時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2009年11月

ブルーオーシャン戦略 未開拓市場をつくって繁栄する企業

ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する (Harvard business school press)ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する (Harvard business school press)
著者:W・チャン・キム
販売元:ランダムハウス講談社
発売日:2005-06-21
おすすめ度:4.0
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+++今回のあらすじは長いです+++

フランスとシンガポールにキャンパスがある国際ビジネススクールINSEAD(インシアド)を代表するキム教授とモボルニュ教授がハーバードビジネスレビューに発表した論文。

2005年に日本でも翻訳され、話題となった。

バーバードビジネスレビューはダイヤモンド社から日本版も出版されている。以前は会社でも購読していたので、筆者も時々読んでいたが、正直あまり歯が立たなかった論文ばかりだったという記憶がある。

ブルー・オーシャンとは、血の海を意味するレッド・オーシャンに対する言葉だ。レッド・オーシャンが既存市場での競争相手との血みどろの競争を意味するのに対して、ブルー・オーシャンは競争相手のいない独占的な未開拓市場をつくって繁栄するビジネスモデルだ。

ブルーオーシャン戦略の6原則とは次の通りだ。

策定の原則
1.市場の境界を引き直す
2.細かい数字は忘れ、森を見る
3.新たな需要を掘り起こす
4.正しい順序で戦略を考える
実行の原則
5.組織面のハードルを乗り越える
6.実行を見すえて戦略を立てる

この本は具体例で説明している部分が多く、頭にスッと入る。


シルク・ドゥ・ソレイユ

ブルー・オーシャン戦略の典型例として、シルク・ドゥ・ソレイユが最初に紹介されている。

シルク・ドゥ・ソレイユは、火喰い芸人だったギー・ラリベーテがカナダで設立したサーカスをベースにしたエンターテインメントだ。世界各地で常設の劇場やホテルでの常設の出し物がある。

筆者が最初にシルク・ドゥ・ソレイユの出し物を見たのは、米国のフロリダのディズニーワールドで、10年以上前だ。

卓越したアクロバット、よく考えたコミカル、大がかりな舞台、観客を巻き込んだエンターテインメントに感心した。

それからラスベガスのホテルでの出し物(ベラッジオの"O"を見たかったが、チケットが取れなかったのでミラージュの「ミスティア」を見た)、東京に戻って「サルティンバンコ」、「アレグリア」を見た。

最初見た出し物では中国雑技団は参加していなかったが、最近の出し物は中国雑技団のメンバー抜きでは考えられないほど、高度なアクロバットが披露されている。

中国雑技団は話題になったサントリーの「アミノ式」のCMにも出演している。





猛獣使い、アクロバット、ピエロといった従来型のサーカスの最大手リングリング・ブラザース&バーナム&ベイリー・サーカスが100年掛かって達成した売上高を、わずか20年で追い越してしまったという。

シルク・ドゥ・ソレイユは競争相手のいない新しい市場を創造して、高い入場券でも喜んで支払う大人や法人という新しい顧客を惹きつけた。

このように既存の産業を拡張することによって生み出される新しい需要、あるいはこれまでの産業の枠を超えた新しい需要をキム教授はブルー・オーシャンと呼ぶ。


永遠のエクセレントカンパニーは存在するか?

キム教授は過去のエクセレントカンパニーから、永遠のエクセレントカンパニーが存在するかどうか調べたところ、名著「エクセレント・カンパニー」で取り上げられた会社のうち2/3が、5年後には業界リーダーから脱落していたことがわかった。

エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)
著者:トム・ピーターズ
販売元:英治出版
発売日:2003-07-26
おすすめ度:4.5
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ちなみに「エクセレント・カンパニー」の原題は"In search of Excellence"であり、永遠のとは書いていないが、永続的なニュアンスがある。

もう一つの名著「ビジョナリー・カンパニー」は「エクセレント・カンパニー」の二の舞を避けるために、設立後40年以下の会社に対象を絞ったが、それでも「ビジョナリー・カンパニー」が絶賛した企業、たとえばHPは産業全体が好調だったために繁栄できたのだと批判されている。

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
著者:ジェームズ・C. コリンズ
販売元:日経BP社
発売日:1995-09
おすすめ度:4.5
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このような経緯をふまえ、キム教授は1880年から2000年まで、30を超える業界で150以上の戦略的打ち手を研究した。

ブルーオーシャンを創造した企業とレッド・オーシャンから抜け出せずにいる企業を分析した結果、ブルー・オーシャンを生み出す戦略は業界や時代を超えて不変であることがわかったと。

ブルーオーシャンを切り開いた企業は、レッド・オーシャンに居る企業とは異なり、競合企業とのベンチマーキングを行わず、その代わりに「バリュー・イノベーション」という戦略をとっているとキム教授は指摘する。

「バリュー・イノベーション」とは、差別化とコスト低減が2者択一ではなく、両方を実現する新しい需要の掘り起こし戦略だ。顧客や自社にとっての価値を高め、競争のない未知の市場空間を開拓することによって競争を無意味にする。


シルク・ドゥ・ソレイユの戦略分析

具体例で考えないとわかりにくいので、シルク・ドゥ・ソレイユについてのブルーオーシャン戦略分析のための戦略キャンバスとアクション・マトリクスを紹介しておく。いずれもこの本で紹介されている図に従って筆者が作成したものだ。

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出典:本書60ページ

戦略キャンバスは横軸に競争要因を抜き出し、縦軸で高低を評価した点をプロットして折れ線グラフとしたものだ。シルク・ドゥ・ソレイユ独自の競争要因は、他の競合にはないので、競合者の評点はない。

独自の競争要因をどれだけつくれるかが、ブルーオーシャン戦略の鍵である。

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出典:本書65ページ

アクションマトリクスは、従来型のビジネスモデルに「減らす」、「取り除く」、「増やす」、「付け加える」の4象限でアクションを整理したものだ。

シルク・ドゥ・ソレイユが取り除いたものは、コストがかかるものばかりで、逆に付け加えたものが、差別化の競争要因となっていることがわかる。


イエローテイルの戦略分析

具体例として取り上げられているものの分析例を、もう一つ紹介しておく。オーストラリア産ワインのイエローテイルだ。

アメリカは世界第3番目のワイン消費国で200億ドル規模の国内市場があり、この2/3をカリフォルニアワインが占めており、フランス・イタリアなどの旧大陸やオーストラリア、チリなどの新大陸の輸入ワインと激しく競争している。

しかし一人当たりのワイン消費量は世界第31位で伸びていない。全米で1,600あるというワイナリーの業界再編が加速し、上位8社が生産量の75%を占め、残り25%を1,600のワイナリーが争っている。まさにレッド・オーシャンだ。

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出典:本書55ページ

多くのアメリカ人がワインを敬遠していたのは、味わいが複雑すぎて堪能できなかったからだという発見に基づき、イエローテイルは、ビールやカクテル飲料の様に気軽に飲め、フルーティな甘さで後味が残らないワインをつくった。

低価格デイリーワインの倍以上の$6.99という価格設定ながら、イエローテイルは2001年7月の発売からわずか2年でアメリカで最も輸入されたワインとなり、瓶入りの赤ワインではカリフォルニア産に代わって全米で販売量トップとなった。

イエローテイルは他のワインブランドを押しのけた訳ではなく、ビール、カクテル飲料を飲んでいた初心者を取り込んでワインの需要を増加させたのだ。

タンニン、オーク樽、こく、深みなどといった要素を取り除き、ボジョレヌーボーの様に熟成せずに出荷するという方針をとったことで、カセラワイナリーズは運転資本を減らし、資金を短期間で回収できるようになった。

品種も今は赤が3種類、白が1種類だが、当初は白赤一種類ずつ、シャルドネとシラーズのみだった。

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イエローテイルのアクション・マトリクスは次の通りだ。イエローテイルは、ワイン界の常識を打ち破って見事にブルーオーシャン戦略を実現したのだ。

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出典:本書59ページ


余談になるが、筆者もイエローテイルの白、シャルドネを飲んでみた。熟成されていないので、こくも後味もない。いわば味も香りもない焼酎版のワインを飲んでいるようなものだ。クリヤーな味といえないこともないが、正直、筆者はイエローテイルをワインとは呼びたくない気持ちだ。

これならよっぽどチリのフロンテラや南アフリカのKWVの方が安くて、うまいと思うが、こんな味のないワインを好む層も米国にはいるのかもしれない。

飲みやすさだけなら、ポルトガルのマテウスのスパークリングワインの方が良いと思うが、イエローテイルバブルスという名前でスパークリングワインもある様だ。

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ブルーオーシャン戦略の成功事例としていくつもの例が挙げられているので、参考になる例を紹介しておく。


*サウスウェスト航空

ハブアンドスポークシステム(いくつかのハブ空港を軸とした放射線状の路線展開)、空港ラウンジ、機内食、座席の選択肢などを取り除き、心のこもったサービス、便数の多さ、安い運賃に徹して人気を博している。


*ネッツジェッツ社

ウォーレン・バフェットのバークシャー・ハザウェイに買収されたチャーター機の共有サービス。16社で1機を保有し、最初に37万5千ドル払えば、後は飛行機のランニングコストだけで6百万ドルもする専用機を共有できる。

メンバー全員がファーストクラスを使って移動するより割安で、しかも目的地近くの空港に直行でき、移動時間を短縮できるので、ビジネスユーザーに大人気となった。


*NTTドコモのiモード

通信料値下げのレッド・オーシャンから、ケータイによるインターネットアクセスをキラーアプリケーションとしてiモードが1999年に登場した。

スタートして半年で百万人のユーザーが2年後には2千万人、4年後には4千万人になり、一時はドコモの株価総額が親会社のNTTを抜いていたことが記されている。

勿論ドコモはこの本で紹介されているiモードの成功の後、またもやレッド・オーシャンに入ってしまっていることは周知の通りだ。

松永さんの「iモード事件」を読んで知ったのだが、ドコモのiモードは、マッキンゼーがドコモの首脳に提案して、松永さん、夏野さんなど外人部隊が雇い入れられて立ち上げられたサービスだ。

iモード事件 (角川文庫)


勝間和代さんの本には、勝間さんがマッキンゼーに居たときに、ドコモのiモードのコンサルメンバーとして携わっていたことが記されていた。

松永さんがブレインストーミングのために、社内の会議室で開いた「クラブ真理」に出入りする芸能界関係者の「げっく」(月9)発言に、マッキンゼーのメンバーの顔が引きつっていたという一節が思い出される。

iモードの推進者夏野さんがドコモを去ることが決まった今、ドコモがどうやって再度ブルーオーシャン戦略を見つけられるのか注目させる。


*女性専用のフィットネスクラブカーブス

カーブスは1995年にフランチャイズ展開を開始して以来、6,000店もの出店で、会員数が二百万人を突破した。

こじんまりとしたスペースに10台のマシンを円形に配置し、女性会員はおしゃべりしながらトレーニングに励み、30分でサーキットトレーニングを終える。キャッチフレーズは「一日コーヒー一杯のコストで適度なエクササイズと健康が手に入る」だ。


*ブルームバーグ

ブルームバーグが誕生したのは1980年代前半だが、それ以前はロイターとテレレートが金融情報界に君臨していた。ロイターとテレレートはITマネージャー層に適したサービスをしていたのに対して、ブルームバーグはトレーダー向けのサービスに徹して市場を席巻した。

トレーダー向けに二つのスクリーンがついたボタン一つで分析ができる端末を提供し、トレーダーの生活に役立つ情報サービスやオンライン・ショッピング・サービスも付加した。トレーダー達はITマネージャーにブルームバーグシステムへの変更を迫ったという。


*バスメーカー NABI

ハンガリーのIkarus Busの米国法人がスピンアウトしたバス車体メーカー。公共交通部門向けのバス業界では、車両価格の引き下げ競争が常態化していた。NABIは車両価格よりも保守費用の方が高いことに注目し、メインテナンスコストと燃費が良い美しいデザインのグラスファイバー製のバスを導入した。

NABIの新型バスは自治体にも乗客にも好評で、1993年のアメリカ市場参入以来、たちどころに20%のトップシェアを獲得した。


*QBハウス

日本の格安理髪チェーンQBハウスの事例が取り上げられている。1996年に一号店を開店以来、2003年には200店を超え、シンガポールやマレーシアにも店舗を展開しているという。

QBハウスの戦略キャンバスは次の通りだ。ちなみにエアーウォッシャーというのは、バキュームで刈った毛を吸い込むシステムだ。

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出典:本書103ページ


新たな需要を掘り起こす

ブルーオーシャン戦略を創造するためには細かい数字は忘れ、森を見ること、新たな需要を掘り起こすことが重要だ。

キム教授は、まだ取り込めていない需要を次の三つのグループに分けて説明している。

第一グループ 市場の縁にいるが、すぐに逃げ出すかもしれない層
第二グループ あえてこの市場の製品やサービスを利用しないと決めた層
第三グループ 市場から距離のある未開拓の層

これらの需要をうまくすくい取って、ブルーオーシャン戦略を創造するのだ。

例として次が挙げられている。


*キャロウェイゴルフ

スポーツ愛好家などにゴルフが敬遠される理由をキャロウェイが調べたところ、「ゴルフボールを打つのは難しそうだ」という認識があった。

そこでヘッドの大きなビッグバーサというクラブを開発して、ボールに当てやすくして新しい需要を掘り起こした。

筆者も初代ビッグバーサを持っている。一時人気No 1のドライバーだった。


プレタマンジェ(Pret A Manger)

ヨーロッパの都市部に働くプロフェッショナル達はレストランで昼食を取るのが普通だったが、ヘルシー志向、時間、コストの面からより良い選択肢を求めていた。

そこでプレタマンジェはレストランに劣らない良質のサンドイッチを、ファーストフード店並にすばやく作りたての状態で提供し、こぎれいな店舗と手頃な価格で提供した。英語だがプレタマンジェのメニューを紹介しておく。寿司もメニューにある。

プレタマンジェは2003年時点でイギリスで130店舗展開し、売上高は年間一億ポンドを上回り、その成長性に注目してマクドナルドが33%の株式を取得した。

これには後日談がある。日本マクドナルドがプレタマンジェチェーンを2002年にオープンしたが、2004年に撤退している。そういえば筆者も三角の紙箱に入ったサンドウィッチを売っている中野坂上(?)だったか日比谷シティだったかの店に入った記憶がある。


*JC Decaux(ジーセードゥコー)

自治体向けにバス停やゴミ箱、ベンチなどのストリートファーニチャーを広告媒体として無償で維持管理サービスを行うビジネスを開始した。ストリートファーニチャー広告は1996年から2000年まで60%も増えた。

自治体との契約は8年から25年なので、JC Decauxは高利益率のビジネスを長期間独占できることになり、2003年の時点で世界33ヶ国に30万以上の広告板を持っている。(現在は40ヶ国、35万カ所)

JC Decauxは日本では三菱商事と提携しておりMCDecauxという会社をつくり、たしか横浜市の市営バスのバス停広告をやっていたと思う。MCDecauxのサイトではJCDecauxのシェアなどの数字も公開されている


*JSF(Joint Strike Fighter)英米の次世代戦闘機

JSFはロッキードのF−35と決定し、人間の乗る最後の戦闘機と言われている。

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出典:Wikipedia

米国の主力戦闘機は従来、空軍、海軍、海兵隊それぞれが独自の機種を選定していた。

JSFは3軍の異なる需要を大胆に統合し、同じ機体で空軍用、STOVL(垂直離着陸)機能も持たせた海兵隊用、翼が大きい海軍用の三機種を製造し、性能や機能を向上させる一方、コストを当初の約二億ドルから3,300万ドルに劇的に下げることに成功した。

このJSF選定も、ブルーオーシャン戦略の新規市場の獲得というコンテクストで説明されている。たしかに三軍共通の戦闘機というのは米軍始まって以来の出来事で、これにより量産効果もあがるので、コストを下げ、バリューを挙げるというブルーオーシャン戦略の典型的な事例である。


ティッピング・ポイント・リーダーシップ

ブルーオーシャン戦略を実行する上で、組織面でのハードルを乗り越えるために、キム教授はティッピング・ポイント・リーダーシップを用いることが必要だと説く。

ティッピング・ポイント・リーダーシップとは、どんな組織でも一定数を超える人々が信念を抱き、熱意を傾ければ、そのアイデアは大きな流れとなって広がっていくという考え方である。

筆者の記憶が正しければ、砂を板に載せて板をだんだんに傾けていくと、砂が一斉に流れ出す傾斜角度がティッピング・ポイントだ。

ティッピング・ポイント・リーダーシップの例として、1994年にニューヨーク市警察(NYPD)本部長に任命されたビル・ブラットンのリーダーシップを紹介している。

1990年代前半までのニューヨークは犯罪発生率が高く、殺人件数は市場最悪を更新し、市民は不安な毎日を送っていた。にもかかわらず、予算面では厳しい制約を受けていた。

ところがブラットンが着任して2年間で予算の増額なしに重大犯罪発生率は軒並み35−50%減少し、1996年にブラットンが退任してからも犯罪は減少し続けた。

ブラットンが行った改革は次のようなものだ。

治安が悪く市民が利用できないニューヨークの地下鉄に市警の目は行き届いていなかった。ブラットンは、就任直後から自ら地下鉄で通勤し、幹部にも地下鉄通勤させることで、市警の地下鉄治安対策への考え方を180度変えさせた。

市警と市民との対話集会を通じて、重大犯罪の検挙率が上がっていることに市民はほとんどありがたみを感じていないことがわかり、むしろアルコール中毒者、街娼、物乞い、落書きなどの身近な軽犯罪に絶えず不快な思いをさせられていることがわかった。

そこでブラットンは「割れ窓理論」というブルーオーシャン戦略に重点を置くこととした。

ティッピング・ポイント・リーダーシップの考え方として、Hot Spot(重点領域), Cold Spot(非重点領域), Horse Trade(資源交換)というものがある。

地下鉄の犯罪を減少させるために、それまでは各路線や出口に警官を配備していたので膨大な費用がかかっていたが、大きな犯罪が集中している特定の路線と駅には十分な警官が配備されていなかった。これを同じ数の警官を重点地域のみに配備することにより、コストを抑えて犯罪件数のめざましい減少を勝ち取った。

麻薬関連が全犯罪に占める割合は50%程度なのに、麻薬班は警官全体のわずか5%で、しかも平日に勤務していた。麻薬班を増員して重点配備したら麻薬犯罪はみるみる減少した。

犯罪逮捕も以前は逮捕した警官自らが犯罪者を裁判所に連れて行って、戻ってくるまで16時間も掛かっていたが、犯罪者移送用の巡回バスを運行させ、警官は自分の担当の地下鉄駅で犯罪者を引き渡す様にした。警官は1時間で職務に戻れるので稼働率も大幅に上昇した。

ティッピング・ポイント・リーダーシップでは組織に影響力を持つ中心人物(Kingpin、ボウリングの1番ピン)に徹底して働きかける。ブラットンの場合は76人の分署長を中心人物とし、彼らをてこにしてNYPDの36,000人の警官を掌握した。

次に金魚鉢のマネジメント(fishbowl management)だ。中心人物の行動が見通せるようにすることだ。ブラットンの場合は全分署長、市警幹部と市のお偉方に二週間に一度集まって貰い、「犯罪対策評価会議」を開いた。分署長は働きが悪いとみんなの前で糾弾されるので、成果を上げようとする組織体質ができた。

次に細分化(atomization)だ。「アメリカ一危険な巨大都市を最も安全な都市に変貌させる」という目標は達成不可能と思われたが、ブラットンはこの目標を警官一人一人の担当地区での安全を確保することにして細分化して達成した。

自分の受け持ち地区の安全を守れば、それでよいとしたのだ。

政治的なハードルを乗り越えるには、「守護神」に頼り、「大敵」を黙らせ、「アドバイザー」を起用するのだ。ブラットンは警官の中の警官ともいえる人物にアドバイザーとなってもらい反対勢力となりそうな人物を事前にパージした。

ブラットンの場合、「守護神」は市長であり、「大敵」は犯罪者の逮捕急増でうまく機能しなくなるおそれがあった裁判所だった。

こまごました犯罪を多数裁判所に持ち込んでも、裁判所は対処できるはずで、むしろ身の回りの犯罪を押さえておいた方が、長い目で見れば取扱件数は減るだろうという論戦を展開し、市長の信任とマスコミの支持を得て裁判所を動かした。

ブルーオーシャン戦略を実行するにあたって重要なのは関与Engagement, 説明Explanation, 明快な期待内容Clarity of Expectationの3つのEだ。従業員を巻き込み、納得するまで説明して、明確な期待水準を示すのだ。

前の警視総監の矢代さんは、筆者の寮の先輩だったが、警視庁も是非NYPDのブラットンのように、「守護神」と「アドバイザー」を得て、首都の治安を改善して欲しいと思う。


ブルーオーシャンを探すと言う発想は斬新なものがある。単なる抽象論でなく、戦略キャンバスとアクション・マトリクスを使った戦略の整理法は実例に簡単に適用でき、役立つと思う。

具体例が多く、読みやすい経済書なので、是非一度手にとって見て頂きたい本である。



参考になれば次クリックお願いします。






変人力 マイクロソフト社長樋口さんのチェンジリーダー奮闘記

変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件
著者:樋口 泰行
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2007-12-07
おすすめ度:4.0
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日本HP社長からダイエー社長にヘッドハンティングされ、1年半の苦闘の後、退任した樋口泰行 現マイクロソフト社長のダイエー再建奮闘記。

前回紹介した「愚直論」の続編だ。

樋口さんは1957年生まれ。大阪大学工学部を卒業して松下電器に入社、ハーバードMBAを取得した後、ボストンコンサルティング、アップルジャパン、コンパックを経て、2003年に日本HP社長となった。

2005年にヘッドハンターから「ダイエー社長に是非」との誘いが来る。周りからは火中の栗を拾うことはないと言われ、一旦は断ったものの、出身地がダイエー本社のある神戸だったことと、自分を必要としてくれるなら身を投じて再建に携わりたいとの思いから、たびかさなる就任要請を受けた。

このブログでも樋口さんと深く関わった人たちの本を紹介している。

一人は樋口さんの上司でダイエーの会長だった林文子さん、林さんは東京日産販売の社長にリクルートされ、現在は横浜市長だ。そして樋口さんを雇った産業再生機構代表だった冨山和彦さんの著書は別ブログで紹介した

ダイエーは中内功さんが1957年に創業、「価格破壊」を旗印に日本全国に展開、1972年には小売業日本一となり、一時はイトーヨーカ堂、ジャスコを蹴ってダイエーに入社する人も多かったという流通業で就職人気トップだった。

そんな優秀な人材を集めたダイエーだったが、用地を賃貸でなく買収して店舗を建設するという不動産の含み益を期待した「ダイエー不動産」と言われたやり方で急拡大したので、不動産バブルがはじけて一転して苦境に陥る。

ローソンを全国展開し、リクルートを買収、野球の南海ホークスを買収し、福岡にホテルと球場やショッピングセンターが一緒になったホークスタウンをつくり、一時中内ファミリーは栄華を極めたが、バブル崩壊で銀行管理会社となり、中内ファミリーは退任し、中内さんは自宅も売却し、全財産をダイエーの債務返済に提供した残念な晩年だった。

余談となるが、この不動産の含み益を使って成長するというやり方は、日本ではバブルに巻き込まれて失敗したが、筆者は時と場合によっては必ずしも不正解ではないと思う。

例えばこのブログで紹介しているマクドナルドの実質創業者のレイ・クロックは大学院生との飲み会で、「私のビジネスはなんだと思う?」と質問し、勇気ある学生が「あなたがハンバーガービジネスをしていることは、誰でも知っています」と答えると、「そう言うと思ったよ」と笑い、「みなさん、私のビジネスは不動産ビジネスです」と語ったという。

マクドナルドも世界の一等地に店を構えている。以前のダイエーと同じ考えだ。

結局2004年にダイエーは産業再生機構の支援を受けることが決定し、再生パートナーとして名乗りを上げたのがアドバンテッジパートナーズと丸紅だった。

樋口さんはこのアドバンテッジパートナーズと丸紅から社長として送り込まれた。

当時新聞ではダイエーの社長に誰がなるかの下馬評がいくつも出され、一時は林文子さんが社長候補としてあげられていたが、結局林さんは会長となり、社長は樋口さんに決まったことを筆者も記憶している。

ダメになった会社はすべてが悪い方向に悪い方向に行ってしまう。樋口さんがダイエーで働き始めると、いくつもおかしな点が見えてくる。

たとえば本部長会議なのに、20人の本部長一人一人が担当者を連れてきて全部で40ー50人の会議になる。社内コミュニケーションが不在で、他部門のことには口を出さないのが暗黙の了解となっており、本部長同士さえしゃべらないといった具合だ。

ダイエーにはバイヤー万能、サプライヤーを「業者」と見下す風潮があり、樋口さん自身もアップル時代にダイエーのバイヤーにいじめられた経験があり、絶対にダイエーでは買い物しないと誓ったことがあるほどだ。

ダイエーには長らくカリスマ経営者中内さんが君臨していたので、社員がトップの指示待ち人間になって、自発的に考えて行動する社員が育たなかった。バブル崩壊以降、負け癖が付いて、できない理由を探す文化となっていたのだ。

ダイエーの体質が変わらなかった理由を、樋口さんは面白い表現をしている。

いわく「ヤンキー先生」がいなかったからではないかと。つまり現場の社員と腹を割って真剣なコミュニケーションができるリーダーがいなかったからだ。

そのため樋口さんは社長直轄のプロジェクトとして野菜の鮮度向上プロジェクト、デリカプロジェクト、コスト削減プロジェクトなど10のプロジェクトを立ち上げた。

改革の特徴は、負の遺産を解消する構造改革と、正のスパイラルをつくる営業力強化がセットとなっている。樋口さんが実行した構造改革は次の通りだ:

1.店舗閉鎖 263店舗のうち、54店舗を閉鎖した
2.人員削減 1,200人の希望退職と800人の出向
3.不採算カテゴリーからの撤退 玩具、大型家具など
4.ノンコア事業からの撤退 フォルクス、神戸らんぷ亭、ドリームパークなど売却

コーポレートロゴも変え、スローガンも「ごはんがおいしくなるスーパー」として、野菜新鮮宣言を出し、2005年年末にはテレビCMを打って、薄利多売の小売業ではありえない5,000円以上の買い物に500円(最高10%の割引)のお買い物券を出し、思い切った策で集客を拡大した。

積極策に出る一方で、樋口さんは一人で閉鎖店舗にも足を運び、誠意を示して説明した。泥沼の苦闘のなかで、悟ったことが、この本に書かれているリーダーに必要な3つの力だ。

1.現場力

組織は現場こそがすべてだと樋口さんは語る。「現場100回」つまり、問題の答えは現場にあるというものだ。樋口さんは200人以上の店長に直接電話を掛け、店長と「ノミニケーション」を図り、2週間に1度電話で店長会議を行い、店長からのダイエー改革をめざした。

ダイエーには売上目標はあったが、利益目標はなかったのを、収益面でのコミットメントを店長に植え付けた。

基本動作ができていなかったのもダイエーの人気がなかった理由だ。店員はお客に挨拶をせず、品切れが出ていても補充しない。社員に基本動作を徹底させるために、口酸っぱく説明し、林会長が中心となってハンディな「新生ダイエーミッションBOOK」をつくって全員に配布したりした。

現場の社員が基本動作の意味をどれだけ腹落ちできるか、それが組織のDNAとなって刻み込まれているかが決め手だと樋口さんは語る。

樋口さんは本部と店舗から20人を選び、野菜改革に乗り出した。社長みずから会議にも積極参加し、メンバーの発言や提案を促した。まさに日産のゴーンさんの「クロスファンクショナルチーム」と同じだ。

野菜は店頭入り口に陳列されているので、いわばその店の顔で、お客は野菜を見て、その店を判断する。

だから野菜はロス・リーダーと呼ばれ、採算を度外視した値段ででもお客を引きつけ、他の物も買ってもらいトータルで収益を上げるという考え方だ。だから野菜が重要なのだ。

新鮮な野菜を安く、収穫から1日で店頭に並べるために、セントラルバイイングの比率を80%から50%に落とした。

店舗での仕入れを50%に上げ、仕入れ要員を増員し、仕入れネットワークをつくった。頻繁に野菜を補充するため売り場の人員も20%増やし、専門の巡回員も配置し、しくみをつくった上で、マスコミを呼んで林会長と一緒にオレンジのハッピ姿で、ダイエーの野菜新鮮宣言を行った。


2.戦略力

成果を上げるには、戦略を構築する力が必要となる。MECEとかロジック・ツリーのようなアカデミックな戦略論も状況分析や問題解決の手だてを探る上で役立つが、リーダー自身が現実のビジネスにどれだけ真剣に向き合って格闘してきたかが戦略にすごみを加えると樋口さんは語る。

樋口さん自身、ハーバードMBA留学時代は、毎日2−3時間(!)の睡眠時間以外はテキストを読みふけり、500以上のケースを学び、フレームワークや思考法を身につけ、頭にたくさんの引き出しを持っているが、それを生かすのが経験である。

経験を通してより広い視野で全体像が把握でき、変化を察知する力、問題の本質を見極める力が鍛えられていくのだ。


GMSの「目の前の危機」

小売業が厳しい環境に置かれている理由は、人口減少、過当競争、固定比率の高さの3点だ。これらの要因によりGMSの再編は想定内の流れであり、2007年3月ダイエーはイオンと資本・業務提携することで合意した。ダイエー・マルエツ両方ともイオングループに入ったのだ。

筆者がよく引用する人口動態調査のグラフを示しておく。日本の国としての急激な変化が読み取れるグラフである。

人口動態調査








樋口さんはマクロ戦略こそ企業の生命線だと語る。

技術の進歩、グローバル経済の動向、人口動態、景気動向、規制緩和、消費者トレンド、競合他社動向など、必要なマクロの情報はいろいろあるが、樋口さんが最も重視しているのは、現場の社員から生の情報を得ることだという。
 
全体像、ビッグピクチャーを描くために、マッキンゼーの創始者のマービン・バウアーの言う"Force at Work FAW"を見つけ(大前研一氏の「ビジネス力の磨き方」参照)、事象がなぜそれが発生したのかを突き止め、将来にわたる競争環境や経済環境を分析する。

それとともに、できるだけ多くの関係者の意見に耳を傾け、ビッグピクチャーを描くのだ。そして出てきた問題点を自分一人で因数分解し、マッピングして優先順位をつける。

戦略をいかに伝えるかも重要だ。人を動かすために熱意を持って説明するリーダーの人間力が問われる。つまり戦略を現場に効果的に落とし込む力である。

戦略力はその人がどれだけの経験を積んだかによって決まると樋口さんは語る。米国で「バンドウィッズ」=帯域幅と言われるそうだが、その人がどれくらい幅広い経験や知識を備えているかを示す言葉である。

米国人では意識的に変化をつけたキャリアを歩んでいる人が多い。たとえば大学で医学部を出て、MBAを取り、コンサルティング会社に勤めてから実業界に転身するというようなハイブリッドな人材で、ヘッドハンターもこういった人材を高く評価する傾向が強いという。

戦略力を磨くためには、こういった多面的な経験が一番の鍵になる。いくつもの視点から仮説を構築・検証できるようになるからだ。異質の人とつきあうのも役に立つ。

樋口さんは同業の経営者を訪ねまわったそうだが、或る経営者から次のように言われたという。

「一番効くのは、競合店との比較を価格とか商品などで毎日毎日徹底的にやることです。結局お客さまは比較競争力があれば買いに来て頂ける。お店に定着してくださる。これがすべてです。10年掛かってやっとわかったことなんですよ」

簡単ではあるが、まさに金言だと思う。


3.変人力

周囲がなんと言おうと自分の信念を貫き通す力、変革をやり遂げる力、それが変人力だという。この本のタイトルである。

多数から見れば変人と思える人が、実はまともとで、多数が変だったことも歴史上多々ある。樋口さんは江戸時代の麻田剛立という豊後杵築藩出身の天文学者のことを挙げている。世間が天動説だったのを地動説を唱えたからだ。

樋口さんがダイエーに着任したときにも、社員の考え方や行動に違和感を覚える事ばかりだったという。しかも自分たちがズレていることに問題意識を感じ、行動に移す社員はいなかった。

樋口さんのいう変人力の資質は「ぶれない軸を持つ」ことと、「異様なほどの実行力を持つ」の2点だ。GEのジャック・ウェルチ、日産のカルロス・ゴーン、IBMのルイス・ガースナー、松下電器の中村会長もそうだ。

行動力の例は郵政民営化を成し遂げた小泉純一郎元首相であると。そして樋口さんはチェンジ・リーダー(変革期のリーダー)は変人たれと檄を飛ばす。

変人力の原点は多様性で、多様な経験が客観性を生む。

樋口さんは"T"型人間を目指せと語る。特定領域に深堀しながらも、幅広い領域にも目を向けているという意味だ。

孤独な変人で終わらないために、真摯なコミュニケーションを繰り返し、サポーターをつくれという。小泉首相は小泉チルドレンをつくり、松下の中村会長は海外で経験を積んだ幹部を呼び寄せて周りを固めた。

樋口さんはダイエーにいるときは、社員の集まりにはできるだけ顔を出し、1日に5カ所忘年会のはしごをしたこともあるという。


エピローグ

丸紅が産業再生機構の持つダイエー株をすべて購入し44%の持ち株になったときに、樋口さんは社長退任を決意した。

社長1年目の2006年度の決算は40億円の黒字という予算を達成できず、62億円の営業損失となったが、退任した後ではあるが2年目は黒字化を達成できた。

樋口さんがダイエーの経営を引き受けたとき、経営の諸先輩からは「樋口さん、とにかく数字は気にするな。社員を大切にして、現場に軸足を置いて、判断・実行すれば、数字は必ず後からついてくるから」と言われ、その通りに実行してきたという。

ダイエー再生の経験そのものも貴重だが、プライドをズタズタにされながら、それでも会社のために自己変革をしてくれたダイエー社員たちと出会えたことが一番の財産になっていると樋口さんは語る。

構成もわかりやすく、現場で人を動かすぎりぎりの戦いをしてきた人のみが持つ言葉の重みがある。MBAそしてコンサル経験で「フレームワーク」という基本をきっちり押さえ、そして現場で社員を動かすべく「変人」と思われながらも悪戦苦闘した成果だろう。

大変参考になる本であり、コミュニケーション力が経営者の最も重要な資質であるということが、樋口さん自身の言葉で言うと「腹落ち」する形でよくわかる。

是非一読をおすすめする。



参考になれば次クリックお願いします。




愚直論 マイクロソフト社長樋口泰行さんの自伝的ビジネス論

「愚直」論  私はこうして社長になった「愚直」論 私はこうして社長になった
著者:樋口 泰行
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2005-03-04
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


元ダイエー社長で、2007年4月1日にマイクロソフトジャパンの社長に就任した樋口泰行さんの日本HP社長時代の最初の著書。このブログでは樋口さんの著書「変人力」のあらすじを紹介している。

2005年の本だが、アマゾンではむしろ最新の「変人力」より売れている。

「変人力」には、現場で人を動かすぎりぎりの戦いをしてきた人のみが持つ言葉の重みがあり大変良かったので、この本も読んでみた。

樋口さんは文才があり、わかりやすく頭にスッと入る。

この本は樋口さんの経験に基づく自伝的経営論だ。


ビジネスで成功するには

樋口さんはビジネスで成功するには、次の3つが重要だと語る。

1.ハングリー精神
樋口さんの家は裕福ではなかった。毎日食パンを買うだけのお金を持って、お使いに行っていたが、ある日余計にお金を貰ったので食パンと一緒に菓子パンを買ってきたところ、お母さんに「うちにはそんなものを買うお金はないのよ。早く返して来なさい!」と言われたという。

その時自分の欲しい物は自分で努力して手に入れるしかないと思ったという。

2.熱意と経験が成長を決める
仕事は苦しいからこそ、それを乗り越えた時の喜びも大きい。失敗であれ成功であれ、熱意を持って取り組んだ経験の積み重ねが成長につながる。

3.仕事のスコープを広げる
樋口さんは「T」型人間を目指せという。自分の専門分野を深く知っていながら、製造、開発、マーケティング、営業、経理、財務、人事などの様々な分野でも広く理解できることで仕事のスコープを広げるのだ。

樋口さんは自身の経験を、長い時間をかけて認められるような「愚直な」生き方と呼んでおり、ケーススタディとして活用して欲しいという。


社会人としてのスタート松下電器時代

樋口さんは1957年兵庫県生まれ。兵庫県出身だったことから、ダイエーの再建を引き受けた話は「変人力」で紹介した。大阪大学の工学部に進学したが、アルバイトに明け暮れた。ほとんど授業には出席していなかったが、教授推薦で松下電器に就職する。

松下電器では8ヶ月の新人研修の後、子会社の松下産業機器で溶接機事業部に配属され、パチパチっと火花が出るアーク溶接の電源装置を作っていた。業界シェアNO.1とはいえ、いわゆる3K(きつい、きたない、危険)の職場で、閉塞感を感じ技術者として焦燥を感じていた。

そのころ新人研修の時に聞いた「T」型人間になれという言葉を思い出し、技術者として専門分野を極める一方、自分の幅を広げるために休日を利用して英語や情報処理を学び、異業種交流会を開催するようになった。

専門を深く追求した成果が出て、特許を6件取得した。自分のスコープを広げ、なによりもコミュニケーションの重要性を溶接機事業部で学んだという。


コミュニケーションはなぜ重要か

仕事をする上でコミュニケーションの重要性を述べる人は多いが、樋口さんのコメントは秀逸なので紹介しておく。

樋口さんは典型的な理系人間で、答えは一つしかないという世界に慣れていたが、現実のビジネスの世界では多様な価値観の人がいて、答えは一つではない。

自分の出した「たくさんある中の一つの答え」に基づいて人を動かそうとするとコミュニケーションが非常に大事なことを樋口さんは学んだという。


その通りだと思う。所詮たくさんある中の一つの答えをみんなに納得して貰うにはコミュニケーションしかないという考えは、実に説得力がある。

松下電器ではすばらしい経験をさせてもらい、社会人としての基礎を教えてもらった溶接機事業部には感謝の気持ちで一杯であると。

溶接機事業部での5年間の後、IBMのOEMを担当している特別プロジェクト室に異動し、入社当時からあこがれていたデジタル技術の分野を担当する。

米国IBMの社員と仕事をし、技術者としてトラブルやクレームに対応する中で、コンピューター製品や技術の理解を深めると同時に、米国流のマネージメントや仕事の進め方を学ぶ。

樋口さんは、ビジネスの基本、企業人の基本はすべて松下電器で学んだと語る。米国でもIBMやP&Gの出身者は「企業人としての基本がでてきているから、転職後も活躍できる」という話を聞くが、大企業の長い歴史で培われた精神的・文化的な土壌にふれることで、学べることは多いのではないかと。

たしかに大企業でみっちり新入社員教育を受けた人材は基礎ができている。なるほどと思う。


MBA留学試験に挑戦

その後松下が毎年20名前後のエンジニアを派遣しているMITへの技術留学を考えるが、上司の薦めでMBA留学に方向転換する。集中的に英語を勉強して、最初550点だったTOEFLスコアをアップさせる(当時の満点は677点)。

別ブログでも「ドラゴン桜」「レバレッジ時間術」などの受験技術を紹介しているが、樋口さんのTOEFL対策は次の3点だ。

1.問題のひっかけにはパターンがある。3択の過去問を勉強していくうちに、クセがわかったという。

2.音響設備の良い試験場を調査し、ヒアリング問題の聞きやすい試験場を選択した。

3.問題を朗読する人によって個性があるが、TOEFL本試験は毎年3人の朗読者だった。その3人の過去問のテープをできるだけ集めて、その3人の声ばかりを聴く様にした。

この3つの対策で、650点を取ったときはまさに「してやったり」という気持ちだったという。

ビジネススクールの合否を大きく左右するエッセーには自分史を書いて第一志望のMITの面接試験で合格し、ハーバードにも電話面接で合格する。松下はMITと技術留学で関係が深く選択に悩んだが、奥さんの「男なら挑戦しないと」とのひと言で、ビジネススクールのトップのハーバード留学を決心する。


ハーバードの人格改造講座

樋口さんは英語が得意ではなかったので、ボストンに着いていきなり自信喪失し、落第候補生になってしまう。しかし深夜の3時か4時に寝て8時に起きるという生活を毎日続け、ローソンの新浪さんなどの勉強会仲間の協力も得て、なんとか進級できる。

ハーバードが元祖のケーススタディを週13回こなす。それぞれが4ー5時間の予習と解答準備が必要なので、1日3ケースとすると毎日12時間の予習をしなければならなかった。結局1年次に学外に出たのは3回だけだったという。

ビジネススクールでは発言しないと評価されない。技術屋の樋口さんは授業での発言が苦痛だった。「今日は発言できた?」というのが仲間うちの挨拶だったという。

それまで完璧主義者の技術者だった樋口さんは、毎日限られた時間内に決断を迫られるケーススタディを大量にこなすことで、「ビッグ・ピクチャー」を捉え全体最適な解答を探す現実的なスタイルに転換できたのだ。

ハーバードの2年間は樋口さんにとって「人格改造講座」だったという。

MBA取得に価値はあるかと問われれば、就職や転職の通行手形になり、キャリアの選択肢が広がり、人的ネットワークができるというメリットがある。

しかし入社してしまえば結果がすべてだし、他に代替手段もある。樋口さんはやはりビジネススクールは2年間プレッシャーの中で、質の高い教育をうけることが価値だと語る。


実力主義の世界…ボストンコンサルティンググループ

松下に帰任した樋口さんは、松下が8,450億円をかけて買収したMCA事業を検討するAVソフト室に配属された。

しかしクリエイティブな世界に生きるMCAは「親会社の言うことを聞け」という資本の論理など通用しない相手だった。樋口さんは伝書鳩としての自分の限界を感じ、帰国半年で退社を決意し、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に転職する。

BCGの面接では、面接官一人1時間の面接を連続して5回行い、樋口さんは疲れ切ったが、その場で内定を貰った。「やりがいだけはある」という面接官のひと言が決め手だったという。

BCGに入社し、製造業のプロジェクトに配属された。上司は8歳年下で20代半ばの大学卒のマネージャーだった。

ひとたび仮説を構築すると、事実とロジックをつなぎ合わせてプロジェクトを進行させていく彼の仕事ぶりには驚かされたという。

技術者である樋口さんは気になることがあるととことんまで追求してしまう追求癖があるので、アウトプットで評価されるアウトプット主義にはなかなか感覚がつかめなかった。

身体の限界まで頑張っているのに、アウトプットの質が高まらない苦しみを最初の1年強は味わったという。

徹夜が続き、会議で失神し、「過換気症候群」と診断されたにもかかわらず、病院からまたオフィスに戻って仕事をした時もあったという。

仕事に成功を収めるが、だんだんクライアントから「後は我々に任せて下さい」と言われ、提言だけして、あとはいなくなるコンサルタントの仕事に飽き足らないものを覚える。

BCGの仕事はいわば短い時間と大きな期待という圧力釜の中での仕事で、生き残り競争も過酷だったが、ハーバードで習った経営者としての疑似体験を、リアルなビジネスの現場で直接体験し、戦略立案の頭の使い方が骨の髄までたたき込まれたという。

自分の伝えたいメッセージを、1時間ならこう、20分ならこう、エレベーターで乗り合わせた相手ならこうと、自由自在に加工できるように、何がポイントで本質はどこにあるかを常に意識し、仮説に基づいて問題を構造化し、整理できていなければならない。いわゆるフレームワークだ。それが戦略立案の仕事であり、BCGで徹底的に鍛えられたという。

別ブログで「仮説思考」を紹介しているBCGでの樋口さんの上司、内田和成さんが、当時の樋口さんのことをブログで書いているので、紹介しておく。


テクノロジー業界への回帰

BCGには「アルムナイ」というOB組織があり、現役組と強いつながりを持っている。BCGの平均在職年数は3年で、或る意味3年で卒業する学校の様な風土があるという。

BCGで2年ほど経験をつんだ樋口さんは、BCGを退社してアップルに入社した。パイオニア製などのマック互換機を日本市場で売り出すことをキヤノン販売の協力を得て成功させたが、互換機が売れるとアップル本体の製品が売れなくなると考える米国本社との板挟みという問題を抱えていた。

いわばパソコンのハーレーダビッドソンのアップルでの仕事は楽しかった。

アップルで2年間働き、いずれは社長になりたいという気持ちを抱き、転職先を考えていたところ、コンパックに転職していたアップルの元上司から誘われ、1997年当時売上No.1で世界シェア10%のコンパックに入社する。

しかしコンパックは米国では好調だったが、日本法人は苦戦しており赤字と黒字を行ったり来たりしていた。ビジネス向けは一定の売り上げがあったが、コンシューマー向けは年間3万台前後、シェア1%以下だった。

そういえばあのころのコンパックを思い出す。

筆者自身は1994年頃から1997年までコンパックに買収されたDECのラップトップ(ポインティングデバイスはトラックボールで大変使いやすかった)を使っていた。コンパックというとIBM PCとほぼ同価格で、高価格・高性能という印象があった。

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出典:Wikipedia

日本コンパックの社員約200人のうち10名が樋口さんのコンシューマー部門の部下だったが、マニュアルの翻訳などを除くと自由に動けるのは5名程度だった。世界共通デザインの、つくりが大ざっぱなモデルの輸入販売で、日本コンパックはコンパックグループでも全く発言力がなく、覇気がなかった。

樋口さんは、アップル時代につきあいのあったキヤノン販売を実質エクスクルーシブの販売チャネルとして起用し、強硬な米国本社との間を玉虫色で調整し、1998年に新モデルを売り出し大成功を収めた。元々コンパックは世界NO.1PCメーカーなので、品質も良くコスト競争力もあったのだ。

続いてデザイン性に優れた日本独自仕様のPCをマス・マーケティングで販売するために、独自の台湾のOEM工場を見つけ、ヒューストン本社に乗り込み「YESと言うまで日本に帰らない」と宣言して交渉した。

3週間ほどで本社のOKが出た。本社は一切サポートしないことと、うまくいかなかったらすぐに撤退し、樋口さんがやめるという2つが条件だったという。

そうして生まれたのがスリムタワー型で、今までのモデルより体積比で60%小型化したプレサリオ3500シリーズだった。TOKIOを使ったTVコマーシャルを打って大ヒットし、2000年には販売台数が30万台を超えた。

TOKIOのCMは2000年のものなので、メンバーも皆若い。

マーケティングの4大要素といわれる製品、価格設定、広告宣伝、販売チャネルのすべてがそろっての成功事例だ。

イメージキャラクターがTOKIOに決まる前に、当時の高柳社長から茶髪とピアスはダメだぞと厳命が下っていたが、現場がTOKIOで行かせてくれというので、現場の意向に上層部のOKを取った。

みんなが能力を発揮しあって、楽しく働け、実績にも結びつくという職場づくりの理想型に近いものだったという。

この業績で樋口さんは日本コンパックの取締役に昇進した。


社長という職業

コンパックは大型コンピューターに強いタンデムコンピューター、企業向けワークステーションに強いDECを買収し、2001年9月にHPによる250億ドルという巨額の合併を発表する。

樋口さんはそのとき米国コンパック本社で10ヶ月のエクゼクティブトレーニングを受けている最中だった。HPの創業家は反対を表明し、コンパック社内でも動揺が走るが、すぐに"Business as usual"という指令が出され、翌2002年3月の正式合意、5月の正式合併に至る。

受付嬢からCEOになった女性経営者として有名なHPカーリー・フィオリーナと、コンパックマイク・カペラスの指導力の成果だ。フィオリーナはHPにスカウトされて着任以来、世界で87あった事業部を12に再編し、強力な中央集権体制をつくってHPを再建した。

両者の単純合計で売上高874億ドル、利益39億ドル、従業員14万5千人、世界160カ国の事業拠点を持つ巨大企業となった。両者の得意とする事業領域は異なり、理想的な合併といわれた。

HPの伝統的なクレド、HPウェイは「+HPウェイ」となった。

HPウェイは、1939年のHP設立時につくられたもので、「企業は社員によって成っており、両者は共有関係にある」という企業と社員の間の共有を柱としている。MBO(Management by Objective=目標管理)や「良き市民であること」というCSRの考え方など、現代にも十分通用する先進的なものだった。

樋口さんは米国研修から戻って新生HPのPCサーバーのラインを任される。新生日本HPは従業員6,000人で、樋口さんが入社したときの日本コンパックの24倍になった。

樋口さんのプロライアントPCサーバー部門はDELLの攻勢を受け、シェアを徐々に失っていった。そこで樋口さんは低価格サーバーと高付加価値サーバーの2本立ての商品構成とし、1ヶ月で2億円使った広告を打って一挙にシェアを盛り返し、5位だったシェアを2位にまで回復させた。

2003年3月にHP本社から日本の社長候補に選ばれたという連絡があり、3月末に寺澤会長から「君に内定したぞ。君に断るオプションはないからな」と言われる。

20人弱の日本HPの取締役会の中で2番目に若い45歳の平取締役が社長になったのだ。それまで最大で30人の部下しか持ったことのない樋口さんが社員6,000人の企業の社長となったのだ。

樋口さんは肩の荷が重いと感じたが、なぜ自分が選ばれたかを考えると、「正義感の強さ」と「馬力の強さ」だと思い、これまで以上に頑張ることを決意する。

まずは外見から揃えようと、社長就任後、分刻みとなったスケジュールの合間に、デパートに飛びこみメガネとオーダーメードのスーツ、シャツとネクタイそして靴、ワニ皮ベルトの時計と、それまで使ったことのなかったカフスボタンを買い、1時間で数十万円散財したという。

いかにも等身大の社長、樋口さんらしい話だ。折角買った30万円のメガネは誰にも気づかれなかったのでがっかりしたそうだ。

社長就任早々、樋口さんの出したビジョンは次の5点だ。

1.お客様第一主義
2.スピード
3.結果重視
4.オープン
5.日本市場に根ざす

樋口さんは「不謹慎な言い方だが、社長の仕事は皿回しみたいなものだ」と語る。両手に何本も棒を持って数え切れないほどの皿を落ちないように回す。すべての皿を見ながらバランス良く皿を回すのだと。

樋口さんは外資系企業の日本法人のトップだが、外資の最先端のテクノロジーを駆使して、日本の発展に貢献し、日本を素晴らしい国に変えていきたいと語る。


樋口さんは、大学卒業から今まで一貫してハードワーカーだった。熱心に働いてビジネスで自己実現するんだという志を持って努力することで、思い通りの人生が描けるのではないかと語る。成果は後からついてくると。

樋口さんの経験に基づき、次のように語っている。

1.仕事は自ら創るもの これが短期間に成長するコツだ 電通の鬼十則を思わせる
2.「現場百回」の姿勢を持つ 答えは現場にある
3.勝負どころを見極める
4.価値観の異なる人とあえて交わる
5.身近な助言者を見つける
6.普遍的な実力を身につける
7.「T」字型人間になれ
8.マインドがすべて マインドとは、パッション、オーナーシップマインド、コラボレーティブマインド、スピード感の4つだと。

リーダーに求められる役割は、メンバー一人一人がやりがいを感じ、成長できるような環境を創造することであると。

そのためにはリーダー自身がどれだけビジネスの現場で格闘してきたかが重要である。経験に裏打ちされた言葉にメンバーは共感する。

リーダーには高いマインドも求められる。皆が自分たちの共通の目標として捉えることができる方針を、哲学を持って打ち出し、コミュニケートできなければならない。

リーダーは大変な役割だが、リーダー自身が困難を乗り越えて成長することで、その背中を見ているメンバーも成長していく。こうして良質な人材が育ち、組織は拡張するのだと。

樋口さんは自分は不器用で変わり者だという。樋口さん自身ももっと成長しないといけないと。

日本HP社長、ダイエー社長、マイクロソフトジャパン社長を歴任という輝かしい経歴を持ついわば雲の上の人が、大変身近に感じられる。等身大のビジネス奮闘記で、面白く参考になる。

是非一読をおすすめする。



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