されている。
ウィキではない
ちなみにウィキペディアの創設者のジミー・ウェールズは、ウィキリークスを非難して、次のように語っている。
「私はウィキリークスを敬遠し、本当は彼らがこの名称を使わないようにと望んでいるほどです。『ウィキ』ですらないのですから。」
たしかに「ウィキ」(不特定多数が寄ってたかって作り上げる)ではない。筆はジミー・ウェールズの意見に賛成だ。
「コラテラル・マーダー」ビデオの公開
ウィキリークスを一躍有名にしたのは、米軍のアパッチヘリコプターが、テロリストと間違えてロイターのカメラマンと運転手を含むイラクの民間人を攻撃した事件の一切が映っているビデオだ。
コラテラルとは付随的という意味で、「コラテラル・マーダー」とは、シュワルツネッガーの「コラテラル・ダメージ」という映画を連想させる題名だ。
事件は2007年7月12日にイラクのニュー・バクダッドで起こった。
ロイターのカメラマンと運転手は小火器を使った戦闘があったというしらせで現場に直行したところ、背中のカメラを米軍のアパッチヘリコプターのパイロットに武器とみなされ、30ミリ砲の攻撃を受けたのだ。
その場にいあわせた12人全員が死亡した。助けようとやってきたミニバンも銃撃され、乗っていた子供も重傷を負った。そのビデオがウィキリークスで公開され、世界中に報道されたのだ。
このビデオは元兵士のブラドレー・マニングが、軍のワークステーションで特別に保護されたネットワークからダウンロードしてCDに焼いて持ち出し、アサンジに送ったのだ。マニングも元ハッカーだった。マニングは米陸軍当局の徹底的な捜査で、情報源として特定され、機密漏えい罪で逮捕された。
次々と公開される秘密書類
次の大スクープとなったのは前述の報道機関3社との共同で検証していた「アフガニスタン文書」だ。9万件もの戦争日誌である。
これは2010年7月に報道機関3社と一緒に公開され、現在もウィキリークスで"wardiary"として公開されている。
「アフガニスタン文書」に続き、2010年10月には39万通にものぼるイラクからの戦争報告も公開された。
戦争日誌では、テロリストから自白を得るためにイラクの警察が拷問していても、米軍は見て見ぬふりをしている事実などが明るみにでた。
そして2010年11月末に米国の外交公電25万件が公開された。1966年12月から2010年2月までの外交公電が含まれており、その中には駐在大使のざっくばらんな現地政府高官や実力者の評価などが含まれていた。
たとえばタイのタイイップ・エイドリアン首相はスイスに8つの隠し口座を持っているのではないのかといった汚職情報や、ロシアとの天然ガスの取引でベルルスコーニ首相が巨額を手にしたとか、メドベージェフ大統領は「見習い」で、プーチンが「群れのボス犬」で、「バットマン」(メドべージェフはロビン)だとかいった情報が数限りなく含まれている。
ヒラリー・クリントン長官名で大使館関係者に、国連と国連の首脳について徹底的な調査を指示しだ2009年7月の極秘扱いの公電も公開された。
あれやこれやでヒラリー・クリントン国務長官は、各国の外務大臣や政府高官に謝罪の電話をかけまくらなければならなかった。
米国政府のウィキリークス封じ込め
米国政府はウィキリークスを壊滅させることを決心した。各国政府によびかけ、様々な妨害活動を開始した。
まずはウィキリークスサイトに大量のDoS攻撃があった。ウィキリークスがアマゾンのEC2クラウドサーバーを利用しはじめると、アマゾンはすぐにサービスを打ち切った。
EveryDNSはDNSサービス提供を解約し、URLでは検索できなくなった。ウィキリークスの英国の銀行口座は閉鎖され、eBayはpaypalサービスの解約を通知、VISA、Mastercardも解約、いずれもウィキリークスへの送金を拒んだ。
これでウィキリークスへの小口献金の道はほとんど閉ざされた。ドイツの財団だけがウィキリークスへの資金援助を続けている。
こういった反ウィキリークスの動きに対して、ウィキリークスのサポーターたちは、大量ミラーリングを呼びかけ、数日のうちに1,200以上のウィキリークスのコンテンツを複製したミラーサーバーがインターネット上に誕生した。
アサンジの逮捕
アサンジにはインターポールから国際指名手配が出された。
女性二人への強姦(コンドームなしのセックス強要)の訴えがあったスウェーデンでは、2010年8月にいったん不起訴処分となっていたが、同じ容疑でインターポールから国際指名手配が出されたのだ。
アサンジはロンドンの警察署に出頭、逮捕されたが、支持者が保釈金を払って釈放された。
哲学的問題
ジャーナリストが書いた本だけに、この本の最後では、次のような哲学的問題が提起されている。
・機密文書の公開は民主主義を脅かす?
・すべての情報を公開すべきか?
・「国境なき危機の時代」における、ウィキリークスとメディアの課題。
内部告発者の末路
最後にこの本ではロバート・レッドフォード主演の「コンドル」という映画を紹介している。
CIAで書籍分析を務めるレッドフォードが演じるターナーは、ある日昼食から戻ったら、職場の同僚6名が殺害されていた。CIAが石油市場を操作するという知ってはならない事実を彼らが文書解析の仕事で洗い出してしまったのだ。
CIAの卑劣な幹部がターナーを部署もろとも抹殺しようとしたのだ。
ターナーは逃げ延びて、ニューヨークタイムズにすべてを告げるために出向く。
ターナーとCIA支局長のヒギンスの会話で終わる。
「彼ら(ニューヨークタイムズ)はすべてを知っている。なんでもやるがいい。彼らに話したんだ」
「ターナー、新聞社が記事にするなんて思っているのか?」
「記事にするさ」
「どうしてそう言える?」
ウィキリークスの概要がわかり、その存在意義について考えさせられる本である。
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