時短読書のすすめ

「あたまにスッと入るあらすじ」作者が厳選するあらすじ特選。その本を読んだことがある人は記憶のリフレッシュのため、読んだことがない人は、このあらすじを読んでからその本を読んで、「時短読書」で効率的に自己啓発してほしい。

2009年02月

プロフェッショナルマネージャー ユニクロ柳井さん絶賛の経営の教科書

プロフェッショナルマネジャープロフェッショナルマネジャー
著者:ハロルド・ジェニーン
販売元:プレジデント社
発売日:2004-05-15
おすすめ度:4.0
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ユニクロ社長柳井正さんが「私の最高の教科書」と絶賛する米国の多国籍企業ITTの元社長ハロルド・ジェニーンさんの経営指南書。

巻頭に柳井さんの紹介文「これが私の最高の教科書だ」、そして巻末に柳井さんの解説とまとめ「創意と結果、7つの法則」が付いている。まさに柳井さんが「私の教科書」と呼ぶ力のいれようだ。

この本の初版は1985年に出版された。柳井さんはユニクロの1号店を広島にオープンしたばかりで、ユニクロが小郡商事といってた時代に読み、大変衝撃を受けたという。

この本を読んで、柳井さんは自分の経営は甘いと思ったという。


三行の経営論

柳井さんが最も影響を受けたジェニーン氏の「三行の経営論」とは次の通りだ。

本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。


この言葉を柳井さんは実践して、その時々の目標を設定し、こうありたい姿を目指して現在のユニクロを築き上げたのだ。

実はこの本はブログを書き始める前の2004年に一度読んだ。

ジェニーンさんの「三行の経営論」とジェニーンさんが公認会計士からスタートしてトップに上り詰めたことなどが記憶に残っていたので、再度読み直してあらすじをブログに書いた。


ジェニーンさんの経歴

ジェニーンさんは1910年生まれ。両親は5歳の時に離婚し、母親は歌手だったので、ジェニーンさんと妹は修道院付属の寄宿学校で生活する。15歳の時に会社の使い走りとして就職し、ボーイをしながら何とか高校を卒業。広告会社の営業や証券取引所の場立などを経て、8年間かけてニューヨーク大学の夜学で公認会計士の資格を取る。

会計士として会計事務所に就職、戦争では海軍に志願するが、メガネのせいで不合格となる。戦時中は魚雷をつくっていたアメリカン・キャン(缶メーカー)に勤め、その後光学器械メーカーを経て、ピッツバーグのジョーンズ・アンド・ラフリン(J&L)のコントローラー、副社長となる。

筆者も何回か訪問したピッツバーグの製鉄所(Midland, PAというオハイオ川沿いの巨大な製鉄所だったが、筆者が駐在した当時はそのほんの一部しか使われておらず、大部分が廃墟と化していた)で勤務した後、ハーバード・ビジネススクールのエクゼクティブプログラムを受講。

1956年に軍事メーカーレイセオン社にNo.2として転職し、1959年にITT社長に就任する。ジェニーン氏が就任した時のITTの売上高は8億ドル弱、利益は3千万ドル弱だった。

ジェニーン氏は最高経営責任者として一株当たり利益を年10%以上増加させるという目標を掲げ、58四半期連続増益を達成した。ジェニーン氏が退任した1977年にはITTは多国籍コングロマリットとしてフォーチュン500の11位にランクされ、売上高166億ドル、利益六億ドル弱と売上高・利益ともに20倍になった。

ITTはレンタカーのエイビスを買収し、1968年にシェラトンホテルチェーンを買収している。シェラトンホテルチェーン立て直しには8年掛かったというが、毎年一億ドルの収益をもたらしてくれるという。

ジェニーンさんがこの本を出版した1980年代初めは、「セオリーZ]などと呼ばれた日本的経営が世界を席巻した時代である。

セオリーZ―日本に学び、日本を超える (1981年)

この本でもジェニーンさんは、日本とはたしかに文化の違いはあるが、日本の経営システムだけが勝因ではないと語る。

低い労働コスト、最新式の設備、政府援助(?)、産業政策などが日本が勝っている要因であると分析し、米国企業は日本と今後も競争できると語っている。

なにか現在の中国企業の説明の様で、歴史は繰り返すという感じだ。


この本の目次

この本の目次がよくまとまっているので、紹介しておく。

はじめに 「これが私の最高の教科書だ」 柳井正

第一章 経営に関するセオリーG
ビジネスはもちろん、他のどんなものでも、セオリーなんかで経営できる物ではない。Gはいうまでもなくジェニーンの頭文字。したがってセオリーGは、「ジェニーン理論」の意味である。

第二章 経営の秘訣
(三行の経営論)
本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。

ジェニーンさんがITT社長に就任して、まず出した方針は「今後、長期計画はいっさい無用とする」というものだ。しかしこれは計画をつくるあまり、四半期ごとの収益を気にしない風潮があったためである。

自分が何をやりたいのかしっかり見定め、それをやり始めよということだ。しかし言うは易く、行うは難しだ。肝心なのは行うことだという。

第三章 経験と金銭的報酬
ビジネスの世界では、だれもが二通りの通貨−金銭と経験−で報酬を支払われる。金は後回しにして、まずは経験を取れ。さらに、ビジネスで成功したかったら上位20%のグループに入ることが必要だ。

第四章 二つの組織
どの会社にも二つの組織がある。その一つは組織図に書き表すことができる公式のもの。そしてもうひとつは、その会社に所属する男女の、日常の、血の通った関係である。

世の中の事実の中には、次が混ざっているとジェニーンさんは語る。

1.「表面的事実」(一見事実と見える事柄)
2.「仮定的事実」(事実と見なされていること)
3.「報告された事実」(事実として報告されたこと)
4.「希望的事実」(願わくば事実であってほしい事柄)
5.「受容事実」(事実のレッテルを貼られ、事実として受け入れられた事実)

プロフェッショナル・マネージャーという最高の芸術は、本当の事実を嗅ぎ分け、それが「揺るぎない事実」であることを確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法を備えていなければならないという。

ITTの基本ポリシーは"No surprise"だという。悪いことはまず先に言うことだ。

第五章 経営者の条件
経営者は経営しなくてはならぬ! 経営者は経営しなくてはならぬ! 「しなくてはならぬ」とは、それをやり遂げなくてはならぬということだ。それはその信条を信条たらしめている能動的な言葉だ。

第六章 リーダーシップ
リーダーシップを伝授することはできない。それは各自がみずから学ぶものだ。ビジネス・スクールで編み出された最新の経営方式を適用するだけでは、事業の経営はできない。経営は人間相手の仕事なのだ。

第七章 エグゼクティブの机
机を見れば人がわかる。トップ・マネジメントに、いやミドル・マネジメントにでも、属する人間にとって、当然なすべき程度と水準の仕事をしながら、同時に机の上をきれいにしておくことなど、実際からいって不可能である。

第八章 最悪の病−エゴチスム
現役のビジネス・エグゼクティブを侵す最悪の病は、一般の推測とは異なって、アルコール依存症ではなくエゴチスムである。自分の成功を盾にエゴチスムをまき散らす社員、全体最適を考えず、自己最適に走る社員をどうすべきか。

第九章 数字が意味するもの
数字が強いる苦行は自由への過程である。数字自体は何をなすべきかを教えてはくれない。企業の経営において肝要なのは、そうした数字の背後で起こっていることを突きとめることだ。

第十条 買収と成長
難点はただ、大作戦にはいつもつきもののことだが、他のだれもが彼らと同じものを見、まったく同一の戦略を思いつくことだった。その結果として、彼らはみな、巨大市場をめぐって、トップメーカーと戦うことになる。

第十一条 企業家精神
企業家精神は大きな公開会社の哲学とは相反するものだ。大企業を経営する人びとのおおかたは、何よりもまず、過ちを −たとえ小さな過ちでも− 犯さないように心がける。 

第十二条 取締役会
勤勉な取締役会は、株主のために、この基本問題に取り組まねばならぬ。その会社のマネジメントの業績達成の基準をどこに置くか。去年または今年、会社がどれだけの収益を挙げたかではなく、挙げるべきであったか。

第十三条 気になること −結びとして
良い経営の基本的要素は、情緒的な態度である。マネジメントは生きている力だ。それは納得できる水準 −その気があるなら高い水準− に達するように物事をやり遂げる力である。

第十四章 やろう!

付録 「創意」と「結果」7つの法則 柳井正


具体例が満載


目次に示されているような理論だけでなく、具体例も満載である。いくつか印象に残った例を紹介しておく。

ある時ブラジル向け電話交換機商談で、「ブラジル大統領には会えないと思う」という現地責任者に、「なぜやってみないんだ。失うものはなにもないではないか」と言ったところ、翌月彼は大統領に会い、商談をまとめたという。

ヨーロッパ全体で深刻な在庫過多が起こっていたが、ある工場の資材積み卸し係に、注文した物以外は受け取りを拒否する担当を一人配置したら、在庫問題は解決した。そこで他の全工場にも受け取りを拒否する担当を置いて問題を解決した。


事前採算性検討(F/S)が大事という例だが、カナダのケベック州カルチェにセルロース工場を建設したが、極寒地方では樹木は直径3インチ以上には生育しないことを見落としていたという。我々は森を見たが、木を見なかったのだと。


創意」と「結果」7つの法則

ジェニーンさんの本をふまえた柳井さんの経営術の七点とは次の通りだ。

1.経営の秘訣 −まず目標を設定し、「逆算」せよ

2.部下の報告 −「5つの事実」をどう見分けるか

3.リーダーシップ −現場と「緊張感ある対等関係」をつくれ
柳井さんは、パート従業員を不当に解雇した店長は、即座にクビにするという。

4.意志決定 −ロジカルシンキングの限界を知れ

5.部下指導法 −「オレオレ社員」の台頭を許すな
柳井さんはエゴチスム社員を「オレオレ社員」と呼ぶ。

6.数字把握力 −データの背後にあるものを読み解け

7.後継ぎ育成法 −「社員FC制度」が究極の形だ。


柳井さんが絶賛するだけあって、会社経営の基本として大変参考になる。1980年代はじめに書かれた本だが、内容は決して陳腐化していない。

是非一読をおすすめする。



参考になれば次クリックお願いします。



イノベーションのジレンマ 名著を再度読もう

今回からはちょっと古いがおすすめできるビジネス書特集だ。まずは名著「イノベーションのジレンマ」のあらすじを紹介する。

既に読んだ人は記憶をリフレッシュしてほしい。

本が出た1997年前後とはGMが会社更生法を申請する可能性が出てくるなど、一昔前の超優良企業が倒産するようになり、だいぶ世の中も変わってきたが、それだからこそ、この本を読み直す価値があると思う。

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
著者:クレイトン・クリステンセン
販売元:翔泳社
発売日:2001-07
おすすめ度:4.5
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以前の東洋経済に休暇中に読みたい本特集があり、様々な会社トップのすすめる本の中にこの名著があった。

本書の原書は1997年に出版され、米国でビジネス書のベストセラーとなり、訳書は日本でもベストセラーになった。

筆者も何年か前に読んだことがあるが、再度読んでみた。

日本の失敗学では畑村教授が有名だが、この本の著者のクレイトン・クリステンセンハーバード大学教授も『破壊的技術(disruptive technology)』というコンセプトで、「偉大な企業はすべてを正しく行うが故に失敗する」という困難な問題を指摘している。

失敗学のすすめ (講談社文庫)失敗学のすすめ (講談社文庫)
著者:畑村 洋太郎
販売元:講談社
発売日:2005-04
おすすめ度:4.5
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この本ではハードディスク業界や油圧式掘削機業界、パソコン業界、HPに於けるインクジェットプリンターとレーザープリンター、電気自動車などを取り上げている。

特にハードディスク業界は変化がはやいので、産業界でショウジョウバエに一番近い存在だとして、大きく取り上げられている。

筆者は高校の生物で、実際にショウジョウバエを使っての実験をやったことがある。ショウジョウバエとは果物などにたかる小さなハエで、実験ではセピア(目の色がセピア)、カール(羽がカールしている)など、遺伝的特徴が次世代に引き継がれるかという実験だった。

それぞれの班がセピアとかカールとかの種類を何代も育てて、突然変異とか、遺伝とかを研究するというものだった。

生物の先生はカメというあだ名だったが、実験重視の先生で、県立高校で本当の生物(いきもの)を使って、あれだけの専門的な実験を生徒に体験させる学校も、あまりなかったのではないかと思う。

こんな経験があるので、産業界のショウジョウバエというとなるほどと思う。

ハードディスク業界は技術革新が激しく、14インチ→8インチ→5.25インチ→3.5インチ→2.5インチ→1.8インチと進化した。

それぞれのサイズのハードディスクのNo. 1メーカーが、必ずしも次世代のサイズのNo. 1となっていない。それどころか、多くのNo. 1企業は没落してしまった。

シーゲートテクノロジーはまだハードディスクの有力メーカーとして生き残っているが、IBMが日立にハードディスク部門を売却したり、東芝が富士通にハードディスク部門を売却したり大きな変化がある業界である。

破壊的技術の展開は次のようなサイクルをたどる。

破壊的技術はまず実績ある企業で開発されるが、主要顧客は従来のものとあまりに違うものには興味を示さない。

たとえば2MBが主流だったコンピューター業界に2倍の4MBのハードディスクは容易に受け入れられるが、100倍の200MBのハードディスクは用途がないとして受け入れられないという様な例だ。

そのうち持続的技術(sustaining technology)が旧来の製品の性能を上げるので、経営陣は破壊的技術に力を入れない。

不満を抱いた破壊的技術の開発者は新しい会社をつくり、新しい顧客を獲得しようとし、徐々に成功する。やがて実績ある企業も遅蒔きながら参入し、破壊的技術が主流となる。

つまり優秀な企業は顧客の声をちゃんと聞いて製品の能力を持続的に向上させるがゆえに、破壊的技術の導入に遅れるのだ。

コンピューター業界の破壊的技術に乗り遅れた例として挙げられているDECは筆者にとっては懐かしい名前だ。

DECはコンパックと合併し、いまはHPとなっているが、筆者はDECのノートパソコンを使っていたことがある。1990年代の中頃だったと思う。

トラックボールと呼ばれるボール状のマウスポインターを備えたノートパソコンで、トラックボールの使い勝手の良さは最高だった。

そのDECはミニコンではIBMのメインフレームに対する破壊的技術だったが、ミニコン市場はデスクトップパソコンという破壊的技術に見舞われた。

DECはパソコン市場には4回参入し、4回撤退するという結果となった。会社そのものが超高速の64ビットアルファプロセッサーとか、高収益のハイエンド商品に力を入れて、儲からないパソコンには経営資源を振り向けなかったからだ。

ミニコン市場でIBMのメインフレームの脅威となったDEC、WANG、データ・ゼネラルなどのメーカーは現在全部存在していない。

イノベーションの怖いところだ。

クリステンセン教授は、HPがレーザープリンターとインクジェットプリンターを完全に独立した組織として分離し、互いに競争させ成功させる道を選んだことを指摘する。

レーザープリンター部門にインクジェットも手がけさせていたら、とっくに競争相手にやられていただろうと。

最後にクリステンセン教授は電気自動車についてふれている。当時は電気自動車が破壊的技術であるとされていたが、当時も今も全然普及していない。

この本の出た10年前はハイブリッド車はなかったが、現在はトヨタを筆頭とするハイブリッド車が、過渡的技術とはいえ非常に勢いを得ている。

こんな現状を見てクリステンセン教授はなんと言うだろうか?

そんなことを考えさせられた。

最後にこの本の解説者でハーバードビジネススクールでの教え子の玉田氏は、クリステンセン教授が、授業の最後にこう言っていたとまとめている。

「私のボストンコンサルティンググループ時代の友人は、大きなヨットを持っていて、土日となればクルージングに出かけている。ところが彼は、やれ係留の費用が高いだの、メインテナンスを頼んでいたのにちゃんと終わっていないだのといつも不平ばかり言っていて少しも幸せそうでない。

一方、私は毎週日曜は欠かさず教会に行き、困っている人の相談に乗って、アドバイスをしたりしている。毎週日曜日が取られるのは大変だが、自分が人や地域のために役立っていることから得られる満足感でいつも満たされている。

諸君もこれから社会に出て、ビジネスの場で活躍するのだろうが、本当の幸福はお金ではなく、家族やコミュニティから得られるということを覚えておいてほしい」

好感の持てる学者の優れた分析に基づく失敗論である。最初に本がでたのは10年前だが、今再読してもその価値は変わらない。

まだ読んでいない方には、是非一読をおすすめする。



参考になれば次クリックお願いします。



一勝九敗 ユニクロ柳井正さんの自伝的ビジネス論

一勝九敗 (新潮文庫)一勝九敗 (新潮文庫)
著者:柳井 正
販売元:新潮社
発売日:2006-03
おすすめ度:4.0
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ユニクロの柳井正さんの自伝的ビジネス論。

今回のあらすじは長いので、ポイントだけまとめておく。

1.タイトルの一勝九敗が示すとおり、柳井さんでも失敗の方が多かったが、失敗を糧にさらに成長した。

2.ユニクロの成功の要因は、カジュアルウェアのセルフサービスストア、SPA(製造小売業)というビジネスコンセプトと会社としての実行力。

3.ユニクロがこれだけ大きくなったのは上場して得た資金をてこにうまく使ったから。上場して飛躍的に拡大したという点はウォルマートも全く同じ。

4.ユニクロの成功にはすぐれた広告の貢献も大きい。


この本は2003年11月に出版された。柳井さんが玉塚さんに社長職をゆずったのが2002年11月なので、ちょうど社長交代してから1年後にこの本を出したことになる。そして2005年には再度社長に復帰する。

柳井正さんは山口県出身で早稲田大学卒業後、イオンに就職するが10ヶ月で退職、父親の経営する衣料品店や建設業の小郡商事で働いた。

父親が脳溢血で倒れ、35歳で社長となる。父親は柳井さんが50歳の時に亡くなるが、葬儀で「ぼくの人生最大のライバルでした」と語り、人前であれだけ涙を流したのは初めてだったと。

上下が女兄弟の唯一の男子で、子供の頃は『山川』というあだ名がついたほどで、他人が『山』といえば『川』というあまのじゃくだったそうだ。

小郡商事は紳士服店とVANショップのカジュアル店を持っていたが、柳井さんが入ってジャスコの経験を元にいろいろ口を出し始めると従業員がどんどんやめてしまった。

最後は柳井さんと番頭の浦さんの2人となり、2人でなにからなにまでやった。このときに小売りのすべての仕事を経験する。

自分でなんでもできるというのが、柳井さんのいい点でもあり悪い点でもあるのだろう。今回の社長交代も玉塚氏に任せておけないということになったのではないかと推測する。

紳士服は20歳以上の男性しか買わないが、カジュアルウェアは世代、性別を選ばないので将来性のあるカジュアルウェア中心のビジネスとしていく。

海外からも仕入れ、ギャップ、ベネトンなどに刺激を受ける。

アメリカの大学生協を訪問したときに、セルフサービスのカジュアルウェア店というユニクロのコンセプトを思い立ち、1984年に広島でユニーク・クロージング・ストア、後のユニクロとなる第1号店を出店し、大成功を収める。

当初は"UNICLO"だったが、香港のバイイング子会社登記の時に間違って"UNIQLO"としたため、こちらの方が格好が良いとしてUNIQLOになった。

直営店とフランチャイズで店舗展開を拡大していたが、規模の利益があまり上がらないので、株式公開を目指す。

熱闘「株式公開」―いまだから店頭登録入門
著者:樫谷 隆夫
販売元:ダイヤモンド社
発売日:1990-03
おすすめ度:5.0
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このとき「熱闘『株式公開』」という本の著者の公認会計士の安本さんに会って、コンサルをお願いするとともに、後にユニクロの監査役になって貰う。

(ちなみに安本さんの「ユニクロ!監査役実録」は別ブログにあらすじを紹介している)

安本さんに言われたことで次の2つが印象に残っているという。

1.株式公開がすべてではなく、社会的に認められる様な会社にしないと、競争社会で生き残っていけない。

2.社長がいなくとも、組織で動く会社にしなければいけない。

経営ってそういうことだったのかと新鮮な気持ちで聞き、改革を始めた。

会社の成長のためには資金調達、出店地域確保、人材獲得が必要で、そのために株式公開を目指す。

1991年に社名を小郡商事からファーストリテーリングFAST RETAILING(早い小売り)に変更。顧客の要望を素早くキャッチして、製造委託して商品化し販売することを目標とする。

自ら「商売人から経営者へ」と語っているプロセスだった。

1991年当時の総店舗数は29店だったが、三年間の中期計画を発表し、年に30店舗ずつ出店し、3年後には100店を越えるので、その時点で株式公開を目指すと宣言。

さらに10年後には売上3,000億円という計画をつくる。これはリミテッド、ホームデポ、ウォルマートの成長の軌跡と一致している。

ロープライスエブリデイ
著者:サム ウォルトン
販売元:同文書院インターナショナル
発売日:1992-12
おすすめ度:5.0
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サム・ウォルトンの自伝を読んだことがあるが、株式公開をてこに、親族経営から大会社へ変身したウォルマートの急激な成長と同じプロセス、同じ様な軌道を描いていると感じた。

やはり株式公開は会社の成長の最高のブースターロケットである。

直営店100を越え、売上も300億円となり1994年7月に広島証券取引所に上場、初日は買い気配、翌日公募株価の7,400円を大きく上回る14,900円で初値がついた。

ユニクロは次の3つの約束をしているが、1995年には「ユニクロの悪口を言って100万円」という広告も出した。

1.購入後3ヶ月以内であれば理由を問わずに返品・交換します。

2.広告商品の品切れの場合は、即取り寄せるか、代替商品を手配します。

3.クリンリネスの徹底した売場をつくります。

当初は岐阜県などの衣料品メーカーから購入していたが、生産の中心は中国に移った。中国各地に品質管理事務所をつくり、『匠(たくみ)プロジェクト』として、日本の繊維産業を退職した熟練技術者を採用して技術指導にあたらせ、品質を高める努力をしている。

なかなか関東圏で成功できなかったが、1998年11月の原宿店で大ブレークした。このとき1900円のフリースを売り出し、そのヒットが原宿店の開店と重なり、ユニクロのイメージが『安いけど、結構いいじゃん』に変わった。

ユニクロの広告宣伝は定評がある。

「ユニクロのフリース 51色」の回転機のCMなど、いろいろな広告作品が記憶に残っているが、これらはアメリカのワイデン&ケネディのクリエイターで日本支社長ジョン・ジェイ氏の力が大きい。

山崎まさよし他の出演する「ミュージシャン、27才」のテレビCMシリーズ。山崎まさよしが自分で語り、最後に「ユニクロのフリース 15色 1900円」というコピーが流れる。

実はカメラに写らないところで、テリー伊藤が質問してそれに山崎まさよしが答えているのだと。CF制作現場で本音を引き出せるのはテリー伊藤しかいなという結論になったそうだ。

すごい発想である。

ユニクロはチェーン店展開しているが、マニュアル人間ではダメである。たとえばこんなことがあった:

雨の降った日に子連れのお母さんが来て、子供が病気なので電話を貸してくれと言って来た。店長はマニュアル通り、私用電話には貸せないと断ったが、後でご主人から猛烈なおしかりがあったと。

マニュアル人間を排し、『独立自尊の商売人』を目指せということでSS(スーパースター)店長制度を導入。なかには年収3,000万円という店長もいる。店長は会社の主役であり、本部はあくまでサポート役で、店長が店舗の経営者なのだ。

ユニクロは実力主義を徹底しており、3ヶ月毎に人事考課をしている。人事考課のためだけの役員会を開いている。賞与は年3回あり、3回目が会社業績による決算賞与である。

出店失敗、ファミクロ、スポクロ、ロンドン進出、上海進出、永田(ながた)農法でつくった野菜を売るFRフーズなど失敗も相次いだ。しかし失敗から学び成功したのだと。

社長を退任した理由は、自分の言っていることが実行されずに、かけ声だけに終わってしまうおそれがあると感じたからだと。

じつはこの部分が最初に読んだとき一番印象に残ったところだ。20〜40代の社員と一体となった経営。会社全体の中で、自分自身が浮いてはいけない。

筆者も常に自分の身を見直さなければならない。

最後に柳井さんの起業家十戒、経営者十戒を紹介しておこう。をそのほかに経営理念23条というものを柳井さんはつくっているが、こちらは割愛した。


起業家十戒

1.ハードワーク、1日24時間仕事に集中する。

2.唯一絶対の評価者は市場と顧客である。

3.長期ビジョン、計画、夢、理想を失わない。

4.現実を知る。その上で理想と目標を失わない。

5.自分の未来は、自分で切り開く。他人ではなく、自分で自分の運命をコントロールする。

6.時代や社会の変化に積極的に対応する。

7.日常業務を最重視する。

8.自分の商売に、誰よりも高い目標と基準を持つ。

9.社員とのパートナーシップとチームワーク精神を持つ。

10.つぶれない会社にする。一勝九敗でよいが、再起不能の失敗をしない。キャッシュが尽きればすべてが終わり。


経営者十戒

1.経営者は、何が何でも結果を出せ。

2.経営者は明確な方針を示し、首尾一貫せよ。

3.経営者は高い理想を持ち、現実を直視せよ。

4.経営者は常識に囚われず、柔軟に対処せよ。

5.経営者は誰よりも熱心に、自分の仕事をせよ。

6.経営者は鬼にも仏にもなり、部下を徹底的に鍛え勇気づけよ。

7.経営者はハエタタキにならず、本質的な問題解決をせよ。

8.経営者はリスクを読み切り、果敢に挑戦をせよ。

9.経営者はビジョンを示し、将来をつかみ取れ。

10.経営者は素直な気持ちで、即実行せよ。


2003年の本だが、けっして色あせていない。起業家や経営者を目指す人は必読の書と思う。


参考になれば次クリックお願いします。







成功の法則 松下幸之助の純金の言葉 感動で眠れませんでした

[新装版]成功の法則[新装版]成功の法則
著者:江口 克彦
販売元:PHP研究所
発売日:2007-04-24
おすすめ度:5.0
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今回は松下幸之助の言葉を集めた『成功の法則』だ。長年ベストセラーを続け、2007年には新装版が出版されている。

松下幸之助の晩年22年間にわたり、ほとんど毎日朝から晩まで一緒に仕事をしてきたPHP研究所社長の江口克彦さんが、松下幸之助の教えを厳選して構成し、どうすれば成功できるのかという問いに答えようとするものだ。

最初はアメリカ西海岸からの帰りの飛行機の中で読んだが、感動で涙がにじんでくるとともに、全く眠れなかった。

今までカーネギーやスティーブン・コビーなどアメリカのビジネス書、稲盛和夫、大前研一、堺屋太一、野口悠紀夫などの数々のビジネス書を読破してきたと思いこんでいた自分が、『モグリ』であることがわかり、恥ずかしくなった。

松下幸之助は1989年に亡くなっているので死後20年たつが、全世界で何十万人もの人を雇用する松下グループの経営のみならず、PHP研究所を通しての文化活動、私財70億円を投じて始めた松下政経塾が前原前民主党代表や自民党の逢坂氏はじめ、国会議員を多く輩出し、日本をより良い国へと変える原動力となりつつある。

松下幸之助は人類のよりよき未来の為にと語っているが、その残した功績は『永遠に不滅』といえるほど偉大である。

この本が最高なのは、松下幸之助のやわらかい和歌山弁のいいまわしをそのまま使って、松下幸之助自身が読者に直接語りかけてる様に構成してあることだ。

頭にスッと入ることといい、日本を代表する名経営者の発言をかいつまんで、わかりやすく構成していることといい、本当に絶妙である。

稲盛和夫さんの推薦の言葉を引用する。

「著者の江口克彦氏は、20数年にわたり松下幸之助さんの側近くで仕え、薫陶(くんとう)を受けてこられた。晩年の松下さんが、自分の遺志を託そうとした人物であることは、本書に収められたエピソードの行間から、自然と感じ取れる」

「私も生前、松下さんとは何回もお目にかかり、さまざまな教えを受けてきたが、その深い思索を実用的にまとめた本書は、成功への手引き書であるとともに、人生の手引き書としても、読者の参考になるだろう」


成功への道は一つ

江口さんは、まず成功の定義から入る。

たとえ金持ちにもならず、有名にならなかったとしても、持って生まれた人間的能力を100%発揮したとすれば、その人は成功したと言えるのではないかと。

松下幸之助はよく次のように話していた。

「きみなあ、成功の道というものは、いろいろの行き方があるけどね。でも結局のところ、おおむね同じじゃないかと思う。多少の違いはあっても、成功の道すじ、軌道というのは、だいたいにおいて決まっている。いわば共通性があるということや」

「だからその軌道から離れたら、みな失敗の道になっていく。個性によって多少違いはあるけれども、成功への道は一つだという感じがするな」

その成功法則を江口さんは次の6つの構成要素に分けて説明している。

1.熱意を持てば成功する
2.感動を与えられれば成功する
3.些細(ささい)を積み重ねれば成功する
4.育てる心を持てば成功する
5.責任を自覚すれば成功する
6.人間観を正しく持てば成功する

印象に残ったストーリーを紹介しよう。


熱意を持てば成功する

最初に出てくるのが熱意だ。

松下幸之助の有名な『ダム経営』というのは、川にダムをつくり水をためる様に、企業も余裕のある経営をしようという松下幸之助の持論だ。

ある講演会で、聴衆からどうすればダムができるのかを聞かれ、松下幸之助は「やはりまず大切なのは、ダム経営をやろうと思うことですな」と答えた。

会場からはなんだそんな事かと失笑が起こったが、聴衆の一人だった京セラの稲盛和夫さんは衝撃を受けた。

「何か簡単な方法を教えてくれというような生半可な考えでは経営はできない。まず『そうありたい、自分は経営をこうしよう』という強い願望を持つことが大切なのだ。そのことを松下さんが言っておられるのだと感じたとき非常に感動した」のだと。

正しい熱意のあるところ、必ず成功の道が開けてくる。自分の仕事を心底、好きになる事も必須である。

シンプルではあるが、真実を捉え、奥深い言葉だ。

筆者は『必ずできると思わないと100%失敗する』といつも言っているが、熱意と心の持ちよう、実際に信じ込むことが成功の不可欠要素であることは間違いないと思う。

松下さんのシンプルな言葉に稲盛さん同様、深い感動を覚えた。


感動を与えられれば成功する

松下さんの晩年22年間ほとんど毎日、朝から晩まで仕えた江口さんは、松下さんの「きみの声を聞きたかったんや」という一言で、この人の為ならどんなことでもなし遂げようと思った。

人に感動を与えることができれば、人はあなたのために動いてくれる様になる。人を感動させることができれば、成功への道は限りなく近くなるのだと。

江口さんがコロリときた言葉に次がある。

「きみ、身体に十分、気いつけや。わしはな、160歳まで生きるつもりや。それまで仕事をきみに手伝ってほしいんや。そうしてもらわんと、できへんのや。きみに手伝ってもらわんとあかんのに、わしより早く逝ったらあかんで」

一日の疲れは、大変な感動とともに、この言葉でいっぺんに吹き飛んでしまったものだと。


弱さからの出発

松下幸之助は小学校4年中退である。もともと素封家(そほうか)の家に生まれたが、父親が米相場に手を出して失敗し、いっぺんに貧困に陥り、家族みんなで大阪に働きに出ねばならず、帰る故郷もなくなった。さらに松下幸之助が28歳までに、親兄弟10人全員結核で死んでしまう。

松下幸之助自身も20歳の時に、肺結核の初期症状の肺尖カタルにかかり、結核にはならなかったものの、40歳過ぎくらいまでは寝たり起きたりの状態で、ずっと体に気を付けながらの94歳の生涯だった。

「衆知を集めて経営をしたのも、わしが学校出てなかったからやな。幸いにして、学校へ行っていないから、人に尋ねる以外ないことになり、それで経営も商売も、人に尋ねながらやってきた。それがうまくいったんやな」

「そう考えると、今日の、商売におけるわしの成功は、わし自身が凡人だったからと言えるやろな」

江口さんは、成功をめざす者は自分の弱さを認識し、平凡なことを誠実に熱意を持って積み重ねることによって、本当の強さを生み出していこうとすべきであるとまとめている。


部下の話を聞く

「ところで、きみ、部下の話に耳を傾けるということは大切やで。部下の話をきくと、えらい得をするよ」

部下に尋ねる、耳を傾けてほめる。内容よりも、来てくれた誠意をまずほめる。

「部下の話を聞くときに、心がけないといかんことは、部下の話の内容を評価して良いとか悪いとか言ったらあかん、ということやな。部下が責任者と話をする。提案を持ってきてくれる、その誠意と努力と勇気をほめんといかん」

「いい意見やな」

「きみの話は面白いな」

「そうすると部下はそれからなお勉強して、どんどん責任者のところへ話とか情報とか提案とか、そういう知恵を持ってきてくれるようになるんや。なんでもいいから部下に知恵を持ってきてもらう。それが大事やね」

江口さんは松下幸之助の言葉はメッキではなく、純金だったと。きわめて平凡なことばを使いながらも、相手の心を打つ。本当に思うことを、本当のことばで話していた。だからこそ多くの人が感動したのだろうと。

またたとえ他人から批判されても、大切な意見として聞けばその時批判は助言に変わるのだ。

「いい意見が聞けた。ありがたかったな。あの人の言うとおりや」と松下幸之助に言われると、批判していた人も「やっぱり松下さんは偉いねえ」と考えも変わってしまうのだった。


努力か運命か 反省と自責

「努力か運命か?運命が90パーセント、しかし残りの10%がその船の舵(かじ)となる」

「運命が90パーセントだから努力しなくていいということにはならんね。けれども、努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。しかし成功するには必ず努力が必要なんや」

「つまり、舵となる10パーセントでの人事の尽し方いかんによって、90パーセントの運命の現れ方が異なってくる」

松下幸之助は、物事がうまく運んだときは、「これは、運がよかったのだ」と考え、うまくいかなかったときは「その原因は自分にある」と考えるようにしてきたと。

「誰でもそうやけど、反省する人はきっと成功するな。ほんとうに正しく反省する。そうすると次になにをすべきか、なにをしたらいかんか、ということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや。人間として」。

松下幸之助は1日の終わり、寝る前の1時間をその日の反省に当てよとよく言っていたと。


些細(ささい)を積み重ねれば成功する

「きみ、電気ストーブのスイッチ、切れや」江口さんは松下幸之助から初めて注意された時に驚いたと。松下グループの総帥ともあろう人が、ストーブのスイッチを切るようなことにも一々指示を出す。

京都東山山麓の私邸『真々庵』でのもてなし前の細かい気配り、『人間を考える』という本を作ったときの100回を超える校正。細かい気配りは枚挙にいとまがない。

松下幸之助が最もよく受ける質問は、成功の秘訣についてというものだった。

理想を掲げることと、一歩一歩些細を積み重ねていくことが松下幸之助の成功の秘訣の車輪の両輪であった。

「正直なところ、私はそう遠い計画性を持ってやっておらなかったと思います。まあ、その日その日を大事に仕事をしてきたということが、私をして今日を成さしめたように思うのであります。」

と講演でも松下幸之助は語っていた。

一歩一歩を積み上げてというのは、あまりにも平凡ではあるが、その平凡なことを何十年も続け、些細を積み重ねるならば非凡な結果に変わるということだ。

私たちはついこの当たり前のことを忘れがちになるが、些細の積み重ねにこそ、成功の近道があるのだと江口さんは語る。


成功の秘訣は天地自然の理による

成功の秘訣は、「天地自然の理によるんですわ」、「雨が降れば、傘をさす、ということですわ」とも松下幸之助は答えていたと。

「経営はもともと成功するようになっておる。それが成功しないのは、経営者が自然の理法に則って仕事を進めておらんからや。やるべきことをやる。なすべからざることはやらない。そうしたことをキチッとやっておれば、経営は一面簡単なものや」

松下幸之助は素直な心になることであるという。

江口さんの体験に基づいた話がある。

有名な仏師の松久宗琳師は、テレビの取材に対して「自分は仏を彫っていない」と語ったと。

怪訝そうなインタビューアーに対して松久師は次に様に語ったと。

「木の中に、仏さまが見えるのです。だから私は、もともと木の中にいらっしゃる仏さまの、その周りの埃(ほこり)を取り払っているだけで、彫っているのではないのです」

松下幸之助の言う『素直な心』も同じ境地だ。

稲盛和夫さんは「私心なかりしや」と自問していたと表現していたが、同じことだろう。だから反省が大事なのだ。


経営の第一ボタン

「人間は偉大な存在である。いわばこの宇宙においては王者だ。ええか、きみ、経営をしておっても、どの人も王者だ、という考え方を根底に持っておらんとあかん。そこが大事やで」

「社員の誰に対しても、ああ、この人はすばらしい存在なんや、偉大な力を持った人なんやと考えないといかんね」

「それを、これはたいした人間ではないとか、何も知らない新入社員やとか、力のないつまらない人やとか、そんな考えで、社員と話をしたらだめやな。むしろ、部下が偉く見える、という気分にならんとな」

「経営者にとっていちばん大事なのは、この人間観やな。この人間観は経営における第一ボタンやな。早い話、掛け違えるときちんと服がきれんと同じやがな」

経営の第一ボタン』という表現も秀逸で、まさに金言である。経営者のみならず、社会で生きるものは決して忘れてはいけない松下幸之助の遺言だと思う。


部下を育てられない上司は失格

「昔話で桃太郎というのがあるやろ。猿とキジと犬。みんな違うわね。違うから、それぞれの役割が生まれ、違うから鬼退治ができたわけやね」

個性豊かな社員をどう活用していくか、これが経営者の腕のみせどころである。

部下を育てられない人に責任者たる資格はない。

部下を育てるポイントは、?部下にものをたずねる、?方針を明確に示す、?権限を委譲する、?感動させるの4つであると。

特に重要なのは、方針を明確に示すことだ。


方針を明確に示す

方針を松下幸之助は3つにわけていた。基本理念、具体的目標、理想だ。

「わしはいままで長いあいだ経営というものに携わってきたけれど、方針というものをいつも明確にしてきたな。こういう考え方で経営をやるんだ、こういう具体的な目標を持って経営を進めるんだ、こういう夢をもっていこうやないか、と常に従業員たちに話し続けてきたんや」

松下幸之助は方針の土台となる基本理念から外れることを決して許さなかった。

江口さんが、方針に沿って成功したときは、大変ほめられた。

「きみは、わし以上の経営者や」

家に帰るとまた電話が掛かってきて。

「ようやった。大成功やったな」

方針に沿って失敗したときには慰めてくれた。

「きみ、心配せんでいいで」「あとはわしが引き受ける」

方針に沿わずして要領よく成功したときは、全くの無視。

方針に沿わずして失敗したときは、最悪。立たされたまま3時間を超える叱責だったと。

方針がはっきりせず、ただ細かい注意だけをする人が上司であれば、部下はやる気を失い、その部門が停滞してしまうことは必定であろうと江口さんは語る。

方針がはっきりしていればこそ、部下は力強く自由な活動ができるのである。まさに金言、筆者も肝に銘じます。


育てる心を持てば成功する

江口さんが松下幸之助のもとで働きだして2−3年過ぎた頃、アメリカからハーマン・カーンという人が松下幸之助を訪ねてくることになった。

「きみな、今度、ハーマン・カーンという人がやってくるんやけどな、どういう人かきみ知っているか」

江口さんは即答した、「ハーマン・カーンという人はアメリカのハドソン研究所の所長で、未来学者です。そして21世紀は日本の時代だと言っている人です」

江口さんは立て板に水で説明できたことに満足を覚えた。

「そうか、わかった」

ところが翌日も同じ質問。質問したことを忘れたと思って、江口さんは同じ回答をした。そしたらまた翌日も同じ質問。「きみ、知ってるか」

江口さんは憤りを感じながらも同じ回答をした。

しかし怒りが収まらない。「いくら私が若造でも、聞くなら真剣に聞いてほしい。私は答えたのだから、ちゃんと覚えておいてほしい」

今度同じ質問をしたら、ぐさっと言い返してやろうと思い続けていたその日の夕方になって、江口さんはふと思った。

「松下幸之助は質問したことを忘れているのではなく、私の答えが不十分だから、もっと詳細が聞きたいということではなかったのか。そうだ、きっとそうなのだ」

そう思うと江口さんはハーマン・カーン博士の650ページもの分厚い本を急いで買って読み、夜中の1時過ぎまでかかってレポート用紙3枚ほどのメモにまとめ上げた。

さらに目がさえて眠れないので、それならと4時過ぎまで掛かって、テープレコーダーに30分ほどの説明を録音した。

翌日松下幸之助はなかなか質問しなかったが、江口さんが水を向けると「今度な、」、江口さんが引き継いだ。「ハーマン・カーンという人がくるんですね」

「そうや。きみ、その人、どういう人か知ってるか」

江口さんは、そう聞かれたときのうれしさを今でもはっきり思い出せるそうだ。

松下幸之助は30分ほど昼食に箸もつけずにじっと聞き、江口さんの説明が終わると。「うん、ようわかった。ようわかった。」と言った。

さらに江口さんは別れ際に録音テープを渡した。

翌日、松下幸之助は江口さんに会ってもなにも言わない。機嫌が悪いのかと思うと、ひとこと。

「きみ、いい声しとるなあ」

江口さんは感激し、「この人のためなら死んでもいい」と気持ちになったと。

本人が気が付くまで、自覚するまで根気よく尋ね続ける。若い者を育て上げたいという心からの愛情が感じられたと。さすが松下幸之助と思わせるエピソードだ。


使命感

「経営者の心がまえとして、要求されるものはいろいろあると思うけれども、いちばん肝心なものというならば、経営についての使命感というものやな」

「基本となる使命感を、どの程度に持てるか、どの程度に自覚するかによって、経営のいっさいに変化が生じてくるからな」

「商売をするものの使命感は貧をなくすこと、貧をなくして人々を救うことや。この世から貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな。わしなりに」

「そしてこれがわしの経営を進める基本の考えになった。そういうことがあって、わしは自分の事業を一段と力強く進めることができるようになったんや」

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
販売元:PHP研究所
発売日:1995-01
おすすめ度:5.0
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松下幸之助が完成したら死んでもいいと言って書いた本は『商売を考える』でもなく、『経営を考える』でもなく、『人間を考える』だった。松下幸之助が常に考えていたのは、人類の幸せだった。

この考えからつくったのが、PHP研究所であり、松下政経塾だ。


偉大な経営者であり、人道主義者でもある松下幸之助。その松下幸之助が直接語りかけてくれる教えが、この『成功の法則』だ。これが1,000円で手に入る。

これほど安い自己投資はない。

是非是非一読をおすすめする。


参考になれば次クリックお願いします。



スロトレ 「世界一受けたい授業」で有名な石井東大教授のベストセラー

世界一受けたい授業」に定期的に出演している石井東大教授の、30万部以上売れているというベストセラー「スロトレ」のあらすじを紹介する。

石井教授が最近出した「一生太らない体のつくり方 スロトレ実践編」という本はいきなりベストセラーになっている。別ブログで紹介した「一生太らない体のつくり方」の続編だ。

一生太らない体のつくり方 スロトレ実践編一生太らない体のつくり方 スロトレ実践編
著者:石井 直方
販売元:エクスナレッジ
発売日:2009-01-16
おすすめ度:5.0
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スロトレスロトレ
著者:石井 直方
販売元:高橋書店
発売日:2004-06
おすすめ度:4.5
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筆者は石井教授の大学のクラブの友人で、石井教授とは36年のつきあいだ(筆者の結婚式の受付は石井教授にお願いしたので、来賓がみんな圧倒されていた)。

石井教授の専門は身体運動科学、筋生理学で、オックスフォード大学に留学している。筋生理学研究者としても、ボディビルダーとしても日本を代表する第一人者だ。

石井教授は大学のクラブの1年後輩だが、素質が違うので、入部してきて2ヶ月で記録を抜かれてしまった。

ただ石井教授と競い合ったので、筆者の記録も向上し、4年の時には全日本学生パワーリフティング大会で一緒に表彰台に上がれたのは幸いだった(1位は石井教授)。

その石井教授と一緒に食事をしたときに、この本がベストセラーだと聞いたので読んでみた。

37年間のトレーニング経験があるので、この「スロトレ」の内容は良く理解できた。

「スロトレ」は共著で、企画は外部の会社だったことから、石井教授にはあまり印税は入らないそうだが、それでも約30万部というすごいベストセラーだ。

発想の転換で、なにげない日常の軽い運動が、結構きついトレーニングになるのは驚きだ。

「はなまるマーケット」によると、スロトレダイエットを3ヶ月試験的に行った体験者5人全員が、3−8キロの減量に成功。すごい効果だ。

スロトレは4年半前の2004年6月に出版されたにもかかわらず、今でもアマゾンの売上ランキングでも全体で350位、美容・ダイエット部門で7位となっている。(アマゾンの順位は1時間ごとに変動する)

女性向けを意識したダイエットトレーニング本なので、本の装丁やイラスト、説明など、すべて女性向けに書かれているが、提唱しているトレーニング法はスポーツマンにも役立つものだ。

筆者は37年間ウェイトトレーニングを続けてきた”トレーニングのプロ”と自分では思っているが、その筆者にもこの本は新発見だった。

石井教授の提唱する加圧式トレーニングを筆者も取り入れているが、このスロトレを加圧式トレーニングに導入するとトレーニングの効果が数段アップすることを実感した。


スロトレのメリット

スロトレのコンセプトは、「無酸素運動」で筋肉を増やし、成長ホルモンの分泌を促進することで基礎代謝を上げ、脂肪を燃焼しやすい体質にして美しくやせるというものだ。

無酸素運動はウェイトトレーニングやダッシュ(短距離走)などで、有酸素運動はウォーキング、エアロビクス、水泳、ジョッギングなどだ。

筋力がアップするので、体が軽く感じられ機敏になり、体力がつく。

成長ホルモンの影響で全身の新陳代謝がアップし、肌がきれいになったり、シワが減るなどの若返り効果もある。

女性特有の効果もある。

運動を定期的に行うことにより毛細血管が発達するので、冷え性に効果がある。また胃腸の蠕動(ぜんどう)運動を促進するので、便秘にも効果があるのだ。

さらに腹筋・背筋の体幹の筋肉を鍛えることによって、姿勢が良くなり腰痛の対策にもなる。


簡単にどこでもできる

スロトレは一回5〜10分程度でOKで、週2〜3回あるいはそれ以下の頻度でも効果がある。

いつでもできるエクササイズとして大腰筋ウォーキングという、普通より手足を大きく振って歩くこともすすめている。代謝がアップして脂肪がよく燃える体になる。

またヒップアップウォーキングということで、歩くときにつま先で地面を蹴る時に力を入れ、きびきびとした歩き方で、おしりの大臀筋やふとももの裏のハムストリングを鍛えることも紹介している。

結構ハードなので、10歩か20歩で試してみると良いと。実際にやってみたが、たしかにつま先で地面を蹴る感じで歩くと、きびきび早く歩けるが、結構疲れる。

いずれも簡単にできるトレーニングばかりだ。

要は意識すれば、どこでも運動できるということだ。


スロトレ法

スロトレはその名が示す通り、スローにトレーニングを行うもので、最大の特徴は「ノンロックアクション」にある。

筋肉を伸ばしきった、あるいは収縮しきった状態を筋肉のロックという。たとえばスクワットでは、足を伸ばしきった時と、曲げきった時だ。

スロトレはそのロック=伸ばしきった、あるいは曲げきった状態になる前に、次の動きを始める。

スクワットでは、足が伸びきる前にしゃがみ始め、足が曲がりきる前に立ち始める。筋肉を休ませることなく、連続して筋肉に刺激を与えるというものだ。


筆者も実際やってみた

実際に筆者も加圧トレーニング中にスロトレをやってみたが、運動のキツさが全然違う。連続して筋肉に力を入れているので、すぐに効果がありバテてしまう。

通常加圧式トレーニングでは、軽い負荷で各種目・部位を10回X3セットで行っているが、スロトレを導入して、一息つくことなく、連続して動いていると1セットめから腕も足もパンパンにパンプアップしてくる。

スロトレは運動中にずっと力を入れたままなので、筋肉がパンプアップし、筋肉中の血流の流れが制限され、高地トレーニングの様に筋肉は酸素不足の状態となる。

筋肉はつらい運動をしたと、いわばだまされ、乳酸をたくさん出して、成長ホルモンの分泌を促すことになる。

石井教授も加圧式トレーニングから思いついたと書いているが、まさに加圧式トレーニングと同じ”疑似高地トレーニング”理論であり、加圧式トレーニングにスロトレを組み合わせると短時間で大きな効果が達成できる。


スロトレのトレーニング種目

自宅でも簡単にできるものばかりだ:

1.リズミカルニーアップ(その場足踏みで大きく手足を上げる)
2.ニートゥチェスト(イスに体を伸ばし、膝を曲げ足を胸に近づける)
3.レッグレイズ(上向けに横になって、足を上げる)
4.スクワット
5.プッシュアップ(腕立て伏せ。女性は膝をついても良い)
6.アームレッグクロスレイズ(4つんばいになって、手と反対側の足を同時に上げる)
等々だ。その他部位ごとのトレーニング種目もある。


スロトレで最大の効果を上げる有酸素運動と食品

スロトレの無酸素運動は、有酸素運動を行う前に行うと成長ホルモンの分泌が最大化されるので最も効果的だ。

例えばスロトレを10分家でやった後で、プールに行って泳ぐとか、ウォーキング、ジョッギングすることで、成長ホルモンの分泌を最大にすることができる。

食品も重要だ。

ダイエットに良い、脂肪を燃やしやすいものは、食物繊維、コーヒー、カプサイシン(唐辛子)、イワシ、さんまなどの青魚だという。

これらを組み合わせれば、さらに効果が上がるだろう。


上級者にはおすすめの「ブルガリアン・スクワット」

最後に先日大学のクラブのOB会で石井教授からお聞きしたトレーニング上級者向けのおすすめトレーニング法を紹介しておこう。

それはブルガリアン・スクワットだ。



片足をベンチ等に置いて、もう一方の足でスクワットするのだ。片足スクワットできるだけの筋力がある人は、それでも良いが、普通の人は片足スクワットはできないので、いわば補助をつかって片足スクワットをやるものだ。

足をベンチに置いても良いし、たとえば手で洗面台をつかんで片足スクワットやっても良いと思う。

スロトレの極意で、上げきらず・下ろしきらずに、ゆっくりやるとさらに効果的だと思う。

やはり足は筋肉量が多いし、足の筋肉を鍛えれば基礎代謝も上がってダイエットにも良い効果があると思う。

ブルガリアン・スクワットは相当キツイので、短時間でも結構なトレーニングになると思う。これを続ければ、階段の上り下りもぐっと楽になること請け合いだ。

上級者は両腕にダンベルを持ってやっても良い。

気軽にできるので、是非試して欲しい。


筆者もスロトレを加圧式トレーニングに導入してみたが、すぐに筋肉がパンパンになって短時間で最大の効果があがると感じた。

誰でもどこでも簡単に短時間でできるダイエット運動。若返り、姿勢が良くなるという副次的効果もある。

30万部も売れているベストセラーダイエット法で、理論も明快。実際試してみても効果が実感できる。

簡単にできるので、一度試してみることを是非おすすめする。


参考になれば次クリックお願いします。








ホームレス中学生 笑えて泣ける家庭の「解散」劇

別ブログで好評な「ホームレス中学生」のあらすじを紹介する。

本は300万部を超え、昨年7月にドラマとなり、昨年10月には小池徹平主演で映画にもなったので、人気が再燃している。

最近ではお兄さんが「ホームレス大学生」という本も出している。

ホームレス大学生ホームレス大学生
著者:田村 研一
販売元:ワニブックス
発売日:2008-10-09
おすすめ度:5.0
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ベストセラーなので、読んだ人も多いと思うが、すでに読んだ人は記憶をリフレッシュして頂きたい。

ホームレス中学生ホームレス中学生
著者:麒麟・田村裕
販売元:ワニブックス
発売日:2007-08-31
おすすめ度:4.0
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漫才コンビ麒麟の田村君の、中学生の時に公園に一ヶ月ほど住んでいたというホームレス生活を中心とした自伝。

麻生首相氏も推薦している。

「突然の「解散」が家庭にもあったとは…。お笑いタレントが書いた本に、これほど泣かされるとは…。ここには、日本人として忘れてはならない何かがあります」

アンパンマンのやなせたかしさんも推薦文を載せている。

「人々にパンを与えたアンパンマン、ハトからパンを奪った田村くん。どちらの話も、みんなに勇気を与えてくれる」

本の表紙は段ボールを似せてつくっており、帯には段ボールをかじり、雑草を手にする田村君の写真が載っている。

大阪の吹田市のマンションに一家四人(既にお母さんは直腸ガンのため田村君が小学五年生の時に亡くなっており、お父さんと、お兄さん、お姉さん、田村君の三人兄弟)で住んでいた田村君一家は、田村君が中学二年の一学期の終業式の日に、自宅マンションから追い出される。

お父さんの収入が激減し、ローンが払えないため差し押さえになったのだ。

お父さんは以前は大手製薬会社に勤めていたが、お母さんを看病しているときに、やはりガンとなり、仕事をクビになったのだ。

お父さんは「ご覧の通り、まことに残念ではございますが、家のほうには入れなくなりました。厳しいとは思いますが、これからは各々頑張って生きて下さい。………解散!」と言い残してどこかに行ってしまう。

コンビニでバイトしていた京都教育大学生のお兄さんと、受験生のお姉さんは吹田市のいざなぎ神社の公園、田村君は「友達の家に泊めて貰う」と強がりを言って、実は通称「まきふん公園」のカタツムリ型滑り台の中で生活を始めた。

数日で生活費がなくなり、まずは雑草、次に段ボールを水に濡らして食べてみるが、到底食べられるものではなかった。自動販売機の取り忘れ釣り銭や、ハトのえさのパンの耳を貰ったりして生活していると、子供達が田村くんに気が付き、石を投げて攻撃してくる。

一ヶ月弱公園生活をしていると、道でクラスメートの川井君に会い、お母さんの好意で、川井君の家に住まわせて貰うことになる。お姉さんも親類の家に引き取られ、お兄さんだけは学校の校舎などで生活を続けた。

川井君のお母さんなどが費用を出してくれて、兄弟一緒にアパートを借りて住むことになる。生活保護を受けて田村君は普通の中学生活に戻り、バスケ部も続け、お兄さんの薦めもあり吹田高校に進学してからもバスケを続ける。

そのうち、みんなの前ではおどけてみんなを楽しませていたが、一人になると生きていてもしょうがないという気持ちがもたげてきた。そんなときに田村君を救ったのは、教師として悩んでいた担任の工藤先生の手紙だった。

田村君は生きる望みを取り戻し、みんなにほめられるような立派な人間となりたいと決意する。

一時は一日2,000円貰っていた生活費は、300円となり一日一膳だけご飯を家で食べて良いという条件に変わった。

このときに田村君が「味の向こう側」と呼ぶ、ご飯を一口10分以上噛んでいると味わえる最後の瞬間の味と出会う。兄弟はごはん一膳で二時間以上噛んでいたという。

田村君が回転寿司屋で皿洗いのバイトを始めて300円生活は半年ほどで一日1,000円に改訂されたが、300円生活は本当に苦しかったという。

高校ではバスケの顧問の先生に見込まれて生徒会長になった。田村君がしゃべるとみんなが聞いてくれると先生は言ったそうだ。

田村君の人を惹きつける人なつっこさ、カリスマは高校時代からも傑出していたのだろう。

その後吉本のNSC(吉本総合芸能学院)に入学し、現在の相方川島君と出会い、麒麟を結成する。

実はお兄さんも一時NSCに在籍していたが、兄弟二人も生活の安定しない芸人を目指すのは支援してくれた人たちに申し訳ないということで、お兄さんは自分から辞めたのだと田村君は言う。

いろいろな人の支援、そして天国のお母さんの導きがあって今の芸人生活に入れたので、お母さんへのメッセージでこの本を締めくくっている。


若いとはいえ人生の荒波をくぐってきた人の言葉は重みがある。コミカルに書いてはいるが、ウルウルしてしまうところも多い。

ベストセラーになるべくしてなった感動の自伝だ。

簡単に読めるし、どこの本屋でも置いているはずなので、是非手にとってめくって欲しい本である。



参考になれば次クリックお願いします。




反転 逮捕されたらまっさきに差し入れるべき本

時短読書第8弾は元特捜検事で、いわゆるヤメ検の田中森一(もりかず)さんの本だ。昨日(2月4日)の朝日新聞夕刊で、田中さんが起訴事実(詐欺)を全面否定し、検察と闘うと報道されていた。

佐藤優さんの本と似たような対国家権力というコンセプトの本で、文庫本にもなっていて面白い本なので、あらすじを紹介する。

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)
著者:田中 森一
販売元:幻冬舎
発売日:2008-06
おすすめ度:3.5
クチコミを見る


特捜エース検事と言われながら辞任し、バブル紳士、自民党清和会、山口組トップなどの顧問弁護士もつとめ、「闇社会の守護神」と呼ばれた田中森一(もりかず)弁護士の自伝。田中さん自身のホームページもある。

アマゾンでも発売から数年たった今でも2、500位くらいになっているベストセラー本だ。

著者の田中森一さんの文才はたいしたものだ。検察や闇社会という両極端ではあるが、どちらも世間からはほど遠い世界を動かしている力学がよくわかり、読んでいて面白い。

起訴されて公判中ということでも、国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれてでベストセラー作家に転身した佐藤優氏を彷彿とさせる。

ヒット作を生み出すのが天才的な幻冬舎の見城徹社長が、佐藤優さんの成功パターンを念頭に、計算ずくで田中森一さんを売り出したのだろう。すでに半年で、共著ながらも田中さんの本が他に三冊出版されている。

「巨悪を眠らせない」と言っていた検察上層部が、実は検察OBや政治家の圧力で、平和相互銀行事件の捜査や、三菱重工CB事件、苅田町公金横領事件の追求をやめさせたとか、検察内部への告発も含んでいる。

ここまで実名を載せて書いて、元検事あるいは、弁護士としての守秘義務はどうなっているのかと思わせるほどだ。

この本に書いてある内容が本当に正しいかどうかは、わからないが、田中さんが最後に書いていることが、この本の内容をよく言い表している。

「この国は、エスタブリッシュメントとアウトローの双方が見えない部分で絡み合い、動いている」

「いちど足を踏み入れると抜け出せないような、暗いブラックホール。その深淵に立ち、覗き込むことはあっても、足を踏み入れることはできない。検事時代に感じた上層部や政治家の圧力も、これに似ている。」

「闇社会の守護神、特捜のエースと呼ばれてきても、しょせんその程度だったのではないか、と正直に思う。日本という国に存在する、深く真っ暗い闇がそこにある」



著者の田中森一さんは元特捜検事

著者の田中森一さんは、長崎県平戸出身で、貧しい家庭の8人兄弟の長男として1943年に生まれた。

実家は、半農半漁の小作人で、魚や農産物は自家用で、唯一の現金収入は年に一度牛を売って得る3−5万円だけだったという。

中学を卒業して、定時制高校に通い、浪人して予備校夜間部で苦学し、やっとのことで岡山大学に入学した。岡山大学では一念発起し、在学中に司法試験に合格した。

司法研修所では元々裁判官をこころざしたが、ある出来事で共産党系と見られてしまったので、やむなく検事になったという。1971年のことだ。それから1987年に辞めるまで、16年間、検事、そして最後の6年余りは特捜検事として活躍した。

検事になりたての頃は、月230時間残業していたという。もちろん残業代ゼロだ。仕事の鬼だ。

イトマン事件にも関わった許永中氏とともに、石原産業手形詐欺事件で二審で懲役三年の有罪判決を受け、現在上告中である。

ノンフィクション小説のような面白い内容だ。

特に、灰皿を投げつけたり怒鳴りつけるとか、何回も調書を書いては破り捨て、しまいには被疑者の根負けをねらうとか、検察の落としのテクニックを暴露しているところは、斬新で興味深い。

別ブログで紹介した通り、普通に生活していても、あなたもわたしも「それでもボクはやっていない」の様に冤罪の痴漢容疑で逮捕されることだってありうる。

筆者が、この本を「逮捕されたらまっさきに差し入れるべき本」と呼ぶゆえんだ。

詳しく紹介すると本を読む時に興ざめなので、いくつか特に印象に残ったストーリーだけ紹介しておく。


検察の内情

検察にはいわば徒弟制度があり、三つの派閥があるという。一つは赤レンガ派と呼ばれる東大法学部卒の法務省勤務が長いエリート官僚や、閨閥を後ろ盾にしている検事などだ。赤レンガ派は優遇されており、参考人程度の取り調べしかしないし、できないが、検察トップは赤レンガ派で占められている。

次は現場捜査派で、現場のたたき上げ検事だ。特捜検事になるのも難しいが、特捜検事になっても、うまくいっても最高検の検事、高検検事長、多くの人は地検の検事正どまりだ。辞めて刑事事件に強い、いわゆるヤメ検弁護士となる人が多い。

それらの中間が、準キャリアと呼ぶこともある中間層で、学閥や閨閥がなくても、法務省の重要ポストに抜擢されれば、最後は高検の検事長くらいにはなる。

田中さんは現場捜査派で、東京地検、佐賀地検、大阪地検、松山地検、高知地検と転々とし、大阪地検で特捜検事となり、次に東京地検の特捜部に転勤となったが、上層部の圧力で、政治家が絡む汚職事件の捜査がつぶされるのに憤慨して、もうどうでもよくなり、検事をやめた。

ちょうど1980年に巨人軍の王貞治選手が、その年30本もホームランを打っていながら、「三振しても腹が立たなくなったから」という理由で引退した気持ちに似ているかもしれないという。

検察といっても法務省の国家公務員であり、政府や時の権力者に都合が悪い展開となると、追求にブレーキが掛かるのは、権力に弱い官僚機構として、やむを得ないのだろうと田中さんはいう。

田中さんは検事時代に撚糸工連事件、平和相互銀行不正融資事件、三菱重工CB事件、福岡県苅田町長公金横領事件など政治家や検察OBが関与している事件で、検察上層部などの圧力で捜査を断念したという。

筆者の大学の同級生が、東京高検のかなりのポジションに居る。彼のことを思いながら、これを読んだ。


ロッキード事件と「検察冬の時代」

ロッキード事件の時は、あまりに三木政権や、外務省など官庁が協力してくれたので、やりやすかったという話を、田中さんは主任検事の吉永さんから聞いたという。

事件はアメリカ側からの仕掛けという説も根強いが、うなずける面もあると。

田中角栄は、ソ連への経済援助やシベリア共同開発、中国との国交回復など、従来のアメリカ一辺倒からよりグローバルな国際外交戦略に転じようとしていたので、日本を属国とみるアメリカの怒りをかったのではないか。

現にアメリカの異常ともいえる捜査への協力は、田中政権つぶしの意志をあからさまに示していたのではないか。

ロッキード事件は、捜査史上に燦然と輝く事件などではなく、検察が国際的な政争の具に利用されただけで、むしろ汚点を残しただけではなかったのかと思えると田中さんは語る。

事件で失脚すると見られた田中角栄は、むしろ自らの派閥を強化し、闇将軍として君臨し、検察への怨念を抱いて封じ込めにかかり、次々と息の掛かった有力代議士を法務大臣に送り込んで、法務省を支配しようとした。

そして、その間の10年間、検察は下手には動けず、「検察冬の時代」と呼ばれていたのだという。


驚く話が満載の検察官の待遇

今はこんな事はないだろうと思われる話が満載されている。

たとえば、検事が地方検察庁に赴任するときには、ヒラ検事でも各地の警察署長、消防署長、県庁の役人が列を成して挨拶にきていたという。

赴任者が検事正とでもなると、県警本部長や、国税局長などそうそうたるメンバーが挨拶に来て、挨拶に来ないのは、知事と裁判長くらいだと。

田中さんが故郷に近い佐賀地方検察庁に赴任した時は、自衛隊の好意で、ヘリコプターで実家に里帰りしたという。

田中さんは、朝日、毎日、読売の記者と常につきあっていた。彼らを通じて幅広い情報ソースを持っていたこともあって、1987年末に辞めたときには、文藝春秋に「特捜検事はなぜやめたか」という特集記事が出た。

そのためか、田中さんが検察官を退任して大阪で弁護士になったときに、6,000万円もの祝儀が集まった。ハナテンの社長などが、ポンと1,000万円の祝儀をくれたという。

「あなたは正義感の固まりだ」という相談者や、「無罪にしてくれ」という依頼人が列をなし、以前担当した事件での被告人なども知り合いの企業を紹介してくれ、顧問先は1年で100社を超え、約1,000万円/月の顧問料収入があった。

田中さんの場合は幅広い人脈があったとはいえ、「ヤメ検弁護士」は収入には困らない生活ができるようだ。

ただし、学生結婚の奥さんは検察官をやめることに反対し、それ以来別居が続いているという。

バブルの頃は、多くのバブル企業や山口組などヤクザ関係者の顧問弁護士となり、節税対策で7億円でヘリコプターを買ったほどだ。ただ、不動産などに投資した資産は40億円くらいあったが、バブル崩壊で一挙に40億円すべてすってしまったという。


こんな内情暴露もある。

検察幹部の小遣いは、捜査予備費と呼ばれる検察庁全体で2−3億円の予算のなかから、一人起訴して公判請求すれば五万円、起訴猶予だと一万円という具合に報奨金が各地検に配られていたという。

だから地方検察は逮捕者の多い選挙違反事件を好んで取り上げるのだと。

なるほどというか、情けない話だ。


大阪という土地柄

大阪府警のゲーム賭博の一斉捜査での捜査員のネコババ、ゲーム業者からの賄賂など、前代未聞の警察官汚職事件は、当時の責任者だった警察大学長の自殺という思いがけない事態が起こり、「身内をこれ以上追求してどうなるのか」というムードが高まり、尻すぼみになった。

当時の大阪府警の本部長や中心地の警察署長が転勤するときは、餞別として2,000万円から3,000万円の餞別が地元の有力者から贈られたという。こういった腐りきった内実があっての大阪府警察官汚職事件だった。

大阪では、暴力団や同和団体、在日韓国人などが複雑に絡んでいる。

当時の大阪国税局長が、同和団体に団体交渉権を認めた事実から、同和団体は税金を優遇される権利があると都合よく解釈しており、同和関係者がからむ脱税事件は捜査もおぼつかなかったという。

ある時は、同和団体の幹部を刑事告訴した弁護士の家に、毎日のように切ったばかりの豚や牛の生首が投げ込まれ、それで家族がパニックになり弁護士も告訴を取り下げるということがあった。

田中さんが意を決して、同和幹部から事情聴取したら、赤貧で育った田中さんでも思わず涙ぐむ様な話を聞かされ、追求する気が失せてしまったという。


東京地検特捜部と筋書きのつくられた事件

東京に転勤した田中さんは、特捜検事として平和相互銀行事件を担当する。本来平和相互銀行は恐喝され巨額融資をしてしまった被害者の立場のはずだった。

平和相互銀行には、検察OBの伊坂監査役もいたのに、思いもよらない容疑で経営陣が、特別背任罪で起訴されてしまった。

金屏風事件、馬毛島レーダー基地疑惑という自民党への巨額不正献金疑惑は訴追されず、結果として住友銀行が、内紛で弱体化した平和相互銀行をタダ同然で買い取る結果となった。

ちなみに、大阪では旧住友銀行と読売新聞が検察と古く強い関係を保っていて、定期的にトップと食事会を設けていた。検事正が退官して弁護士になるときは、住友銀行と読売新聞は何十社と顧問先をつけていたという。

この事件を体験して、田中さんは東京地検特捜部の恐ろしさを知ったという。

事件が検察の思い通りに、つくられるのだと。

特捜部では、捜査に着手する前に任意で関係者を調べ、部長、副部長、主任が事件の筋書きをつくって、法務省に送る。東京の特捜事件は、ほとんどが国会の質問事項になるので、法務省は事前に把握しておく必要があるためだ。

事件の真相は、実際に捜査してみないとわからず、捜査の段階で予想外の事実が出てくるものだが、特捜部ではそれを許さない。筋書きと実際の捜査の結果が違ってくると、部長、副部長、主任の評価が地に落ちるからだ。だから筋書き通りに事件を組み立てていくのだと。

上司の意図に沿わない調書は必ずボツにされるという。検事たちは筋書き通りの供述になるようにテクニックを弄して誘導していくのだと。

大阪の特捜部では尋問もしていない上役の検事が、事実関係について調書に手を入れるなどはありえないと。

こうなると、もはや捜査ではない。よく検事調書は作文だと言われるが、こんなことをやっていたら冤罪をでっち上げることにもなりかねないと田中さんは語る。


バブル企業や自民党清和会の顧問弁護士として活躍

バブル紳士として次の人たちが紹介されている。

東京に来るとホテルオークラの最高級スイートを借り切り、会う人には数十万円から数百万円の現金を渡していた5えんや(ECC)の中岡信栄会長。安倍晋三前総理の父、安倍晋太郎氏もそこにある牛乳風呂を気に入っていたという。

ちなみに田中さんは、安倍晋太郎氏が所属していた自民党清和会の顧問弁護士で、リクルート事件で安比高原リゾート開発の保安林指定解除をめぐっての政治工作疑惑で、加藤六月を弁護して訴追を免れさせ、自民党関係者からいたく感謝されたという。

大阪の街の多くのビルの屋上に、末野ビルと看板を立てたナニワの借金王と言われた末野恒産。朝日住建、富士住建など、住専問題で有名になった不動産会社の社長などとの、一晩に何百万円も札びらを切る生活、ヘリコプターで往復し、掛け金数千万円が乱れ飛ぶゴルフなどが述べられている。

ピーク時資産1兆円と言われたイ・アイ・イグループの高橋治則氏や、イトマン事件の伊藤寿永光氏、佐川運輸の創始者佐川清氏などとの、つきあいも語られている。

田中さんと一緒に起訴された許永中はバブルの頃、赤坂東急ホテルに葡萄亭ワインセラーという店を持っており、ロマネ・コンティを買い占めていたので、一本100万円もするワインをゴルフの帰りに何本も空けたという。

うらやましいというよりは、折角のワインの芸術品の無駄遣いという気がする。


拘置所での愛読書は中村天風

最後に田中さんの拘置所での愛読書が紹介されているところも、佐藤優氏の本を彷彿とさせる。

拘置所にいた頃、田中さんが最も心を打たれた本は、差し入れて貰った中村天風の「成功の実現」だったという。

成功の実現成功の実現
著者:中村 天風
販売元:日本経営合理化協会出版局
発売日:1988-09
おすすめ度:5.0
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東郷平八郎、原敬、松下幸之助などが心服したという人生哲学に、田中さんも心が洗われたという。

筆者も中村天風の名前は聞いたことがあるが、著書は読んだことがなかった。「成功の実現」は、一冊1万円もする本だが、図書館で借りたので、あらすじを紹介した


400ページ余りの本だが、中だるみがなく、最後まで面白く読める。検察や日本の政治力学の一端を知るためにも、是非一読をおすすめする。


参考になれば次クリックお願いします。








国家の罠 外務省のラスプーチン佐藤優さんの勾留手記 文句なく面白い!

時短読書ブログの第7弾は、いまやベストセラー作家となった外務省のラスプーチン、佐藤優さんの出世作、「国家の罠」だ。

文才もあるし、内容も面白い。「インテリジェンス」という分野に一躍光が当たるようになった功労者でもある。

文庫でも発売されているので、是非一読をおすすめする。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)
著者:佐藤 優
販売元:新潮社
発売日:2007-10
おすすめ度:5.0
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筆者は朝日新聞を購読しているが、先日おやっと思ったことがある。

外務省のラスプーチンと呼ばれ、背任罪偽計業務妨害罪で現在公判中の佐藤優(まさる)元外務省分析官が、1月14日と21日の朝日新聞読書欄の「たいせつな本」というコラムに2週続けて書いているのだ。

それも最初が、日本の代表的なマルクス経済学者宇野弘蔵の「経済原論」、次の週が弁証法で有名なヘーゲルの「歴史哲学講義」の紹介だった。


歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)歴史哲学講義 (上) (岩波文庫)
著者:ヘーゲル
販売元:岩波書店
発売日:1994-06
おすすめ度:4.5
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いずれも難解な本だが、「経済原論」には「2人のカール結んだ純粋資本主義の視座」、ヘーゲルの「歴史哲学講義」には「独房で染みた名翻訳 理性がもたらす癒し」という副題がつけられており、佐藤優氏がただものではないことを感じさせる。

ちなみに二人のカールとは、一人はカール・マルクス、もう一人はカール・バルトという「教会教義学」という神学の本の著者だ。佐藤優氏は同志社大学神学部大学院卒の異色の外交官である。

今まで頭をガーンとやられる様なカリスマ性を感じたのは、安部譲二と角川春樹だと以前書いたが、佐藤優氏には同様のカリスマ性を感じる。この本はいくつかのノンフィクション文学賞の候補になった他、毎日出版文化賞特別賞を受賞している。選者も同様の印象を持ったのだと思う。

佐藤優氏というと、鈴木宗男議員と組んで、対ロシア外交でやりたい放題の役人という悪いイメージを持っていたので、あまり著書を読む気にならなかったのだが、この朝日新聞のコラムを読んで興味を持った。

その佐藤優氏が外務省の内情、巣鴨の東京拘置所での検察とのやりとりをありのままに書いた手記が、この「国家の罠」だ。


構成や序章が読者を引きつける

この本の全体の構成は次の通りだ。はじめに田中眞紀子・鈴木宗男の政争を持ってきて、いやでも読者の興味を引く。

序章 「わが家」にて
第1章 逮捕前夜
第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
第3章 作られた疑惑
第4章 「国策捜査」開始
第5章 「時代のけじめ」ととしての「国策捜査」
第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ

序章「わが家にて」は「拘置所グルメ案内」という文で始まる。

東京拘置所での職員との日常会話、独房の設備(冷暖房なし)、その日の食事内容(午後5時に「配盒:はいご〜お」と叫ばれ、懲役囚が麦飯、青椒牛肉絲(ピーマンの牛肉炒め)、野菜と小エビの中華スープに高菜を配る)などが紹介されている。

「くさい飯」は実はおいしかったと。軽妙である。

拘置所の生活から、モスクワ駐在時代のクーデター未遂事件やロシア政府要人との親交、「劇場」と呼ぶ法廷の状況などを簡潔に記して、9時の消灯のチャイムで今晩もなかなか寝付けそうにないという独白で序章は終わる。

読者を引きつける絶妙の序章である。

ちなみに佐藤優氏は正月も拘置所で過ごしたが、正月は紅白まんじゅうとおせち料理の重箱が配られ、元日の夕食はビーフステーキ、たらこスパゲッティ、クリームシチュー、カフェオレだったと。


外務省の情報分析活動

いままで各官庁にはいくつもの暴露本があり、厚生労働省では、元神戸検疫所検疫課長で懲戒免職となった故・宮本政於(まさお)さんの「お役所の掟」が有名だ。

お役所の掟―ぶっとび霞が関事情 (講談社プラスアルファ文庫)お役所の掟―ぶっとび霞が関事情 (講談社プラスアルファ文庫)
著者:宮本 政於
販売元:講談社
発売日:1997-06
おすすめ度:4.0
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外務省ではイラク戦争時に小泉政権を批判して、実質免職となった外務省の天木直人元大使の「さらば外務省」が有名だが、この本は、そういった暴露本とは全く異なる内容だ。

さらば外務省!――私は小泉首相と売国官僚を許さない (+α文庫)さらば外務省!――私は小泉首相と売国官僚を許さない (+α文庫)
著者:天木 直人
販売元:講談社
発売日:2006-03-21
おすすめ度:4.0
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この本で、外務省に国際情報局分析第一課という情報分析を専門に行うチームがあることを初めて知った。

情報機関としてはアメリカのCIA、イギリスのMI6が有名だが、日本にはそれに似た機関はない。

(ちなみにCIAMI6もホームページがある)

外務省の情報分析専門チームと言っても、別にスパイを抱えている訳でもなく秘密組織ではないが、日本政府の外交政策を実現するために、情報収集と外国での人脈づくり、信頼関係をつくるといった活動をする専門の部署だ。


日ロ平和条約締結/北方領土返還の悲願

この本で参考図書として「北方領土問題」という和田春樹東大名誉教授の本が紹介されている。

こちらの本も読んだので、詳しくは別途紹介することとして、ここは戦後の動きのみを紹介する。

1945年8月にソ連は日ソ中立条約を破って、満州・南樺太・千島列島に侵攻してきた。8月15日の日本の無条件降伏後もソ連は攻撃をやめず、千島列島では日本の守備隊の猛反撃にあい、9月まで戦闘が続いた。

1956年の日ソ共同宣言で、戦争状態は正式に終結し、北方四島については、歯舞島、色丹島の二島が平和条約締結後に返還されることで合意したが、1960年にソ連は日本からの外国軍隊の全面撤退という条件を付け、宣言を一方的に反故にしてしまった。

長く日ソ関係は進展がなく、特に1973年に田中角栄・ブレジネフ会談が決裂してからは、日ソ関係は冷え込み、その後18年間首脳会談は実現しなかった。

ソ連邦崩壊、ロシア誕生とともに、関係改善が見られ、1993年に細川首相とエリツィン大統領が東京宣言に署名し、20世紀の問題は20世紀中に解決しようと、北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結することを公約した。

1997年に当時の橋本龍太郎首相が、日ロ関係を信頼、相互利益、長期的な視点の三原則によって飛躍的に改善すべきであると発表し、クラスノヤルスクでエリツィン大統領と2000年までに平和条約を締結して、北方領土問題を解決することでロシア側と合意した。

橋本首相の後の小渕首相、その後の森首相も積極的にロシアに働きかけ、エリツィン大統領、その後を次いだプーチン大統領と平和条約締結を目指して交渉したが、結局2000年末までには平和条約は締結されなかった。


外務省のスクールとマフィア

外務省には学閥は存在しない。その代わりに、研修語別の派閥が存在すると。それらは「アメリカスクール」、「チャイナスクール」、「ジャーマンスクール」、「ロシアスクール」などに大別される。

さらに外務省に入ってからの業務により、法律畑は「条約局マフィア」、経済協力は「経協マフィア」、会計は「会計マフィア」という派閥が存在する。

日本の対ロ政策は欧州局長の指揮下、ロシア課長が具体的戦略を策定するが、たまたまロシアスクールでない人が要職につくと、実質的な意志決定はロシアスクールの親分格の人々によってなされることになる。

つまり日本の対ロ政策はロシアスクールが握っているのだ。前述の橋本首相の3原則もロシアスクールが原案をつくったものである。

そのロシアスクールの内紛が、田中眞紀子外相の時の、駐英公使として転出していた元ロシア課長小寺次郎氏の、ロシア課長復帰呼び戻し事件だ。

外務省から経世会の影響力をなくすことを目的とする田中眞紀子が外相に就任したことで、外務省の派閥抗争が顕在化し、このような機能不全を起こした。

そのため外務省は原因となった田中眞紀子女史を放逐するために、鈴木宗男氏の政治力を利用し、田中眞紀子女史が放逐された後は、用済みとなった鈴木宗男氏と佐藤優氏を整理したのだと。


田中眞紀子氏の奇行

田中眞紀子氏は外相に就任早々人事凍結令を発した。

また本来外相の右腕、左腕である事務次官、官房長を大臣室出入り禁止にするという信じられない暴挙にでて、あげくのはてには「外務官僚に恫喝された」とか、「外務省は伏魔殿」と言い出す始末だった。

就任直後も表敬訪問してきた米国国務副長官で大の親日派アーミテージ氏との面談をドタキャンした。

そのとき「婆さん」(外務省ではこう呼んでいたという)は、就任祝いの礼状を書いていたという。

アーミテージ氏といえば、がっちりした体格で、ベンチプレス200KG近くを挙げるという話だが、元特殊部隊員で、ベトナム戦争集結時には民間人も含め数千人を救出したという、ランボーのモデルとも言われるベトナム戦争の英雄だ。

今もベトナム難民孤児など10名を養子として育てているという話を、最近アーミテージ氏に会った筆者の知人から聞いた。

日本の政界官界に友人が多く、筆者の友人も、某官庁の首脳だった父親の葬儀後訪ねてきて、一緒に会食したそうだ。日本の政界官界と親密な関係のある人物だ。

その親日家アーミテージ氏が米国政府での事務系キャリアのトップに上り詰めた国務副長官の時代に、会談をドタキャンするとは外務大臣としてはあるまじき行為と言わざるを得ない。

田中眞紀子外相は、9.11の時に極秘中の極秘の国務省の緊急連絡先を記者団に漏らしたりして、さらに失点を重ねた。

外務官僚が動かないので、最後には外務省人事課長室に籠城し、斉木人事課長の更迭を試みるという奇行を行った。

佐藤氏は田中眞紀子氏のことを人の心を動かす天才と呼び、トリックスター(騒動師)と呼ぶ。小泉政権誕生の母、大衆政治のポピュリストであるが、政治家として組織を動かせる人物ではない。

余談だが、佐藤氏はある外務省幹部のコメントとして、日本人の実質識字率は5%だという話を紹介している。

「新聞は婆さんの危うさについてきちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は5%だから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく」と。

5%かどうかはともかく、おおむね真実だから恐ろしい。田中眞紀子女史が都知事などになったら、都庁の混乱は田中知事の長野県政どころではないだろう。組織の長になって欲しくない人の筆頭である。


国策捜査

佐藤氏を取り調べた検事は、これは鈴木宗男をねらった「国策捜査」で、組織相手に勝てると思うなと語ったという。

東郷元欧亜局長、佐藤分析官、前島係長がターゲットにされたが、外務省は外交のサラブレッド東郷和彦元欧亜局長は必死で守り、佐藤氏、前島氏と三井物産の社員2名が起訴された。

特捜の常識では、官僚、商社員、大企業社員のようないわゆるエリートは徹底的に怒鳴りあげ、プライドを傷つけると検察の自動供述調書製造器になるという。

取り調べは土日もあり、弁護士が接見できない土日に徹底的に攻勢を掛ける場合もある。だんだん検察官が味方に見えて、弁護士が敵に見えてくるようになるのだと。

佐藤氏と同時に起訴された前島元係長は、東大卒のキャリア官僚だが、彼は検察官の自動供述調書製造器になったという。

佐藤氏は、国益に対する影響を最小限にすることと、情報源を守ることなどを検察官に要請したが、外務省自体が情報源をそのまま検察に出してしまったことで、外務省は佐藤氏も情報源も守らないことに、佐藤氏はショックを受けたという。

情報の世界では時効がなく、もし情報源が明かされることになると、佐藤氏は一生追放されるのだと。

また外交文書は2030年に公開されるので、そのときに真実が明らかになるのを佐藤氏は待つのだと言う。


時代のけじめ

今回の佐藤氏、鈴木宗男議員の起訴を、検察官は「時代のけじめ」をつけるためと語ったという。

検察は一般国民の目で判断し、行き過ぎを追求すると。

時代のけじめとは、過去には大蔵省が過剰接待で摘発され、それをきっかけに財務と金融の分離がなされ、大蔵省の財務省と金融庁への再編が起こった。

国策捜査とはそういう時代のけじめをつけるものだという。

鈴木宗男議員は経済的に弱い地域の声をくみ上げ、クマが通ると揶揄される高速道路などを北海道に建設、地元の利益誘導の象徴だった。外交についてもクナシリ島の通称ムネオハウス建設など、行き過ぎがマスコミにたたかれた。

小泉政権と森政権は同じ森派(清和会=旧福田派)だが、基本政策は大きな断絶があると。

内政では競争原理を強化して日本経済を活性化すること、外交では日本人の国家意識、民族意識の強化だと佐藤氏は分析する。

そのパラダイムシフトのための時代のけじめ=鈴木宗男逮捕だったのだ。


日本の国益を真剣に考える人たち

以下は筆者の感想です。

筆者は商社に永年勤め、合計11年におよぶ海外駐在の時など、公私のつきあいのなかで、日本文化の紹介や日本に対する理解向上とかいったレベルでは努力はしたが、思えば日本の国益というものは真剣に考えたことがなかった。

この本を読んで感じるのは、日本の国益を真剣に考える人たちがいるのだという点だ。

日本政府や外務省という職責から当たり前の話ではあるが、橋本内閣以降、小渕内閣、森内閣も日ロ関係改善を政策として打ち出し、様々な情報工作と、経済協力などのカードを使って目標である2000年までの平和条約締結に真剣に努力していたことを改めて認識した。

佐藤氏が起訴されているイスラエルとの学者交流や、クナシリ島へのディーゼル発電機供与も、この政策実現のため、国益のための活動であったことは間違いない。

一般的にはロシア政策でなぜイスラエルなのだと思われがちだろうが、イスラエルにはポーランド・ロシアなど共産圏からのユダヤ人帰国者(アシュケナージと呼ばれる)が多く、ロシア研究は世界でもトップクラスだ。

2000年が過ぎ、平和条約締結への道のりもはっきりしないまま小泉政権となり、近隣外交の話題は北方領土から人気取りスタンドプレイの北朝鮮の拉致問題、靖国問題に変わった。

森首相までの歴代内閣の、日本の国益のために日ロ平和条約を締結しようという意気込みは、大きくトーンダウンしたことは否めない。

2月7日は北方領土の日だが、なにかイベントが開催されたのかどうかも報道されない始末だ。

もともと北方領土問題は、国民の関心がどちらかというと薄く、解決の糸口もつかめていない。

その意味で、小泉ポピュリスト政権では、拉致被害者の帰国という国民の支持を高める効果が確実に見込まれる拉致問題にシフトしていき、北方領土問題は置き去りにされたまま塩漬けとなっている現状だ。

外交とは相手のあることで、佐藤氏が加わっていた外務省のロシアスクールの工作と活動は意義あることとして理解ができる。

それを一過性のものとして終わらせると、結局なにも残らないことになる。

大前研一氏などは、国境の決定に長い時間を費やすよりも、道州制の発展形としてロシアの沿海州も巻き込んだ経済圏として発展させるべきだと提案している。

もともと千島列島やサハリンは、日本政府が国境線設定の根拠としている1855年の日露通好条約以前はアイヌ、ロシア人、日本人が混住していた地域である。

サハリンには天然ガス資源もある。先の見えない昔ながらの国境線設定交渉にこれ以上時間を費やすべきでなく、大前さんの提言の様な大きな枠組みで、日ロ両国の本当の国益を追求すべきではないだろうか?

そんなことも考えさせられた。いろいろ参考になることが多く、内容の濃い本である。

約400ページの本だが、面白く読める。是非一読をおすすめする。



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