時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2010年12月

会社は頭から腐る 元・産業再生機構代表 冨山さんの経営者育成提言

菅内閣の支持率が30%を割り、26%となった。「たとえ1%になっても辞めない」という言葉が現実化しつつある。

政治家についての李登輝さんの本を紹介した後は、元・産業再生機構代表、現経営共創基盤CEOの冨山和彦さんの、企業再生の現場経験を踏まえた経営者育成についての2007年の本を紹介する。

会社は頭から腐る―あなたの会社のよりよい未来のために「再生の修羅場からの提言」会社は頭から腐る―あなたの会社のよりよい未来のために「再生の修羅場からの提言」
著者:冨山 和彦
ダイヤモンド社(2007-07-13)
販売元:Amazon.co.jp
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会社は頭から腐る






アマゾンの写真は本の帯を抜いているので、デジカメで撮った表紙の写真を載せる。

冨山さんは最近「カイシャ維新」という本も出しているので、これも近々あらすじを紹介する。

カイシャ維新 変革期の資本主義の教科書カイシャ維新 変革期の資本主義の教科書
著者:冨山 和彦
朝日新聞出版(2010-08-20)
販売元:Amazon.co.jp
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冨山さんは1985年東大法学部卒業。在学中に司法試験に合格したが法曹の道には進まず、ボストンコンサルティンググループに入社し、1年後、先輩達とコーポレイトディレクション(CDI)という小さな戦略コンサルティング会社をつくる。

10人でスタートしてバブル期は順調に会社が拡大し、80人の規模となったので、冨山氏はスタンフォード大学に留学する。

留学中にバブルがはじけ業績は急落、コンサル契約はキャンセルされ、受注は前年の半分に減りあっという間に資金繰りが悪化する。

銀行からも資金を借りられず、退職金も払えないのに仲間や先輩に辞めて貰い、最悪の時期をなんとか乗り切った。

冨山氏は2001年からCDI社長となり、個人連帯保証も入れていたので、失敗して会社がつぶれれば、自分も家族も路頭に迷うというリスクを感じながら経営していた。

その後、2003年からは期間限定の企業再生専門機関、産業再生機構のCOO、代表取締役専務として4年間で41社の企業の再生を手がける。

2007年に産業再生機構が終了してからは、経営共創基盤を設立して社長となる。


「性弱説」

自分自身も含めて、企業再生の修羅場で見たのは、ほとんどの人間は土壇場では各人の動機づけ(インセンティブ)と性格の奴隷となるという現実だという。

それを冨山さんは「性弱説」と呼ぶ。

典型的なインセンティブの例は、大手企業が集まって設立した携帯電話事業者に冨山さんが出向した時に経験したという。

東大卒などの一流大学を卒業した大企業から出向してきた人たちは、成功すると出向が長引いてしまうので、仕事もほどほどにこなす。仕事のインセンティブは成功ではなく、少しでも早く出向元に戻ることだったのだ。

これに対して現場の若手社員、女性社員はバブル期に前の会社がつぶれたり、就職氷河期にやっとの思いで会社に入った連中で、会社の成功と自分の人生のベクトルが合致していた。

日本の競争力の源泉は現場力にあり、それは高学歴のエリート管理職ではないと冨山さんは感じたと語る。

ミスミの創業者の田口社長は、「人が足りないという部門からはむしろ人を取り上げたほうが本質的な効率改善が進むものだ」と語っていたという。冨山さんはこれを聞いて考え込んでしまったという。

リスクヘッジが主目的の会議。

優秀なサラリーマンほど組織力学のマネジメントに知恵とエネルギーを使うものだ。

これらのインセンティブと性格が、仕事と一致していないと、良い仕事は達成できないのだと冨山さんは語る。


戦略は仮説でありPDCAの道具である

うまくいっている会社とそうでない会社の違いは、戦略立案の優劣ではなく、PDCAがよく回っている会社がよい戦略にたどりつくのだと語る。

PDCAとはPlan-Do-Check-Actionというプロセス管理の基本だ。スパイラルアップと呼ばれ、仮説を検証して改善することで、経営の質の向上を目指す。

悪い会社は戦略の立案はあっても、その後の検証がなく、やりっ放しになっている。失敗しても失敗したで終わり、成功したら「ラッキー」で終わってしまう。

この繰り返しでは、戦略の精度は上がらない。

太平洋戦争での日米の差もPDCAの差であると。

真珠湾攻撃は、海上航空戦力を主力とするという大イノベーションであったが、攻撃されたアメリカはそれを学び、航空機と空母を大量に用意してPDCAを回したが、日本はその後も大艦巨砲主義から抜けきれなかった。

だからアメリカ軍は強かったのだ。

トヨタの強さも、生産、販売、物流などそれぞれの機能で、日々PDCAを徹底的に回していることにある。「なぜを五回問う」、「カイゼン」などのトヨタ語録は、まさにPDCAをまわす努力のたまものである。

このPDCAを回すというのは、一見簡単に見えるかもしれないが、人間の本性と違うものを要求されているのだと。人間は弱いもので、見たい現実しか見たくない生き物なのだ。人間が集まれば、PDCAは、回りにくくなる。

筆者もPDCAを経営に生かす仕事をしているが、特にC=チェック、つまり見直しをやることが難しい。

自分の計画がうまくいっているか冷徹に見るのはとても辛い作業で、ましてやうまくいっていなければ、よけいに目をそらしたくなると冨山さんは説明する。

だから経営は難しい。冨山さんは自分自身が経営者となって、経営者はだれもゴールには到達できないのではないかと感じると。

時々「経営がわかった」、「経営を極めた」などという言葉を耳にしたり、「この会社の再建にメドがたった」などという報道を目にするが、メドが立ったと思った瞬間からその会社の衰退は始まっているのだ。


腐りかける会社の3タイプ

冨山さんが典型として挙げる腐りかける会社は次の3タイプだ。1.名門一流大企業(カネボウや三井鉱山がこのパターン)、2.地元名門企業(名門一族企業など)、3.創業オーナー企業(ダイエーが典型)。

ダメになる会社は、結局のところ経営者、経営陣が弱ってしまった会社、つまり頭が腐ってしまった会社なのだと冨山さんは語る。

会社は頭から腐り、現場から再生するのだと。


カネボウ化粧品の再建

カネボウ化粧品の場合、最も重要なのは7,000人のビューティカウンセラーに、どうしたら一所懸命仕事をしてもらえるかだった。

20代の彼女らが支えている会社で、経営トップが60代では距離がありすぎる。彼女たち、それを支える20代、30代のスタッフが最も喜んだのは41歳の知識賢治氏の社長昇格だったと。

知識体制にして、「おかげで仕事がしやすくなった」と匿名のメールが来るようになった。名前入りだと、なにかのインセンティブがありそうだが、匿名なら本心だ。うれしいメールだったという。


かつて日本にも有効に機能したガバナンス機構があった

財閥がそうであると。合名会社はそもそも無限責任の財団である。財閥本体は合名会社であり、誰にも株をもたれていない。そして傘下の企業にガバナンスを効かせていたのだ。

またメインバンク制や官僚統制もそうだ。しかし今はこれらのガバナンスはない。

ガバナンス機構の究極的な役割は、経営者が適正かどうかの判断のみだ。


この本は中国・インドとも戦える経営者をつくるという提言で、大変参考になるが、最初から読むと、具体例が少なく抽象的な話が多い。次回紹介する「レバレッジ・リーディング」なら、たぶん第6章まですっ飛ばして読むところだろう。


今こそガチンコで本物のリーダーを鍛え上げろ

この本の肝である最終章、第6章のタイトルは、「今こそガチンコで本物のリーダーを鍛え上げろ」というものだ。

この部分だけを読んでもよいくらい中身の濃い部分だ。サブチャプター(中見出し)のタイトルを太字で引用するので、感じがわかると思う。

・会社を腐らせない最強の予防薬は、強い経営者と経営人材の育成・選抜

・経営者も、経営者候補も鍛えられる機会がなかった

・試験型エリートをリーダーにすることが、本当に正しいことなのか

冨山さんが朝日新聞に連載した文が入学試験に使われ、最後に筆者の意図はどれかという択一式の問題が出た。笑い話のようだが、冨山さん自身、答えがわからなかったという。

それで第一問から真剣にやってみると、出題者の意図がわかってきた。つまり自分の頭で考えない=出題者の意図を探す競争をしているのだ。

この様に「こっちの顔色を読んで、オレの期待している答えを書いてこい」という上司の思いに応えるのが、サラリーマン的に正しい生き方だ。

しかし経営者は違う。経営は答えがないし、たとえ答えがあってもそれを断行すると大きな摩擦や葛藤が生じる時こそが経営者の出番である。自分の頭で判断し、その結果、責任をすべて負うからリーダーなのである。

試験型の競争をまじめにやればやるほど、リーダーとしては不向きな人間が偉くなっていってしまうと冨山さんは語る。

・胆力と自分の頭で考える能力ー東大卒とは無関係?

日本のエリートは負けを経験していないと冨山さんは語る。

リーダーを目指すなら、比較的若い時から負け戦、失敗をどんどん体験した方がよい。そして挫折した時に、自分をどうマネージして立ち直るか身をもって学ぶ。その実体験を持つからこそ、他人の挫折を救えるのである。

失われた15年は、団塊世代が負け戦を経験してなかったからだと冨山さんは感じている。日本の戦後の驚異的な復興は、太平洋戦争という負け戦を経験したからこそだったのだ。

・中国、インドの勃興は、欧米との国際競争とはまったく違う脅威である

日本は自国の豊かさに対する最大の脅威を目の前にしていることに、多くの人は気づいていない。それはアジア諸国の勃興であり、旧社会主義国の勃興である。

日本がこれまで稼いでいたいくつかの産業は、彼らに奪われることになるだろうと。たしかにメモリー、PC、液晶、ケータイ電話など、今やすべてアジア諸国の方が日本を上回っている。

欧米とはある程度棲み分けできていたが、アジア諸国は日本の得意とする人的資本を中心に戦ってくる。日本が金メダルを取れる分野はひとつもなくなる可能性があるのだ。

世界の中で、新興アジア諸国と戦う経営では、根本的なエコノミクスを見据えながら、細かな戦略のPDCAを高速で回していく能力を持つリーダーが求められてくると冨山さんは語る。

・一流企業のガチンコなど所詮は「ごっこ」にすぎない

小さな会社を経営していれば、競争の恐ろしさがわかる。

失敗はへたをすると死を意味するからだ。個人保証を入れて、中小企業を経営している人は、失敗したら、社会人としてほとんど死に瀕するほどのダメージを受ける。

まじめな人の中には、生命保険で少しでも借金を返そうと自殺する人もいる。本当に妻子を路頭に迷わせる可能性があるのだ。

大企業での失敗は命までは取られない。自分たちの経験しているガチンコは、甘い世界のものだと、覚えておいて欲しいと。

学歴エリートごっこ、出世競争ごっこ、経営者ごっこ。もうこういう緩い(ゆるい)世界には別れを告げる時期が日本には来ているのだと冨山さんは語る。

・組織からはみ出す根性のない人間をリーダーにしてはいけない

日本は「脱藩」した人間には冷たい社会だ。しかしリーダーとしてつけるべき能力を考えた場合、一度は脱藩して肩書きを失い、世間の風の冷たさを本当に思い知っておくべきなのだと。

冨山さんは人間性と能力で経営者を評価する。

人間性とは胆力や、他人への影響力、目的達成への情熱や執着心。能力は、基本的な経営知識、スキルと、ありのままの現実を冷徹に見つめる力、そして自分の頭でものを考え、建設的に解決策を創造する力である。

冨山さんは、マネジメントエリートになる人間は、30歳で一度全員クビにしてしまい、五年間脱藩浪人として武者修行に出る。そして元居た組織あるいは別の組織が使えると判断したら雇われる制度を提唱する。

冗談で言っているのではないと。本気でこうしたエリート育成をしないと日本は中国、インドには勝てないと。

・トップの要件ー100万円を稼ぐ大変さを肉体化して理解させよ

・女性、若者、学歴のない人間は「眠れる資源」だったという幸運

・ファイナンスを知らない経営者ー平時においても事業と財務は一体

・若いエリートは、あえて負け戦に飛び込め

・人間的要素と算数的要素とに、のたうち回ることから、経営は始まる

マネジメントの仕事は他人の人生に影響を与えてしまう仕事だ。人の人生を背負おうという決心・覚悟がない人はマネジメントをやらない方が良い。

今日生き延びることをやりながら、一年後、十年後のことを考えなければならない。

宮本武蔵は五輪書のなかで、「観の目つよく、見の目よわく」という言葉を残している。一点だけをみつめるのではなく、大局で物事を見よという趣旨だ。

五輪書 (岩波文庫)五輪書 (岩波文庫)
著者:宮本 武蔵
岩波書店(1985-02)
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今の日本のトップ層に、観を持ち合わせた人間がどれだけいるかと。哲学の香りのする経営者がどれほどいるか。観を大事にしようとする経営者がどれだけいるか?と冨山さんは問う。

松下幸之助はじめ、稲盛和夫、伊藤雅俊など哲学を持つ経営者は何人も挙げられるが、たしかに今の日本のトップとなると、筆者もあまり思いつかない。

「観」は結局「情」と「理」のはざまで、悩み続けて生み出すしかないのだと。

「日本は豊かになった。だからこそ、会社の、経営の、人と人の、そして人間の原点や本質というものに、そろそろ真っ正面から向き合わなければいけない時期に来ている。これこそが、会社を、経済を、そして国家を腐らせないための、遠回りなように見えるが唯一の予防策なのではないか。私は強くそう感じている。」

これが冨山さんの結論である。


コンサル出身で、スタンフォードのMBAホールダーながら、みずから中小企業の経営者としてバブル後の苦境を生き延びた経験を持つ。30歳浪人制という思い切った提言の実現性はともかく、独特の見方と、力強い言葉は印象深い。

経営者を目指す、あるいは経営の質の向上を目指す人には、おすすめの一冊である。


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最高指導者の条件 李登輝さんの「政治家の品格」

菅直人首相他と小沢一郎議員との間で、民主党内紛につながりそうな動きが出ている。政権党が民主党に代わって、失望した人が多いと思う。そんな中で、政治指導者のリーダーシップについて書かれている、台湾の李登輝元総統の「最高指導者の条件」を紹介する。

最高指導者の条件最高指導者の条件
著者:李 登輝
PHP研究所(2008-02-19)
販売元:Amazon.co.jp
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台湾の元総統、日本でもファンの多い李登輝さんの本。2008年3月の発売である。

李登輝さんの著作は、奥の細道を辿った「日本国へのメッセージ」を以前紹介したが、日本文化に対する深い教養と愛着がわかり、まさに戦前型日本人としか言えないという印象を強く持った。

この本は李登輝さんの政治リーダーとしての信念の源が何かを明らかにしており、いわば「政治家の品格」とも呼ぶべき本だ。


中華民族初の民選総統

李登輝さんは蒋介石の息子蒋経国総統が死去した後を継いで1988年に国民党総裁/台湾総統に就任した。

そして自ら公選制度をつくって史上初の台湾総統選挙で勝利し、1996年に初代民選台湾総統となる。

中華民族の歴史で初めて国民の選挙により選ばれた指導者の誕生だった。

李さんの総統就任前後、中国は台湾独立派の動きに神経をとがらせ、台湾海峡で軍事演習を行い、ミサイルを発射して台湾に圧力をかけようとしたので、米国が2隻の航空母艦を台湾海峡に派遣し、中国を威圧した経緯がある。

しかし李さんは中国の脅しに全く動揺せず、毅然とした態度を貫いた。

李さんは中国の演習は心理的な作戦であり、実際の武力侵攻はないという情報をつかんでいたから、軍をあわてて動かさないという選択肢を取れたのだという。

リーダーの決断力を裏打ちする情報力の発揮だ。

その後2000年の総統選挙には出馬せず、結果的に国民党は敗れ、民主進歩党の陳水扁氏が総統に就任した。

これも中華民族初の平和的政権交代だ。

陳水扁氏は2008年5月まで総統を務め、今年国民党のハーバードロースクール出身のハンサムガイ馬英九氏に代わり、国民党が政権の座に返り咲いたことは記憶に新しい。


李登輝さんと信仰

李登輝さんの政治的信念はキリスト教の信仰に裏打ちされている。李さんは日本時代は唯心論、戦後は唯物論でマルクス主義にのめり込んだ時期もあった。アメリカに留学して帰国してから台湾の教会をまわり、神が存在するのかを考え続けた。

「なぜマリアは処女にしてイエスを産んだのか?」
「なぜイエスは磔にされ、そして生き返ったのか?」
この2つの奇跡を信じろとキリスト教は言う。

李登輝さんは理屈っぽい人間なので、なかなか納得できず、聖書を隅から隅まで読んだという。

ヨハネによる福音書第20章に、使徒トマスは復活したイエスを信ぜず、イエスの手と脇に手を入れて初めて信じたという一節がある。

イエスの言葉として「なんじ我を見しによりて信じたり、見ずして信ずる者は幸いなり」という言葉が紹介されている。

つまり「見えないから信じない。見えるから信じる」では信仰を持つことができない。まず「信じること」から始まる、それが信仰の第一歩なのだと理解したという。


戦前日本のエリート教育

李登輝さんは日本の旧制中学、高校、帝国大学という戦前日本のエリート教育を受け、大量の東西の名作文学や哲学書に接した。

19世紀のイギリスの思想家カーライルの「衣裳哲学」や「英雄および英雄崇拝論」は李さんの大好きな作品だという。

古典を読むことで哲学が生まれると。ゲーテニーチェショーペンハウエルカントヘーゲルマルクスサルトル鈴木大拙の「禅と日本文化}、西田幾多郎などの作品を読んだという。

李登輝さんはいまでもカントの「純粋理性批判」と「実践理性批判」が判断の指針になっていると語る。まさに哲人政治家である。

筆者もカントの「純粋理性批判」や「実践理性批判」は学生の時に読んだが、単に字づらを追っただけで、全く頭に入っていない。いずれはこのあらすじブログでも挑戦しなければならない本である。

純粋理性批判 上 岩波文庫 青 625-3


実践理性批判 (岩波文庫)


筆者の学生の時は、マックス・ウェーバーをみんなが読んでいた。これもまた再読しなければならない名著だ。

ちなみにこの本はアマゾンでもベストセラー1,645位で、経済学分野でNo.1だ。やはり名著は時代を超えて読まれるものだ。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)



緊急時のリーダーシップ

李登輝さんは1999年の台湾大地震時の非常事態に於ける総統の役割を語る。地震が起きたのが深夜2時頃、電話は通じなかったが軍に出動命令を1時間後に出し、朝6時にヘリコプターで現地入りした。

9時には指揮所が設置され、救援活動が始まっていたという。小池百合子議員から電話があり、「仮設住宅を1,500戸送りたいが、日本の仮設住宅は8坪しかないがいいか?」と聞いてきたので、即座に受け取ると返事したという。

李登輝さんは地震発生から1ヶ月のうち21日は現地にいて、対策を直接指揮したという。また軍の参謀総長と総督府の秘書長(官房長官)の2人をつれ、軍と政府がすぐに動ける様な体制をとった。

中国の温家宝首相も四川省で地震が起こったらすぐに現地入りして救援活動を陣頭指揮をした。胡錦濤主席もほどなく現地入りして救援活動を支援したのは、台湾大地震の時の李登輝さんの奮戦ぶりを参考にしたのかもしれない。


後藤新平の台湾近代化

強いリーダーシップ論では、台湾の発展に大きな足跡を残した後藤新平を高く評価している。後藤新平は、今年NHKで2年間のドラマとしてスタートする「坂の上の雲」で有名な児玉源太郎台湾提督に請われて、1898年に台湾民政長官となった。

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)


着任早々高等官吏1000人あまりのクビをすげ替え、人心を一新し、優秀な人材を登用した。「武士道」の著者、新渡戸稲造もこのときの一人だ。

武士道 (岩波文庫)


匪賊を撲滅し、保甲制度(隣組、自治組織)、疫病対策、教育振興、台湾事業公債による資金調達、鉄道建設、アヘンや塩、酒、タバコの専売制、台湾銀行設立、台湾銀行券発行など、8年7ヶ月の在任期間中に大きな業績を残した。


リーダーの行動原理

李さんは上に立つ者の行動原理として次を挙げている。主なサブタイトルも参考までに紹介しておく。

1.誠実に説く  指導者に不可欠な「お願い」の姿勢

2.忍耐力  民主主義は「回り道」(ターンパイク)を認める制度

3.惻隠(そくいん)の情  「仁政」に不可欠な「惻隠」の情

4.大局観を持つ  「知識」や「能力」を超えて求められるもの

5.構想力  コンセンサスを得たビジョンがもたらす力

6.発想の転換  最も貧しい県が見違えるほど発展 農村が観光地となるアイデア

7.行動力と強い意志  行政改革に必要な行動力 

8.未来への提言力  台湾の民主化と教育改革 台湾がめざすべき4つの分野(金融、衛星メディア、空港、港湾)


指導者の養成

世界中のどこの国でも困っているのは指導者の問題であり、アメリカ、イギリスはもとより多くの国で将来の指導者となるエリート層を養成している。

ところが戦後の日本はこれを怠っており、米国式教育に表面的に倣い、テクニカルなレベルで一生懸命になるばかりで、本当に必要な「指導者をつくりあげる教育」を全く実施していないと李登輝さんは語る。

それを象徴するのが、東京大学を筆頭に、旧帝国大学系の国立大学から総理大臣が出てこないことだと。

たしかに先日紹介した「歴代首相知れば知るほど」の最近の首相を見ると、私立大学出身が圧倒的だ。平成になってからだと、わずかに宮澤喜一さん一人が東大出身で、それ以外はすべて私立大学出身だ。

李登輝さんは手厳しく語る。

戦前は帝国大学が国を治める人材を輩出したのに、なぜ戦後は駄目なのか。法律に縛られて、法律上問題があるかないかという発想しかできず、政治の世界で使えない人が多いからだろう。

法律屋の秀才たちは役所に就職し、行政の担い手となるが、彼らはえてして精神の面で貧困である。相当数の官僚が第一に求めるのは自分の出世であり、頭の中に国家という存在が希薄なのだ。

目先のことしか見えない人は、政治家になっても自分の利益を漁りまくる。「何のための民主主義なのか」、「指導者は何をすべきなのか」がわかっていない。

さらにいえば、金銭や権力は一時的なものにすぎず、「品格」、「教養」、「愛国」、「愛民」などの精神的価値こそが生涯を通じて追求すべきものだということもわかっていない。このような政治家が指導する国家はきわめて危うい。


まさに現在の日本にとっての警鐘である。

筆者は思うのだが、最近の問題は日本の政治家は事実上世襲制となっていることだ。福田康夫、安倍晋三、小沢一郎、鳩山由紀夫、麻生太郎、すべてが二世三世議員だ。

筆者の友人の松島みどり議員の様に、新聞記者出身で、徒手空拳で政治家となった人は珍しい。

地盤と利権を引き継ぎ、地元の利益追求型の政治家ばかり増えて、日本という国のビジョンがなくなっているのではないだろうか。愛国心を持って日本をより良い国にしようという気概を持った政治家が出てきて欲しいものだ。


この本では戦前の日本の優れたエリート教育を受けた哲人政治家の考えが、わかりやすく説明されている。

李登輝さんは古き良き日の輝かしい日本の伝統に触れたことを感謝していると語っており、「台湾の今日あるのは日本のおかげ」と感謝している台湾人は多いと公言している。

ここ数年「××の品格」という本がいくつかベストセラーになっているが、そういう本を読んで満足せずに、自らが名著を読んで、品格を磨かなければならない。

昔の一高第二〇回記念祭寮歌(明治43年)「藝文の花」の「万巻の書は庫(くら)にあり」という一節を思い出す。

藝文の花






ちなみにこの寮歌が掲載されている第一高等学校ホームページというのは初めて知ったが、写真集や寮歌集も収録されていて興味深い。もちろん今は第一高等学校などないが、東大駒場の中に一高同窓会という団体があり、そこがこのホームページを運営している。

世の中には万巻どころか、世界全体なら数千万あるいは億の書物があり、グーグルが世界中の本をすべてスキャンして、人類の叡智のデータベースをつくろうとしている(グーグルブックサーチ)のは、「ウェブ進化論」などで紹介されている。

筆者ももっと名著を読んで教養を積み、品格を磨かなければならないという気になった。

たぶん本のタイトルも「政治家の品格」とかにしたら、もっと売れることだろう。最近の流行キーワードでもある「品格」に興味がある人には、是非一度手に取ってみて頂きたい本だ。


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編集者という病 TOBで話題の幻冬舎見城社長の魂のデスマッチ

幻冬舎のマネージメントバイアウトとそれに続く株式の公開買い付けで、ケイマン諸島の投資会社が幻冬舎の株を買い進めていることがわかった。

見城社長側はTOB価格を引き上げ、ケイマン島の投資会社と日本を代表するカリスマ編集者、見城徹社長との間で激しいTOB合戦が繰り広げられる可能性がある。

渦中の人、幻冬舎の見城さんの本を紹介する。

編集者という病い (集英社文庫)編集者という病い (集英社文庫)
著者:見城 徹
集英社(2009-03-19)
販売元:Amazon.co.jp
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見城さんといえば、石原慎太郎のポン友で知られるが、この本を読むと多くの作家やミュージシャンと、ただならぬつきあいをしていることがわかる。

筆者も一度だけ見城さんと会ったことがある。6年ほど前に関東では最大手の本屋チェーン文教堂の新年会に行ったら、上場直前で投資者説明会(ロードショー)の最中だった見城さんが来賓挨拶をしたのだ。

幻冬舎が6人でスタートしたばかりの頃、近くの文教堂に行って、いずれは自分たちが出した本が文教堂の売り場で平置きにされることを夢見て仕事していたと。厳しいスタートアップの時代を思い出して、見城さんが言葉に詰まっていたことが印象的だった。

その見城さんが現役編集者としての総決算として、親友の高瀬さんの太田出版から出した本がこれだ。


伝説の編集者

見城さんの仕事の実績はすごい。

まずは新卒として入社した廣済堂出版で、たまたま公文式と出会い、「公文式算数の秘密」でいきなり30万部のベストセラーを出し、公文式を全世界に広めるきっかけとなった。

次に太田出版高瀬社長の紹介で、角川にアルバイトで入り、頭角を現す。

角川春樹社長が「この人は爆発的に売れる作家になるから」と、森村誠一氏を担当させてくれ、400万部のベストセラーとなった「人間の証明」やその映画化など、角川春樹社長の部下として角川書店を飛躍的に拡大させた。

見城さんが入社したときは角川はブランドではなかった。角川とは仕事しないという作家だけと仕事をしようと考え、五木寛之、石原慎太郎、水上勉、有吉佐和子など、多くの作家から見城さんが初めて仕事を取ってきた。


見城さんの交友録

次が見城さんの交友リストだ。見城さん自身がそれぞれの人とのエピソードを紹介してる。

それぞれ面白いエピソードばかりだが、一部だけ紹介しておこう。

1.尾崎豊
  尾崎豊は「誰かのクラクション」、「普通の愛」、「白紙の散乱」、「黄昏ゆく街」で、「堕天使達のレクイエム」という5冊の単行本を出している。すべて見城さんの角川時代のものだ。

堕天使達のレクイエム (角川文庫)堕天使達のレクイエム (角川文庫)
著者:尾崎 豊
角川書店(1996-03)
販売元:Amazon.co.jp
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尾崎豊とは一瞬も気をつけないつきあいだったと。

誰も信じられない、常に「あなたは尾崎豊ひとりだけを愛してくれますか?」と踏み絵を他人に求める。生きていく限り救いはなかったのではないか。

見城さん、音楽プロデューサー、アートディレクターの恩有る3人の最後の砦と決別した尾崎豊は、破滅に向かい、泥酔して死んだ。小心者なのに、ヒリついていた。

音楽プロデューサーが尾崎が死んだという知らせを見城さんによこしたとき、「見城さん、悲しいけどなんかホッとしましたね」と言ったという。それは非難されることではなく、全身全霊を尾崎豊に捧げてきた見城さんと彼にとっては実感なのだと。

2.石原慎太郎

ポン友の石原慎太郎には、「弟」、「老いてこそ人生」という本を幻冬舎で書いて貰ったが、本当は「老残」という小説を書いて貰いたいと。「太陽の季節」でデビューした作家が、老残を書くのだと。

3.安井かずみ
4.山際淳司

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))
著者:山際 淳司
角川書店(1985-02)
販売元:Amazon.co.jp
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スポーツノンフィクションなどで有名な故山際淳司さんとも、深いつきあいだった。

5.鈴木いずみ
6.中上健次
7.坂本龍一
8.松任谷由実
松任谷由実に「ルージュの伝言」を書いて貰ったら、直前に出版をとりやめたいと言ってきた。

「自らの人生や、自らがつくった歌の背景、自らのスピリットを語り尽くせば、私の音楽事態が死ぬ」と。

なんとか説得し、最後はOKをもらって出版にこぎ着けたのだと。

9.村上龍
10.浜田省吾
11.五木寛之
12.夏樹静子
13.内田康夫
14.重松清
15.大江千里
16.銀色夏生
17.林真理子
18.さだまさし


編集者という病 魂のデスマッチ

これらの人と、魂と魂のぶつかりあいの様な関係を持って、とことんつきあうという信条のもと、朝まで飲んでは2-3時間休んで会社に行くという生活を過ごしたという。

結婚はしたが、36歳で離婚し、子供もいないので、自宅では愛犬エド(昔のテレビドラマのしゃべる馬エドにちなんでつけた名前)と過ごしているという。

ここまでのめり込んで、編集者魂で全力投球していると24時間、365日仕事で、休まることがない。到底家族を保つことができなかったのだろう。

尾崎豊だけでなく、100人ほどの作家と365日精神のデスマッチを続け、筋金入りの不眠症で発狂寸前だったという。


編集者の仕事

この本は月刊誌Free & Easyなどに見城さんが書いているエッセーを集めたもので、序章のみ書き下ろしだ。

Free & Easy (フリーアンドイージー) 2010年 12月号 [雑誌]Free & Easy (フリーアンドイージー) 2010年 12月号 [雑誌]
イースト・コミュニケーションズ(2010-10-30)
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編集者は作者とギリギリの勝負を挑むが、創作しているのは作者である。

見城さんは日本一の偽物になろうと決めたという。

何百人という本物の表現者を相手に、偽物としての栄光を手にしようと誓ったのだと。編集者は自分が感動できて、それを世にしらしめたいと思うからやっていけると。

見城さんが編集した作品は朱がやたらと入っていたという。

「こういうせりふを言う人は、こういうセックスはしません」とか、「赤く染めたカーリーヘアーの女が一服するときに吸うたばこはセブンスターじゃなくて、ハイライトじゃないでしょうか」とかいった具合だ。

なんだか違いがよくわからないが、これを村松友視さんはデスマッチと呼んだという。


ボディビルとラグビー

見城さんは会社に入って27歳から37歳までボディビルに凝って、1週間に1回休むだけで毎日ウェイトトレーニングをしていた。

ベンチプレスでは120KGを目標にしていたそうだ。

ヘミングウェイにあこがれて肉体をつくったのだと。

体がきちっとしていなければ、意志もきちっとしないと常に思っていたという。「勝者にはなにもやるな」とつぶやきながらトレーニングを続けたという。

見城さんは結局自殺すると思うと語る。

ヘミングウェイはライフル自殺した。彼が自殺した時の気持ちが知りたいと。

死ぬのは怖いが、死の瞬間に必ず笑いたい。自殺しない限りその瞬間に笑うことはできないのではないかと思っていると。

見城さんは清水南高校で、ラグビーをやっていた。

幻冬舎を立ち上げたとき、後輩の重松清がラグビーボールを送ってくれたという。6人が車座になってラグビーボールをパスしたのだという。

この本を出して、見城さんは20年近く休止していたウェイトトレーニングを再開する決心がついたという。


幻冬舎スタート

角川春樹社長がコカインで逮捕され、角川書店を解任されたとき、見城さんも解任決議に賛成し、そして見城さん自身も角川をやめた。

角川春樹社長と見城さんで角川を作ってきたという自負があったので、「角川の見城」ではあったが、角川を辞めたときも自分が努力をすれば、大丈夫だという自信はあったという。

幻冬舎がスタートしたとき、朝日新聞に6,000万円だして全面広告をだした。そしてはじめに出した6冊はすべてベストセラーとなった。

広告代理店の副社長が見城に賭けたということで、もし幻冬舎が払えなければ自分が払うから広告を打たせてくれと支援してくれたという。

幻冬舎という社名は五木寛之氏がつけた。

創立3年目には62冊の文庫を出した。

郷ひろみの「ダディ」ははじめから初版で50万部と賭に出た。

「本が売れない。活字離れが理由だ」と出版業界の人が言っているが、見城さんは違うと言う。

売れない原因は出版社側の責任であり、書き手に対してきっちり体重をかけていないから、読者をつかめる本をつくれないのだと。

営業と編集は矛盾はしないと。幻冬舎がまさにその典型である。

薄氷は自分で薄くして踏む。

顰蹙(ひんしゅく)は金を出してでも買え。

新しく出て行く者が無謀をやらなくて一体何が変わるのだろう。

幻冬舎のコピーだ。これからも目の離せない出版社である。



参考になれば次クリック願う。






ザ・コールデスト・ウィンター朝鮮戦争 ハルバースタムの遺作

+++今回のあらすじは長いです+++

北朝鮮が韓国のヨンピョン島を突如砲撃した。まさに1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発の時のように、何の前触れもなく一方的に砲撃をしてきた。

朝鮮戦争がいまだに終戦しておらず、休戦状態にあることを思い知らされる。前回の李明博大統領の伝記の次は、朝鮮戦争を取り上げたハルバースタムの遺作を紹介する。

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上
著者:ディヴィッド・ハルバースタム
販売元:文藝春秋
発売日:2009-10-14
おすすめ度:4.0
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アメリカのジャーナリスト ディヴィド・ハルバースタムの遺作。2007年にこの本を書き上げて、ゲラに手を入れた翌週、ハルバースタムは交通事故で亡くなった。

ハルバースタムの作品は今まで余り読んでいなかったが、会社の友人に勧められて「ザ・コールデスト・ウィンター」、ベトナム戦争を取り上げた「ベスト・アンド・ブライテスト」などを読んだ。

「ザ・コールデスト・ウィンター」は、2009年10月に日本語訳が出版されている。

朝鮮戦争を取り上げた作品に「忘れられた戦争"The Forgotten War"」という本があるが、第2次世界大戦とベトナム戦争に挟まれた朝鮮戦争は、まさに忘れられた戦争という言葉が的を射ているとハルバースタムも評している。

The Forgotten War: America in Korea, 1950-1953The Forgotten War: America in Korea, 1950-1953
著者:Clay Blair
Naval Inst Pr(2003-03-31)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者の世代は戦後史は試験に出ない(たぶん歴史の評価が定まっていないので、試験に出せない?)ということで、高校の世界史の授業では教科書自習だったので、戦後史については本で学ぶことが多い。

北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃したことから朝鮮半島の情勢が緊迫化しており、北朝鮮の指導者も金正日から金正恩(キムジョンウン)に交代することが決定した現状、アメリカ、北朝鮮、韓国、そしてソ連の代理の中国がまともに戦った朝鮮戦争のことを知っておくのも意義があると思う。

朝鮮戦争は1950年6月25日、北朝鮮の精鋭7個師団(約10万人)が3週間で朝鮮半島全土を制圧するもくろみで、韓国に侵入して始まった。

北朝鮮の指導者金日成は、1949年10月の国共内戦での中国共産党の勝利の後は、自分が朝鮮を統一するのだと言って、ソ連のスターリンの支援を受け、中国の国共内戦を人民解放軍と一緒に戦った北朝鮮軍がソ連の武器を使って十分に準備をしての行動だった。

北朝鮮軍は3週間で朝鮮半島を制圧する予定だった

当時の国務長官のディーン・アチソンのミスで、アメリカの当時の防共ラインは日本海に引かれており、韓国には小規模な軍事顧問団しか置いておらず、侵略に対する備えを欠いていた。だから歴戦の勇者の北朝鮮軍は首都ソウルを含む韓国を蹂躙し、8月には韓国軍と米軍顧問団は南の釜山周辺に押し込められ、日本海に追い落とされるのも時間の問題となっていた。

当時はソ連と中国は緊密で、スターリンと毛沢東は朝鮮支援について話しあい、アメリカは参戦しないだろうが、日本が出てきたら中国が参戦するとシナリオを想定した上での金日成の軍事的冒険だった。

このとき北朝鮮軍の先頭で活躍したのが150両のソ連軍のT34/85戦車だ。

800px-Char_T-34






出典:Wikipedia(以下別注ない限りWikipedia)

米軍の持っていた60MMバズーカ砲はT-34に対抗できなかったので、急遽90MMバズーカ砲が大量投入された。ちょうど両方のバズーカが写っている写真がWikipediaに載っていた。90MMに比べると60MMはまるでおもちゃのようだ。

Bazookas_Korea







朝鮮戦争は「歴史から見捨てられた戦争」、「20世紀最悪の胸くそ悪い小戦争」などと呼ばれるが、険しい地形と朝鮮の冬の凍てつく寒さは米軍将兵を悩ませたという。

当時のトルーマン大統領は、北朝鮮が侵略してきた4日後に記者会見で、「戦争ではない。もっとも事実上そういうことにはなるが」と歯切れの悪い表現をし、「国連のもとでの警察行動」と呼んでも良いと答えた。

第二次世界大戦で勝利した米軍は、戦後5年間で定員も装備も足りない軍隊に成り下がり、おまけに朝鮮の険しい地形は工業力の象徴である戦車に頼る軍隊には最悪だったという。

当時の韓国の大統領はハーバードで学位を、プリンストンで博士号を取得して、アメリカに35年間生活してロビーストとして活動していた李承晩だった。

現在でも朝鮮戦争は休戦が成立したままで、依然として戦争は正式には終結していない。停戦までの米軍の死者は3万3千人、10万人以上が負傷した。韓国側の損害は死者41万人、負傷者43万人、北朝鮮・中国の死者は推定で150万人と言われている。

マッカーサーの甘い見込み

マッカーサーは朝鮮戦争勃発当時は日本を民主的な社会につくりかえるのに熱心で、朝鮮には関心を持っていなかった。ちょうど日本を訪問していたアリソンとダレスに、自分の功績を自信満々に説明した。朝鮮戦争も威力偵察に過ぎないだろうと軽くあしらっていた「朝鮮でパニックを起こすいわれはない」。

しかし部下より先にアリソンから大規模な戦闘になっていることを知らされると、翌日はひどく落胆し、今度は「朝鮮全土が失われた」と言っていたという。

マッカーサーはすでに70歳で、パーキンソン病に罹って、集中力の持続時間が限られ、手が震えていたという。

不意を衝かれた米軍(後に国連軍となる)・韓国軍は、圧倒的な武力の北朝鮮軍にすぐに釜山周辺まで押し込まれたが、現地司令官ジョニー・ウォーカーの獅子奮迅の指揮で、なんとか2ヶ月持ちこたえた。

米軍は大砲、迫撃砲がなかったので、バズーカ砲とクワッド50という装甲車に載せた4連マシンガンが有効な武器だったという。

この間マッカーサーは7月に台湾の蒋介石を訪問した。蒋介石を朝鮮戦争に招き入れるかどうか検討していたからだが、トルーマンはマッカーサーの独走をカンカンになって怒ったという。マッカーサーは台湾を「不沈空母」と呼んでいた。


9月の仁川上陸作戦が大成功

マッカーサーがほぼ独断で決めた9月15日の仁川上陸作戦で背後を衝かれて北朝鮮軍は敗走した。毛沢東は仁川上陸を予想していて、軍事参謀を金日成の元に送り注意を喚起したが、金は聞き流したという。

9月15日は仁川がなんと9.6メートルという最大潮位になる日で、これなら上陸用舟艇を長い危険な砂浜でなく岸壁に直接乗り付けられる。この日を逃すと1ヶ月後まで待たなければならないというぎりぎりのタイミングだった。「マッカーサーの生涯に軍事的に天才だったといっていい日が1日あった」と言われるゆえんだ。

国連軍・韓国軍はソウルを回復、10月には38度線を北上して平壌を陥落させた。「いまやマッカーサーを止めることはできない」とメディアは書き、アチソン国務長官はマッカーサーを「仁川の魔法使い」と呼んだ。

10月16日のウェーキ島でのトルーマンとの会見では、中国は駐中国インド大使経由、参戦すると警告を発していたが、マッカーサーは中国軍は決して参戦しないと請け合っていた。もし参戦してもひどい目にあわせてやると。マッカーサーはトルーマンに対して敬礼しなかったが、トルーマンは問題にしない様子だったという。

ワシントン上層部は平壌附近から攻め上がらず、中国軍の参入を招かない腹だったが、マッカーサーはワシントンの制限を無視して、10月末にはついに中国国境の鴨緑江まで攻め上がった。マッカーサーが従うのは、自らの命令だけであると信じられていたのだ。


クリスマスまでには戦争は終わる

得意の絶頂にあるマッカーサーはクリスマスまでに戦争は終わると公言し、朝鮮向けの武器弾薬をハワイに送り返す準備をしていた。

マッカーサーは自分は東洋人の心理を読むエクスパートだと自認していたが、マッカーサーには日本軍の意図と能力を読み違え、第二次世界大戦緒戦でフィリピンから逃げ出した前科があった。

金日成は南朝鮮から敗退するとすぐにソ連軍の支援を求めた。スターリンは初めから戦闘部隊は出さないと決めていたが、中国なら出すかもしれないと答えた。毛沢東は悩んだ末に金日成の援助要請に応じた。

前年12月に中国を統一してモスクワを初めて訪れた毛沢東はモスクワで冷遇された。会食も拒否され、やっとのことでスターリンに会ったが、軍事援助はわずかで、領土問題について譲歩を迫られた。「虎の口から肉を取るようなものだった」という。

これは筆者の推測だが、ソ連への憎悪から毛沢東は北朝鮮を自分の配下に引き入れるチャンスだと思ったのだろう。毛沢東はまずは12個師団(20万人)の大軍を義勇軍として朝鮮半島に派遣した。補給を船に頼らなければならない国連軍に対して、中国なら地の利があるというのが判断理由の一つだった。

スターリンは当初ソ連空軍の支援を約束していたが、結局空軍支援は鴨緑江以北にとどめ、主戦場の鴨緑江以南は支援区域から外した。毛沢東が朝鮮への友愛からではなく、自国の利害から介入したこと、そして中国がいずれ台湾を攻撃する場合には、ソ連の空軍と海軍に依存する他ないことをスターリンは知っていた。

毛沢東は激怒したが、ソ連の上空支援がなくとも参戦を決定した。軍の統制も子ども並みの金日成を「冒険主義者」と中国は軽蔑しきっており、金日成は戦争の責任者ではなくなった。


10月末には中国義勇軍が参戦

そして鴨緑江対岸に集結していた中国軍の大軍は、国連軍と韓国軍の補給線が伸びきるまで待って10月末に一挙に鴨緑江を超えて攻め込んだ。

当初、マッカーサー司令部G-2情報局のウィロビーは、鴨緑江に中国軍が集結しているという情報を取り合わなかった。マッカーサー信奉者のウィロビーは、マッカーサーの言葉を信じて中国軍が参戦するとは予想していなかったのだ。

この本では中国軍との戦闘に参加したアメリカ兵の実話を多く載せており、広がりと臨場感がある読み物になっている。ソ連製武器と、以前蒋介石に送ったアメリカの武器で中国軍に攻撃され、味方がどんどん倒れていく最前線の戦いが生々しく200ページ余りにわたって詳細に描かれている。

この実話の部分がハルバースタムが、休戦から55年も経ってから朝鮮戦争のことを書いた理由だ。様々な人から貴重な体験談を聞いたので、「書かねば死ねない」のだと。

しかしマッカーサー司令部のウィロビーはアメリカ軍の苦戦を信じなかった。そればかりか11月6日に朝鮮戦争は平壌北で敵の奇襲攻撃を撃退し、事実上終結したと声明を発表した。

マッカーサーは生涯を通じてアジアと関わったにもかかわらず、アジア人を知らず、軍司令官として「汝の敵を知れ」という基本中の基本も学んでいなかった。日本との戦いは工業国同志の戦いで、日本の産業基盤が限界となったのに対して、中国は最も工業化が遅れた国で、自分の弱点を理解してそれに応じた戦術を編み出していた。

日本では絶対的な権力を握っていたマッカーサーのとりまきNo. 1のウィロビーも酷評されている。ウィロビーはスペインのフランコ総統のファンで、従軍中にフランコの伝記を書いており、マッカーサーからは「愛すべきファシスト」と呼ばれていたという。

最前線の第8騎兵連隊の報道官は「カスター将軍を見舞った悲劇と同じだ」と語っていたという。

「勝利のワインが酢になり、マッカーサーは『空からの援護もなく、戦車もなく、大砲もほとんどなく、近代的通信設備も兵站基地もない中国人洗濯屋』にまんまと出し抜かれた」のだ。


12月初めには「鉄のおっぱい」リッジウェイ将軍が着任

12月初めにはマッカーサーの軍隊は全面退却していた。12月末にはマット・リッジウェイが第8軍の司令官としてワシントンの統合参謀本部から着任した。リッジウェイは頑固で、ユーモアがなく、攻撃的だったが、冷徹な現実主義者だった。

リッジウェイはノルマンディー上陸作戦時の空挺部隊指揮官であり、一時ウェストポイントの教官だったことから、軍に教え子が多くいた。マッカーサー同様神話の重要性を知っており、彼のあだ名は「鉄のおっぱい」(old iron tits)というものだった。いつも胸に二つの手榴弾をぶら下げていたからだ。マット・リッジウェイはつねに戦う姿勢にあるということだ。

着任前の12月26日に東京のマッカーサーに挨拶に行ったリッジウェーは、マッカーサーから「第8軍は君に任せる。いちばんよいと思うやり方でやってくれ」と言われた。この言葉でいままで東京がすべて動かしていたが、これからはリッジウェイが指揮をとることがはっきりした。

マッカーサーは面談の1時間半をすべて持論に費やしたという。マッカーサーは共産中国と全面戦争をやりたがっていた。「中国は南部が開けっ放しの状態だ」。

朝鮮では一泊もしたことのないというマッカーサーに対して、徹底した現場主義者のリッジウェイは小型機で戦場を飛び回り、地図に敵軍の旗があるのは48時間以内に接触した場合のみに限った。偵察、敵を知るのが最重要なことを現場に徹底された。


マッカーサーの米国政府批判

マッカーサーは政府批判を始めた。マッカーサーが中国軍を緊急追跡し、満州内の基地を爆撃しようとしたにもかかわらず、ワシントンが許さなかった。「歴史に前例のない莫大な軍事的ハンディキャップ」を負わされたと主張したのだ。

トルーマンは激怒した。事実上終わったと思っていた戦争が拡大したばかりか、その司令官が政府にとって巨大な敵となって敗北の責任を政府におおいかぶせてきたのだ。トルーマンは「核兵器の使用も含めてすべての兵器の使用は司令官が責任を持つ」と失言してしまい批判をあびる。

毛沢東もマッカーサーのように成功に酔っていた。現場指揮官の彭徳懐は冬が来るのに補給も途絶えがちで、ズック靴の中国兵では朝鮮の厳しい冬は戦えないので、春まで攻勢を待つことを訴える。しかしソ連と金日成の圧力もあり、毛沢東は共産主義の勝利を世界に知らしめるために追撃を命令する。

リッジウェイはソウル放棄を決断したので、中国軍は1月にはソウルを再占領した。ソウルから退却して体勢を立て直した国連軍は、韓国のちょうど真ん中付近の原州附近の双子トンネルや砥平里(チピョンニ)などで空軍の支援も受けて中国軍を迎撃した。

国連軍が多大な犠牲を出し、後に「殺戮の谷」(Massacre Valley)と呼ばれることになるこの激戦の模様が、この本では克明に記されている。

当時の米軍は人種差別をしており、黒人は黒人だけの部隊編成をしていた。トルーマンやリッジウェーは人種差別を撤廃しようとしていたが、第10軍司令官でマッカーサー側近のネド・アーモンドは、黒人を蔑視しており、「灰やゴミ」と一緒だと言って、白人部隊に3人ずつ黒人兵を配置した部下の指揮官を罰した。

アーモンドは中国人を「洗濯屋」と呼んで蔑視しており、中国軍について研究することを一切しなかったので、部隊間の情報交換はなかった。それがためアーモンドが立案した「ラウンドアップ作戦」で、多大な犠牲を被ることになった。国連軍を包囲していた中国軍は道の先頭のトラックを攻撃し、立ち往生した国連軍トラック120台と多くの大砲を手に入れた。

2月には中国軍はさらに進撃し、原州に近づくが、それを察知した偵察機からの情報で、迎え撃つ国連軍の130MM砲数門、155MM砲30門、105MM砲100門という大量の大砲の餌食となり、空からはナパーム弾の直撃を受けた。

中国軍は上から下への命令は伝わるが、中間レベルの指揮官が権限も通信能力も持っていなかったので、戦況に応じて調整するということができなかった。これは軍曹など下士官の創意が評価され、戦闘の展開に応じて調整していくという米軍と対照的な違いだった。

また中国軍は3日続けて戦うと補給の問題が生じた。これらの弱点と、空からのナパーム弾攻撃で、国連軍は中国軍を撃退していった。

リッジウェーは長距離砲と空軍力を中心とした戦略で、圧倒的多数の中国軍との「人口問題」を解決しようとしていたのだ。中国軍の重火器は空軍力でたたき、「肉挽き機」のように戦うのだと。

朝鮮の中部回廊地区だけで中国軍の死傷者は20万人にも達した。これが戦闘の転機となり、中国軍の進撃はストップした。

F86セイバー戦闘機が共産軍のミグ15との空中戦で優位に立ったのはこのときだ。



マッカーサー解任

リッジウェイの成功で、マッカーサーのプライドが傷ついた。リッジウェイの作戦を、ひいては攻める「アコーデオン戦争」と呼び、依然として中国との全面戦争を主張し、トルーマン政権攻撃をエスカレートさせた。

戦線を北緯38度線まで押し戻せれば、共産主義を食い止めたということで、国連軍の勝利だと主張するリッジウェイに対し、マッカーサーは自分なら同じ戦力で、中国軍を鴨緑江の向こう側に押し返せると明言し、東京駐在の各国の外交官に伝えていることが、外交通信傍受でわかった。

これは明らかな軍の文民統制に対する違反であるとトルーマンは判断し、4月11日にマッカーサーを解任した。マッカーサー自身への通告の前にラジオが放送するという不手際だった。

タイム誌は「これほど不人気な人物がこれほど人気のある人物を解任したのははじめてだ」と書いた。リチャード・ニクソンはマッカーサーの即時復職を要求した。日本では25万人がマッカーサーを見送るために街頭に列を成し、ニューヨークでは700万人がパレードに繰り出したという。

「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」マッカーサーの上院での退任演説での有名な言葉だ。しかし上院聴聞会は3日間続き、マッカーサーは中国軍は参戦しないと確信していたことを認め、ヨーロッパのことは発言を回避するなど、日に日に小さくなっていった。油断から判断を間違えた司令官というイメージが定着していった。


戦線の膠着と和平交渉

朝鮮での戦争は1951年春中国が30万人の兵力を投入し、大攻勢を掛けたが、成果を上げられなかった。1951年7月和平交渉が開城、次に板門店で始まったが、交渉は遅々として進まなかった。

1952年の大統領選挙でアイゼンハワーが勝利し、翌1953年3月にスターリンが死ぬと、戦闘は続いていたが、アメリカと中国は解決策を探り1953年7月27日に休戦合意が成立した。

その後金日成は、朝鮮戦争をまるで一人で戦ったような話をでっち上げ、平壌の朝鮮戦争記念館を訪れた中国人は、その展示を見て激怒するという。金日成は核兵器を開発することと、息子を後継者にすることを目標とし、国内の工業生産も国民の飢え死にも気にしなかった。金日成は死に、金正日が後を継ぎ、そして金正恩がその路線を継ぐことになる。


登場人物の描写

金日成の経歴が紹介されている。金日成は朝鮮生まれだが、両親と共に満州に移住し、抗日運動に属した後、ソ連で赤軍将校となりスターリンのあやつり人形として1945年10月に平壌で朝鮮デビューした。スターリン死後もスターリン主義者であり続け、統治を確実なものにするための個人崇拝の必要を悟ったことなどが紹介されている。

マッカーサーの記述も面白い。

アイゼンハワーはマッカーサーの副官としてワシントンとマニラで一緒に勤務していたので、マッカーサーの手の内を知り尽くしていた。アイクは「わたしはワシントンで5年、フィリピンで4年、彼の下で演技を学びました」と答えていたという。

マッカーサーより「上級」なのは神しかおらず、生涯「自分より劣る人間がつくったルールは自分には適用されないという前提で」行動したという。「マッカーサーは語る。だが聞かない」。

タイム誌のオーナー、ヘンリー・ルースはチャイナロビーと結びついており、蒋介石をタイム誌の表紙にたびたび載せる一方、マッカーサーを賛美しており、マッカーサーも蒋介石に次ぐ7回タイムの表紙に登場したという。

マッカーサーは1918年に最年少で将軍になっており、それから30年間も将軍として君臨して、とりまきにお追従を言われ続けた。マッカーサーは毎日人に会う前に演技の練習をしていたという。

念入りにリハーサルを行っていながら、あたかも即興のようにみせ、天性の独白役者で、演技には寸分の狂いもなかったとハルバースタムは評している。この本ではマッカーサーの父親や、マッカーサーをマザコンにした母ピンキー・マッカーサーのことも説明していて面白い。

マッカーサーが母親に相談なく最初の結婚をしたときに、母は結婚式に出席せず、寝込んでしまい、結局、最初の結婚は長続きしなかったという。マッカーサーの二番目の妻のジーンは母親が選んだ相手で、自宅ではマッカーサーのことを1"Sir, Boss"と呼んでいたという。

マッカーサーはフランクリン・ルーズベルトを嫌っており、ルーズベルトが病気で死去したときには、「ルーズベルトは死んだか。うそが自分に役立つときは真実は決して話さない男だった」とコメントしたという。もっとも、ルーズベルトも「マッカーサーは使うべきで、信頼すべきでない」とコメントしていたという。

マッカーサーは1944年、1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補として出馬しているが、いずれも惨敗している。

トルーマンとの関係も悪かった。トルーマンはマッカーサーのことを「あのプリマドンナの高級将校」と呼び、マッカーサーはトルーマンほど大統領としての適性を欠く者はいないと考えていた。大学も出ておらず「あのホワイトハウスのユダヤ人」と言っていたという。

1949年秋にアメリカの原爆独占は終わり、ソ連が原爆を開発した。

それまで親米だった蒋介石の中華民国が毛沢東の中国共産党に敗退し、1949年1月には蒋介石が台湾に移り、4月に南京が陥落し、国共内戦にけりがついた。

中国に於ける米国軍事顧問団の代表だったジョセフ・スティルウェル将軍は、1942年の段階で、蒋介石は全く役に立たず、能力はあっても抗日戦に軍を使う気がないとレポートしていたが、ルーズベルトは蒋介石に圧力を掛けすぎて日本との単独講和に走らせないようにとの配慮から放っておいた。

その結果「アメリカ人に訓練され、アメリカ製装備で武装したほぼすべての師団が、一発も発砲しないで共産軍に降伏して」中国は共産化し、米国では「誰が中国を失ったのか?」と政治問題化した。

この辺の事情はバーバラ・タックマンの「失敗したアメリカの中国政策」に詳しい。こちらも今度あらすじを紹介する。

失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍
著者:バーバラ・W. タックマン
朝日新聞社(1996-02)
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恥ずかしながら、朝鮮戦争については断片的にしか知らなかったので、この本は大変参考になった。

北朝鮮は朝鮮戦争をしかけた金日成の時から「冒険主義者」である。今度のヨンピョン島砲撃も冒険主義者的な動きだと思う。アメリカ・韓国軍と正面切って戦争をやるだけの軍事力も根性もないと思うが、全く危険な隣人である。

緊迫する朝鮮情勢を考える上で、朝鮮戦争のことを知ることは有意義だと思う。一度手にとってみることをおすすめする。


参考になれば次クリック願う。

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