カジノの借金の穴埋めのため、自分が社長をしている大王製紙子会社から約107億円ものカジノ資金を借りまくったことで特別背任罪が確定し、現在、セコムや三井物産がやっているPFIによる東日本初の民営刑務所・喜連川社会復帰促進センターで服役中の元大王製紙社長・井川意高(もとたか)さんの本。

井川さんは、借りた金はすべて金利をつけて返済したから執行猶予が妥当だとして上告していたが、2013年6月に最高裁が上告を棄却して、4年の懲役刑が確定した。

この本の”つかみ”に、シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズホテルのカジノで、20億円のチップを目の前に置き、ジャンケットというカジノに雇われた私設コンシェルジュさえもが、勝ち逃げを示唆しているのにもかかわらず、さらに勝負して結局すべてを失った話が出てくる。

負けが込んでいたから、20億円の勝ちでは引き下がれなかったという。およそ金額が尋常ではない。


井川意高さんの経歴

井川意高さんは大王製紙の創業家の3代目。1987年に東大法学部を卒業して、大王製紙に入社した。第4代社長として2007年から2011年まで大王製紙の社長を務めた。

社長になる前は、名古屋にあった子会社の立て直しでも実績を上げた。

社長に就任してからは、タイやベトナムでの合弁事業や、エリエールのナプキンやP&Gから買収した大人用のオムツのアテント事業など、消費者向け商品の開発でも成果を上げた。


井川家の人びと

井川さんの祖父の井川伊勢吉さんは、もともと製紙原料商だった。つぶれかけた製紙工場を引き受けて立て直して、小さな製紙会社をまとめ上げて、全国区の大王製紙を創業した。一度、1962年に倒産したが、会社更生法で見事に復活させている。

1943年から大王製紙の社長を長く務め、1987年に井川さんのお父さんの井川睛困気鵑飽き継いだ。

井川睛困気鵑蓮大王製紙の社長を1995年まで勤め、中興の祖と言われている。仕事にも息子たちの教育にも厳しかったことが、この本で語られている。往復ビンタ、ゴルフクラブのヘッドで殴られそうになったこともあるという。

大王製紙は、もともと四国の愛媛県、現在は四国中央市となっている伊予三島市で製紙工場を始め、その後、全国に工場展開し、タイやベトナムにも合弁会社を持っている。

大王製紙は井川家の会社だったが、「大王製紙事件」と呼ばれる井川意高さんの特別背任事件で、井川家は持ち株を北越紀州製紙に売った。現在は北越紀州製紙の持ち分法適用会社となっている。

しかし、大王製紙グループの商事会社などの関連会社は、井川家が株式を押さえている会社もある。大王製紙本体からは井川家は手を引いたが、依然として大王製紙の事業には様々な面で関与している。


この本で井川さんが言いたいこと

井川さんは、中学から今の筑駒に入学、東大法学部にストレートで合格し、東大在学中はBMW635を乗り回していたという。典型的な金持ちのおぼっちゃんだ。清泉女子大出身の最初の奥さんとは、在学中に知り合ったという。

BMW635CSi (ベージュ・メタリック)
BMW635CSi (ベージュ・メタリック)

はっきり言って、あまりに恵まれすぎていて、実刑で服役することになっても別に憐憫の情はわいてこない。

子会社から巨額のカジノ資金を借り入れたが、すべて返済した。会社に迷惑はかけていない。だから情状酌量で、執行猶予が妥当ではないかという主張は、あまりに身勝手だ。主張を露骨に書いているわけではないが、行間から発するメッセージは、その主張そのものだ。

井川さんも、「わずかな望みを懸けた執行猶予判決を得ることはできなかった」と書いている。

筆者が大学で刑法を勉強した時は、故・団藤重光先生の構成要件を違法有責類型とする学説が主流だった。たぶん、今でもそれは変わらないだろう。

会社からの告発もあるので、特別背任罪構成要件は満たしている。後から、金を返せば罪が軽くなるような単純な話ではないことは、東大法学部出身の井川さんも大学で学んだだろう。

ホリエモンは、井川さんと面識があり、井川さんが東京拘置所に収監されたときに、厚い座布団をまっさきに差し入れてくれたという。

このブログではホリエモンの「刑務所なう。」を紹介している。さすが拘置所暮らし経験者というところか。



井川さんは、ギャンブル狂はWHOに認められた「病的賭博」や、アメリカ精神医学会に認められた「ギャンブル依存症」という「病気」であって、「癖」ではないという。

アメリカ精神医学会の「ギャンブル依存症」の10要件を列挙し、「私が重度のギャンブル依存症患者であることは間違いない」と語っている。

その主張は正しいと思うが、今となっては、むなしい。

あとがきの井川さんの言葉が、含蓄がある。

「一番信用できないのは、自分 − 106億8千万円の代償として私が得たものは、かくも悲しい事実のみだった」。

最後に、「本書の印税は、全額社会福祉事業に寄付いたします。井川意高」というメッセージがある。

ホリエモンがエールを送っている通り、井川さんはまだ若い。模範囚として4年の刑期を半分くらいに短縮し、2015年くらいには社会復帰を果たすだろう。1964年生まれだから、51歳だ。

是非、第二の人生で、カジノ狂い病を克服して、活躍してほしいものである。


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