エースの資格 (PHP新書)エースの資格 (PHP新書)
著者:江夏 豊
PHP研究所(2012-02-15)
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江夏のピッチャー論。

以前別ブログで紹介した「江夏の超野球学」でも、いいピッチャーの条件はバッターの観察力だと語っていたが、この本でも江夏は持論を展開している。

江夏豊の超野球学―エースになるための条件江夏豊の超野球学―エースになるための条件
著者:江夏 豊
ベースボールマガジン社(2004-04)
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江夏の21球の背景

江夏は自分の投げる瞬間に「しまった」というケースがしばしばあったという。バッターを見た途端、タイミングがどんぴしゃり合ってしまって、「あっ」となる。これはコントロールミスとは違うものだ。

数多く打たれて、「もう打たれたくない」という強い思いから、「タイミングが合ってしまった」と思ったら、球を放す前にパーンと抜いたり、スライダーをかけたりできるようになった。キャッチャーはおろおろして、「何ですか、今のボールは?」と聞いてくるので、「ほっとけ。魔球じゃ」と言ったのだ。

これが伝説の「江夏の21球」が生まれた背景だろう。

「相手バッターを見る」技術を若いピッチャーにも知ってほしいという。


エース談義

澤村や斎藤祐樹、ダルビッシュ、杉内など最近の投手についての評価が面白い。

元巨人軍フロントの清武さんが、澤村と斎藤佑樹を巨人軍のBOS(Baseball Operating System)で比較して、差は歴然としていたと、別ブログで紹介した「巨魁」という本で語っていた

巨魁巨魁
著者:清武 英利
ワック(2012-03-16)
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江夏も澤村を巨人のエース候補に挙げ、斎藤佑樹は「エース候補」とは言い難いとしている。エースはだれでもなれるわけではないのだと。

澤村はストレートは150キロ超と速いが、勝負球はスライダー、フォークだ。

斎藤はバックスイングの小さいフォームで、器用ではあるが、器用という武器が裏目に出ているのではないかと。

日本ハムの投手コーチの吉井理人コーチも、斎藤を育てようとするあまり、口を出しすぎているのではないかと。本当に「いいコーチ」は「みずから教えない」のだと。まさに落合が「コーチング」の中で語っているのと同じことだ。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
ダイヤモンド社(2001-09)
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最近の投手の中では、杉内とダルビッシュを高く評価している。

ダルビッシュはベースカバーをサボらずにやっているという。ダルビッシュの無失点イニングの記録が続いていた時は、ランナー2,3塁でも日本ハムの野手は前進守備をして、一点もやらない姿勢をみせていた。江夏は、ダルビッシュがチームのみんなに愛されていると感じたという。

ダルビッシュと対談した時も、「この男はほんとうに野球が好きなんだな。投げることが好きなんだな」と感じたという。


エースの特権

江夏が阪神に入団した時に、当時の阪神のエースの村山は、わざわざボールの縫い目を高くつくらせていた。それが「エースの特権」なのだと。縫い目が高い方が、指にひっかりやすく、フォークボールも落ちやすいからだ。当時は各球団が自分で自分仕様のボールを買っていたのだ。

それに対して江夏は縫い目が高いボールはマメができて痛くなるから嫌いなので、入団2年目にメーカーに頼んで10ダースほど試合球の縫い目をたたいて低くしてもらった。

村山は激怒したが、江夏は「自分の意志でやってもらっているんです」と答えたという。既に阪神の投手ローテーションは江夏を軸にまわりつつあり、強いことが言えたのだと。


考えて投げるタイプ 考えないタイプ

江夏は考えて投げるタイプだったので、考えないバッターはやりにくいという。その筆頭は長嶋さんだ。また、長嶋さんはずっと江夏のカーブをフォークと勘違いしていた。「いいフォークだねぇ」と言っていたという。江夏もキャッチャーの田淵も長嶋さんがフォークと思い込むのをそのままにしていたという。

ロッテの有藤にも2試合連続でホームランを打たれた後で聞いたら、やはり考えずに来たボールを打つタイプだったという。

ピッチャーで考えないタイプは少ないが、その筆頭が江川だという。

江川は天性だけで投げており、プロに入って最初の5年間は「怪物」だったが、最後の4年間は並のピッチャーとなり、9年で現役を引退した。文字通り持って生まれた素質だけでやっていたピッチャーだという。

清武さんの「巨魁」ではナベツネが江川を巨人の助監督にいれるべく画策して、それが清武以下の事務レベルの反発を招き、「清武の乱」が起きたことが描かれている。

江夏の言葉が本当なら、「考えない江川」をたとえ副監督でも指導者としてチームに入れるのは考えものかもしれない。


ピッチャーの筋力は投げてつける

ピッチャーの筋力は投げてつけるもので、トレーニングはあくまで補助的なものだという。これは以前筆者がトレーニングの権威、石井東大教授から聞いたことと一致する。

だから、外国人監督の100球制限をキャンプに持ち込むのは日本の事情に合わないと指摘する。キャンプでは投げて体をつくるのだと。


自分で自分をだます

松阪の故障以来、明暗が分かれている大リーグの松坂大輔と黒田博樹について江夏は語っている。

松阪は高校時代から非常に器用なピッチャーで、「変化球は遊びのなかで覚えた」というほどだった。江夏は器用なピッチャーは案外好不調の波があり、松坂は器用さがマイナスになっている典型だという。

松阪は30歳を過ぎて体力の限界を感じているところだろうから、右ヒジの手術から復帰したあとの転身を見守りたいと。

黒田は松坂より5歳年上だが、ボールに衰えは感じられない。35歳を過ぎて、本人は衰えを感じているだろうが、練習方法や工夫により、衰えが進む時間を遅らせているのだろうと。

江夏は「自分で自分をだますこともしているでしょう」という言い方をしている。「自分で自分をだます」というのは、たぶん江夏が長年活躍できた秘訣なのだろう。


抑え投手は自分をだませなくてはならない

抑え投手は、たとえブルペンで調子が悪くても、「調子がいいんだ」と自分をだますことが大事なのだ。登板が続くので「自分はマウンドに上がったら常にベストなのだ」と言い聞かせ、少々のことでは動揺しない精神状態をつくっていくものだ。

現役投手には手厳しい。藤川球児は投球術が一切ないのに成功できた珍しい例だと。一方、西武の牧田和久はつねに低めにほうれるので、注目しているという。

通算300セーブの岩瀬は、落合前監督の「作品」だ。全盛期を過ぎていて、スライダーは曲がりが大きすぎて、左バッターは振らない。それでも抑えで使われることのつらさを岩瀬は感じているのだろう。

抑えの岩瀬、荒木・井端の1・2番コンビは、落合の「作品」だから、最後まで落合は面倒をみてきた。その意味で、落合は選手思いの指揮官だったのだ。リードだけでメシが食える谷繁もその意味では落合の「作品」なのだろう。


カーブ談義

カーブ談義も面白い。江夏は高校時代カーブもほうれないでプロに入った。高校の野球部の監督に「カーブを教えてください」とお願いにいったら、「真っすぐでストライクもほうれんのに、なにがカーブじゃ!」と、ぶっ飛ばされたという。

高校2年の時に対戦して驚かされた鈴木啓示でも持ち球はカーブと直球だけだった。今の高校生ピッチャーがスライダーやフォーク、チェンジアップなど、各種の変化球を投げるのとは隔世の感がある。

プロに入っても江夏のカーブはあまり曲がらなかったが、王さんには効果的だったという。王さんは曲がるイメージで打ちに行くのだけど、曲がらないのでタイミングがあわなかったのだ。

江夏は堀内みたいなドロップに近いカーブをほうりたいと、練習したが、どうしても投げられない。そこで恥を忍んで試合前に堀内に聞きに行ったことがある。

そうしたら堀内は、笑いながら手を見せてくれた。堀内は子供のころ機械でケガをして、右手の人差し指が1センチほど短い。だからあの抜けるカーブを投げられるのだとわかって、江夏はあきらめたという。


カモのバッター カモれないバッター

バッターではじっと一球を待つバッターがやりにくいという。

一球一球追いかけてきたバッターを江夏はカモにしていた。1981年に江夏が日本ハムに移った時、落合はその年首位打者にはなったが、何でも追いかけるバッターだったので、江夏はカモにしていた。

ところが、翌1982年に落合は、じっと待つというタイプに変身していた。江夏はこいつ変わったなと思ったそうだが、案の定その年は打ち込まれ、落合ははじめて三冠王になった。

まともなヒットは少ないのだが、落合は思いっきり振ってきたので、当たりそこないでもヒットになった。

じーっと待って狙い球をフルスイング。ピッチャーにとっての絶対的な鉄則である「フルスイングさせてはいけない」を完全に破られたのだ。

これにはオチがある。

1981年のプレーオフの後、江夏は落合と偶然会って、落合が「麻雀がしたい」というので、連れて行った。

落合がリーチをかけてきて、江夏が待ちを指摘すると、「なんで江夏さん、待ちがわかるの?」と聞いてきたので、「そんなもん、野球とおんなじで、おまえの読みなんてすぐわかるわい」、「野球でもじっと待たれるほうがピッチャーは怖いんだぞ」と言ってしまった。

するとそれまでは一球一球追いかけてき落合が、翌年は図々しく待つバッターに変身して三冠王を取ったのだ。

たぶん落合は江夏の何気ない一言を参考にしたのだろう。その意味では、落合にとって「運命の麻雀」だったのではないかと。


江夏の気分転換はマージャン

面白い話を江夏は書いている。

気分転換には酒を飲むのが一番だろうが、江夏はアルコールがダメだという。女性と会って気分転換という人もいるかもしれないが、「女性は一瞬ですからね。そのあと疲れるだけですから、私はそれよりか麻雀」だと。

なるほどと思う。山本モナとスキャンダルを起こして巨人から出された日本ハムの二岡とか、やけどをする選手が多い中で、江夏の達観には感心する。


「バッターの裏をかく」時代は終わった

現代野球はバッターの待っているボールがわかったら、その近辺に投げることが主流になっているという。

以前の野球では、真っすぐを待っているときはカーブ、外角を待っているときは、インコースと「バッターの裏をかく」戦術だったが、現代野球は外を待っていると思ったら、外にほうってバットを振らせて凡打に打ち取る、カーブを待っていれば、鋭いカーブを投げて打ち取るという戦術だ。

だからバットの芯をすこしはずすために多くの球種が必要なのだ。


野村監督の「野球に革命を起こさんか?」発言

阪神から南海に移籍してきた江夏に対して、野村監督がリリーフ専門への転向をもちかけ「野球に革命を起こさんか?」と説得した話は有名だが、江夏は「革命」と言われても、どういう意味なのかわからなかったという。

リリーフ専門を受け入れても、調整方法はわからず、監督は、「好きなようにしろ、自分でつくれ」と言うだけで、江夏は苦しんだという。

野村監督からは「江夏、おまえは毎試合、登板のスタンバイをしておけ。終盤以降、自分たちがリードしているときには、いつでも出られるように。その代わり、ゲームの前半はすきにしてていい。ベンチに入らなくてもいいし、ロッカーで休んでいてもいいから」と言われていたが、このことを他の選手には野村監督は伝えていなかった。

だから事情を知らない選手たちは、「江夏はなにを勝手なことをしているんだ」と反発し、ベテランの広瀬叔功さんからはチームメートの前で、「ナニしとんのや!1回からベンチに入った方がいいぞ」と怒鳴られた。

江夏は悔しい思いをしたが、その場は「わかりました」と引き下がり、あとで広瀬さんには事情を説明したという。

ノムさんは別ブログで紹介した「野村ノート」の中で江夏を三大悪人の一人としているが、江夏は野村監督兼捕手との付き合い方が難しかったことを書いている。

野村ノート (小学館文庫)野村ノート (小学館文庫)
著者:野村 克也
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野村監督は他の選手に説明するなど配慮が利かない人だったと。

この辺がノムさんの限界なのだろう。ノムさんが長嶋さんや、亡くなった仰木さんのような人望がないのは、こういったところなのだと思う。


江夏が育てた選手

東京6大学リーグホームラン記録を持って田淵が阪神に入団してきたとき、キャッチングは落第だった。それでも兼任コーチだった村山さんは、鳴り物入りで入団してきた田淵を試合で使っていくと明言した。

田淵は、江夏の力のあるストレートを捕球する時にミットがわずかに動くので、ストライクのボールもボールと判定されることがあった。江夏は「しっかり捕れよ。球の力に負けるなよ」と、年上の田淵に文句を言った。

田淵は恥ずかしい思いをしながらも、鍛えなおし、後年「ユタカに言われて再度、手首を鍛えなおしたことが、その後のバッティングにプラスになった」と言っていたという。

江夏は日本ハム時代は大宮龍男というキャッチャー、広島時代は大野豊を育てた。江夏の場合は、プライベートのときも行動をともにして、暇があれば野球の話をして鍛え上げたという。


落合もそうだが、江夏も本当に野球が好きなのだと思う。そんな思いが伝わってくる本である。


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