ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論
著者:小林 よしのり
販売元:幻冬舎
発売日:2010-03
おすすめ度:5.0
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小林よりのりによる「昭和天皇論」と「天皇論」を続けて紹介する。

まずは「昭和天皇論」だ。次に紹介する「天皇論」は、天皇家についての知識が深まり大変参考になったが、「昭和天皇論」は、歴史というよりは昭和天皇の誠実な人柄を描いている。

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出典:Wikipedia(以下別注ない限りすべて)

本の帯に「これほどの覚悟、これほどの孤独、これほどの無私を貫いた日本人がいただろうか?」と書いてあるが、まさにその通りだと思う。

この本では太平洋戦争終戦前後の話を中心に、終戦を決めた昭和天皇の「聖断」に至るまでの天皇を取り巻く人々の動きと、天皇の「聖断」が明治憲法上も適法であったことをマンガで説明している。

御前会議

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マッカーサーとの会見

天皇とマッカーサーとの最初の会見では、命乞いをしにきたと思いこんだマッカーサーに対して、自分が全責任を負う、自分の身は連合国の裁決にゆだねるために来たと天皇は言い放った。マッカーサーは感動して、予定を変更して陛下を見送ったという。

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もっともこれはマッカーサーの自伝や、GHQ勤務者などの話を総合して、できたストーリーで、昭和天皇ご自身はマッカーサーとの約束で「男子の一言」のようなもので、明かせないと終生語らなかった。


8年半の全国巡幸

戦後は敗戦から立ち直ろうとする日本国民をはげますために昭和21年から8年半全国を巡幸し、165日、合計3万3千キロも全国をまわった。

農村、山村、漁村、常磐炭坑、三池炭坑では地下数百メートルの採炭場所まで降りて、炭坑夫を励ました。

この本では各地での住民との交流でのハプニングなども取り上げ、天皇の人柄を描いている。本当に無私の人である。


敗戦時は天智天皇をしのぶ

敗戦時の天皇の心境は、百済を支援した日本水軍が、663年白村江(はくすきのえ)で唐・新羅連合軍と戦い惨敗し、本土決戦に備えた天智天皇(中大兄皇子)の心境と同じものがあるという。

昭和21年の終戦記念日に際しては、次のように語っている。

「わが舟師が唐軍と白村江で戦い惨敗した当時の天智天皇がおとりになった国内整備、いわゆる文化国家建設の経綸をしのびたい」


環境劣悪な御文庫

昭和天皇は皇居が空襲にあって消失してからは、防空建設の地上1階、地下2階の御文庫に住まわれていた。御文庫は御前会議も開かれた500キロ爆弾にも耐える防空建造物だったが、住環境劣悪で、猛烈な湿気で、光もささず、健康に悪い。

しかし昭和天皇は「世の中には住む家のない人もある」として転居を拒否し、昭和36年新たに建設した吹上御所に移られた。「こんないい家に住めるようになったのも、みんな国民のおかげだ」と語られたという。

天皇の背広や帽子にはつくろいの跡があったことは、有名な話だ。国民の生活が楽にならないうちは、洋服はつくる気にならないとして10年以上も新調しなかったという。


昭和天皇の墓 武蔵野陵

八王子市の武蔵野陵(むさしののみささぎ)が昭和天皇のお墓だ。高尾山駅からタクシーで行くところだそうだが、小林よしのりは、武蔵野陵を訪問して、その様子も書いている。

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全編を通して、使命感の権化ともいえる、昭和天皇のお人柄がしのばれる。


昭和天皇の御製で昭和天皇の人柄をしのぶ

最後に小林よしのりが好きな天皇の御製をいくつか紹介している。お人柄がよくあらわれている御製である。


昭和20年終戦

身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて


昭和21年 歌会始

ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ


昭和62年 

思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを


昭和63年 全国戦没者追悼式

やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど


昭和63年 最後の御製

あかげらの 叩く音する あさまだき 音たえてさびし うつりしならむ


次は「天皇論」だ。歴史知識の部分が多いので、参考になる。

ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論
著者:小林 よしのり
販売元:小学館
発売日:2009-06-04
おすすめ度:4.5
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別ブログでも紹介した「靖国論」、「いわゆるA級戦犯」など、役に立つマンガ作品を多く書いている小林よしのりの作品。筋の通った主張とマンガとは思えない綿密な下調べには脱帽する。

アマゾンのランキングでも上位となっており、よく売れているようだ。

400ページ弱の作品だが、マンガとは思えないほど字が多く、ところどころ手書き風の感想をページの上に載せたりして大量の情報を凝縮しているので、読むのに3日ほどかかった。

たとえば99ページの上の感想は:

「4月10日、天皇皇后両陛下の御大婚50年をお祝いする集いに参加した。宇崎竜童のスピーチは素晴らしかった。あの緊張感ある中、巧みなユーモアを織り込みながら会場を和ませ、しかも品を落とさず、あんな見事な話が出来るとは!」

といった感じだ。


日本人は天皇についてもっと知るべき

日本人がもっと天皇について知るべきだという主張をこめて、小林よしのりはこの本を書いたのだと思うが、筆者自身もあまりに天皇について知らないことを思い知らされた。

その意味では大変勉強になった。

たとえば「三種の神器」。まずは読み方だ。

恥ずかしいことながら、いままでずっと「さんしゅのじんき」だと思っていた。

「さんしゅのじんき」で転換すると、「三種の人気」になってしまう。つまり間違いなのだ。

正しくは「さんしゅのじんぎ」である。これを転換すると「三種の神器」と正しく表示される。


三種の神器

三種の神器とは八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ、天叢雲剣=あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)のことだ。

てっきりすべて皇居にあるものと思っていたが、実は皇居にある鏡と剣は分身で、八咫鏡の本体は伊勢神宮に、草薙剣の本体は熱田神宮にある。

三種の神器は天照大神(あまてらすおおみかみ)から高天原(たかまがはら=神々の国)から豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに=地上)に降臨したニニギノミコトに授けられたものだ。ニニギノミコトのひ孫が神武天皇で、代々の天皇が受け継いできた。

天皇家の宝物であり、天皇の皇位継承権を裏付けるものだ。

これで終戦の直前に、天皇が米軍が伊勢湾あたりに上陸してくれば、伊勢神宮も熱田神宮も米軍の手に落ちるので、国体も護持できなくなると言われていたことが納得できた。

その部分を「昭和天皇独白録」から引用すると。

「当時私の決心は第一に、このままでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子を保護することが出来ない。

第二には国体護持の事で木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直に敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない。これでは国体護持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。」

昭和天皇独白録 (文春文庫)昭和天皇独白録 (文春文庫)
著者:寺崎 英成
販売元:文芸春秋
発売日:1995-07
おすすめ度:4.0
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祭日の本来の由来

祭日(祭祀を行う日)の本来の由来も知らなかった。

勤労感謝の日の11月23日は新嘗祭(にいなめさい)、春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋期皇霊祭、つまり皇室の先祖を祀る祭日だった。

GHQの指令で祭日の呼び名が変わったのだ。

ちなみに天皇が即位して最初の新嘗祭が大嘗祭(おおにえのまつり、だいじょうさい)だ。


天皇は祭司王

この本では小林よしのりは、天皇は「祭司王」であり、祭祀(さいし)を行うことこそが天皇の本質であると力説する。天皇は国民の為に祭祀を行い、祈っているのだ。

天皇の祭祀と儀礼はこの本に簡単に紹介されているので、参考になる。

皇室祭祀

皇室祭祀












出典:本書151ページ


あらためて天皇皇后両陛下への尊敬の念を抱く

この本を読むと天皇皇后両陛下への尊敬の気持ちがあらためてわいてくる。

多くの感動を与える話が紹介されているので、小林よしのり自身も「泣いているのではない」と強がりをいいながらも、こんな絵をところどころに載せている。

小林よしのりの「涙管が塞がっている」図

小林よしのり感動






出典:本書150ページ


詳しくは是非この本を読んで欲しいが、いくつか紹介しておく。


皇后さまの失語症からの回復

1993年皇后陛下がマスコミのバッシングの心労から倒れられ、失語症になられたときがあった。

「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」とのコメントを翌年出されている。

そして皇后様が声を取り戻したときの第一声は、「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」だったという。

小林よしのりも語っているが、理不尽なバッシングから回復したことを、「清められた」と表現することが常人にできるだろうか?


社会的弱者支援への熱意

小林よしのりは平成20年12月19日の天皇陛下御即位二十年奉祝中央式典に参加したという。国会議員連盟と民間の委員会の共催で、149名の国会議員、99カ国の駐日大使、出席者4,000人が出席した。

そのときに小川榮一日本身体障害者団体連合会会長は、障害者支援の天皇陛下や皇室の熱意を、感謝を込めて語っている。

パラリンピックがオリンピックの翌年同じ都市で開催されるようになったのは、東京が最初で、その実現には当時の皇太子殿下、今上天皇陛下はじめ皇室の絶大なる支援があった。

「ハンディがあっても、国民の一人として尊重してくださり、障害者とその家族、関係者に勇気と自信を与えてくださっている皇室こそ、日本の素晴らしい国柄を代表されていると思っております」


沖縄県民への思い

今上天皇陛下は皇太子時代、本土復帰前から沖縄に心を寄せ続けておられた。そして沖縄の文化を学び、3,000首もの歴代琉球王が詠んだ琉歌をノートに書き写し、自分でも琉歌を作れるようになられたのだ。

琉歌はサンパチロクと言われる8+8+8+6語の琉球語の古歌だが、今や沖縄生まれの人でも作れる人は少ないという。

沖縄を訪問されて、自作の琉球歌を詠まれた。摩文仁(まぶに)と呼ばれるこの御製の琉歌は、毎年沖縄の慰霊祭の前夜祭で演奏されているという。摩文仁村は村民の半分が戦死した沖縄戦の最大の激戦地だ。

「フサケイユルキクサ ミグルイクサアトゥ クリカイシガイシ ウムイカキティ」
(ふさかいゆる水草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて)

訳:かつての戦場跡には草木が茂っている。その草木の間を巡りながら繰り返し繰り返し戦争の当時のことを思う

今上天皇は独学で琉歌を覚え、この歌をつくった。

沖縄の遺族はこう語る:

「天皇陛下から直接お言葉を賜ったあの日の感激は、今なお私たち遺族の心の支えになっております。」

小林よしのりは語っている:

「これほど深く敬意を示した慰霊の姿勢が、他にあるだろうか!」

たしかにそう思う。

1975年の最初の沖縄訪問では真夏にもかかわらず、当時皇太子・妃殿下両だった陛下は正装のままで、流れる汗もぬぐおうとせずハンカチを一度も使わなかったという。

サイパンでもバンザイクリフスーサイドクリフに向かって深々と黙祷を捧げられた。日本の慰霊碑のみならず、米軍の慰霊碑、韓国人慰霊碑に黙祷を捧げられた。


天皇陛下の行幸

天皇の国内訪問は行幸(ぎょうこう)と言われているが、最大の目的は人に会うことだ。

基本的には各都道府県が提案する場所に行くが、まず福祉施設(障害者施設、老人ホーム、保育園など)、地方の文化施設で皆の誇りになっているところ、そして農業・漁業など地域の産業に関係するところを選んで欲しいと地元に伝えているそうだ。


天皇陛下が人に会うときには事前にその人のことを色々調べて、当人も驚くほどにその人のことを知っていると言われている。

超多忙な天皇陛下がそれだけまめに、会う人のことを調べているのは、感動を通り越して、驚異といった方が良いと思う。

あらためて感動を覚えるとともに、今上天皇皇后両陛下を国の元首として戴いていることに国民の一人として喜びを感じる。


文字情報が多いのでマンガだからといって、決して読みやすいわけではないが、天皇の歴史と実際の姿がわかる。

国民必読の天皇論だと思う。是非書店で手にとって見ることをおすすめする。


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