ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)
著者:高木 徹
販売元:講談社
発売日:2005-06-15
おすすめ度:4.5
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明石さんの本を読んだ関係で、ボスニア内戦関係の本を読んでみた。この本はボスニア内戦を扱った本の中で、最も売れた本の一つだろう。

1990年に起こったボスニア内戦での情報戦をNHKが特集にまとめ、2000年10月にNHKスペシャル「民族浄化 ユーゴ・情報戦の内幕」として放送した。放送では触れられなかった部分も含めて、担当したNHKディレクターの高木徹さんがまとめたのがこの本だ。

筆者は1980年に分裂前のユーゴスラビアに出張したことがある。その時は鉄鋼原料のメーカー訪問が主目的だったので、サラエボは訪問していないが、首都ベオグラード、アドリア海に面したクロアチアのスプリート、ダルマチア地方のシベニク、マケドニアのスコピエなどを訪問した。

ユーゴでは1日を3分割し、6時から2時までが労働、2時から10時までが余暇や農作業など、そして10時から朝6時までが休養と、労働時間も決まっていたことを思い出す。

美しい町、風景で、食事もワインもおいしかったことを思い出す。その美しい町、ベオグラードには、今やNATOの爆撃の跡があちこちに残っているという。残念なことだ。


尖閣漁船拿捕で露呈した日本政府のPR意識欠如

この本の中で高木さんもコメントしているが、日本の外務当局のPRのセンスはきわめて低い。

今回の尖閣列島周辺で領海侵犯した中国漁船の拿捕事件でも、日本政府のPR欠如を痛感した。中国政府にやられるままに拿捕船の船長を釈放した日本政府のふがいなさに多くの国民が失望したと思う。

誰かが書いていたが、なぜ領海侵犯の漁船が巡視艇に追い回された挙句、破れかぶれで意図的に体当たりするビデオを繰り返し流して、世界の世論を見方につけないのかと思う。それと尖閣列島が日本固有の領土であることを、中国も今までは争っていなかったことのPRも欠かせない。

自民党の小池百合子さんによると、韓国は領海侵犯をした中国漁船を2004年から2007年までの4年で2,000隻以上拿捕し、2万人の船員を拘束し、中国政府は213億ウォン?(20億円)の保釈金を払っているそうだ。(次のYouTubeのビデオの最後の1分間の発言)



筆者はまだ小池発言のウラ取りをしていないので、事実としてはまだ確認していない。なぜ2004年から2007年という4年間を選んだのか、小池さんがいいとこ取りしているような気もするが、それにしても中国漁船はいい漁場で操業するために領海侵犯で捕まることも辞さない常習犯であることは間違いない。

しかも小池さんによると中国は韓国には何も言わず、保釈金を払うが、日本は何でも言うことを聞くと見くびって高飛車に出ているという。

アメリカ政府も日本側に立った発言をしているのだから、なぜ世界の世論を中国船長=犯罪人とリードしないのか?

これでは領海侵犯の中国漁船や中国人活動家の船が大挙して尖閣列島周辺に集合し、そのうち海上保安庁の手には負えなくなるだろう。武力で撃退するということはできないなら、国際世論を見方につけることを考えるべきではないのかと思う。

話が横道にそれたが、この本で高木さんも「外務省の硬直的な人事制度では永遠に日本の国際的なイメージは高まらないだろう」と指摘している。

日本政府もアメリカのPR企業を雇うこともあるが、結局PR戦略を担当しているのは、大学を卒業してすぐに外務省に入り、一生外交官として生きていく役人ばかりである。

米国の高級官僚の”リボルビングドア(回転扉)”の様に、民間で活躍した人が官僚となったり、官僚となってからも民間へ出て経験をつみ、また官僚になる人はゼロである。

多少の人材を民間から登用しているが、量的にも質的にも彌縫策(びほうさく)にすぎない。

硬直した役所の人事制度を根本から改革しない限り、21世紀の日本の国際的地位は下がる一方になることは、はっきり予見できると高木さんは書いている。

残念ながら、高木さんの心配が現実化しているように思えてならない。

閑話休題。


NHKスペシャル「民族浄化 ユーゴ・情報戦の内幕」

番組は現在NHKアーカイブスにも収録されていないようだが、NHKの中高教育向けのDVD貸し出しサービスの対象になっている。

この本の主役であるボスニア・ヘルツェゴビナ共和国のハリス・シライジッチ外務大臣が、1992年4月14日に当時の米国のべーカー国務長官と一緒に会見している写真がNHKのサイトにも載っている。

NHKスペシャルボスニア









出典:NHKティチャーズ・ライブラリー


主役は人口3百万人の小国ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国

この本では1992年3月にユーゴ連邦から独立して誕生した人口3百万人の小国ボスニア・ヘルツェゴビナが、米国のPRのプロを使って、「民族浄化」というキーワードを広め、セルビア=悪、ボスニア・ヘルツェゴビナ=善という図式を欧米メディアに定着させ、わずか半年で国連でセルビア追放決議を成立させるまでの一連の流れを紹介している。

元々ボスニアの軍事力は戦車100台という具合で、セルビアには全く対抗できない軍事力だった。それにもかかわらず、ボスニアはPR代理店のアドバイスに従い、シライジッチ外相のハンサムな容貌と、テレビ・写真写りを意識した英語での演技力をフルに活用して、国際世論を味方につけた。

セルビアは国連から追放され、当時の指導者のミロシェヴィッチ大統領は、後に国際司法裁判所で裁かれ、獄中で死亡した。

ボスニアは戦わずして勝利したのだ。

それには経験豊富で用意周到、議会、各国政府、プレスなどあちらこちらにコネクションのある広報代理店のルーダー・フィン社のワシントン支社国政政治部長のジム・ハーフ氏のPR活動が不可欠だった。

この本の中心人物のジム・ハーフ(James Harff)氏は現在独立してGlobal Communicatorsという国際PR会社のCEOとなっている。


国際世論を味方につける

元々ルーダー・フィン社はクロアチア政府のPR担当を1991年から務めていて、バルカン半島には土地勘があった。

ボスニアが1992年3月に独立してすぐ、シライジッチ外相が一人で米国を訪問した。彼は幸運にも4月にジェームズ・ベーカー国務大臣と会談することに成功した。

べーカー国務長官は回想録に、この会談でシライジッチ外相から「セルビア人たちは、無辜の市民を動物のように殺しているのです」と聞かされ、彼の語り口に思わず引き込まれたと書いている。

「その率直な言葉は、他のどんな外交上の美辞麗句より雄弁に、ボスニアの人々が直面している苦しみを物語っていた」。

そしてべーカーはシライジッチには意外なアドバイスをする。

「私はタトワイラー報道官を通じて、シライジッチ外相に、西側の主要なメディアを使って欧米の世論を味方に付けることが重要だと強調した」

前掲の写真は、会談直後のシライジッチ外相とべーカー国務長官の会見のものだ。


泣かない赤ちゃんはミルクをもらえない

シライジッチはボスニアのことわざを思い浮かべたという。「泣かない赤ちゃんは、ミルクをもらえない」

国際社会に振り向いてもらうには、大きな声を出さなければならない。そして声の出し方には様々なテクニックがあるらしい、ということをシライジッチは知った。

会談の後、シライジッチは唯一の知人である米国人権活動家デビッド・フィリップス氏に相談した。元々シライジッチは、歴史学の教授でメディアなどのコネは全くなかったからだ。フィリップスがPR戦略の専門家として紹介したのが、ジム・ハーフだった。


PRのプロ、ルーダー・フィン社

ジム・ハーフは安易にホラーストーリーをでっち上げることは絶対しなかった。

というのは1990年の湾岸危機の時に、クウェート政府に起用された広告会社ヒル・アンド・ノールトンは下院公聴会でナイラという少女の証言をつくりあげた。

「病院に乱入してきたイラク兵が、生まれたばかりの保育器から赤ちゃんを取り出して床に投げつけました。赤ちゃんは冷たい床で息を引き取ったのです。本当に怖かった。」

実はナイラは在米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいてクウェートに行っていなかった。保育器のストーリーはヒル・アンド・ノールトン社の創作だったのだ。

このことをニューヨークタイムズがすっぱ抜き、CBSの60ミニッツが特集を組んだ。クウェート政府とヒル・アンド・ノールトン社にはダーティなイメージが残った。


ファックスとレター 基本に忠実なPR作戦

ルーダー・フィン社のやり方は、「不正手段は用いず、基本に忠実」だった。

当時は電子メールはなかったので、ルーダー・フィン社はまずは主要メディアにファックスで「ボスニアファックス通信」を定期的に送りつけた。

記者会見の前にはシライジッチ外相の経歴、公式ステートメントの内容、シライジッチ外相が出した手紙のコピーなどをまとめて”プレスキット”をつくり、記者が記事を書きやすいように材料を提供した。

そして会見に来たジャーナリストにはすべて礼状をシライジッチ外相名とジム・ハーフ名で2通出した。

ジャーナリストのみならず、ジム・ハーフは共和党の大統領候補になったボブ・ドールなどの米国議会の大物や、大新聞の論説委員などにシライジッチ外相を引き合わせ、着々とボスニア支持の世論を形成していった。

ソフトな正攻法以外にも、ジム・ハーフは「両方の勢力が悪い」と正論を繰り返すサラエボ駐在のカナダ軍のマッケンジー将軍を、邪魔者は消せとばかりに失脚させるというパワーゲームまでやっている。


「民族浄化」というキャッチコピー

第2次世界大戦の時に、ナチスの傀儡政権だったクロアチアがセルビア人狩りを行い、「民族浄化=ethnic cleansing"」を行っていた歴史がある。それをルーダー・フィン社はボスニア紛争に使った。

民族浄化はホロコーストを連想させ、ジャーナリストには強烈にアピールし、ブッシュ(父)大統領もすぐに民族浄化という言葉を使ってセルビア人を非難した。まさにキャッチコピーの勝利だった。


バルカン半島にはボーイスカウトはいない

ボスニアの住民の4割はムスリム系、3割がセルビア系、そして2割がクロアチア系という民族構成だった。戦力ではセルビアの支援を受けたセルビア人勢力にはムスリムは対抗できなかったが、ムスリムも人権侵害を行っていた。

2度のユーゴスラビア駐在経験を持つイーグルバーガー国務副長官は「バルカンにはボーイスカウトなんていないんだよ」と語っていたという。

度重なるボスニアの武力支援の要請にも、ブッシュ(父)大統領は「アメリカは世界の警察官ではない」と語って、武力介入を避けていた。アメリカによる軍事行動が実現するのは、ブッシュに代わったクリントン政権となってからだ。


セルビアも対抗してアメリカ国籍の首相を選任

元々ユーゴスラビア時代は銀行の頭取だったセルビアのミロシェヴィッチ大統領も、国際世論対策の重要性を感じ、26歳でアメリカに移住してICN製薬を創業し、自家用飛行機で飛び回っている国際的経営者で大富豪のパニッチを1992年7月に首相に任命した。

パニッチは米国籍のままセルビア首相に就任する際に、ブッシュ(父)大統領の了解を取っている。しかし米国のユーゴスラビア、セルビアに対する経済制裁は実施された。

このためパニッチはルーダー・フィン社に対抗できるPR会社を雇おうとしたが、米国の経済制裁がすべてのサービスの輸出入を禁止していたので果たせなかった。

さらに「民族浄化」に次ぐもう一つのキーワードが国際世論に影響を与えていた。


「強制収容所」という新たなキーワード

1992年8月にボスニア北部のオマルスカに強制収容所があるというニュースを、ニューヨークのタブロイド紙「ニューズデイ」がスクープした。スクープした記者は後にピューリツァー賞を受賞している。

その後イギリスのテレビニュース制作会社ITNが現地を訪れ、捕虜収容所のニュースを収録した。これがその後多くのメディの表紙を飾った「やせさらばえた男」だった。NHKの番組紹介でもこの写真が載っている。

NHKスペシャルボスニア2









このやせさらばえた男=強制収容所というイメージが、世界中のメディで流され、世界のメディ界を掌握するユダヤ人達に強烈にアピールし、セルビアのイメージを決定的に悪くしたのだ。

このやせさらばえた男のフィルムが繰り返し流され、米国上下院は8月11日にセルビアを非難する決議を採択し、8月13日には国連安保理事会でもセルビア非難決議が採択された。


セルビアの起死回生の汚名挽回案が最悪の結果に

セルビアのパニッチ首相はサラエボを電撃訪問して、イゼトベゴビッチ大統領とトップ会談を行い、その一部始終を米国の3大ネットワークの一つのABCテレビが独占取材するというディールを決めた。

しかしABC取材陣がパニッチと一緒の飛行機でサラエボ入りしてすぐに狙撃され、ABCディレクターが死亡するという事件が起こり、セルビアが意図していたのと全く逆効果となってしまう。

実はサラエボ空港では国連軍の装甲車が2台しか手配できず、テレビ局のクルーは装甲車のピストン輸送を待ちきれず、普通のバンにガムテープでTVと貼って装甲車の後をおいかけた。その直後に狙撃兵がTとVのちょうど真ん中を打ち抜いたのだ。

首脳会談は中止され、パニッチの起死回生策は最悪の結果となった。


パニッチのロンドン会議での大立ち回り

1992年8月末にパニッチはミッテラン・フランス大統領の仲介で、英国メジャー首相主催によりロンドンで3日間の国際会議を設営する。参加国・団体27の大会議だった。

会議の場で、パニッチはミロシェビッチ大統領に公然と反発し、「この国を代表するのは私だ。お前はだまれ。」と罵倒し、ミロシェヴィッチ一人を悪者にして、辞任させる作戦に出た。

ところがジム・ハーフの手ほどきを受けたシライジッチはすでにアメリカ代表団とはファーストネームで呼び合う間柄となっており、アメリカとボスニアの関係は確固たるものとなっていた。

さらにシライジッチはボスニアから逃れてきた難民だというふれこみで、中年女性と二人の子どもを記者会見に登場された。女性はセルビア人から焼きごてで付けられたという腹のやけどをテレビカメラの前でさらし、記者が取材に殺到し演壇が壊れてしまうという事態になった。


国連のユーゴスラビア連邦(セルビア)追放決議

ボスニアの国際世論・国際政治での勝利はロンドン会議で確固たるものとなった。その最後の詰めは、ユーゴスラビア連邦(セルビア)代表団の国連からの追放だった。

ロンドン会議から1ヶ月後の1992年9月末の国連総会で、ボスニアは世界中の国、とりわけ米国に心地よく響く「多民族国家の樹立に務めているボスニア」というイメージを確立させた。

他方セルビアのパニッチはロシアと中国の支持を取り付け、国連本部からロシア国連代表部に常任理事国5カ国とパニッチの秘密会議を開催することに成功した。

なかば脅しのようにユーゴスラビア連邦が国連から追放されれば、独裁者ミロシェヴィッチ大統領の天下となるとフランスとイギリスを脅し、ユーゴ残留で内諾を取り付け、最後は米国を残すのみとなった。

ところがここでパニッチは決定的な失言をしてしまう。

米国代表のイーグルバーガーを「この11月には大統領選挙がありますね。もし私を支持しなければ、この選挙の行く末に影響するような何かを、私は言うことになるかもしれない。それでもいいですか?」と脅したのだ。

パニッチはアメリカ国籍を保持しながら、ユーゴスラビア首相になるというブッシュ大統領との約束のことを暗に言っているようだったが、いずれにせよ米国に対する脅しだった。

これに対してイーグルバーガーはキッパリ答えた。

「もし、私があなたの立場にいたら、そのようなことは絶対に言わないだろう」

世界唯一の超大国、米国がユーゴスラビアの脅しに屈することはない。パニッチの発言は墓穴を掘る結果となり、米国の強い主張により国連からユーゴスラビアは追放された。


ボスニア紛争を解決したのは国連でなく、米国の主導

ボスニア紛争当時の国連事務総長はエジプト出身のブトロス・ガリだった。

ガリはアフリカ出身なので、「世界にはサラエボより、もっと苦しい状態にある場所が10ヶ所はある。ボスニア紛争は所詮、金持ち同士が戦っている紛争だ」と発言して、国際的な大非難をあび、国連でただ一人の1期限りの事務総長となった。

この辺の事情はガリの部下だった明石さんの本には全く書かれていない。明石さんは、単にアメリカの圧力でガリは再任されなかったと、さらっと書いてあるだけだ。

ボスニア紛争に終止符を打つのは、国連ではなく、米国が主導して開いた1995年のオハイオ州デイトンのライト・パターソン空軍基地での缶詰交渉によってである。

ボスニアは欧州の一角なので、本来であればEUが介入してしかるべきである。にもかかわらず米国はクリントン政権になってボスニアに米軍を派遣するとともに、デイトン合意を成立させた。

その意味でボスニア紛争終結に対する米国の努力は並々ならぬものがあり、わずか300万人の小国のボスニアが米国をここまで動かしたのは、初期のPR戦略の成功によるものが大きい。


ルーダー・フィン社の得たもの

ボスニアのPRにこれだけ貢献したルーダー・フィン社がボスニアから得たものは、金額的には9万ドル程度だという。

ハーフは「ルーダー・フィン社は気が遠くなるほどの時間を、ボスニア政府のために費やしました。しかし、支払われた金額わわずかです」と語っている。

その支払いもシライジッチ外相が、トラベラーチェックや小切手で1万ドル程度づつ渡すだけだったという。

支払いを渋ったシライジッチ外相は最後に「これがお前らと仕事をする最後だ!」と言い放って、ドル小切手を投げよこして立ち去った。

採算的には全く見合わなかったが、ルーダー・フィン社はこの仕事で全米PR協会の「危機管理コミュニケーション」部門の年間最優秀賞を受賞した。

全米6千社あるPR企業のトップとして表彰されたので、ルーダー・フィン社とジム・ハーフのもとには多くの政府や企業から、ボスニアの危機を救ったPR企業と凄腕PRマンとして仕事の依頼が殺到したという。

この業界ではクチコミが最も良い広告になるのだと。


良い本のあらすじはどうしても長くなってしまう。大変面白い本だった。またNHKのボスニア内戦を取り上げた6日間の作品もBS1で先日見た。

最後にボスニアの絶妙なPR力を象徴する写真を紹介しておく。

オシム







出典:「オシムの言葉」133ページ

別ブログで紹介した「オシムの言葉」に載っていた写真だ。サラエボオリンピックの時の競技場が墓地に変わっているという、サラエボ紛争で多くの犠牲者が出たことを物語る写真である。

しかし何もオリンピックの競技場を墓地にしなくても、土地はいくらでもあるはずである。あきらかに政治的な意図を持って墓地にしているとしか思えない。

ボスニアは人口3百万人の小国とはいえ、国際世論のリードがうまい国である。

日本も尖閣列島の漁船拿捕問題などでは、ボスニアの国際世論戦略を見習わなければいけないと思う。

NHKの取材はあまりにボスニア寄りだという非難もあるかもしれないが、広範な取材に基づき、わかりやすいストーリーに仕上げているのは、さすがNHKと言えると思う。

文庫版もでているので、是非一読をおすすめする。


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