これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
著者:マイケル・サンデル
販売元:早川書房
発売日:2010-05-22
おすすめ度:4.5
クチコミを見る

Justice: What's the Right Thing to Do?Justice: What's the Right Thing to Do?
著者:Michael J. Sandel
MacMillan Audio(2009-09-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

NHKテレビで人気となった「ハーバード白熱教室」のマイケル・サンデル教授の本と原文のオーディオCD。ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る名講義と本の帯に書いてある。

次がNHK版だ

Justice2





ハーバード大学のサイトは次の通りだ。4分程度の映像が載っているので、講義の様子がわかる。是非見て欲しい。

Justice





この本は哲学の本では異例の22万部のベストセラーとなっているという。「東洋経済」はこの本を特集した号を出しているほどだ。

週刊 東洋経済 2010年 8/21号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 8/21号 [雑誌]
販売元:東洋経済新報社
発売日:2010-08-09
おすすめ度:5.0
クチコミを見る


「哲学」と「翻訳」という2大障壁

この本は「哲学」と「翻訳」という2大障壁があって、読んでも理解することは難しい。

以前紹介したフランス人の皮肉な本「読んでいない本について堂々と語る方法」に書いてある通り、多くの書評は本を全部読まないで書いているのではないかと推測する。

翻訳者がはたしてこの本に書かれている内容を理解しているかも、正直疑問に思う。たとえばこの本の哲学論としての結論は次のようになっている。(本文312ぺージ)

「すでに考察した正義についての二つの考え方を思い出してみよう。カントロールズにとって、正しさは善に優先する。人間の義務と権利を定義する正義の原理は、善良な生活をめぐって対立する構想のすべてに中立でなければいけない。

道徳法則に到達するためには、偶発的な利害や目的を捨象しなければならないと、カントは主張する。ロールズの持論では、正義について考えるためには、特定の目的、愛着、善の構想を脇においておかねばならない。

それが、無知のベールに包まれて正義を考える際の重要な点だ。」


長々と引用はしないが、この本の後半のカントロールズアリストテレスなどが出てくる哲学論の部分は、翻訳者が理解しているとは思えない上記のような部分が続く。

翻訳がこんな感じなので、もちろん訳者による解説もない。

ニーチェの言葉の「超訳」が売れているようだが、この本についても「超訳」が欲しいところだ。

超訳 ニーチェの言葉超訳 ニーチェの言葉
販売元:ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2010-01-12
おすすめ度:3.5
クチコミを見る


以前紹介した「車輪の下」で、主人公のハンスが神学校でヘブライ語を学び、聖書を原著で読んでいたことを思いだす。

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)車輪の下で (光文社古典新訳文庫)
著者:ヘッセ
販売元:光文社
発売日:2007-12-06
おすすめ度:4.0
クチコミを見る


筆者の実家の近くに住んでいた哲学者の故桂寿一先生の部屋を訪ねたことがあるが、ドイツ語やフランス語など原著で埋まっていたことを思い出す。

哲学原理 (岩波文庫 青 613-3)哲学原理 (岩波文庫 青 613-3)
著者:デカルト
販売元:岩波書店
発売日:1964-01
おすすめ度:3.5
クチコミを見る


やはり哲学の本は原著で読まないと、本当の意味では理解できないのかもしれない。その意味で「東洋経済」のまとめが大変参考になる。

justice chart








出典:東洋経済 2010年8月14-21日号

上記チャートの前のページに質問表があり、それの結果から自分の考え方の傾向をプロッティングするという熱の入れようだ。

上記のチャートの、1.リベラリズム、2.リバタリアニズム、3.コミュニタリアニズム、4.コンサバティズムの4つの象限で捉える考え方は、いままでのたとえば妊娠中絶にプロかコンか(賛成か反対か)の2元論よりは、ずっと考えの多様性があらわせると思う。

ちなみにリバタリアン(自由至上主義者)はパターナリズム(父親的温情主義、たとえばオードバイに乗るときにヘルメットをかぶれというような規制)、道徳的規制(たとえば売春禁止法)、所得や冨の再分配の拒否が特徴だという。


ディベートのための本

この本はハーバード大学の哲学の先生が自分の講義を題材にして書いた本で、身近な例を使って学生に「正義」について考える習慣を付けさせることを目的にしている。


いくつか印象に残った設問を紹介しておこう。

★暴走する路面電車の前に5人の路線作業員がいる。右側の待避線にはたった一人だ。あなたは電車を右にターンさせるべきか?この本の紹介でよく引用される例だ。

★同じ設問で、陸橋の上に太った男がいる。この男を線路に突き落とせば、電車は止まる。一人の犠牲で5人が助かる。突き落とすべきか?

こういう議論をしている人たちに、新大久保の美談の話をしたら、どう思うだろうか?

★ハリケーン・チャーリー来襲時に便乗値上げをした店やホテルは、正当な経済活動なのか?

★サブプライムでAIG生命保険会社を米国政府が税金で救済したときに、73人の幹部が100万ドルを超えるボーナスを受け取っていた。下院は90%の税金を課すことにした。

グラスリー上院議員はラジオのインタビューで「彼らが日本の経営者のようにアメリカ国民の前に姿を見せ、深く頭を下げて『申し訳ありませんでした』と謝り、それから2つのことの一つーーつまり辞職か自殺をすれば、少しは気が収まる」と話して、物議を醸した。

経営に失敗した経営者が、税金からまかなわれたお金で高い報酬を受け取ることは、正義が損なわれていると多くが感じたのだ。

ちなみにアメリカの平均的CEOは2007年には平均的な労働者の344倍の年間1330万ドルの報酬を得ており、ヨーロッパのCEOは660万ドル、日本のCEOは150万ドルだという。

これらは正義に関する問題で、1.幸福の最大化、2.自由の尊重、3.美徳の推進の3つの理念で考えることができる。

★タリバン掃討作戦中のネービーシールズは、出会ったヤギ飼い達を自分たちの事をタリバンに通報させないために殺すべきか?

★難破した英国船からボートで逃げ出した3人の船長、水夫が、雑用係の少年を殺して食べた。3人を救うために一人を殺すことが許されるか?

★フィリップモリスはタバコをすえば、早死にするので、チェコ政府の医療費、年金負担が一人当たり1227ドル助かるという外部機関の研究をサポートした。このことが判明し、広報活動に大きな打撃を受けた。

★フォードピントの欠陥の話は有名だ。追突を受けたときにガソリンタンクが爆発しやすく、500人以上が死亡した。

フォードは事故で180人が死亡し、180人がやけどを負うと想定していたが、死亡は20万ドル、やけどは7万ドル弱で計算すると、車両代を入れて損害賠償は5千万ドルと見積もっていた。

一方1台当たり11ドルの部品を付けてリコールすると、安全性が向上するが、1,250万台につけると1億4千万ドル弱掛かる。

だからフォードは修理しないほうが良いと判断したのだ。

★子どもを大学に行かせるために腎臓を2つとも売りたいという農夫に2つめの腎臓を売る権利を認めるべきか?

★末期患者の自殺を幇助している医者を罰すべきか?

★2001年ドイツのローテンブルクに住むソフトウェアエンジニアは、殺され、食べられたいという人を募集する広告に応募して、食べられた。ドイツは食人を罰する法律はない。被告は嘱託殺人という軽い刑に処すべきか?

★南北戦争の時、徴兵制が敷かれたが、カネをはらうか、身代わりを立てれば徴兵は免除されたので、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーやJPモルガンなどの富裕層や、政治家などは身代わりを雇った。これは不公平か?

★アメリカのブラックウォーター・ワールドワイド社は、民間軍事企業の最大手の一つだ。「フェデラル・エクスプレスが郵便事業でやったことを、われわればアメリカの安全機構でやろうとしている」と語る。

彼らの仲間は2004年にイラクでリンチにあい、死体をさらしものにされた。その後2007年に彼らはイラクで群衆に向かって発砲し、17名の市民が死亡した。

営利企業に戦争を外注することは正しいのか?

★卵子を提供した代理妊娠の母は生まれてきた子供に権利があるのか?ベビーM事件だ。

このような問題を避けるために、今は卵子と精子を支給して、子宮借りビジネスがインド南部のアナンドでさかんだという。合計2万5千ドルの費用で、女性は4,500ドルから7,500ドルの収入になる。彼女達の15年分の収入だ。

子宮を貸す自由を認めるべきか?


★真実だからといって、屋根裏に隠れているアンネ・フランクの家族のことをナチスに告げるべきか?

★カントならモニカ・ルインスキーとの「性的関係」を否定したクリントン大統領を弁護したか?

★アファーマティブ・アクションのせいで不合格となった白人ホップウッドは逆差別されているか?彼女と同等の成績を収めたマイノリティの学生は全員合格している。

★アファーマティブ・アクションは過去の過ちを補償しているのか?それとも多様性を促進する制度か?

★車いすのチアリーダーは許されるのか?

★障がい者プロゴルファーのケーシー・マーティンにはゴルフカート使用が認められるべきか?

★ドイツや日本の過去の戦争の謝罪など、先祖の罪を償うべきか?

★同性愛者の権利、妊娠中絶の権利を認めるべきか?


以上、考えさせられた例を紹介した。この本の後半の哲学論の部分が理解不能でも、問題ない。唯一無二の正解はないので、自分の意見を持てば良いのだ。

後半の哲学論の部分は、最大多数の最大幸福を唱えたジェレミー・ベンサム、他人に危害を及ぼさない限り自分の望むいかなる行動も自由であるべきと唱えたJS.ミルの「自由論」などを紹介している。

ベンサムは死後も自分の身体を剥製にして、ユニバーシティ・カレッジの運営審議会に台車に乗って出席したという。

カントの動機を重視し、自律と他律を対立させる道徳論、ジョン・ロールズの平等論、アリストテレスの目的論と奴隷制度擁護論を説明している。このあたりになると筆者もちんぷんかんぷんだった。

ベストセラーなので、既に読んだ人も多いと思うが、まだ読んでいない人は、まずは書店で手にとって、パラパラっとめくってみることをおすすめする。


参考になれば次クリック願う。