ウイスキーと私
竹鶴 政孝
NHK出版
2014-08-27


現在NHKの朝ドラで放映中の「マッサン」の主人公、日本のウィスキーの創始者・竹鶴政孝さんの自伝。

日経新聞の「私の履歴書』の連載をNHK出版が単行本にしたものだ。

「マッサン」は筆者も「どんど晴れ」以来、久しぶりに見ている朝ドラだ。毎日録画して、土日に1週間分まとめて見ている。



朝ドラを見だしたきっかけは、昨年北海道旅行の際に余市蒸留所を訪問したからだ。

すでにその時にNHKの朝ドラになるという話は決まっていたが、まだブームとなる前で、ゆったり蒸留所やその中にある竹鶴邸を見学できた。

その時はフーンと思って、あまり気にしなかったが、ポットスティルで蒸留した無色無臭のアルコールを樽に入れて5年ほど熟成すると、量は2/3くらいに減ってしまうかわりに、ウィスキーのあの色と味が出るのは思えば不思議なものだ。

減ってしまう分は「天使の分け前」と言われている。

この「ウィスキーと私」は竹鶴さんの自伝で、事実と違う点は、リタさんと出会ったときは、リタさんの父親は亡くなった後だったという点だけだと、この本の註と竹鶴さんの孫の竹鶴孝太郎さんの随想で語られている。

父親の亡くなった家庭に独身男性が出入りすることになっては、リタさんの実家に不名誉だと思って、わざと事実を変えて記しているのではないかというのが、孫の孝太郎さんの見解だ。

「マッサン」は、テレビドラマとして部分部分、脚色はされているが、ストーリーは竹鶴さんの原作に近い内容となっている。

この本では、竹鶴さんがスコットランド留学を決め、アメリカのサンフランシスコ経由で、アメリカのカリフォルニア・ワイナリーというワインの醸造所を見学してから、スコットランドに渡ったことも紹介されている。

当時は第一次世界大戦の最中で、竹鶴さんの乗った船が、ドイツの潜水艦攻撃を避けるために随伴船とジグザグ航行していたら、随伴の貨物船にぶつかって貨物船が沈没してしまい、生存者は1名だけだった話が紹介されている。

ちょうど乗り合わせたベルギーの皇太子が音頭を取って、竹鶴さんが犠牲者の義捐金集めに一役買ったのだという。

当時の日英同盟の関係もあり、スコットランドでは王立工科大学(原書ではグラスゴー大学と記されているが、これは記憶間違いのようだ)やロングモーン・グレン・リベット蒸留所の工場長に大変親切にしてもらっい、ウィスキーの製造法を学んだ。

しかし日本に帰ってからは、留学に送り出してもらった摂津酒造ではウィスキー製造は、株主会議で否決され、結局サントリーの前身の寿屋の鳥井信治郎さんに拾ってもらい、京都の山崎に蒸留所を建設する。

鳥井さんは今のボンドなど接着剤をつくっているコニシの前身の小西儀助商店の出身で、「やってみなはれ」の人だ。

鳥井さんがマッサンをウィスキー工場長として、年俸4,000円で雇うのも、朝ドラの通りだ。大正12年、1923年のことだ。契約は10年間だったという。

その後、サントリーは日本で白札、赤札などのウィスキーを売り出し、当初は日本人の味に合わなかったが、だんだんに売れるようになった。マッサンは横浜でサントリーのビールもつくっていた。

マッサンはその後独立して、出資者を集め、住友銀行などから融資を得て、大日本果汁株式会社を設立。昭和9年に余市工場を建設した。ウィスキーの原酒を寝かす5年以上の間は、リンゴジュースをまず販売して食いつないだ。これがニッカの社名の由来だ。

工場設立の2年目の昭和11年にウィスキーの蒸留を始め、一級ウィスキー工場として大蔵省の認定を受けた。戦争中は海軍の指定工場となって、原料は優先的に配分されていた。

戦後は、ウィスキーは酒税法で、特級から3級(その後廃止)まで等級分けされ、3級は原酒の配合率が0〜5%とされていた。つまり、ウィスキーの原酒がゼロでも3級ウィスキーは作れたのだ。

筆者の学生時代は、2級ウィスキーはサントリーのレッド、1級はホワイト、特級は角瓶以上だったが、たぶん当時も2級ウィスキーには原酒はほとんど入っておらず、醸造用アルコールが主体だったのだと思う。

どうりで飲みすぎると悪酔いしたわけだ。

ニッカは余市工場と、仙台郊外に宮城峡に工場を建設し、昭和44年から生産を始めた。

余市はハイランド・モルト工場だ。

西宮工場にカフェ式連続蒸留機を入れて、穀物原料からアルコールを蒸留してグレイン・スピリッツをつくり、ハイランド・モルトと混ぜた。

さらに宮城峡では、ローランド・モルトをつくり、これでうまいウィスキーの原酒のフルセレクションがそろった。

最後に竹鶴さんは、ウィスキーのうまい飲み方をエッセーで書いている。

毎日飲むにはストレートだと、胃に悪いので、ウィスキー:水=1:2が適当だという。竹鶴さんは、オンザロックは冷えすぎるとしてあまり勧めていない。いずれにせよ、人それぞれ、一番うまいと思う方法で楽しむべきだし、飲む人の量によっても変わってくると。

巻末のコラムや随想も入れて190ページ余りの本で、簡単に読める。

竹鶴さんの他の本も読みたくなる。ウィスキーのことも学べ、読んでいて楽しい明治生まれの気骨ある日本男児の自伝である。



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