+++今回のあらすじは長いです+++

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録
著者:西川 善文
講談社(2011-10-14)
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住友銀行(現三井住友銀行)のトップとして君臨し、小泉元首相に推されて2006年に民営化された日本郵政の社長となった西川善文さんの回顧録。

西川さんは悪役とされることが多かった。だから筆者自身も、この本はあまり読む気がしなかったが、会社の知人から面白かったという話を聞いたので読んでみた。たしかに大変面白い、「経団連は無用の長物」などという発言もある。

西川さんも最後に書いているが、この本では大規模プロジェクトへの融資による日本産業への貢献とか、組織の飛躍的拡大をもたらした経営策の実践とか、大手銀行の頭取を務めた人なら必ずあるだろう華やいだ話題が少ない。そういうことがなかったのではなく、それを懐かしむほどのんびりした時代ではなかったのだと西川さんは語る。

アメリカでは政府の要職や有名企業トップを務めた人が、退任後すぐに回顧録を出す例は多い。たとえばGEのジャック・ウェルチの本などは、会社の上司や部下を実名で批判し、自分の功績を際立たせるような書きっぷりだ。

ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)
著者:ジャック・ウェルチ
日本経済新聞社(2005-04-29)
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一方、西川さんがこの本で批判している上司・仲間は、一時「住友銀行の天皇」と呼ばれた磯田一郎さんだけで、会社再生や郵政合理化の実情を淡々と語っている。


「前のめり」の経営

西川さんは銀行役員時代から、記者会見などでスタッフの用意したメモに沿わないで発言したり、経営に関してトップダウンで決断したという。それを「西川の独断」などと批判する人もいるが、リーダーシップとは「直面する難題から逃げないこと」だと語る。遅滞なくスピード感を持って決断する。トップが逃げないから部下も逃げない。「前のめりで戦う」のだと。

坂本竜馬が死ぬ時も前のめりに死んだ?という話はあるが、「前のめり」という言葉をビジネスで使っている本は記憶にない。一般的にはコンサーバティブな金融機関のトップが「前のめり」で経営していたと語るのは、20社ほどあった都市銀行が3大グループに集約されるという激動の金融再編の時代に経営を任されたからだろう。

思えば、筆者が大学を卒業した1976年には、都市銀行は第一勧業銀行、三菱銀行、富士銀行、住友銀行、三井銀行、協和銀行、東京銀行、太陽神戸銀行、大和銀行、あさひ銀行、埼玉銀行、東海銀行、北海道拓殖銀行などがあり、長期信用銀行としては日本興業銀行、日本長期信用銀行(長銀)、日本不動産銀行などがあった。

これらがすべて消滅するか、現在の3大金融グループに再編された。筆者の友人には銀行に就職した人もいるが、コンタクトもなく、今どうしているのかわからない友人が多い。


西川さんの経歴

西川さんは1938年・奈良県生まれ。戦時中は米軍戦闘機の機銃掃射も経験したという。親類に東大を出て毎日新聞の記者となった人がいて、西川さんも新聞記者になることを夢見て東大受験を目指したが、受験直前に体調を崩し、結局大阪大学法学部に入学した。

新聞記者を目指していたが、友達のさそいで住友銀行の面接を受け、Tシャツ姿で行くと、「新聞記者などやめておきなさい」と言われ、人事部長だった磯田一郎さんの面接を受けた。京大ラグビー部出身の磯田さんは体もがっしりして迫力があり、大学時代はラグビーに明け暮れ、勉強などほとんどしていなかったという。その日のうちに人事担当専務と会い、内定をもらったという。

1961年(昭和36年)に住友銀行に入社し、支店勤務から調査部で粉飾決算などを見抜く経験を積み、後に頭取となる巽さんに引っ張られて審査部に異動した。

当時の日本ではM&Aをビジネスとしていた会社はほとんどなかったが、西川さんはいずれM&Aの時代が来るだろうと予想して、審査部時代にM&Aを研究したという。そして西川さんの最初の功績が安宅産業の破たん処理だ。


安宅産業破たん処理

安宅産業は1904年創業の総合商社で、1975年当時は業界9位だった。新日鐵の5大指定商社の一社で、金属や機械部門は強かったが、エネルギー部門が弱かった。

上位商社に追いつくためにカナダのニューファウンドランド・リファイナリー(NRC)に突っ込み、巨額の融資をしたところで、オイルショックが襲い、中東原油の精製をやっていたNRCは巨額の損失を出し始め、不動産投資失敗も加わって安宅産業の息の根を止めた。

負債総額1兆円の安宅が破たんすると日本企業の国際信用が失わわれ、「日本経済は焦土と化してしまうかもしれない」との懸念から、メインバンクの住友銀行と協和銀行が中心となって、伊藤忠商事が安宅の優良部門を吸収合併し、銀行は債権放棄して破たん処理を実現した。

安宅の合併相手を探す段階では、住友商事にも2度、話を持って行った。しかし、住友商事はつねに慎重でリスクを取ることが少ない企業体質で、すでに住友金属の鉄鋼商権を持っていたこともあり、安宅産業との合併はには引き気味だった。また、当時の住銀の樋口廣太郎常務(元アサヒビール社長)と住友商事の財務担当の屋代副社長が不仲だったという。

それでも伊藤忠と安宅の合併が決まった後、住友商事は誰も引き取らなかった資産を引き取ってくれたという。それが米国ニューヨーク州北部にある鉄鋼メーカーのオーバーン・スチールだ。オーバーンには筆者も行ったことがある。ニューヨーク州の北部の風光明媚なフィンガー・レイク地帯にあり、世界最初の電気イスでの死刑執行で有名?な町だ。


安宅コレクション

この本では、伊藤忠側の交渉責任者だった不毛地帯のモデル・瀬島龍三さんのシンプルでストレートな交渉ぶりや、当時「社賓(しゃひん)」という肩書だった創業者の息子の安宅英一氏が集めた安宅コレクションについても触れている。

不毛地帯 (1) (新潮文庫)不毛地帯 (1) (新潮文庫)
著者:山崎 豊子
新潮社(1983-11)
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帳簿には70億円と記載があったが、売れば500億円以上にもなるという大変なコレクションで、近代日本画家・速水御舟(はやみぎょしゅう)の作品106点と朝鮮(高麗・李朝)と中国(後漢から明朝)の陶磁器850点だった。

コレクションの散逸を防ぐために御舟の作品はすべて山種美術館に買ってもらい、古陶磁器は安宅の破たん処理が終了した段階で、大阪市に寄付して1982年に開館した大阪市立東洋陶磁器美術館を建設して所蔵した。

安宅コレクションについては「美の猟犬」という本が詳しいので、いずれあらすじを紹介する。

美の猟犬―安宅コレクション余聞美の猟犬―安宅コレクション余聞
著者:伊藤 郁太郎
日本経済新聞出版社(2007-10)
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磯田一郎の時代

磯田一郎さんといえば「向こう傷を恐れるな」という言葉が有名だ。1977年に安宅産業の破たん処理が決着がついたタイミングで頭取に昇格、以後15年間、住銀の頭取・会長としてトップに君臨し、「住友銀行の天皇」と呼ばれた。

この本では「磯田一郎の時代」ということで、関東の支店数を一気に伸ばすために店舗数だけは多いが、ボロ店舗ばかりの平和相互銀行の合併や、バブル期に闇勢力と組んで不動産と(磯田さんの長女がからむ)美術品投資にのめりこんだイトマンへの肩入れなどを具体名を挙げて説明している。

日本経済の構造変化で、株式や社債なその直接金融が増え、銀行融資などの間接金融が細るなかで、「磯田一郎の時代」は終わった。磯田一郎さんにとどめを刺したのは西川さんだと自ら語る。

安宅産業、平和相互銀行、イトマンと問題案件を企画部長として処理したので、西川さんには、問題処理に強く、厄介事は西川さんに任せておけという評価が定着したという。


「不良債権と寝た男」

西川さんは、ある新聞に「不良債権と寝た男」と書かれたという。

日本経済は1986年からバブル経済期に入り、不動産価格が1986年は前年比75%、1987年は37%と上昇し続け、株価も1989年12月に日経平均株価が38,915円という史上最高値をつけた。

その後不動産価格も株価もピークを打って下がり始め、株価は1992年8月にはピークの半値以下の15,024円にまで下落した。

バブル崩壊によって日本経済はガタガタになり、1992年秋に大蔵省は大手21行の不良債権額は12兆3千億円あるという試算を発表した。筆者も覚えているが、当時は到底12兆円などという額ではない、50兆円、あるいは100兆円あるのではないかと言っていたものだ。

西川さんは、当時の住友銀行頭取の小松さんから、1992年夏に当時の宮澤総理から軽井沢の別荘に大手行の頭取が全員呼ばれて公的資金投入を打診されたという話を、後日明かされたという。頭取はみんな反対したが、今思うと、あの時に決めておけば、こんな大騒ぎにならなかっただろうと小松さんは言っていたという。

銀行の赤字決算は終戦直後も含めて、それまで例がなかったので、不良債権処理に保有株式を売って黒字決算を続けていた。しかし、西川さんは当時の巽会長と森川頭取に進言し、1995年に8,000億円の不良債権処理を行い、3,300億円の赤字決算とした。そうすると株価は逆に上昇した。

日本の不良債権処理が進んだのは1997年に大蔵省が不良債権償却証明制度を廃止し、銀行の自己査定による債権処理が可能になったことと、1998年の公的資金注入制度の効果だと西川さんは語る。


日本版金融ビッグバン

不良債権処理を進める一方、故・橋本竜太郎首相は1996年に日本版金融ビッグバンを提唱し、銀行、証券会社、保険会社の垣根が一部取り払われ、金融ホールディングカンパニーも認められた。

西川さんはチャンスだと考え、積極的に個人向け投資信託販売を拡大し、外部人材を起用するほか、山一證券から150名の窓口販売要員を採用して、リテール部門を拡大した。

ネット証券業にも進出したが、設立したDLJディレクトSFG証券は楽天に売却した。その関係で、楽天・三木谷浩史社長と知り合い、その斬新で革命的な考え方に共感することが多かったので、西川さんは頭取退任後、楽天の顧問に就任した。


頭取就任は「男子の本懐」

1997年6月に西川さんは住友銀行の頭取に就任した。58歳での就任で、50歳台の頭取就任は「住銀の法王」と呼ばれた堀田庄三さん以来だという。

就任記者会見では西川さんは「男子の本懐です」と語ったという。当時、銀行は企業の不良債権処理を手伝って、企業が再生できるようにする「野戦病院」のような役目だった。日本経済再生に貢献する重大な責任を任されたという意味で、「男子の本懐」という言葉になったのだという。

男子の本懐 (新潮文庫)男子の本懐 (新潮文庫)
著者:城山 三郎
新潮社(1983-11)
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西川さんが頭取に就任してからは、住銀の長年の重要取引先だった大和証券と法人部門の合弁会社(大和証券SBCM、ただし2009年に合弁解消)設立、さくら銀行との合併で2001年4月の三井住友銀行の誕生、ゴールドマン・サックスとの資本提携強化、GS幹事の海外マーケットでの資金調達などダイナミックなM&Aを行った。

2兆円にものぼる資本準備金を不良債権処理にあてる為の、さくら銀行子会社のわかしお銀行との逆さ合併(存続会社はわかしお銀行で、三井住友銀行は消滅)には驚かされたものだ。

UFJ信託銀行と住友信託銀行との合併が決まっていたのにキャンセルされて「売られたケンカ」だとして、UFJ銀行をめぐって東京三菱との買収合戦に乗り出した話を紹介している。

同じ関西系の長年のライバル同士のUFJ(旧三和銀行)と住友銀行では、合併は難しいと筆者は思っていたが、この本では当時のUFJ銀行のトップや関係者は、住友銀行との合併を望んでいた様にも思えたことを紹介している。


日本郵政会社の社長に就任

2005年、西川さんは三井住友銀行の頭取を退任し、特別顧問となった。退任直後に大腸ガンが見つかり手術を待っているときに、ウシオ電機の牛尾会長から「小泉総理や竹中大臣が郵政民営化のリーダーを西川さんにお願いしたいと言っている」との話があった。

西川さんは一旦は断ったが、手術後竹中大臣から「小泉総理はもう決めています。」という話があり、奥さんの反対にもかかわらず引き受けることになった。小泉総理からは一言、「ご苦労だけど、西川さん、頼むよ」と言われたという。

この本では郵政民営化準備会社の社長となった2006年1月から民主党が政権を取り、亀井郵政・金融担当大臣より自分で進退を判断しろと通告されて社長を辞任する2009年10月までの出来事を、80ページほどにわたり解説している。

恥ずかしながら筆者自身も郵政民営化の目的がいま一つクリアーに理解できていないが、西川さんは郵政民営化の目的は、大きくは次の2点であると最初に整理している。

1.資金の流れを官から民に変えることで、国民の資金を成長分野に集め、結果として日本経済の活性化や効率化を図る。

2.少子高齢化社会の到来によって先細りが懸念される郵政事業を、民営化で新規事業にも参入できるようにし、国民の利便性を高めると同時に収益性を向上させる。

西川さんはこの民営化の目的を理解してもらわないと、西川さんが全精力を注ぎこんだ意味が分かってもらえないと語る。

この本で知名度があがり、一番得したのはたぶんコンサル会社のA.T.カーニーだろう。コスト削減に強いコンサルタントとして住友銀行時代と日本郵政時代に登場している。

筆者は2000年ごろA.T.カーニーと、別ブログで紹介した逆オークションなどの電子調達関係プロジェクトで一緒に仕事をしたことがある。

総理、増税よりも競り下げを!総理、増税よりも競り下げを!
著者:村井宗明
ダイヤモンド社(2011-08-26)
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A.T.カーニー米国子会社が持っていた逆オークションのASPを使って日本でも逆オークションのトライアルを実施し、A.T.カーニー・ジャパンの人たちと一緒にJ/Vをやれないか検討したのだ。当時のメンバー2人がプリンシパルになっている。

調達関係のコンサルでは2000年の段階でA.T.カーニーがベストだった。住友銀行のコスト削減でも実績を出して、日本郵政にも採用されたようだ。さすがA.T.カーニーである。

日本郵政社長時代のエピソードだけでも十分一冊の本が書けるほど、いろいろなことが起こっているが、詳しく紹介するとあらすじが長くなりすぎるので、箇条書きで紹介する。

★2004年には郵貯と簡保は合計で350兆円の規模となり、国民の金融資産1,400兆円の1/4を占めていた。

★運用は2000年までは全額大蔵省の資金運用部に預託する義務があり、10年物国債の利回り+0.2%の金利を保証されていた。

★郵貯の「ヒト・モノ・カネ」のネットワークは想像以上に緻密で底力があり、これこそが郵便局の最大の経営資源だ。

★郵政民営化によりいままで免除されていた法人税、事業税、預金保険料などを支払うようになり国や地方の税収が増えた。

★全銀システムとは店番号と口座番号が違うので、銀行から郵貯には送金できなかったが、民営化後にやっと全銀システムと接続した。

★西川さんが社長に就任してすぐに取り組んだのが次の3つのプロジェクトだ。

1.調達コストの削減と調達戦略の一元化
2.コールセンターの一元化
3.「郵政福祉」、「郵貯振興会」などのファミリー企業との取引関係の見直し

★ゆうパックの欠点だった冷蔵・冷凍輸送ができないことを、日通のペリカン便と合併することにより解消し、シェアアップを狙ったが、なかなか国会の承認が得られなかった。

★麻生内閣の鳩山邦夫総務大臣が政治問題化した「かんぽの宿」一括売却問題と東京中央郵便局再開発問題について、西川さんは鳩山大臣の論点を詳細に逐一反論している。よほど悔しかったのだろう。


総じて淡々とした書きっぷりに好感が持てる。

筆者が知っている案件もあり、その記述から判断すると、この本に書かれているのは表向きの説明といえる。それでも一面の真実をとらえていると思う。

一読する価値のある同時代史だと思う。先入観だけで判断せず、まずは手に取ってパラパラめくって欲しい。


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